ラブライブ! The School Idol Movie

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この前の日曜日に時間が空いたので観に行った。ラブライバーは獰猛な人種が多いと聴いていたので戦々恐々としながら劇場に足を運んだのだけど、意外にも(?)まともそうな人間ばかりだった。あと意外と女性が多かった。男:女=7:3くらいだった。ラブライブ恐るべし。


以下ネタバレあり雑感.



プロジェクトが始まった時点から目を付けていたおれのような人間からすれば、ラブライブというコンテンツがここまで人気を博し、劇場作品にまでなったことは感慨深い。AKBに端を発した2010年代のアイドルブームの波を受けて産声を上げたこの『ラブライブ』という作品は最初から順風満帆とはいかなかった。2013年にテレビアニメが放送されるまで、ほとんどの人間はラブライブを知らなかったし、知っていても「どうせ自然消滅するコンテンツだろう」と甘く見ていた者がほとんどだ。それでもおれは「Snow halation」を聴いて「いつか売れる」と信じていたし、実際にテレビアニメが放送されてからはそれが現実になった。


やはり「テレビアニメ」というメディアは強い。そのメディア自体に固定ファンが存在するし、インターネットとの親和性も高い。まさしく今の時代の流れに合致しているメディアだろう。そして今の時代の流れの最先端にいるのがアイドルだ。良くも悪くも、日本の音楽シーンからアイドルは切り離せない存在になった。かつてモーニング娘。が切り拓いた道をAKBが歩き、ももいろクローバーZあたりが裾野を広げた、この現実世界でのムーブメントをそのまま二次元の世界に持ち込もうと企画されたラブライブは、わりと大規模な宣伝が為されてはいたものの、大衆に認知されないまま地道に1st、2nd、3rdとシングルをリリースして、その結果徐々に知名度を上げていった。


初期段階における各キャラクタのデザインがやや野暮ったさを感じさせたり、キャラクタの個性よりも楽曲が先行してしまったことがこれまで突き抜けられなかった要因だったが、こうした問題を一挙に解決してくれたのがご存知テレビアニメ『ラブライブ!』第1期である。全く奇を衒うことなく、それでいて今までになかったような新鮮さを感じさせる、女子高生とアイドルを掛け合わせた最新型ハイブリッド・アニメが大衆に受け入れられるのにそう時間はかからなかった。その1期の流れを汲みつつ、各キャラクタの更なる掘り下げや時間の経過を意識させるエピソードで構成された2期も大成功と言っていい結果を収めた。この2作の感想は以前書いているのでここでは割愛する。

kl.hateblo.jp
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で、この劇場版ラブライブ!である。明確に「卒業」という現実を突きつけられ、μ'sを解散するという結論に達したあの2期からどのように話を展開させるのか、という部分に注目が集まっていたことと思う。そして蓋を開けてみると、1期・2期の内容を取り入れ、新曲も各所に織り込みながら、全体では『ラブライブ!』という作品の集大成となっている、極めて理想的な劇場作品だった。フィーリングだけでいえば2期に近い。あの時に味わった多幸感が塊になって押し寄せてくる。明確な「終わり」を意識させる内容でありながら、これっぽっちも湿っぽさがないのは素晴らしかった。どんなものにも終わりが来るが、同時に始まりもやってくる。μ'sの意思は、μ'sたちの力によって存続できた音ノ木坂学院に入学してきた後輩たちに脈々と受け継がれていくことだろう。


映画の内容をざっと見ていくと、前半はイギリスでのライブという大々的なイベントがあり、後半ではこれまでのラブライブの大筋に立ち返るという構成になっているが、実際のところ前半はライブよりも観光という側面が強かった。ここらへんは劇場版『けいおん!』を意識しているのだろう。旅の楽しさを前面に押し出しながら、海未たちがホテルを間違えたり、花陽が白米を欲するあまり情緒不安定になったり、穂乃果が皆とはぐれて一人でイギリスの街を彷徨ったりと、しっかり各キャラクタの見せ場を作っていく。この段階で特に印象に残ったのは西木野真姫役のpileの演技力にもう全く違和感を抱かないということだった。散々棒だ棒だと叩かれた1期、小慣れてきたものの他の役者と比べるとやはり違和感のあった2期を経て、ついに他の役者に見劣りしない、ひとりの声優として成長した。その姿が西木野真姫含むμ'sの姿と重なって感動を禁じ得ない。それともうひとつ、イギリスで重要だったのが、高山みなみ演じる謎のシンガーとの出会いなのだが、それは後述する。


イギリスでのライブ映像がテレビやネットで放送・配信されていたために、帰国するといきなり有名人として扱われサインを求められるなどの環境に身を投じることとなった穂乃果たちは、改めて自分たちに多大な期待が寄せられていること、この高まる周りの期待の中で「μ'sを続けていくことはしない」という(2期においてなされた)宣言が揺らいでいることを思い知る。「続けるか、辞めるか」という二択の前で立ち止まり悩むのが後半の肝だ。


しかし、穂乃果が悩んでいる中で再び現れた謎のシンガーが穂乃果の背中を押すことになる。このシンガー、穂乃果以外のμ'sメンバーには見えていなかったり、突然消えたりというミステリアスな存在なのだが、穂乃果の過去の記憶に入り込んでくること、穂乃果が子供の頃に飛び越えた水溜りを指して「もっと飛べる」と言ったことなどを考えると、どうやら穂乃果が重要な分岐点を迎えた時に現れるのでは…というところまでは分かるのだが、最後まで何者なのかは明かされなかった。マイクを持ち運んでいたのでゴーストというわけでもないし、観客の想像に任せる類の存在なのだろう(映画冒頭で描かれた、穂乃果の幼年時代の映像、あの中で穂乃果が水溜りを飛び越えようとした時に聴こえてきた歌声、あれが謎のシンガーなのでは、と思ったが高山みなみの声ではなかったような気がする)。


斯くして穂乃果は「まだ飛べるのだ」ということに気付き、「μ'sを解散する」という決意は変えぬまま、皆の期待に応えるため、何より自分たちが作り上げたスクールアイドル像を今後次々現れるであろう後輩のスクールアイドルに受け継がせるために、スクールアイドルが一堂に会する大規模なライブを自分たちの手で企画・開催する。実際に開催されたライブは、数百人近くいるであろうスクールアイドルを従えて穂乃果たちやA-RISEが真ん前で踊る、というもので、他のスクールアイドルたちがμ'sのサブとして見えるのはちょっと残念な部分だったが、パレードのような華々しさや色鮮やかな景色を見ていると、何もかもが些末な問題に思えてくる。スクリーンから溢れんばかりの多幸感、これこそが『ラブライブ!』という作品が辿り着いた境地なのだと思い知り感動に浸ってしまった。


結果的にこの劇場作品でμ'sとはお別れ、ということになってしまった。ただ、穂乃果の妹の雪穂や、絵里の妹の亜里沙に音ノ木坂学院スクールアイドルとしての魂は受け継がれているようで、真姫が劇中で所持していた作曲用のノートを亜里沙が所持しているあたりに、μ'sは解散してもμ'sが残していったものは脈々と受け継がれていることが見て取れる。そもそも、μ'sはメンバー全員が高校生、スクールアイドルであることに意味があるグループなので、高校卒業と同時に解散という選択は自然だった。『アイカツ』のスターライト学園のように、学校そのものが元からアイドルのために存在するわけではないからだ。その点、A-RISEが所属しているUTX学院はアイドル(芸能人)のために設立されている学校なので、A-RISEが卒業後もアイドルを続けていくと決めたのもまた自然なことだった。しかし、もしも音ノ木坂学院がアイドル育成のための学校であったなら、せめて芸能学科が存在していてそこに穂乃果たちが在籍していたら、μ'sはずっと続いていったのだろうか。そんなことを考えながら、μ'sのラストライブを見届け、ライブ終了と同時に画面が暗転し、劇場の幕が降りたのだった。


現実世界のアイドルはアイドルである前に寿命が決められたひとりの人間であるが故に、いつまでも輝き続けるということはできない。しかし二次元の世界なら、アイドルはアイドルのままいつまでも輝き続けることができる。高坂穂乃果たちはμ'sというアイドルである前にひとりの女子高生だったという話だ(もしかしたら高校を卒業してからμ's以外のグループでアイドルとして活動しているメンバーがいるかもしれないが)。ならば最初からアイドルをゴール地点として定めている人間なら。そしてμ'sがいない世界に帰っていくことを余儀無くさせられたおれたちは、これから何を拠り所にして生きていけばいいのか。それらの答えを持っているのが雪穂と亜里沙が率いる、これから大舞台へ上り詰めるであろう、音ノ木坂学院の新たなスクールアイドルたちや、新たに立ち上がった企画『ラブライブ! サンシャイン!!』であることを願ってやまない。