ハロー!!きんいろモザイク 第12話 「なによりとびきり好きだから」 & 総括

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朝起きて身支度をして出勤する。諸々の業務をこなして時間になったら退勤する。家に帰って晩飯を適当に食って風呂に入り、溜まったアニメやドラマやその他の番組を見て寝る。朝起きる…の繰り返し。ついこの間までは退勤のあとに「祖母の病院へ向かう」が追加されていた(先日無事に退院しました)。取り立てて面白いことも刺激的なこともない毎日。休日は疲れが溜まっているのでずっと家でぐだぐだする。子供の頃は「大人になるということは良いことだ」と無条件に信じ込んでいた。しかし、自分がもう引き返せないくらいの大人になってしまった今、思うことは「子供の頃に戻りたい」それだけだ。人生とはなんなんだ。好きでも知りたくもないことを学ばせられるわりに社会のルールやマナーは一切教えてくれない学校、人間の尊厳を奪われ馬車馬のように働かされる社会、そんなしがらみから解放された頃にはもう老人になってしまっている。年金制度も事実上破綻し、心も体も枯れ果ててしまった状態で残りの人生を謳歌しろと言われてもそれは無理というものだ。


そんなどうしようもない人間のためにこの世界には娯楽というものがある。娯楽は食事や睡眠とは違い、直接的に生きることと結び付いてはいない。それゆえ生きることすらままならない現代社会では様々な娯楽がどんどん衰退しているが、それでも娯楽に縋らないと生きていけないおれのような人間は世界に山ほどいるのだ。アニメ視聴は精神療法の一種だという冗談めかした言説を目にするが、あれはあながち間違ってはいないと思う。「絶対笑顔で、まだまだいっぱい夢見よう」とアリス・カータレットたちに言われなければおれは己の人生と汚れた社会を憂いて死んでいったかもしれない。そんなわけねえだろと思うかもしれないが、人生何が起こるかわからないものだ。自死というのはまだしも、先日おれの自宅の窓にサッカーボールをぶつけてきたうえヘラヘラ笑いながらボール返せと言ってきたクソガキたち(たぶん中高生)に関しては本気でFUCK!!!!!と思ったし、あるいは何らかの冤罪で牢屋にぶち込まれる可能性もなくはない。心が制御できなくなりそうになった時、社会に出てからあらゆる困難が立ちはだかった時、自分の根っこを支えてくれたのはいつだって『きんいろモザイク』だった。


きんいろモザイク』は決してただの日常系アニメでもいわゆる萌えアニメでもない。人間に残された僅かな綺麗な部分を掬い取って、そこにほんのひと匙の悪戯心を加えた究極のヒーリング・リラクゼーション・アニメだ。それでいて他のヒーリング系アニメには無い、ぶっ飛んだ笑いの要素もふんだんに取り入れている。日常系作品にありがちな弱いジャブのような笑いやクソ寒いギャグではなく、言葉のチョイスや登場人物の顔芸含め、いつでも本気で笑わせにかかっているので構えて見ていても笑ってしまう。それでいて最後にはしっかり在るべき場所に着地してくれる。そうだ、おれが見たかったのはこれなのだと、いつだって安心させてくれる。1期を見終わったあと(厳密には1期5話を見終わったあと)、朝一番で大型書店に駆け込んで原作全巻買い揃えたのは就活中の唯一の良い思い出だ。思えば社会に出る前からおれはこの作品に救われていたのだ。


そして原作を何度も何度も読み、各キャラクタのセリフをほぼ全て暗唱できるレベルまで頭に叩き込み、懸念要素を全て対策したうえで、何の雑念もなく集中して見られるように己の身体と精神を調整したうえで視聴に臨んだこの2期『ハロー!! きんいろモザイク』。おれが1期に感じていた足りない部分が全て、1ナノの過不足なく補われ、それでいて更に魅力的な要素が極限まで磨かれた、完璧という他ないアニメに仕上がっていた。もちろん2期放送前、大いに期待はしていた。原作の時点で素晴らしいのでもう間違いなく最高のアニメだろう、と思っていた。結果的にこの『ハロー!! きんいろモザイク』はその「最高」すら軽々と超えてしまう場所に到達してしまった。「傑作」とか「名作」という言葉でさえ生温い。これはそういう人間の生み出した言語では評価できない作品だ。


2期は全話素晴らしいという事実に関しては今更言うまでもないだろう。なのでまず先にこれまでの流れに沿って第12話「なによりとびきり好きだから」についての話をしよう。この12話(Aパート)は1話完結型のアニメきんいろモザイクにしては珍しく、11話から直接的に繋がったエピソードになっている。11話Bパートではアリスがイギリスに帰省した時の忍たちの姿を描いていたが、この12話Aパートではイギリスに帰省したアリスたちの姿を描いている。アリスのことが心配でたまらず、生気を失ってしまった忍に対して、アリスは忍のことを思いつつも、カレンとのびのびイギリスの実家で生活していた。こうした対比により、前回述べた「アリスよりも忍の方が依存度が高い」という説がより真実味を帯びる。だが、アリスが忍に電話をかけるというシークエンスでその図式は一転する。アリスを失った忍はアリスからの電話で途端に生気を取り戻すが、忍に電話をかけたアリスは緊張から過呼吸に陥ったうえに英語でしか喋れなくなってしまうのだ。


もしもアリスは忍ほど依存度が高くないなら、ここでは忍のほうが緊張してしまうはずだ。しかしそうはならず、アリスのほうが緊張してしまった。ここで2人はやはり強い共依存関係で結ばれているのだとわかる。それと、今までの展開を見るとアリスは忍のことだけ考えているように思えてしまうところを、最後の最後で母親に対して抱き着く一面を見せることで年相応の「らしさ」と家族愛を示してみせる。アリスと忍(とカレン)の再会もドラマチックでありながらギャグっぽくもある、見たこともないような新鮮なものだった。「シノに会いたいしょんぼりアリス映像集」の伏線もしっかり回収した、濃厚かつ清々しいAパートだった。15分近い尺なので、普通ならここで腹一杯になってしまってもおかしくないのだが、このアニメはカロリー配分を細部まで計算し尽くしているので、満腹感に襲われることも胸焼けに苛まれることもなくBパートに突入できる。


Bパートは夏休み明けのエピソード。短いながらも『きんいろモザイク』の中でもとりわけハイレベルな笑いが次々と繰り出される、非常に濃密なエピソードだ。始まりは花壇でのアリスと綾の会話からだが、アリスが花に水を与えているシーンで、第4話「雨にもまけず」にてアリスが植えた花たちが色鮮やかに咲き誇っている様子が窺える。そこから舞台は教室へと移り、忍が全然勉強しないので成績が悲惨だという話題に雪崩れ込む。「自分には全然取り柄がない」と落ち込む忍に対して、様々な芸を提案するカレン。そのどれもが的外れだったが、陽子の持ってきたぬいぐるみを瞬間的に直したのを見て綾が「デザイナー」の道を提案する。しかしそれでも、忍は夢である翻訳家を諦めたくない…という話になっていくのだが、ここで1ミリたりともデザイナーという選択肢に靡かないあたりに忍の確固たる意志を見て取れる。


そしてED曲が流れるアリスたちの下校時までに「カレンの大道芸」「忍の狂気じみた腹話術」「アリスが忍の代わりに通訳者になるという謎の意気込み」「アリスのスパルタ教育」「忍の鼻先に金髪をぶら下げる」という5つの非常にパンチ力の強い笑いが襲ってくる。今までこうした大ボケレベルのネタは1話に2〜3回投入して減り張りをつけるという構成だったが、ここでは最終回らしくネタの大盤振る舞いをしている。約9分という短い時間の中でここまで笑いどころを用意されるというのは明らかに異常事態だが、そんなことはどうでもよくなるくらいのテンポの良さとネタの最高のキレ具合に飲み込まれ笑ってしまう。「作り手が面白いと思ったネタ」ではなく、「受け手が面白いと思うであろうネタ」をしっかり予測し、なおかつ各キャラクタの個性を守ったうえでのこの完成度の高さなので本当にただただ素晴らしいとしか言えなくてつらい。


最後の最後にED曲をフルで流してくれたことも嬉しいサプライズだった。やっぱりこの「My Best Friends」はフルで聴いてこそ魅力を最大限に感じ取れる曲だ。CDを買って初めてフルサイズで聴いたときは本当に年甲斐もなく涙で枕を濡らしてしまったし、中塚武は本当に天才だと改めて思い知った。明確に別れを意識させる歌詞なのに全く悲壮感がなく(あくまで「別れ」そのものを表現せず「笑顔」「晴れ」「宝物」という柔らかい言葉を用いているためだろう)、楽曲のアレンジは大々的にブラス・セクションを取り入れて高揚感を誘っている。もちろんOP曲「夢色パレード」も素晴らしい曲だ。文字通りパレードのようなワクワク感を煽る上杉洋史の編曲の腕が冴えている。ED曲がジャズ寄りなのに対し、こちらは邦楽ポップソングの王道といった感じで、それぞれに違った魅力があって聴き応えがある。


改めて2期を振り返ってみると、新たに登場した久世橋先生はあっという間にきんいろモザイクの世界に溶け込んでしまったし、1期で少し顔見せしていた陽子の双子の兄妹である空太と美月も、メインの舞台である高校の中に登場しない存在でありながらも(そのため第3話「あなたがとってもまぶしくて」では半ば強引に高校に出すことになっていたが)上手く馴染んでいた。同様に1期で少し顔見せしていた松原穂乃花はあえて「普通の同級生」から「忍寄りの金髪フェチ」にシフトチェンジさせることで印象を残すことに成功している。そして相変わらずアリス・忍・綾・陽子・カレンのメイン5人は本当に互いの魅力を最大限に引き出す絶妙の関係性だ。それはED映像で5人が寝そべり星のマークを作っている絵からもわかるだろう。この5人の誰一人が欠けても『きんいろモザイク』の世界は成立しない。


おれのいるこちらの世界にこの5人が存在しないことが本当に悔やまれるが、こんなどうしようもない世界に来て汚れてしまうくらいなら、汚れを知らないまま『きんいろモザイク』の世界にいてくれたほうがいいのだろう。そしてその姿をおれは画面を隔て、こちら側の世界からただ穏やかに見ているだけでいい。それだけで確かに救われている。2013年に続き、この2015年もまた『きんいろモザイク』に救われた。もし再び続編が製作されるとしたら、その時はきっと別れを描かれてしまうだろう。それでもおれはこの続きを自分自身の目で見届けたいし、どうせ救われるなら最後まで救われて運命を共にしたいのだ。人はみんないつか死ぬのだから、別れを避けられるはずもない。ただ、やっぱりおれは『きんいろモザイク』の世界のすべてを見届けてからこの世に別れを告げたいのである。