月刊少女野崎くん

原作の内容をほぼそのままアニメ化しただけでこれほどまでに面白くなるとは思わなかった。やはり映像向きの作品だったということだろう。とりわけ四コマで区画された話がシームレスに繋がることで物語としての連続性が明確になったこと、佐倉千代の声優がほぼ完璧にハマっていたことが大きい。下手に名の通った声優ではなくほぼ新人を起用したのは正解だった。この作品の要は少女漫画をメタ的に扱うギャグともうひとつ、主にツッコミ役として立ち回る佐倉千代が限界まで振り切れた小動物的可愛さを有していなければ意味がない。その点小澤亜李という声優が演じた佐倉千代はこの条件を完全に満たすものだった。原作を読んで受けるイメージがそのまま具現化されたかのようで本当に感動しきりだった。どんなに野崎に振り回されても恋心を抱き続けているという心理状態が常に一目でわかるのも良かった。作風上絶対にその恋は実らないと分かっていても悲愴感がまるで無いというのも作品の高い強度ゆえに成せる技だろう。


最終回でそれまでメタ的に扱っていた少女漫画の世界に自ら飛び込むという逆説的なコメディを繰り広げることで風呂敷を畳んだ、その手際の良さも見事だった。メタ的なギャグに対するツッコミも完璧にこなせる上に、自らが少女漫画の世界の主人公になってもその役を貫き通せるという万能に近いキャラクタである千代のスペックを生かしたエピソード。周りを瀬尾結月・鹿島遊という男性的な女性キャラが囲んでいるのでより千代が女性的に見えるのだが、上述の2人はアニメ化により声や動きが付いたことで原作よりも女性らしくなった。鹿島なんて原作だとほぼ完全に男だがアニメで声が聞こえるようになると女性にしか見えなくなるので脳の神秘を思い知った。


女性も個性的だが野崎くんを筆頭に男性も個性的なキャラクタが多いので、11話のような男だけのエピソードでも全く面白さは損なわれない。『男子高校生の日常』よりも男子高校生の日常が伝わってきた。少女漫画に携わる男子高校生というのはそれだけで非日常的な存在だが、野崎を意味不明なキャラクタにすることで非日常と日常の境界線が無くなった。千代が野崎に惚れた理由すらギャグだったのに、野崎が元々意味不明だというだけで真面目な話にもふざけた話にもなる、というのは画期的だった。夏祭りの花火のようなどんなベタな話をやっても少女漫画というテーマの範疇に収まっていくし、どんな破天荒な話をやっても濃過ぎるキャラクタたちがしっかり処理できる。


野崎には果たして恋愛感情というものが存在するのか、少女漫画を描きすぎたせいで女性に対してのそういった感情が失われているのではないか、という疑問はあるが、そういう些細な部分を差し引いても充分楽しめる作品だった。これはラブコメディではない。ラブについてのコメディだ。だからこそ千代はいつまでも野崎を想い続けるし、野崎はいつまでも少女漫画を描き続ける。脇を固めるキャラクタもサブというポジションに収まるには勿体無いほど魅力的。原作のストックが溜まったら是非続編を制作してもらいたい。