神メモ関連のお話

神メモ関連の感想や評価を漁ってた(ほんとは他人の意見とか見るの好きじゃないんだけど。自分の意識の内に他人の思考が潜り込んでいく気がして嫌い)ところ、珍しく(?)擁護の意見を見つけた。ので、今回はそれに対しておれが思ったことをつらつらと書く。ああでもおれ神メモにはがっかりしたので基本反対意見だよ。


原作既読者がアニメ『神様のメモ帳』を褒め称えてみる

まずここ。

アニメ版の鳴海は、最初の段階で彩夏のトラウマを経験していなかった分、周りに流される形で動機のあやふやなままアリスの助手を経験することになる。
だがそれがむしろ「現代的な高校生像」を表象していて、ヤクザの内部抗争に巻き込まれることを承知でメオの逃亡に加担したり、平坂組の抗争でチンピラたちとむやみに「兄弟杯」を交わす鳴海の姿は、明確な意志に裏付けされた動機付けがない分、軽率に「裏社会」と関わりをもつ行為として非常に危なっかしいものにみえる。

上記の鳴海の描写が蓄積されていたからこそ、最終話で彩夏の兄を殴るシーンは映える。行き場のない感情を拳に乗せたただの八つ当たりだからだ。純粋な暴力こそ、最も人生における「行き詰まり」を体現している。しかし、殴るという行為もまた、どうしようもなくやるせない一歩を踏み出すことに繋がっている。

いや、いやいやいや。ちょっと待て。

「それがむしろ「現代的な高校生像」を表象していて」……
ねーよ。現代の健全な高校生がヤクザと絡むことなんてねーよ。小倉●昭かよ。
「高校生なら生きてる上で1度くらい闇の組織に助けてもらうことがあるでしょう」とか言い出しそうで怖いわこれ書いた人。

むしろ鳴海の考えが現代高校生離れしてんの。ふつーヤクザのお兄ちゃんと関わり合いになろうなんて誰が思う?盃交わそうなんて誰が思う?
現役高校生に問いたい。あなたたちはいきなり事件に巻き込まれその延長上(あるいは成り行き)でヤクザのお兄さんと知り合った場合、「これ以上関わっちゃまずいと思って逃げる」のと、「しょうがないからヤケクソでヤクザたちに関わっていく道を選ぶ」の2つだったらどっちを選ぶ?どちらか1つだけを選んでみてほしい。集計とかできないけどさ、どう考えても普通、前者取るだろ。その時点で鳴海はもう「現代的な高校生」としての役割を失ってんのよ。これは以下のことにも言えるね。

鳴海の動機づけが不明瞭という指摘だけど、むしろ積極的な動機もなく兄弟杯を交わしてしまう男子高校生、という主題のほうが現代的。そして何よりも鳴海のもつ本質的な危うさがよく出ている。そして高校生のお遊びとしての「儀式」が、やがて本当の意味を獲得していくのが神メモの持ち味でもある

これ矛盾?。


続いてこちら。

神メモの「ニート」の定義は非常に現代的で良い。ルールが違う、というのはその通り。そして危なっかしい鳴海の振る舞いの、おおよそ倫理観の欠如した妄執が「ルールの違い」と結びつく。つまり鳴海が「ニート」の素質を持ち合わせているということは、そのまま受け手に対して問われることを意味する。

いや、あれ絶対現代的ニートじゃないだろ。しかも全然ニートという描写がなかったし。
「ニート」って言われたら、どんな人を想像します?普通はさ、家で何もせず寝っ転がってたりパソコンやゲームをずっとしたりしてる、そういう姿を想像するでしょ。だってそれがニートだもの。
でもさ、このアニメに出たニート、みんなアクティブだし人脈広いし、どう考えてもニート像に結びつかないわけ。アリスですらニートに見えないもん。おれこのアニメで1回たりともアリスのことニートだと思えなかったぜ。これが矛盾?。


次。

原作のように雁字搦めに拘束されて「責任」の重さに押しつぶされているアリスより、無能で能天気で年相応の女の子なアリスがあってもいいじゃないと思う。彩夏に降りかかる運命はもっと手早く解決されて、苦しみを引きずらないまま笑顔を取り戻してくれるような「神様のメモ帳」があってもいい。

これは同意。同意なんだけどさ、実はこのアニメ、「彩夏を救ってはいない」ことにお気づきだろうか。
そう、屋上から飛び降りた後、彩夏は病室で治療を受け、EDでわずかに目覚めたところで終了しているのだ。原作ならこのあと、記憶喪失になり鳴海のことを忘れてしまった彩夏がまた鳴海に惹かれていく…という感じなんだが、アニメはその救いをあろうことかぜーんぶカットしてるのです。全部だよ、全部。スタッフ蹴り飛ばそうかと思ったわ。おれ含む視聴者の多くが観たかったのは「彩夏の喪失からの再生」なのに。


これはどうだろう。

だから『神様のメモ帳』の「ニート」の定義は通俗的なニートのそれと違うんだぞ、と(特にアリスは)主張しているんだけど、実際には強がりを言っていたことが暴かれたわけで、トートロジーだけれどニートだからこそ「ニート」になるのだ、というのが神メモなんだよね。本質的には同種の苦しさがある。


日本語でおk…と言いたいところだが、仮にも日本語研究してる上に人様に教えている身なのでそんな事は言わない。たぶんこれを簡単かつ筆者に都合よく解釈してやると「アリス(とこのアニメのニート達)は普通のニートとは違う存在であろうとしていた」ということなんだろう。それを満たしてくれる肩書きが、ニート「探偵」だ。

まあこれは個人的意見なんだけどね、「人にものを伝えるときは最短距離で一番わかりやすいように伝えるのが最低限の礼儀」だと思ってる。
日本語が多様化し、かつグローバル化(海外の人は基本的に最低限の言葉で円滑な意思疎通を望んでいる)も進んできてる今だからこそ、遠まわしな表現や婉曲的な物言いは避けるべきなのよね。まあこれが人文学系のほんとにどうしようもないクセで、文章を書いてる内についつい自己陶酔に陥るのだ。んで最終的に「自分さえ理解できれば満足」の境地に達する。孔子もビックリだぜ。

だからおれが人の感想・評価を見たくない理由のもう1つに「自己満クサい文章なんざ読んでられるか」というのがあるわけです。あ、これ前に書いたな。かぶってしまった。

最後にこれ。

原作のアリスは変に有能だったから、そこの辺りの機微がやや埋もれていた感があったのだけど、アニメは割り切って「普通の女の子」として描写してるからちゃんと浮き彫りになってる。それだけだとただの悪い改変でしかないけど最後でしっかり締めくくってたから綺麗にピースが繋がって上手くいってた。

え…( ゚Å゚;)?
おかしい、おかしいぞ…アリスって「普通の女の子」だったっけ…

よし、今度アンケートとってみよう。学校にも行かず自分の部屋に篭り風呂にも入らずに何十台ものパソコン(電気代どうなってんだ)に囲まれて生活している堅苦しい口調の女の子は果たして「普通の女の子」なのかどうか、おれ聞いてみるんだ!
……いや聞くまでもない。そんな女の子がいるか。可愛いのは認めるが明らかに常軌を逸してるだろ。しかも「普通」じゃないから「ニート探偵」として描かれてたんだろ。すげー描写不足だったけどさ。これ矛盾?。

というわけで矛盾が3つ発見できた。とりあえずおれは神メモを黒歴史に近い駄作判定したので、「おれの評価を覆してみせる」という神メモ好きの方は是非とも意見をお寄せください。頑張って反論してみます。あ、でも元金髪のカレ(お前だよお前。どうせ見てるんだろ)は本気を出さないでください。『放浪息子』の評価を180度覆された時の悪夢が蘇ってまた泣いちゃいます。