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きんいろモザイク Episode 12(最終回) 「きんいろのとき」&総評

人はどんなアニメが終わりを迎えた時に悲しむのだろうか、とふと考えるといつも日常系の作品という答えに行き着いてしまう。例えば明確なストーリーを持った作品、今期でいえば有頂天家族であったりガッチャマンであったり、そうした根幹にしっかりとした物語、更に言えば「ゴール地点をしっかり見据えている」「物語として確かな始まりと終わりがある」というアニメが最終回を迎えてもそれは「終わりが必ずある」とこちら側が認識しているので受け入れる準備も覚悟もできている。その終わりは決して悲しみだけではなく、やりきったという爽快感、あるいは消化不良感があるかもしれない。しかし日常系はどうだろう。そもそも「日常」という言葉の定義自体が未だに曖昧なのだけれど、日常系といわれる作品で描かれるのは魔法も戦争も異世界もない、現実から地続きになった世界であり、そこに明確な始まりも終わりもない。正確に言えば始まりと終わりは自分自身では認識できない。産まれる時も死ぬ時も自分自身の意識は存在せずに、いつの間にか自然に自我が芽生えて記憶は脳内に蓄積していき死ぬ直前にリセットされる。日常系という作品は始まりと終わりのない人生の一部分を恣意的に切り取って人工的に始まりと終わりを作る行為のうえに成り立っていて、始まりは我々に第三者の人生の一部を提供・共有するという地点ならば、終わりとはそれらを遮断する地点になる。キリの良いところで作り手が強制的に提供・共有を終了させ、その先も続いていくであろう誰かの物語はもう永遠に見られなくなる。

きんいろモザイクという物語は忍をはじめとする女子高生5人の物語の一部分を切り取ったものだ。物語の大半はアリス・忍の目線で映しだされる。5人の他に目立って出番の多いクラスメートが存在しないのはアリスが「忍が一番」だと考えていることに関係している。アリスは忍に好かれたいし一番に思ってもらいたい。しかしそこで忍もアリスのことを一番に考えてしまうと物語が広がっていくこと無く二人の間で全て解決してしまう。なので忍の興味をひく金髪のキャラクタとしてカレンが存在し、その忍の暴走を止めるために陽子が、その陽子のベクトルが忍に向いてしまって忍をめぐりアリスとカレンと陽子で四角関係になることのないように綾が存在する。女子高生という微妙に不安定な時期を考慮して担任教師は子供っぽさをもった女性に、また忍の暴走を家庭内でも食い止めるため+母親の存在の代替として勇がいる。非常によく考えられた無駄のないキャラ配置・設定に感心させられる。この5人の関係を崩すこと無く微妙にベクトルを入れ替えたり文化祭や夏休みなどの非日常に近いイベントを随所に入れてくることでマンネリを排する。基本的な日常系作品の王道路線を継承しつつ、外国人留学生というメインキャラクタの設定を生かし切った(逆手に取った)シナリオは骨格が強く、どんなストーリーを作っても揺らぐこと無く常に高品質な内容が出来上がる、という理想的な作品だった。

1話における忍のホームステイ、つまりアリスとの出会いと別れから再会までが最も物語性の強い部分だった。起承転結と明確な時間の経過が描かれており、緩みきった涙腺を柔らかく刺激するようなその内容には日常系という括りには収まりきらないほどのポテンシャルを感じ、2話〜4話を見てそれが確信に変わった。それから特に物語性のある話は出てこないのだけど、最終回手前での進級というイベントは「卒業」という明確な区切り、つまり終わりに最も近い部分を意識させるものだった。もちろん「次回が最終回だ」とわかっている時点で進級の話題が出たので特に動揺もなかったが、進級するということはサザエさんに代表されるような時間のループは存在せず、現実と同じように時間は流れゆき不可逆であるということを示している。例えばこれが酷く退屈であったり、あるいは苦しみのあまり死んでしまいたいくらいの日常だったならば終りが来ることはむしろ救いであるのだが、甘美で楽しく永遠に続くことを願ってしまうような日常ならば終わりは絶望になる。これはアニメにも当てはめられる話で、つまらない日常系作品は早々に放送が終わってくれと願うし、面白い日常系作品はこのまま永遠に放送が続いてほしいと願う。その人々の願いの結晶がサザエさんなどであろうし、その願いを拒んで現実と地続きの物語として明確な終わりを設定したのが最近だとけいおんだろう。

きんいろモザイクは最終回で早々に進級の話を切り上げて、忍が語り部となるミュージカルのような世界が展開されていく。これはアニメにおいて区切りの良い明確な終わりを設定しない代わりに用意された非日常的なイベントだ。そうした非日常的なイベントを思う存分に繰り広げた後に一気に日常、そしてアリスが日本語を必死に勉強していた過去を見せてくる。構成としては本当に素晴らしくて、こうした日常が成立しているのはアリスが一生懸命になって日本語を勉強して忍に会いに日本に留学しに来たからだ、ということを最後の最後に見せて「物語自体はまだ終わっていない」ということを暗に示した。原作が終了していないからこそ出来ることで、これで原作も同時に終了していたら精神に深い傷を負う人間が続出しただろうから、そこは原作者に感謝の意を示すべきだろう。アニメは終わったが原作はまだ続いている。おれたちにはまだ救いがある。諦めるな。