『パパの言うことを聞きなさい』の矛盾への批判に対して「アニメにリアリティ求めんな」は返し手にならない + 4話の感想

まさかこのアニメに対して1エントリ割くとは思わなかった。しかし思うところを連々書いてたら結構長くなったので隔離!ということに。
で、話題は『パパの言うことを聞きなさい』通称『パパ聞き(パイコキでも可)』。


このアニメに対してはまあ予想通りというか何というか、批判が多い。で、それに対するネット上での返し手が必ずといっていいほど「アニメにリアリティ求めんな」という言説に集約される。これが非常に気になった。


確かにアニメーションは現実で表現できない事物を表現できるからこそ成立しているものだ。しかしこのアニメに関してはその指摘は的外れっつーか、そもそもそういう問題じゃないんだよ。このアニメが「現実世界に即しているのに現実世界における一貫性がない」から問題なんだ。


例えばガンダムやエヴァみたいな現実ではありえないロボットが跋扈している作品とか、今期のシャナやゼロ魔みたいな実際にはあり得ないような状況においても、基本設定はその世界の中において矛盾のないように描かれている。要するに物語世界に一貫性がある。


どんなフィクションにもリアリティ、あるいは一貫性が存在する。そして現実から物語世界が離れてゆくほど(魔法が使えたり龍が存在したり鬼が宝を蓄えていたりする、現実にはありえないような世界)、ある種の「リアリティ」は重要になってくる。その世界における「リアリティ」とは「一貫性」に置き換えたほうがわかりやすいだろう。アニメではないけれど『ハリー・ポッター』なんかにもまさしくこの「リアリティ」が存在する。


しかしパパ聞きは舞台が「いま我々が生きている現実世界」と密接にリンクしている。その現実においてあり得ないような状況を作り上げてしまったから違和感バリバリなんですよ。三姉妹の学校の問題が放置されてたり、今回だと主人公が「金がやばい」と言っときながら朝飯作るの忘れてコンビニで8000円近く使って飯買ってきたり。とにかく物語のピースがちぐはぐで、一貫性がまるで無い。
これが魔法で無限に金が生み出せるパラレルワールドとか、義務教育がなくなった世界とか、お金というシステムがなくなり物々交換で経済を回す世界とかだったらまあ、おそらくは違和感も抱かないわけで。


都合のいいところや都合の悪いところだけ、物語世界のリアリティ(一貫性)を歪ませたり捻じ曲げたりするのは「アニメ(あるいはフィクション全般)なんだから仕方ない」では済まされないんだよね。それは確実に受け手側に「違和感」として残り続ける。


…とまあパパ聞きに対する不満はこれくらいにして内容の話をすると、まああれですね、ハートフルではないですね…
なんか心の臓に血ィ巡ってへんのかという感じで、どことなく脚本によって動かされている感が強いですねどのキャラも。


あ、そうだあと、うさドロのりんちゃんとかペルソナの菜々子ちゃんと違ってこのアニメの三姉妹には庇護欲(ネットで言うところの「父性」なのかな)掻き立てられないのは何でだろう、とか考えていた。そしてその結論として「キャラクタそのものが明らかに「狙ってる」からなのでは」ってところに着地した。ハートフルと銘打つわりにポルポルしいというか。長女の怪しいぐらいの不器用さ、次女が主人公に対して行うあざといくらいのアプローチ、そして容姿が3歳のそれではない三女。やっぱりこう、アニメの中の現実世界に溶け込まないという感じがする。


他にも主人公の事態の受け止め方が軽すぎることとか(金の問題はもちろん、部屋の問題だったり三姉妹の学校だったり、問題が山のようにあるにもかかわらずなぜお前は笑っていられるのだ)、本編の良いとこについて言及できない程に矛盾と不満が山積してるので正直辛いっすね。あるいはアニメが原作の描写カットしすぎてるのか。


そういや、部屋の外にしっかり洗濯機あったよね。あれはさすがに気付こうよ。他にも長女は母親の手伝いをしてたと言ってるのに全然料理出来ないとか、次女はアパートの壁に落書きというこの歳の子にしては常識ナッシングなことしたりとか(敷金が…)もうキャラクタたちがおかしい。


あと主人公は自炊しろ。自炊はいいぞ自炊は。創作料理とかマジ楽しいし節約にもなるから。


しかし何度も言うようにOP・ED曲は本当に素晴らしいので(ハッピハッピガーもカラーリングも中毒性高い)、アニメ本編観ずともようつべなんかで一聴してみるといいですよ。