翠星のガルガンティア

7話以降急速に横軸に広がっていった話をどこに向かって走らせるのか、物語としてしっかりとした終わりを提示できるのかという多少の不安はあったが、まさかここまで綺麗に纏められるとは思ってもみなかった。残りの全ての問題を解決し物語は最良の方向へと導かれるというこれ以上ないくらいの最終回。7話以降続いていた不安や緊張から解き放たれるようなラストの多幸感は果てしなく、この世界の中に身を投じていたいという欲求に駆られるほどの穏やかな世界が眼前に広がってゆく。今期は消化不良の最終回が多かったこともあって、余計にこのアニメの広げた風呂敷を綺麗にたたむ手際の良さが目立つことになった。

意思を持たないロボット同士の会話をこれほどまでに冷静且つ熱く描いたのはもしかしたらアニメ史上初めてのことかもしれない。チェインバーとストライカーのやり取りの中に人間の意思は1mm足りとも介入していないはずなのに、まるで人間同士のやり取りのような冷静でありながら熱を帯びた会話を繰り広げていて、特にチェインバーがレドを降ろしてからのシークエンスはもう感動とか遥かに超えた圧倒的な引力があった。熱い展開の果てのチェインバーの「くたばれ、ブリキ野郎」という台詞でもう完全に心臓を射抜かれた。ここに至るまでの過程に無駄が一切ないのも素晴らしい。ただ単調にチェインバーとストライカーとの戦いを描くのではなく、合間にガルガンティア本島やピニオン達の戦いもしっかりと描くことであらゆる出来事が同時に起こっているのだという時間的感覚が共有されるし、何よりこれだけのことが同時に起きているということで圧倒的なスピード感が生まれる。ピニオンが仲間を逃したりリジットが船団の武器を開放したりと随所にドラマ性のある展開を差し挟むことで起伏が生まれ、物語は更に奥行きを増す。

戦いによってレドは集団に従属する過去の自分をストライカーの言動に見出し、自らを省みることになる。そ そしてそれがチェインバーがレドをコックピットから放り出すことになり、チェインバーは自ら単体でストライカーと戦う。実際にあの時のレドの考えは「兵士」としては適切ではなかったが、あそこでレドを降ろしたのはチェインバーに人間に近い意思が宿ったからだと考えたほうが夢があっていいじゃないかと思う。チェインバーのそれはレドの思考の模倣だったとしても、レドを降ろして一人で戦うという行為は長年一緒に戦ってきたパートナーを守るためのチェインバーの最初で最後の人間らしい行動だ。「魂も感情もない機械に人間の心が宿る」という類の話はいつ見ても美しい。

結局レド達は戦いに勝利し、ガルガンティア本島には再び平穏が訪れる。 しかしそれはリスタート、つまりゼロからのやり直しというわけではない。レドがクジライカを殺さずに海底探索をしていて「いつかはコミニュケーションもとれるだろう」と言っていることからも明確に成長の跡が窺える。自らをただの戦闘機械であるかのように認識していたレド(最終回におけるレドの「死に方はわかっても生き方がわからない」というのはその全てを端的に示した言葉)が自らの意志でもって他人と関わり、かつての敵とも積極的に交流を図ろうとしている。まさにこのアニメのテーマとして掲げられた「異文化交流」に回帰したというわけだ。もちろんこの交流の中には最初は機械でしかなかったチェインバーも含まれている。

とにかく近年稀に見るくらいの丁寧さで最初から最後までじっくりとレドという主人公を描写し、その上で他のキャラクタとの交流を描き、一旦闇に落としたところで最後に一気に引き上げる。1クールのアニメとは思えないくらい練りに練られた構成とシナリオ。前に散々「これ虚淵いらないんじゃないの」と言っていたけど、ラストは虚淵が示したかった方向性だろうから「やっぱり虚淵いて正解だったなー」と熱い手の平返しをすることになった。背景美術は終始美しく作画も安定していて(10話11話あたりちょっと乱れてたけど)、ロボ戦におけるコンテや演出は村田和也が全力出していて最高だったし、音楽も上手く作品の空気感を演出する一員として機能していた。はっきり言ってこれといった悪い点が見当たらない。言ってしまえば傑作ということになる。こういう手放しに傑作だと言える作品に定期的に出会えるというのはやはり幸せなことだと再認識した。