やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 第12話 「それでも彼と彼女と彼女の青春はまちがい続ける。」

  • これで文化祭編終了、次回は番外編ということで今回が実質的な最終回だと考えていいだろう。前回まででかなりとっ散らかった話を上手く纏めたなという印象。表舞台で頑張る雪乃や結衣と裏舞台で頑張る八幡との対比が鮮やかだった。表舞台から転落した人間でさえしっかりと救ってやるのが八幡が八幡である所以だと強く認識させられる。
  • 相模というえらく現実的な人間をどのように救済するかによってこのアニメの方向性や思考が見えてくるなと思ったんだけど、八幡は現実的な人間の現実性を悪として突き付けることで現実の否定と自らの存在証明を同時に行うという芸当をやってのけた。葉山と八幡は完全に光と影、表と裏の存在なので衝突は避けられないことではあったけれど、葉山の理想論に対して八幡の現実論の方が2011年以降の今となっては説得力が強く感じる。
  • 八幡は表立った救済をしない、というのはその功績を認められないどころか今回のように誰かの敵になる危険性を孕んでいるわけで、そうなっても平然としていられる八幡の精神力は常人のそれとは一線を画しているし、やっぱりなるべくして主人公になった人間なんだなと納得させられる。
  • そうした八幡の生き方は「世界中を敵に回しても誰か一人を守る」的な古典的ヒーローの生き方に似ていて、ああだからこの作品のタイトルには「ラブコメ」という文字が入っているのか、と腑に落ちた。この生き方はハーレムを作れないしそもそも八幡の性格のせいで恋愛の初期段階にすら到達するのが困難なので(その事実から八幡自身は目を背けているし)、「ラブコメは間違っている」と断言したわけだ。