げんしけん 二代目 7話 「KOIBANA3」

  • オタクの創作意欲というものは基本的に並外れて高いというような認識が90年代の頃は周知の事実だったが、ゼロ年代を超えて(肌感覚としては06年頃から)ネットとオタク界隈の親和性が高くなり、その上誰もがクリエイターになれる状況が整備されてきたこともあり、今や消費するオタクと生産するオタクに立場が二分された感じがある。まあ実際のところ生産するオタクというのは他の作品をきっちり消費して自分の血肉としているので、生産と消費をするオタク、消費のみをするオタクの二つに別れている、というほうが正解に近いのか。
  • まあ誰もが絵を描いたり文章を書いたりして公に発表し、それに対して一定の評価をもらえる場が形成されたことにより、「生産」という行為も定義の線引きが怪しくなってきた。例えばおれがこうして誰の何の役にも立たないゴミのような文章を書きまくっていることもオタク界隈でいうところの生産に値するのか、という話で。これを掘り下げるとそもそも生産という行為は誰かの役に立ったり価値あるもののみを指すのか、あるいは消費する人間のことを考えない行為は自己満足だが立派な生産ではないのか、などと堂々巡りになる。
  • まあオタクに限らずネット黎明期にはテキストサイトが大量に出現したり、Twitterを中心とするSNSが台頭してる今では何の意味も持たない言葉がネットの海に24時間放流させられているわけで、人間というのは誰かに向けて発表するという目的と「誰に向けてでもなく自分が生み出したものを公開したい」という欲望が綯い交ぜになっている生き物なので、オタク界隈の人間が特別そのカオス化した意識を先鋭化させてるというわけでもない。
  • 過去の経験を創作作品に昇華・反映するというのはよくある話なんだけど、概してげんしけんに集まるメンバーというのは経験の絶対値が少ないし、波戸は腐男子という希少性あるオタクなので荻上が恋愛ものを描くための参考にするのには無理がある。まあ参考のため各々の過去を聞き出すというのは自然な掘り下げで良かった。