劇場版 STEINS;GATE 負荷領域のデジャヴ

体調も無事回復したのでシュタゲ劇場版観に行きました。なんか先々週あたりから毎週水曜日は映画見に行くみたいな習慣がついてる気がするんだけどまあ気のせいだろう。ちなみに来週の水曜もまた映画見に行きます。

で、この「STEINS;GATE 負荷領域のデジャヴ」はまさしくシュタインズゲートの「選択」が肝になる話だった。テレビアニメでは観測者が岡部、観測対象がクリスという位置付けだったが、映画ではその立ち位置が逆になった。すなわちシュタインズゲートの世界線で自らを保つことが困難になった岡部を紅莉栖が観測し続けるという立場の逆転。それまでは岡部が紅莉栖とまゆりの死を回避するために何度も世界線を移動していたが、その役目が紅莉栖に受け継がれた。岡部の目的である紅莉栖とまゆりが死なない世界が達成されたものの、リーディングシュタイナーにより莫大な負担がかかり、岡部一人では自身をシュタインズゲートの世界線に留まることが困難になった。それを支えるために紅莉栖は自らもタイムリープを行い観測者になることを選んだ。タイムリープという行為の肉体的・精神的危険性は岡部が一番良く知っているがゆえに紅莉栖に対してタイムリープを行うことを禁じ、クリスが実際にタイムリープして過去に遡ってきたことがわかった時にもそれを叱責した。

しかし紅莉栖は結果的にタイムリープを再び行う。その鍵となるのが未来人である天音鈴羽の存在だ。彼女だけが全ての事情を知っている、いわば擬似的な神の視点をもつキャラクタだった。しかし鈴羽はそうした「視点を持つ」だけで、何かしらの直接的影響を及ぼすことはしない。そうした意味では鈴羽もまた観測者と言えるかもしれない。鈴羽が影響を及ぼしたのは紅莉栖に対してのみだ。岡部をこの世界に取り戻すかどうかという選択を迫られて尚理論で答える紅莉栖に対してビンタをかますあの時からそれは始まる。岡部をこの世界に取り戻すか否かという選択は感情と理性が鬩ぎ合うものだ。理性が脳に近いならば感情は心に近い。どちらかを選ばなければいけない紅莉栖は科学者であるという己との闘いでもあった。岡部を取り戻すというのは岡部の忠告も過去改変という禁忌も無視する極めて感情的な行為だ。紅莉栖がそれまでとっていた態度はそうした感情全てを押し殺すものだ。鈴羽はそれを見抜いていたからこそ紅莉栖の頬を叩いた。

結局紅莉栖は鈴羽の打ち立てた理論(岡部をこの世界線に留めさせる方法)によって感情にのみ基づいて動くという行為を回避はしたものの、タイムリープすることで岡部の死に直面し同時に岡部が今までタイムリープを続けてきたことによる果てしない精神的な苦痛の一端を身を持って知ることになった。そこで心が折れそうになるも、ラボメンたちと接して改めて岡部が誰との替えもきかないただ一人のラボメン創設者にして全員の支えであったことを感じ、再びタイムリープを行い過去へと遡る。遡る時間に2005年を指定したのは岡部がまゆりとずっと一緒にいると誓った時だったからだが、それを紅莉栖が自ら気付いたというあたりについてあまり触れられなかったのが少し惜しいなーと思う場面だった。過去の映像のフラッシュバックとかを挿入してくれたらもっと違和感なく受け入れられたかもしれない。ともあれ再びタイムリープを行った紅莉栖は少年時代の岡部の背中を押し、岡部はまゆりを救い出すことに成功した。

この時紅莉栖から岡部にキスをしたという事実が、鈴羽が言っていた「岡部に強いショックを与えてこの世界線にいることを脳に認識させる」という岡部救出理論に繋がっている。これは岡部が自らの存在が消えてなくなる覚悟をした時の紅莉栖へのキスと重ねていて上手い演出だった。その時に紅莉栖が「こんなに海馬に強く残ることを忘れられるわけがない」と言っていたのもこの時のための伏線だった。文字通り紅莉栖は少年時代の岡部の脳に強く存在を刻み付けたのだ。そのことにより大掛かりな過去改変もなく、まゆりも紅莉栖も、そして岡部も消えてなくならない世界線、すなわちシュタインズゲートの世界線で再び生きていくことができる。岡部のリーディングシュタイナーにまた負荷がかかって存在が不安定になっても、その時はまた紅莉栖が観測者として岡部をこの世界線に引き戻せばいい。映画は岡部と紅莉栖が世界線の狭間(?)から再び元の世界線へと戻っていくシーンで終わる。この先の未来はもう全て映画の中で示したので描写する必要がないからだ。岡部と紅莉栖、互いが互いを観測するという関係になったことで世界線の中の岡部の存在は安定するし誰も死ぬことはない。それが2人の望んだ世界だ。アニメにおける岡部の選択も、映画における紅莉栖の選択も間違ってはいなかった。それを結果的に証明することができた。

シュタインズ・ゲートという作品は科学ADVと謳われていることもあり理論的な物語だと思われがちだが、それはある一面においてのみ正しいものの正確には違っている。これは理性と感情を秤にかけて感情を選んだ人間たちがもがき苦しみながらもたった一つの未来を掴む、とても感情的な物語だ。誰かを救いたいという感情に突き動かされる人間たちが正しく誰かを救えるようになる物語だ。だから機械に埋れたラボも人間臭いし、ラボメンも皆性格はバラバラだが誰もが魅力あるキャラクタだ。その中心にいる岡部と紅莉栖が救われることで結果としてラボもラボメンも救われる。映画で目立った活躍をするのは紅莉栖、岡部、鈴羽の三人なんだが、他のラボメンたちも岡部をシュタインズゲートの世界線に取り戻すための鍵になっている。特にまゆりは岡部救出の際に一番関係のある役回りだ(本人はそのことを知らないが)。ダル、フェイリス、ルカ子、萌郁といった他のラボメンたちは紅莉栖が岡部の真似をして鳳凰院凶魔を名乗ったことで岡部の記憶をほとんど断片的だが思い出す。そうして岡部の記憶を少しでも取り戻したことが、紅莉栖に「岡部をこの世界線に取り戻そう」とするための決め手になった。岡部の記憶を僅かながら取り戻した部分において理屈や世界の法則は通用しない。それは彼らが理屈だけで割り切れない人間という一個体であるからだ。人間にフォーカスを当てる以上、物語は叙事的ではなく叙情的になる。それはこのシュタインズ・ゲートという作品も例外ではない。様々なギミックやタイムリープなどの大きな要素の奥にはしっかりと人の心が根ざしている。