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ガッチャマン クラウズ #7 「Abjection」

  • クソみたいだと酷評された挙句「デビルマンに肩を並べる」という最大級の貶し言葉を欲しいままにしている映画とは対照的に、3話から今までペースを落とすことなく右肩上がりに面白さを増しているクラウズは未だに先読みがほぼ不可能に近い展開の連続で素晴らしいとしか言いようがない。
  • 散々こいつは死ぬだろと言われていたジョーをギリギリのところで救ったりしていて、前のトンネル落盤事故のときもそうだったけどこのアニメって基本的に人間の死というものを描かない(あっても直接的に表現しない)という特徴がある。これはベルクカッツェが特定の人間を殺そうとしているのではなく地球そのものを滅ぼす(人類全てを滅ぼす)意図があるからで、人間同士の争いの種を植え付けるための「他人に乗り移る」能力使用時に限って人の生死に関わる描写が出てくる。
  • ベルクカッツェを倒すのに彼の力の一部を受け継いだ塁の能力では太刀打ちできないので、ここで初めて1話以降存在意義が疑われていたガッチャマンの必要性が出てくる。ガッチャマンの能力がベルクカッツェから分化したものではなくJJから与えられた別口の能力とすればまだ闘いようはあるし、1話でJJがはじめをガッチャマンに勧誘したときの言葉を考えるとはじめの何らかの覚醒はあり得る話だ。
  • 実際のところこのアニメはGALAXの有用性を過信した人間たちの上に立つ塁が自らの行動理念に疑いを抱き、ベルクカッツェを討伐しようとするという展開だけでも物語として成立するわけで、3話くらいまでは「塁が成長してベルクカッツェを倒し、ガッチャマンはその手助けをする」という本筋があって、はじめがやたらとうるさいのは「主人公はガッチャマン」と思わせるためのミスリードなのかと考えてたんだが、今回ボロクソに塁が負けたこと・ベルクカッツェとはじめが戦わなかったこと・JJが沈黙してガッチャマンに予言を託さなかったこと、の3点からこれはミスリードでも何でもなく主人公はガッチャマンだったということがわかる。
  • 最終的にベルクカッツェを半殺しにするか、今回のラストではじめたちが見たような美しい光景をベルクカッツェに見せて「惑星は滅びる時以外にも美しい瞬間がある」ということを伝える和解パターンかのどちらかにルートは絞られるが、今まで散々生物を滅ぼしてきた奴と和解してもアレだしそもそもそれだとGALAXが世の中に残り続けてしまうので、やっぱ能力完全に封じた上で消滅させるというのが最善策っぽい。