ラブライブ! #12 「ともだち」

前回より更に鬱屈とした空気が立ち込める、最終回直前の壮絶な前振り回だった。予想通り穂乃果が倒れたことそのものに関しては「廃校は免れた」という成果のおかげで一応の決着は付いた。しかし穂乃果が倒れるに至った理由の「周りが見えていなかった」ことと「ことりが留学してしまう」という事実が複合的に絡み合った結果、前回よりも目に見える形で穂乃果のバッドエンドが現実のものとなってしまった。

ではなぜ今回もバッドエンドを迎えてしまったかというと、それは前回のエントリで述べた「ラブライブは穂乃果が諦めなかった物語」という部分に関係している。今まで穂乃果は諦めることを選ばなかった(ラブライブに出場しないことを決めたのも穂乃果以外のμ'sメンバーだった)。しかし今回は初めて穂乃果が「諦めて」しまう。今までの努力全てを投げ捨てるようにμ'sを脱退することを宣言する。それは自分への戒めというよりはことりの留学やラブライブ出場棄権など自分ではどうすることのできないものへの諦念からくる行動であって、つまりは自分のための行動でしかなかった。それを真っ先に見抜いたからこそ海未が最後に穂乃果をビンタすることになった。

「学校が存続することに決まった」という事実を最後にもってこなかったのは、このμ's結成のきっかけとなった要因を逆にμ's瓦解の要因の一つとするためだった。学校が存続するということになればそもそもスクールアイドルとしての活動を続ける理由がなくなる。しかしそれでも穂乃果以外のメンバーが活動に積極的なのは、μ'sという存在がただのスクールアイドルグループではなく、タイトル通り「ともだち」としての関係で成り立っていて、アイドル活動をするからμ'sがあるのではなく、9人がいるからμ'sがあるのだということをわかっているからで、今回穂乃果はことりの留学のことにのみ意識が向いていたので最後までそのことに気付けなかった。「9人で最後のライブをしよう」とエリチカが言ったのも、アイドル活動をすることが目的ではなくことりを自然に送り出してあげることが目的で、ライブはその手段に過ぎなかった。別にことりのためにお別れ会を開くとかそういう普通のことをやってもよかったわけで、それでもここで「ライブをする」という手段を選んだのはやはりμ'sのメンバーが皆「ともだち」であるからだろう。

あとは穂乃果やことりに顕著だが、キャラクタの苦しさや悔しさといった負の感情を表す際に目の部分を影で覆い口元に意識が向くようになっていて、これって他のアニメ作品でもよく見られる手法なのだけど、ことこのラブライブというアニメではそれが特別な意味をもつ。ラブライブのキャラクタ、それもμ'sのメンバーにとって口とは歌声を発する部位であり、そこから喜怒哀楽の感情を歌(と踊り)に託して観客に届けることになる。だからμ'sメンバーの感情表現は口元を映すことによって成立してしまう。だがしかし、今回は一箇所だけあるキャラクタが口を隠して目だけ映るカットがある。それが、穂乃果が暗い部屋の中でPC画面に映し出されたA-RISE(アライズ)のパフォーマンスを見ているシーンだ。口を腕で覆うという行為が「歌うこと(と踊ること)を諦めた」ことを示唆している。今まで目に意識が向くようなカットは基本的にギャグとして処理されていたのは、アイドルには笑顔が要求されるからだ。笑顔を形作るうえで一番重要な部位となる目。今までのμ'sの曲は明るいアップテンポなものが多かったこともあって、目は陽性、プラスの印象を与えるようなものが多かった。しかし今回は穂乃香がアイドル活動を続けることを諦めたため、口は塞がれ負の印象を与える虚ろな目だけが映されることになった。

穂乃果が周りを見られるようになったようで実際には最後まで何も見えていなかったという事実が残酷なまでに「μ'sの崩壊」という形で目に見えるように示される。正確には穂乃果の脱退なのだけれど、穂乃果という存在はμ'sの精神的支柱であったため、柱が抜けると加速度的にグループは崩れていってしまう。それはいつでも冷静なエリチカや海未が代われる役割ではなく、いつでも諦めなかった穂乃果にしか果たせない役割である。穂乃果は別に自己中心的なのではなく、「できると思えば何だってやってこられた」という経験があるからこそ自分の考えや行動に自信を持っているだけだ。だからことりの留学のような「自分ではどうすることもできない」事態に直面した時に脆くなる。いくら「できる」と思っても自分の意思だけではことりの留学を撤回させられない。そうした諦めに「もっと早くに周りに目を向けていればよかった」という後悔が入り混じり、半ば投げやりにμ'sを脱退することを決める。だからあの屋上での穂乃果の脱退宣言はそれまでのことを考えればやはり自然な流れだった。

最初、ことりの留学は他の要素と代替可能だったのではないかという気がしていたのだけど(例えば時間の経過をしっかり描いているのだから3年生組の卒業という別れの要素にするとか)、やっぱりあの芯の強い穂乃果を諦めさせるのには幼い頃からの親友であることりに変化を与えるしかなかったのだろう。同じ幼い頃からの親友である海未ではなくことりが選ばれたのは、今回のラストのように穂乃果と対等な立場で穂乃果を諌めることのできる存在が海未だけだったからだ。3人の関係は唯一μ's結成のずっと前から始まっているもので、だから穂乃果はことりを失うことがμ's全体の事情よりも優先されることになってしまった。穂乃果の脱退宣言は確かに自分勝手だが、穂乃果の性格が突然変わったわけではない。今までの流れを考えればここに辿り着くのはある意味必然だった。

次回最終話だけど、物凄く個人的なことを言わせてもらえば穂乃果の完全復帰・ことりの留学撤回・3年生の卒業前で時間停止、という3要素全てを達成してほしい。花田脚本で高望みはいけないとわかってはいるのだけど、やはりラブライブが自分にとって理想的な物語のひとつであるため、最後までその理想の姿のままでいてほしい。