ご注文はうさぎですか?

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やはり現代において最も有効な精神療法はこのような日常系極致のアニメを視聴することだろう。肉体が、精神が、ただごちうさを視聴するだけで浄化されていく。裏を返せば劇薬に近い依存性を持っているということだが、この沼に嵌らないように1クールに1本は日常系アニメが放送されているわけだ。過剰供給にならないよう常に1クール1本のペースを保てているのが非常に健全。来期はおそらく『ハナヤマタ』あたりがこのポジションに収まることだろう。

正直なところ、個人的には2013年の『きんいろモザイク』という作品が日常系アニメの頂点を極めたと思っているので、あれと比較してしまうとややパワー不足に感じる部分はあったが、回を重ねるごとにゆっくりと確実にごちうさの世界に沈んでいった。最初は無口キャラの典型に見えたチノがどんどん個性的になっていく様子は見ていて楽しかった。娘の成長を見守る親の気分さえ味わえたようだった。そのチノを勝手に妹扱いして愛でるココアは主役なのに常に他のキャラに食われてる(本人も周りもそれに気付いていない)、この手の作品では珍しいタイプの主人公だったし、リゼについては言うまでもないだろう。何だかんだでリゼメインの話に一番心惹かれた。甘兎庵のチヤとシャロも共に個性的で見ていて飽きないキャラクタだった。

しかし最終回付近になると途端にチノメインの話が増えてきて、チノへの愛着が湧くと同時に確実に訪れる最終回の絶望が高まっていった。日常系アニメの抱える最大の問題は「終わった時の喪失感が他作品の倍以上」ということだろう。まさに劇薬のようだ。定期的に摂取していないと絶望に打ち拉がれてしまう。学校生活がメインの作品だと「卒業」という明確な区切りもある。こうした様々な要素を抱えながら、それでもいつもと変わらないように紡がれていく緩やかな時間に身を委ねるしかない。三次元が二次元に干渉する術が生まれない限り、この悲しみの連鎖は永遠に続く。

適度な笑いを挟みつつ、基本はココアを中心とした何も起きない緩やかな話。学校がメインではないので、文化祭や運動会や修学旅行といった日常系お得意のイベントは存在しない。ひたすら「カフェ」という空間を意識させる話が繰り広げられる。しかし手を替え品を替え様々なタイプのネタが用意されているので、視聴していても飽きるということがない。「ラビットハウス」「甘兎庵」という二つの喫茶店を用意したことで話も広がりやすくなっている。あと学校に関して言えば、チノの同級生はほぼレギュラーといえるペースで出番がある。EDでチマメ隊としてCDデビューしているので事実上レギュラーメンバーを食った形になった。

他にもラビットハウスの店長や青山ブルーマウンテンといった大人側のキャラクタもしっかり描くことで物語に生じる穴を埋めている。チノの頭に乗っかっているウサギはマスコットとして視覚的に機能していた。コンテもこのウサギを生かすように上手く切られていて、アニメの細やかな配慮が感じられる(このアニメは毎回コンテがとても良かった)。ひたすらキャラクタを可愛く魅力的に見せるために研ぎ澄まされた作画も、アニメーションというもののひとつの在り方を提示していて興味深い。

最終回、ココアが風邪を引いてチノが風邪薬を貰いに雪の中に飛び出していく話はまさしく最終回らしい内容だった。今までココアが勝手にチノを妹として扱っていて、それにやや辟易していたチノが熱に魘されているココアを救うために自ら行動する、明確な関係性の変化が見られる話(チノのほうからココアをお姉ちゃんと呼んだのは変化の頂点だ)。ココアがちゃんと姉のように見える演出も素晴らしかった。最後の最後でこのアニメに一区切り付くことに納得できるような、最終回としては文句無しのエピソード。特殊EDも非常に良かった。

癒しというものは単にキャラクタの可愛さだけでなく、そうしたキャラクタを取り巻く世界観から生まれるということ、あるいは非日常的なイベントが何もなくても街の景色が非日常的なだけで全ての出来事が新鮮に見える、ということを教えてくれるアニメ。やや単調に感じられた原作をここまで上手くアニメ化されるともう何も言えない。きらら系の作品はほぼ毎回しっかりと結果を残すので信用できる。動くココアやチノをもう見られないのは確かに悲しいことだが、現実は最終回を迎えることなくそのまま続いていて、ならば願うのは続編制作しかない。日常系アニメが最終回を迎えることで行き場を失うおれたちの魂をまたいつか浄化救済してほしい。