ラブライブ! 第2期 #1 「もう一度ラブライブ!」

やはりラブライブは強かった。1年という時を経てもシナリオの圧倒的な力強さと各キャラクタの魅力を最大限に見せつけるコンセプトは揺るがない。そのうえメンバー集めに時間を使っていた1期とは違って2期では最初からμ'sのメンバー全員が揃っている。これはRPGで一度ストーリーモードをクリアしたのち能力値がほぼマックスの状態から開始しているのと同義だ。こんな状態で1話から全力で勝負仕掛けられたらそりゃどのアニメも道を譲るに決まっている。いつの間にかラブライブの歩く道は王道から覇道へと変わっていた。

もちろん1期を視聴していることが前提となって作られているわけだが、1期の時からの成長も窺えるし、そのうえ1期で演技が拙かった役者が物凄くスキルアップしており、全体的に1期がグレードアップしたものがこの2期だと今のところは考えていいだろう。これは予想以上の出来だった。1期の頃の印象的な構図をオマージュしたり、キャラクタの掛け合いもお馴染みのものから新鮮なものまで(穂乃果が新しい生徒会長になったことで、絵里と穂乃果の関係性が微妙に変わっていた)、とにかく様々で最後まで飽きさせない。

1話ということで今回は目標設定の話。穂乃果の真意が全く見えてこない状態で他のメンバーに微かな不安が蓄積していく、というのは穂乃果視点がメインだった1期ではあり得ない展開だ。穂乃果が何を考えているか分からない中で他のメンバーの思考が交錯するのも新鮮だったが、それより明確に「卒業」という時間の流れを取り入れてきたことも驚きだった。まああらゆる作品にも終わりは訪れるので、『けいおん』のように時間の永遠性を否定するのも正しい選択だ。むしろ時間の永遠性を否定するほうが物語にドラマ性が生まれる。永遠という幻想に浸って中途半端な時間を不確定に過ごすよりは、きっぱりと区切りを見せるほうが誠実な態度なのかもしれない。

ラブライブにおけるドラマとはつまりアイドルの活動や大会出場よりも、そのためのレッスンやトレーニング、あるいは日常の積み重ねであり、そうした時間を永遠の空間に閉じ込めてしまうことはキャラクタの努力を否定することになる。花田十輝は別れを描こうとしているのではなく、時間の流れそのものを映し出すために卒業という区切りを示唆する。アイドルとして成長するためには、そして今回目標として設定された大会優勝のためには、時間が動かなければならない。だからこそこのアニメは結果と同じくらい過程が重要視される。

最終回で卒業をやった場合ラブライブというコンテンツ展開自体も終了するのかみたいな不安はあるが、それ以外はもう文句の付けようがなかった。またBD購入のために貯蓄する日々が始まる。