氷菓

映像美という点では今年のアニメの中で一番になるだろう。最終回では予想していた通り桜の描写が素晴らしかった、特に最後の桜の花びらが舞うシーンはもう芸術性を感じさせる。丁寧さというか繊細さというか、今の大量にアニメが作られている時代に逆行するかのような力のいれ方で、正直京都アニメーションみたいな作り方してるスタジオなかったらアニメ業界そろそろ衰退してたんじゃないかとは思う。


で、氷菓は短編を元にした1話完結型エピソードと、長編を元にした連続型エピソードの二つに分かれていて、推理ものとしては非常に正統的な構成でできている。ただこの氷菓というアニメは推理というよりもキャラクタもの、キャラクタに焦点を当てた学園屈折青春ものというフォーマットで作られていて、これは原作よりも色濃く「アニメーション」としての大衆性と原作の内容を反映させた結果であろう。


青春ものといえどただの青春ものに収まらないのが氷菓が支持される所以であり、男子と女子が色々あって距離を縮めていくようなよく言えば王道、悪く言えば簡易的であるオーソドックスな学園青春ものとは一線を画す。「事件」は解決しても「人間関係」は解決しないのが「屈折」を冠する要因。


主要4人の人間関係というより、氷菓というアニメで起こる事件自体が人間関係、それも誰かから誰かに対する一方的な感情を主軸にしたものが多い。こうした中で主人公という立ち位置に据えられた折木奉太郎が「省エネ」という他人やある事象に対する積極性のなさを必然的に変えられていく、という、ある意味では「成長物語」にも見える物語が紡がれていく。しかしこれは奉太郎が成長したというより、千反田えるというヒロイン的役割を果たしているキャラクタに強制的に関わることになり、その上で普段関わりをもつことがなかったであろう他者と接することで少しずつ基本的思考が矯正されていく、と考えたほうがいいと思う。なぜなら千反田えるは「ヒロインにはなれない」からだ。そして折木奉太郎はヒーローでもない。えるの十八番「気になります」は他者やある事象への純然たる興味から出てくるものであり、折木に対しては「自分の気になることを解決してくれる」という期待の感情が圧倒的に先行している。だからこそえるは「気になります」を折木に向かってしか言わないのだ。そこに恋愛感情はないと言っていい。あるいは「ある」にせよ、える本人はその感情に全く気付いていない。少なくともこの氷菓という物語において奉太郎がアプローチをしなければ二人の関係が恋愛に発展することはまずもってない。そして完全に「省エネ主義」を捨てていない奉太郎が恋愛という選択を採るわけがない。


だが「青春といえば恋愛」と考える人も多いことを考慮してか、その「恋愛」の枠に当てはめるために生み出されたのが福部里志伊原摩耶花の二人になる。ただ、単純に彼らが恋愛という要素を許容してしまっては、省エネ主義の奉太郎が傾いてしまうかもしれない。そこで摩耶花からのアプローチを里志がかわし続け、いつまでも結ばれない二人という関係にしてある。「青春」と言う言葉を人が口にするとき、それは圧倒的に過去の記憶であることが多いのではないかと思うのだけど、氷菓ではただ一人、里志が自らのおかれている状況が「青春」の中なのではないかと自覚していた。しかし里志本人が摩耶花の気持ちに対して明確に答えることが出来ずにいるため、ただの青春ではなく「屈折した青春」として捉えている。屈折というのは額面通りに考えれば「曲がっている」という意味だけど、それは奉太郎の省エネ主義という考え方だったり、千反田えるの異常なまでの好奇心の強さだったり、福部里志のデータベースという立ち位置から窺える一種の諦念だったり、摩耶花の何度答えをはぐらかされても変わらない気持ちであったり、つまり「普通じゃない」ことを包括して「屈折」という言葉を用いているように思える。氷菓に出てくる登場人物は普通なように見えて普通ではない。ただその「普通ではない」ということ自体が単純化できない高校生の青春を反映しているようで、そのどうしようもなさに視聴者は惹かれていく。


原作と違ってアニメではこの屈折を正したエピソードがいくつか存在する。幽霊騒動の事件では仲が良くないのではないかと推理していた姉妹が最後に助け合うシーンが追加されたり、チョコレート盗難事件では里志から摩耶花に電話で連絡するカットが挟まれ、その後の「遠回りする雛」では摩耶花から奉太郎にチョコレートの件で礼を言われるシーンが追加される。これがいわゆる「メディアの違いを理解せよ」というやつで、アニメーションという媒体では近年シリアスというか後味の悪いエピソードがなぜか敬遠される傾向にあり、それを考慮して制作陣がいくつかシーンを追加したと考えられるんだけど、こういう正方向の改変は行うべきだと思うし、今は良くも悪くも「原作万能説」が罷り通ってしまうので、「アニメが原作の悪い部分を補う」という事例がもっと増えればいいと思う。


最終回に関しては物語の収束というエピソードではないため「終わった」という感じがしないこともあり、結論として「2期早くやろうよ!」というところに落ち着く。『二人の距離の概算』もアニメとして見てみたいし、2年〜3年かければ何とかストックは溜められるのでは。