琴浦さん #12(最終話) 「伝えたい言葉(ココロ)」

琴浦さんの母親との和解の改変が物凄く良かった。なるほど、アニメにおける通り魔編はあくまでネタの一つでしかなかったから淡白なまま終わらせたのだな。なぜ1話目で母親との過去話をいきなりやったのか、その理由は「1話目で視聴者を引きつけるため」だと思ってたんだけどとんだミスリードだった。このアニメはあくまで徹頭徹尾「自分の気持ちを人に直接的に伝えること」をテーマにしていたのである。ESP研究会や真鍋と繰り広げたラブコメは全部その土台を整えるための要素だった。今までの11話は単体でも充分面白いが今回のための長い前振りとして見ると非常に一貫した物語性を感じられる。その物語からは「人の心が読める」という能力の有無にかかわらず、いや琴浦さんに関しては人の心が読めるからこそ、大事なことは言葉にしなければ伝わらないのだというある種普遍的ともいえるメッセージが読み取れる。まあテーマがテーマだからこそここまでわかりやすく作り手側の思いが伝わってくるのかもしれない。

琴浦さん自身が最後に気付いたように、今までの琴浦さんは人の「上っ面の心」だけを読んでいた。表層的な部分の心をいくら読み取れようとも、深層心理を読み取れなければそれは本質的に「人の心が読める」とは言い難い。しかし深層心理は文字通り心の奥深くに眠っているものであり、何らかのきっかけがなければ表層部分まで掬い上げられることはない。森谷にしても部長にしても琴浦さんの母親にしても、琴浦さんが心を通わせることができたのは何らかのきっかけがあって相手の深層心理を読み取ることができたからだ。森谷と部長は自らの過ちを詫びた時、琴浦さんの母親とは互いの気持ちを遠慮せずぶつけ合った時がそのきっかけになった。しかしこのアニメにおいて最も重要な立ち位置にいる真鍋という男だけは唯一例外中の例外だった。彼には裏表がないどころか心の中の表層と深層の区別すらない。思っていることが心の奥深くに仕舞われることがない稀有な人間だった。だからこそ彼は軽薄そうに見えてしまう。思ったことが整理されず全部心の浅いところに置かれているからだ。このジョーカー的存在の真鍋が人の裏表に敏感になってしまった琴浦さんの性格を治していくところから物語は本当の意味で始まっていく。

最終回では琴浦さんがAパートで部長と、Bパートで琴浦さんの母親と、それぞれ過去に傷を負った2人と心を通わせることになる。2人に共通しているのは琴浦さんに自らの気持ちを一切隠すことなく感情のままにぶつけたこと。違うのは部長の気持ちはすでに琴浦さんに届いていたのに対して、母親の気持ちは今まで届いてはいなかった。部長とはESP研究会でのこれまでの積み重ねがしっかり描写されているので自然に両者の間の壁が取り払われた。母親は琴浦さんの中に「言葉にしてもらわなくてもちゃんと気持ちがわかる」という思いがあったため中々通じ合うことができなかった。しかし最後でようやく琴浦さんが溜め込んでいたものを吐き出して、それに応じるように母親も琴浦さんに気持ちを曝け出したことによってようやく和解が成立した。琴浦さんが今まで辛いことがあったときに吐いてしまうというのはつまり溜め込んでいたものを言葉として吐き出せなかったから物理的に嘔吐してしまったのだということがわかる。母親の本心を知った琴浦さんが「言葉にしてくれなきゃ伝わらない心がある」と気付いたその時がまさにこの物語の終着点だ。だからこのアニメは2期をやろうとすると全てが蛇足になってしまう可能性がある。

あと、琴浦さんというアニメはやっぱりラブコメものではなかった。それは結局最後まで琴浦さんと真鍋がキスすらしないプラトニックな関係で終わったことからわかる。エロい妄想はいくら繰り広げられようともそれを実行することはない。話の内容だけ見れば昨今の少女漫画顔負けの純粋な恋愛ぶりである。互いの気持ちを伝え合って終わり方も実にそれらしい。気持ちを伝え合うということはいつだってこの物語の最重要事項だった。だから二人の関係が発展するときもまずは気持ちを伝え合うところから出発するのである。

最後に琴浦さんは今まで手に入れられなかった親友や家族の絆、そして忌むべき存在(家族を崩壊させた要素)であった恋人という存在まで手に入れることができた。そこに辿り着くまでの苦難は全て思い出として昇華され、ラストの登校シーンは1話目の登校シーンと重ね合わせた演出でこれからも琴浦さんの物語はどこかでずっと続いていくであろうことを想像させる。これは琴浦さんが傷を負ってから人との関わり合いの中で強く成長していくまでの過程を切り取った物語であると同時に、万人に受け入れられるテーマを主題にした普遍的な人間そのものの物語でもある。