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たまゆら〜もあぐれっしぶ〜 第6話 「もう届かない笑顔を訪ねて、なので」

  • たまゆらにおける過去回想は物語の間隙を縫って組み込まれたものというより、現在の時間軸と地続き、つまり現在→過去→現在 における「過去」の部分が「現在」に変換されて表面上は現在→現在→現在 という時間の流れに見えるようになっていると言った方が正しい。これはその過去の出来事が当時のうちに処理できずに今まで引きずっているか、あるいは過去の出来事を糧として現在地点で成長していくかのどちらかで、ことたまゆらにおいては後者の場合が多い。
  • 物語開始地点で主人公の両親のうちどちらか(もしくは両方)が既に亡くなっているというのはよくある設定なのだけど、実際のところ母子家庭と父子家庭のどちらの設定の方が多いのか、というのはわからんのでそこらへんの統計とれば結構価値あるデータになりそう。
  • ぽっての場合は父親が亡くなっている母子家庭なのだけど、このアニメが極めて珍しいのは「具体的な父親の姿」が全くといっていいほど現れないところ(写真はおろか過去回想ですら出てこない徹底ぶり)で、第三者の口から語られる父親像によってぽってや視聴者は頭の中で父親の姿や様子を思い浮かべる。
    • そしてその「誰か」の中にぽって自身は含まれていない。肝心のぽっては父親のことを充分に記憶していないからである。だからこのアニメはぽっての成長と共にぽっての父親の姿を追想するように作られている。クリスティの『スリーピング・マーダー』的な過去を掘り返していく物語などとベクトルは似ている。
  • ぽってが学校内で親友たちとの絆を深める話を横軸、様々な人と関わっていく中で父親の姿を追想する話を縦軸として流れるように物語が進んでいくので、刺激的な山場や極度に規定された枠からはみ出るようなエピソードは無い。しかしこの派手な起伏の無さこそが物語の通奏低音をはっきりと浮かび上がらせる要素であって、これが崩れてはたまゆらがたまゆらでなくなってしまう。
  • 父親の後輩という人に会い、昔父親が訪れた場所を巡ることでまたひとつぽっての中の父親の記憶が補完されていき、空白が徐々に埋められていく。写真という最大のファクターを随所に織り込むことで記憶のストックを作り上げる。山田由香が脚本を担当した回にやはりハズレはなかった。