ぼうけんのしょ

この話は知人友人以外の人には全く理解出来ないと思うので無視して下さい。
本当にわけわからない話だと思うので全力で無視してください。
むしろ無視しないと時間の無駄になり寿命を無為に縮めることとなります。

歴史カードゲーム「WAR」が今年で8周年を迎える。
このカードゲーム、遊びながら歴史(世界史・日本史どちらにも対応)を学ぶことができるという、当時ではあまりにも画期的なゲームであった。作者おれ。
このカードゲームの伝播力は凄まじく、歴史学習に悩める学生達に北条氏康河越城の戦いで約8倍の戦力差を覆したとき以上の衝撃をもたらしたといわれている。


作成発案は些細なことから始まった。おれが学生の時にクラス内での日本史の平均点が低かったのを憂慮し、それならば遊んで学べるようにすればいいのだと考えたのが発端。
そもそも勉強とは楽しくなければ継続不能な代物であるためこの時のおれの判断は九割2分5厘間違っていなかったと断言できる。


結果的にこのカードゲームは瞬く間に広がった。中には鼻で笑う者や「遊○王のパクリじゃねーか」という心外な言葉まで投げつける者もいたがおれは屈しなかった。
果たしてWAR(このときまだこのカードゲームに名前はなかった)が広まってから初めての試験、おれのクラスの日本史の平均点は少し上がった。少し。3,4点くらい。その時の問題が簡単だったのだ。


こうしておれはWARの効力をいまいち実感できないままずるずると歳を食い気がつけば高校2年生。
何かの拍子におれが「カードゲーム自作したことがある」と言ったのをきっかけに再びWARが始動する。


学校に持っていったときは奇異の目で見られることはなくむしろ「コイツ真剣にふざけてやがるぜ…」と獲物を発見した時のカンムリオウギワシのような反応(適当)。
当然またたく間に広がっていきWARはもはやおれの高校の市民権を得たといってもいいだろう。
WARという名前はこの場所で付けられた。命名おれ。「これは遊びじゃない、戦争なんだ!」というアレからいただいた。
高校卒業時には構築済みのデッキが50を超えていた。計1000枚を超える。もちろん全て手書きである。
しかしこの時にもWARの効力はあまり確認できなかった。だが皆の歴史学習を少しだけ彩ったのは間違いない。たぶん。


大学では使うことは殆ど無いであろうと思われたが、持って行ったら思いの外面白がられたのでたまに連れて行ってる。
外で遊んでたら風に飛ばされることは日常茶飯事。喫煙室では文字通り直接攻撃、すなわち焼却される危険性があったので敬遠。


そしておれが教えている塾で、休憩時間なんかの時におれより年下の生徒にカードを見せると(おれは「人間誰しもここまでバカになれるんだぜ」ということを教えたいがためだけに持っていった)、予想外にも興味を示した。遊ぶことはなかったがカードを面白そうに眺めていた。


そして昨年、「学期末試験で出た世界史の難問、俺だけが解けたよ!」と言ってくる生徒がいて「お前マジかよ嘘だろ」と思いつつ答案用紙を見せてもらったら、その生徒だけが「212年、アントニヌス勅令を決定しローマ帝国の全自由人に市民権を与えた皇帝は誰か」という問に「カラカラ(帝)」と答えられたようだ。本名は「ルキウス・セプティミウス・バッシアヌス」なんだけど、むしろこっちで呼ばれることのほうが少ない人なのでどっちでも正答。


ここで初めておれはWARの効力を思い知った。誰も解けなかった問題が自分だけ解けたという感動。まさかこんな結果につながるとは思わなかった。高校時代は完全に遊び9割だったので…
生徒の報告を受けここぞとばかりにカラカラ帝にまつわるタメにもならないような薀蓄を教えたが若干引かれた。Why?なんで?


ともあれおれは絶大なる自信を手にした。クイズ番組が増えた昨今ではよく歴史問題などを目にするが、こと「人物名」に関しては答えられないものはほぼ無くなった。先日の「Qさま」であの京大芸人宇治原を含め誰もわからなかった問題も、WARのプレイヤーなら楽勝で答えられるはず。ちなみに問題は「“ロ”から始まる、日本国憲法草案作成に協力したドイツの法学者は誰か」とのこと。
WARのプレイヤーなら答えを導き出すのに5秒も要しないだろう。もちろん答えは「ロエスレル」だ。


さらにWARプレイヤーはここから更にロエスレルに関連する人物を連想することが出来る。それが「グナイスト」「シュタイン」「伊藤博文」だったりする。知識を関連付けて記憶できることがWARの利点の一つだった。


というわけで予想以上に有益な結果をもたらすWARをなんとかして商品化できないものか…と企んでいたが、ルールを良く考えたら遊○王そのものだったので計画はあえなくご破算となったのであった。


なんでこんな事書いてるかというと母の実家から帰る電車の中でやることが無くなったからです。お目汚し失礼。