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2015年夏期アニメ総括

今年の夏は思ったより暑くなかったような気がする。気がするが、休日の朝から昼まで近所で老人たちが碌な防音設備も整えずにカラオケやってて(カラオケボックスではなく自宅にあるカラオケマッシーンを使用しているっぽい)、殺意と眠気に襲われながら布団の中で呻く羽目になっていた。死にたい。
で、WORKINGの最終回はいつ放送されるのだろうと待っていたら「12月末放送決定!!!!!」とか言われたので仕方なく現段階で纏めることにした。なんで年末なんだ。おれは年末何も考えずぐうたらしていたいのに。そういえば「ぐうたら」の語源って「愚(ぐ)+弛(たる)」らしいですね。どうでもいい。
というわけでいつものあれです。年々感想が雑になってきているあたりは勘弁して下さい。一応これでも忙しいのです。



いつもの


評価方法

・評価ポイントは「ストーリー」「キャラクター」「演出」「作画」「音楽(OP・ED含む)」の5つ。各10点満点
・総合評価(ランク)は「SSS」「SS」「S」「A」「B」「C」「D」「E」「F」「Z」とする(各説明は以下参照)

「SSS」~生涯愛せる、墓場まで持って行きたい作品
「SS」~アニメの金字塔レベルの作品
「S」~何度観ても面白いと思える名作
「A」~傑作
「B」~秀作
「C」~良作
「D」~凡作
「E」~駄作
「F」~超駄作
「Z」~黒歴史



おくさまが生徒会長!

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ストーリー 5
キャラクター 6
演出 5
作画 5
音楽 5
総合得点 26点
総合評価 D

シナリオの方向性がキスシスあたりの系譜を継いでいる気がするのだけど、そもそもキスシス自体さほど好きではないおれにとっては同ベクトルのこのアニメも中々につらいものがあった。



GANGSTA.

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ストーリー 8
キャラクター 7
演出 8
作画 6
音楽 7
総合得点 36点
総合評価 B

マングローブに黙祷。



ケイオスドラゴン 赤竜戦役

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ストーリー 3
キャラクター 2
演出 4
作画 4
音楽 7
総合得点 20点
総合評価 E

食べ放題の店やホテルのバイキングに行くと「元を取ろう!!!!!」と思って自分の腹のキャパシティを一切無視して異常な量を食べまくろうとするあの心理は何なんだろう。結果的に食べ終わる頃には満足感より満腹感に襲われて、終いには気持ち悪くなる始末とあってはもう本末転倒だ。色々なものをあるだけ取り込んで詰め込むのは一見豪華であり贅沢に思えるが、イコール高品質であり幸福度が高いということにはならない。ガストとかによくあるドリンクバーを思い出してほしい。高校生や大学生の頃に友達数人と飯を食いに行き、ドリンクバーを頼んだら必ずと言っていいほど複数味の液体を混ぜ合わせてテーブルに持ってくるやつがいなかっただろうか。おれもその罪深い一人であった。あの液体の8割は間違いなくクソ不味かった。最終的には罰ゲーム扱いになって敗者が飲み干すという地獄絵図が展開されることが確約されている。


何でもかんでも詰め込んだり、混ぜ合わせたりしてもそれが質の高いものになるとは限らない。むしろバランスが取れなくなって地に落ちていく。世の中そんなものだ。音楽だってそうだ。プログレというジャンル、あれはまさしく闇鍋的な要素を多分に持ち合わせていて、イエスやキングクリムゾンやピンクフロイドが特別バランス感覚に優れていたことは彼らのフォロワーを見れば明らかだろう。最近だとヴェイパーウェイヴもそんな感じだ。たまたまSaint Pepsiという突き抜けた才能が存在していただけで、あとは有象無象の塊だ。情報量の多い音楽を扱うには相応の飛び抜けた才能が必要だ。もっとも、プログレやヴェイパーウェイヴに比べて情報量の少ないシューゲイザーというジャンルは完全にマイブラの独壇場だったわけで(おれはRideとかPale Saintsとかも好きなんだけど、一般的な知名度でいったらマイブラが圧倒的だろう)、必ずしも情報量の高さだけが才能に結び付いているわけでもない。音楽に限った話ではなく、初めから扱いづらいジャンルというものも確かに存在するのだ。


さて、ゼロ年代中盤から未だに勢いが衰えず常に一定の支持を得ているアニメのジャンルであるところの日常系に対して、バトルやファンタジーといった過去の王道は緩やかに衰退してきている。もちろん突き抜けた面白さを持った作品はやはり爆発的な人気を誇るが、それ以外のものは生み出されたことすら大多数の人間に気付かれないまま葬られていく。そんな状況を打破しようと、様々なジャンルと融合したキメラ的ファンタジーが生み出されたが、こうなってくると今度は前述した「バランス感覚」が問題になってくる。色々なものの色々な良いところだけを取り入れようとした結果、バランスが保てなくなった。そんな作品を見るにつけ、単体だと美味しいはずのコーラにメロンソーダやカルピスや爽健美茶が混ぜられた結果、この世のものとは思えない液体がこの世に生を受けてしまう、あの日のことを思い出してつらくなるのだ。


『ケイオスドラゴン』の何が駄目だったか、と尋ねられた時もまた、おれは地獄のドリンクバーや身の丈を思い知らされた食べ放題のことを思い出す。やりたいことが多すぎる。多すぎるが故に何をしたいのかがわからない。何も画面から伝わってこない。色々なものを乗せすぎて航海の途中で荷物の重さに耐え切れず沈んでいった船の様子なら伝わってきたが、それも暫く経てば泡となって消えていく。おそらく4〜5か月も経てばおれはこのアニメのことを綺麗さっぱり忘れているだろう。悲しいことだが、今生み出されているアニメの量を考えると、どう足掻いても「記憶に残り続ける」アニメよりも「半年足らずで記憶から消えていく」アニメの方が多いのだ。これから歳を重ねるにつれて、その差はさらに開いていくことだろう。アニメの中のキャラクタたちが歳をとらない一方、それを画面の向こう側から見ているおれたちは歳を重ねて確実に死に近づいていく。やがてあの日の食べ放題のこともバイキングのことも忘れて真っ白な状態になるのかもしれない。



乱歩奇譚 Game of Laplace

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ストーリー 2
キャラクター 2
演出 6
作画 8
音楽 9
総合得点 27点
総合評価 D

江戸川乱歩に初めて触れたのは小学生だ、という人はわりと多いのではないだろうか。それも小学校の図書室で。おれは小学生のとき、自宅近くにあった図書館で『人間椅子』を読んだのが江戸川乱歩初体験だったように記憶している。なぜ江戸川乱歩の作品に触れたかというと、おれの世代ではよくある『名探偵コナン』を読んでからの流れだ。で、普通のミステリなのかと思っていざ読んでみると訳の分からん世界と得体の知れない腐臭が広がっていて、ああこれはおれが読むには早すぎた、と観念してコナン・ドイルの方に食指を伸ばし、そこからアガサ・クリスティにハマったのだけど、不思議なことにカーやクイーンにはハマれなかった。今改めておれの読書遍歴を鑑みると、どうやら理屈っぽい物語が苦手なようで、東野圭吾とか有栖川有栖がそんなに好きじゃないくせに綾辻行人とか宮部みゆきは昔から好きなのはつまりそういうことなのだろう。


人間椅子といえばバンドのほうの人間椅子も好きなのだけど、人間椅子が再び脚光を浴びる切っ掛けになった2013年のオズフェスにはフェスの趣旨と掛け離れたアーティストも多く出演していて???だったのだけど、日本は他国と比べてとりわけジャンル分けが困難なほど音楽性が細分化されており(アイドルの楽曲とかがその象徴だろう)、アメトークのような何らかの括りでアーティストを揃えるようなフェスはもう無理というか無意味なのだろう。しかし、お前のどこがメタルだよとか絶対ロックバンドじゃねえだろという意味不明なアーティストが増えているのも事実で、メロンが入ってないくせにメロンパンと名乗る食べ物が存在したり、成城にないくせに成城を名乗る店が蔓延ったりしているこの世知辛い社会をそのまま表しているような音楽業界の闇はまだ底知れない。ストリーミングサービスも結局「音楽は無料」だと盲信している若年層の存在によりそこまで流行らなそうだし。まあ流行らないほうがCD売りたいマンにとっては得なのか。それは今どうでもいいか。


結局のところ何が言いたいかというと、この乱歩奇譚とかいうアニメは乱歩の名前だけ借りた「江戸川乱歩とはほぼ無関係」の作品だということだ。初回の人間椅子あたりはわりと原作に忠実なのだけど、二十面相が出てきたあたりから様子がおかしくなる。そもそも主人公のコバヤシのキャラ自体が最初からどうもおかしかったのだが、その異常性が回を重ねるごとに詳らかになっていく。明らかにショタコン腐女子を狙っているとしか思えないキャラクタの絡ませ方にはさすがに引いた。勘違いしないでほしいが原作はあんなノリでは決してない。加えて適当に江戸川乱歩の作品の中から引っ張ってきたキャラクタで遊んでいるとしか思えない脚本の酷さ。脚本の酷さに拍車をかける演出の怠さ。音楽以外まともに褒められる部分が存在しない。


江戸川乱歩を読んだ人間は間違いなく許容できないし、江戸川乱歩を読んでない人間は何のことだがさっぱり分からないという煉獄。せめて『UN-GO』のように作ってくれたならまだ許せた気がする。というかおれはこの乱歩奇譚を「UN-GOっぽくなって、且つUN-GOの反省点を改善してくれる」と放送前に思い込んで期待していたのである。それが蓋を開けてみたらUN-GOの反省点を改善するどころか、坂口安吾も草葉の陰で江戸川乱歩を不憫に思ってしまうようなアニメになってしまっていて、このアニメが生まれたことで一体誰が得をしたのだろうと考えるのであった。もし江戸川乱歩が生きていてこのアニメを見ていたら何とコメントするのだろうか…



青春×機関銃

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ストーリー 6
キャラクター 5
演出 7
作画 7
音楽 5
総合得点 30点
総合評価 C

今からもう9年も前のことになるのが衝撃過ぎてつらいのだけど、長澤まさみ主演のドラマ『セーラー服と機関銃』は何だかんだで良かったと思うのです。これはおれが長澤版→原田知世版→薬師丸ひろ子版 という順にセーラー服と機関銃を観てきたからかもしれないが、長澤まさみ版には山本龍二演じる酒井金造というオリジナルキャラクタが出てきて、この金造が非常に良い立ち回りをするのである。あと堤真一中尾明慶の演技も良かった。この2人が死ぬ際の演技に思わず泣かされてしまったし、長澤まさみの演技力の低さを差し引いても全体では釣り銭が返ってくるくらいの出来にはなっている。まあしかし一番は言うまでもなく薬師丸ひろ子版だろう。1981年に製作された映画とは思えないほど、今改めて鑑賞しても圧倒的なフレッシュ感が満ち溢れているし、そもそも主演の薬師丸ひろ子の存在感が凄い。アイドルとかそういう立ち位置が全て無に帰す、時に画面の向こう側から見ている観客さえも気圧されるそのオーラ。映画自体の芸術的な完成度の高さも相俟って一度見たら忘れられない作品だ。死ぬ前に5本だけ映画を観れるとしたらそのうちの1つには迷わずこの薬師丸ひろ子セーラー服と機関銃を選択する。


映画やドラマを観ていなくても、あるいは原作を読んでいなくても、『セーラー服と機関銃』という名前自体はほとんどの日本人なら耳に/目にしたことはあるだろう。なので「女子高生と銃」という組み合わせはここ日本だとわりとすんなり受け入れられる。10年代以降、アニメーションの世界でも女子高生と銃の組み合わせが増えてきた。『C3』のような(出来は散々なものだったが)比較的本格的なサバイバルゲームものや、銃自体を擬人化した『うぽって』、更にはサバイバルゲームものと名乗っておきながらサバイバルゲームをほとんどやらない『さばげぶっ!』など、どれも非常にクセの強いアニメばかりだ。しかしこれらはどれも『セーラー服と機関銃』のようなガチの殺し合いではない。あくまでサバイバルゲーム、つまりゲームに過ぎないのである。女子高生が銃をぶっ放そうが、その弾丸に撃ち抜かれて命を落とす者はいない(『うぽって』は厳密にはサバイバルゲームではないので命の危機を感じさせる部分はあったが)。『さばげぶっ!』はそれを皮肉るかのようなネタが上手くコメディとして作用していた。


そして2015年夏、これらの作品に続く新たな「女子高生×銃」という組み合わせのサバイバルゲームを題材としたアニメが放送開始となった。『青春×機関銃』である。放送前に何の情報も仕入れなかったおれはてっきり「これはセーラー服と機関銃の正統後継者なのでは…?」と考えてしまったのだが、蓋を開けてみると普通にサバイバルゲームものだった。ごめんなさい。しかも青春と銘打っておきながら青春と呼ばれる時間に身を置いているのが主人公の立花蛍ただ一人という無常さ。もしかして「青春だと思えばそこがいつだって青春だ」という精神論的なアレなのだろうか。しかし大の大人が真剣になって玩具の銃を手にして野山を駆けずり回ってドンパチ撃ち合いをするというのはまさに青春を引きずっている行為なのかもしれない。


正直1話段階ではさほど面白くなく、「中野英明が監督やってるから取り敢えず見続けよう」というモチベーションの低さだったのだが、3話あたりから物語が盛り上がりを見せ、結果的に進んで最後まで視聴してしまった。中野の出崎演出はギャグ方面には滅法強いがそれ以外の場合に用いられるとどうにも浮いて見えるというのが弱みだったが、このアニメでは演出が自然に物語に溶け込んでおり如実な成長を感じられた。様々な場面に柔軟に対応できる演出を武器に、サバイバルゲームという題材の(死の危険がない)緊張感の欠如を上手く補っている。ガンアクションのみに全振りするのではなく、立花蛍の「女だと言い出せない」という内面を主軸に心情描写を掘り下げていたのもプラスに働いていた。最終回の物足りなさや全体的に小さく纏まってしまったことなどの不満はあるが、ここまで出来れば上々だろう。『セーラー服と機関銃』とは全く違う物語だったが、ゲーム中に本気になる立花蛍の姿はヤクザの組長に引けを取らない雄々しさを纏っていた。



城下町のダンデライオン

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ストーリー 9
キャラクター 9
演出 7
作画 6
音楽 7
総合得点 38点
総合評価 B

若者の選挙投票率が著しく低下しているという情報はこの国で暮らしている限り嫌でも耳に入ってくる。「時間がない」という要因のひとつは期日前投票によってほとんど解消されたはずなので、投票率低下の最大の要因はもう「行っても意味がないと思っている」あたりに尽きるのではないか。面倒臭いとか政治よくわかんねえとかそういう理由も込みで。まあ確かに近年は安保法案だとかTPPだとかマイナンバーだとか、説明不十分かつ不透明な案件ばかりが槍玉に挙げられており、これでは興味関心を失ったり政治そのものに不信感を抱いても仕方ない。しかも最近の若者が情報を得るのは専らテレビではなくインターネットだ。インターネットを制する者が若者の支持を得られるという方程式が確立する未来が到来してもおかしくないところまで来てしまった。


さて、政治といえば、友人としてはいけない3大話題「政治・宗教・スポーツ(特に野球サッカー)」はあまりにも有名だろう。意見や支持の相違がそのまま血で血を洗う戦争に直結するからだ。特に政治。今の政治に関わる殺伐とした空気を見れば一目瞭然だが、例えば安保法案を支持する人間は安保法案を批判する人間全てを一括りにして馬鹿だと斬り捨てるし、それは逆もまた然り。中国や韓国の人間全てが日本人に敵対心を持っているわけではないように、左翼や右翼の人間全てが攻撃的というわけでもないのである。明らかに対話ができないような人間も存在するし、対話によってのみ平和を望む人間も存在する。人間が何億も存在するこの世の中においては正解などないのだ。しかしそれでも、今の殺伐とした日本の空気は確実に間違っている。


そんな殺伐とした雰囲気を微塵も感じさせずに「選挙」を常に物語の主軸にしてみせたアニメ、それが『城下町のダンデライオン』である。毎回登場人物の誰か彼かが選挙活動をしており、王様候補が9人もいるのにもかかわらず、支持者が違う有権者同士でもその思想の違いから仲違いしたり血で血を洗う争いに発展するといったことがない。いつだって平和的で、いつだってアットホームな雰囲気に包まれている。もちろんそれは主要キャラ7人が血の繋がった兄妹だからだし、その兄妹たちの周りの人間もみな温厚で人柄の良さを感じさせるからでもある。それでいてバラエティの特番とかでよくある大家族ものとも違う。9人全員が何らかの特殊能力を持っているが(重力制御とか瞬間移動とか)、バトルものに雪崩れ込むこともない。あくまで主軸は選挙なのだ。


正直1話を見た段階ではさほど面白いとも思わず惰性で2話以降を視聴したのだけど、3話目でこの作品の面白さが何なのかを掴めて、それからはもう波に乗るだけだった。7話まで視聴してからもう一度1〜2話を見ると不思議なもので非常に面白く感じてしまった。各キャラクタの個性や為人を理解していると1〜2話でやりたかった、表現したかったことが見えてくる。加えて最終回に関しては(最終回のみに絞るとしたら)今期このアニメが一番良かったと迷いなく言い切れるほどの出来映えだった。大方予想通りの着地点でありながら、その着地に安心感と満足感を得られる。最初から最後までアットホーム、家族愛に貫かれた作品であることは言うまでもないだろうが、そうした無償の愛の中に選挙という政の要素を違和感なく取り込めることに感動してしまった。使い古されたはずのラブ・アンド・ピースはこんなところに根を張っていたのである。



わかば*ガール

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ストーリー 5
キャラクター 5
演出 8
作画 7
音楽 5
総合得点 30点
総合評価 C

きんいろモザイクきんいろモザイクをおれに静脈注射してくれ……



GATE 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり

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ストーリー 4
キャラクター 8
演出 8
作画 8
音楽 9
総合得点 37点
総合評価 B

現段階ではこんな感じです。最終的な評価は2クール目を視聴してから下します。



Classroom☆Crisis

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ストーリー 3
キャラクター 6
演出 8
作画 7
音楽 8
総合得点 32点
総合評価 C

「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きているんだ!」という名台詞過ぎてネタにまでされてしまっている名台詞を知らない人はほとんどいないと思う。『踊る大捜査線』シリーズでお馴染みの織田裕二演じる青島刑事だ。しかし実際に『踊る大捜査線』を見てこの台詞を青島刑事が言っているのを自身の目で確認している人はどれほどいるのだろう。おれは見ていない。ちなみに後に沖田仁美という人物がこの台詞を引用(?)というか意味を変えて用いているのだけど、そちらに関しては申し訳ないが全く知らなかった。そもそも踊る大捜査線シリーズを視聴した記憶がない。1〜2話くらい見たはずなのにその記憶がない。古畑任三郎シリーズは全話覚えているのに、である。余談だが、古畑任三郎シリーズにおいて特別好きな菅原文太のエピソードのラスト10分は今でも登場人物の台詞一言一句を覚えており、一人芝居もできるという謎の特技を持っている。


『Classroom Crisis』には「事件は教室で起きているんじゃない!会社で起きているんだ!」という台詞を贈りたい。クラスルームクライシス。直訳すると「教室の危機」。確かに教室は常に存続の危機と隣り合わせだった。間違っちゃいない。間違っちゃいないが、これを青春群像劇だと思って視聴したおれの期待は見事に裏切られることとなった。まさか丸戸史明が社会派に手を出すとは。『冴えない彼女の育てかた』で変化球に見せかけた直球を放り込んできた丸戸の次の一手が、普通の変化球だとは思わなかった。残念ながらおれは丸戸史明という才能にそっち方面の作品を求めちゃいないのだ。


教室存続の危機でありながらそれを回避するための直接的な行動が出来るのは教師や上司に限られているせいで、いっぱいいたクラスメートたち一人一人の個性が全然見えてこない。見た目や喋り方や役割分担で差別化を図っているだけだ。結局このアニメは瀬良カイトと霧羽ナギサが主人公であり、生徒たちは生徒たちであり部下でしかなかった。瀬良ミズキと白崎イリスも物語の根幹に関わってくるキャラクタだったのだが、いかんせん表舞台に立つのが遅かった。


しかし終盤、ナギサとミズキが半ば勢いで恋愛関係に縺れたり、その間にイリスが入ってきたあたりで『冴えカノ』のほうの丸戸が顔を出してきて、そうそう、そういうのでいいんだよ…と思っていたら終わってしまった。終わってみたら意外と悪くはなかったのだけど(吉野裕行演じる霧羽ユウジが物語のアクセントとして非常に素晴らしいキャラクタで、彼の存在によりこのアニメの評価が2割ほど上がっている)、とにかく様々な要素を詰め込みすぎた結果どれも生煮えになってしまったような勿体無い印象。丸戸史明ならもっと上手く調理できたような気がするんだけど、おれは過去の思い出を美化しすぎているのだろうか…



戦姫絶唱シンフォギアGX

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ストーリー 6
キャラクター 8
演出 9
作画 8
音楽 8
総合得点 39点
総合評価 B


よくカラオケに行くわりにおれは自分が歌うのはさほど好きではない。自分の声が所謂JPOP的な音楽にあまり合わないことも知っているし、おれが知っている/歌える曲が機械に登録されていないことが多くてその度つらくなってしまうからだ。別にマイナーな音楽を意図的に聴いているわけではないし、たまたま気に入った音楽が世間ではさほど知られていないというだけなのに、なぜか大衆から弾かれてしまったような疎外感を覚えてしまう。だからおれは3〜4人でカラオケに行って人の歌を聴くほうが好きなのだ。「なんで金払ってまで人の歌聴かなきゃいけねえんだ」という意見があるけど、おれは逆に「なんで金も払わずに人の歌を聴けると思っているんだ」と考えている音楽業界に優しいタイプの人間なので、金払ってでも友人を誘ってカラオケに行く。だから一人カラオケというものは一度しか経験したことがない。それも忘年会でネタ的な曲を披露するための練習で行っただけなので歌って己の欲望を満たす的な発想がおれにはない。


かつておれはバンドを組んでいたのだけど、その時もおれは絶対にボーカルはやらねえと言い続けて、中学の時は合唱部のエースを引き抜き、大学の時はボーカルやってくれる人を探し出した。別に歌うことが嫌いなわけでもないのだけど、わざわざおれが先陣切って人前に立って歌うこともないだろう、という思いが常にあって、そもそも上手すぎず下手すぎず、声に癖があったり歌い方が面白かったりするわけでもない普通中の普通の歌唱力のこのおれが歌を披露するなんて烏滸がましいという気持ちが先んじてしまう。しかしそれでも友人たちとカラオケに行くのはめちゃくちゃ楽しいので年2〜3回お誘いの連絡をしているというわけだ。


ところでおれは歌いながら何かをする、具体的には未知の生物と戦ったり全速力で駆け抜けたりとか、そういうのをやったことがないのだけど、この『戦姫絶唱シンフォギア』シリーズを視聴して実際にやってみた人はいるのだろうか。シンフォギアシリーズにおける最大の見所といえばやはり各キャラクタ(戦姫)たちが歌いながら戦闘を繰り広げるシーンだろう。アフレコ時に実際に歌っているという逸話も披露された(歌う用のマイクが別にセッティングされているとのこと)。1期から共通しているのはとにかく今時珍しいくらいの熱さが前面に押し出されているという点で、それが逆に新鮮だったのだけど、さすがに3期ともなるとその新鮮さも失われてしまった。だからこの3期では「エンディングの衝撃度」に全精力が注がれている。「???」「!!!」「………」となること請け合いの幕引き。


しかしそれも「どうせまたラスト2分くらいに仕掛けあるんだろ」とすぐ気付いてしまい、またしても鮮度が下がっていく。2期はダークな話を上手く織り交ぜることで視聴者の度肝を抜いてきたが、3期はただ単に視聴者を驚かせようとするラストが多くて後半から胸焼けしてしまった。ウェル博士の存在と、水樹奈々高垣彩陽と肩を並べられるほど水瀬いのりの歌唱力が高いという事実が明らかになったことが救い。響の親父が改心するくだりも何だか雑に見えてしまったし、勢いで押し通して綻びを目立たせないようにしていた1期2期の手法が通用しなくなってきている。というか単純にパワーダウンしている。シンフォギアシリーズもいよいよ止め時なのでは。



下ネタという概念が存在しない退屈な世界

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ストーリー 7
キャラクター 7
演出 8
作画 6
音楽 7
総合得点 35点
総合評価 B

1946年、米国文化人類学者のルース・ベネディクトが日本文化を分析・解明した『菊と刀』を発表した。欧米の人間が自己の良心や罪悪感、すなわち内面の問題を重視する「罪の文化」を持っているのに対し、日本人は他人からの評価や批判、すなわち外面の問題を重視する「恥の文化」だと定義したこの日本文化論は賛否両論を巻き起こした。確かに外人が恥ずかしい恥ずかしいと赤面したり慌てふためく様子はあまり想像できないのだけど、日本人だって良心の呵責に苛まれて押し潰されて死んでいくので一概に罪と恥で二分できないし、そもそも日本人が外面内面ともに外人より脆いという話なのでは、という気がする。


そんな「恥の文化」を有する日本であっても下ネタというものは普通に存在するし、それを用いて笑いを取ったり、挙句にはコミュニケーションの手段にしてしまう場合もある。普通に生きてきて下ネタと一切関わらないということはどんなお嬢様学校であろうが修行僧であろうが不可能だ(もしかしたら修行僧あたりはいけるかもしれないが、この場合の修行僧は健康で文化的な最低限度の生活を送っているものとする)。どうあっても人間は下の世界からは逃れられないのだ。そもそもおれたち人間は男と女が交わってこの世に生を受けるのであって、「新たな生命の誕生」というこの世で最も尊ばれるべき事柄を「汚らわしい」と見ないふりをして遠ざけること自体が異常なのではないだろうか。


『下ネタという概念の存在しない退屈な世界』。字面だけ見ればふざけているのかと思うかもしれないが、作中の登場人物も作者も至って真剣だ。「下ネタという概念がないくせに生殖行為が一切規制されず行われ続けているのはなぜなんだ」という疑問が真っ先に浮かんでしまうがそれは置いておくとして(置いておくとやばいタイプの疑問なのだけど)、主人公の奥間狸吉もヒロインの華城綾女も真剣に下ネタの一切が規制されている社会に疑問を持ち、その社会そのものを是正しようとしている。華城綾女がほとんどギャグのように下ネタを繰り出しているせいで忘れがちだが、この作品の本質は社会風刺だ。「綺麗すぎる社会」を目指そうとしている上の人間とその歪んだ思想を痛烈に皮肉っている。


アニメはかなり意識的に華城綾女に性的な言葉を発させるようにしていたが、性的な言葉を発していたのはほとんど華城綾女一人だった、というのが重要な点だ。早乙女乙女も鬼頭鼓修理もかなり際どいタイプの人間だが、息を吐くように下ネタを繰り出したりはしなかった。アンナ・錦ノ宮は異常性壁の扉を開いてしまっただけだ。性的な世界、エロスの方向に興味を持っていた早乙女乙女、鬼頭鼓修理、アンナ・錦ノ宮とは違い、華城綾女は最初からありとあらゆる下ネタを理解していたし、それは同様に下ネタを理解している奥間狸吉がいる場でしか披露されない。華城綾女の発する下ネタは(ツッコミ役でもある)奥間狸吉がいてこそ成立するものなのだ。逆説的に奥間狸吉がいなければ華城綾女は下ネタを披露できない。披露しても誰も理解できないから意味がないのだ。そういう意味で華城綾女は真のヒロインだったし、唯一華城綾女の暴走を止められる奥間狸吉はやはり主人公に相応しい人間だったのである。


ヒロインが堂々と下ネタを言い放つという点でとにかくインパクトが大きかったアニメだったが、惜しむらくはこれが『監獄学園』『To LOVEるダークネス 2期』と同時期に放送されたことだろう。性的な部分でのベクトルが似ていたうえに単純なインパクトと物語の強度は上記2作のほうが強かった。まあしかし登場人物ほぼ全員が狂っていながら物語が破綻することなく最後まで滞りなく進んでいったのは、これがネタ的なアニメではなくしっかり下ネタというもの、そして性的なものを必要以上に嫌悪する日本社会に真っ向から立ち向かっている作品なのだと証明していると言えるだろう。もしもルース・ベネディクトが今も生きていてこのアニメを、恥じらうことなく下ネタを言い放つ華城綾女を見たとしたらどんなことを思うのか、そんなことを考えてしまう。



Charlotte

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ストーリー 5
キャラクター 8
演出 9
作画 8
音楽 5
総合得点 35点
総合評価 B

AIR』と『CLANNAD』は紛れもなくおれの人生の中で非常に重要な位置に存在する作品あることは間違いない。『AIR』はアニメ放送以降、毎年夏になると11話を視聴して涙で枕を濡らし、冬になると『CLANNAD』のアフターストーリーを見てこれまたおいおいと泣いていたわけである。これらは確かに麻枝准の作るシナリオあってこそだが、おれはそれより京アニが作り出す途轍もなく繊細で情感がありありと伝わってくるアニメーションのほうに惹かれていた(なので原作をやってみてもアニメほどの感動は得られなかった)。だからkeyと京都アニメーションが袂を分かって以降、keyや麻枝准の作品にはあまり興味をそそられなかった。『Angel Beats』にしても『リトルバスターズ』にしてもそうだ。


Angel Beats』は麻枝准らしからぬ稚拙さが非常に目立った。これは間違いなく全13話というアニメの尺を計算していなかったからだろう。正確には「ゲーム展開を念頭に置いており、アニメはその販促という面が強い」というところか。だが、その思惑に反してゲームはアニメ放送終了後も中々発売されなかった。結局発売されたのはアニメ放送終了から5年経った今年の5月という有様である。毎年/毎月、目まぐるしく量産されていくアニメーションに溺れていくおれたちの記憶の中からは『Angel Beats』の存在などとうに抜け落ちてしまっていた。


それに対し『リトルバスターズ』は「尺の不足」という問題に悩まされることはなかった。しかしkey作品史上最も「友情」を重視するこの作品はJ.C.STAFFには荷が重すぎた。おそらく京都アニメーションだったら100%表現できているであろう部分が60〜70%程度しか表現できていない。作画の話をしだすとキリがないが、これに加えて構成もいまいちで、常に何処と無くテンポの悪さを感じてしまい、それが自分の中であまり良い評価を下させない一因となった。あとこれは完全に自分のせいなんですが「恋愛」「友情」とかそういうので心動かされないんですよおれは。唯一「親子愛」というものには弱いので『AIR』『CLANNAD』はビシビシ突き刺さってくるわけですね。すいませんでした。


さて『Charlotte』である。5年ぶりとなる麻枝准原作のオリジナルアニメーション。おれは『Angel Beats』の酷さに衝撃を受け、それから麻枝准に何の期待もしない人間になったので、放送前からこのアニメには特に期待もしていなかったのだが、麻枝准がとあるインタビューで「『Angel Beats』の反省を生かした」と語っていて、「あれもしかして『アニメとゲームのシナリオ構成は全く別物』『全12〜13話という限られた尺の中で起承転結を整えないとダメ』という点にようやく気付いたのでは…?麻枝准完全復活なのでは…?」と俄かに期待の心が芽を出してきたのである。『Angel Beats』は確かに駄作だ。しかしだからといって全てが駄目というわけではなかった。麻枝准お得意のクソ寒いギャグセンスが光る場面がわずかながら存在したし、「結婚してやんよ!」はその突拍子のなさが逆に面白かった。


では、そんな『Angel Beats』の反省を生かし、テレビアニメに順応した麻枝准はいったいどんな作品を生み出したのか、とドキドキしながら臨んだ第1話、この時点では正直かなり好感触だった。麻枝准はよくやった。ちゃんと掴みとしても成立しているし1話内で起承転結整っている。視聴者を惹きつけるには上出来だ。ではこのクオリティがずっと続いたのか。答えはノーだ。


確かに8話までは順調すぎるくらい順調、目立った不満は全くなかった。7話の展開もほとんどギャグとして楽しめたし、8話は終盤に向けての最後の伏線ばら撒き回だなーと集中して視聴できた。しかしこれらの伏線が可愛く見えてしまうほど、9話10話で無数の伏線がさらに張り巡らされる。これ全部回収するのは無理だろう、止めておけ麻枝准、今ならまだ引き返せるぞ…という祈りは残念ながら無に帰すこととなった。11話で話が明後日の方向に飛んで行き、12話で更に新展開という (あっこれ『Angel Beats』で見たわ…) 状態に陥り、「こっからどうするんだ」と不安で6時間睡眠しかできなかった一週間を挟んでの最終話。


結論から言うと最終話、ここ数年のアニメで最もギッチギチに話が詰め込まれた回だったのだが、詰め込みすぎて明らかに容量オーバーしてるし、8〜12話で張りまくった伏線の半分近くが回収されないという有様だった。いや、確かに『Angel Beats』の最終話と比べればマシかもしれない。マシかもしれないがそもそも比較対象が小物すぎる。おれが『Charlotte』に求めていたのは『Angel Beats』超えではない。『AIR』や『CLANNAD』のような完成度の作品だ。そしてそれらを生み出していた頃の麻枝准の輝きだ。やはり高望みはよくなかった。不必要な脱力感に襲われるし、何よりアニメ制作が決定した『Rewrite』にも(麻枝准はシナリオに関わっていないのに)期待が持てなくなってしまった。というかおれは『Rewrite』のことをほとんど知らないのだった。しかしもう調べる余力はない。『Charlotte』は結局おれたちに何を残してくれたのだろう。教えてくれ友利奈緒。



WORKING!!!

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ストーリー 9
キャラクター 9
演出 9
作画 8
音楽 9
総合得点 44点
総合評価 A

年末に放送される最終話「ロード・オブ・ザ・小鳥遊」を見たあとここに感想追記します。今暫くお待ち下さい。



ガッチャマンクラウズ インサイト

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ストーリー 7
キャラクター 5
演出 8
作画 7
音楽 6
総合得点 33点
総合評価 C

おれがインターネットでも現実でも政治的立場を極力明らかにしないのは友人を失うからだ。おれの政治的立場や思想を公開したところで誰も幸せにならないし誰も救われない。おれ自身もだ。だから今の安倍政権についても極力ノーコメントを突き通そうとしているわけだが、まあやはりこうして雑文を垂れ流している以上、隠そうとしてもおれの思想が言葉の端に纏わり付いてしまうことは否定できない。自分の意見を表明するというのはつまりそういうことだ。だから自身の確固たる意見を持たず、空気の流れに身を任せる者こそがもしかしたらこの世で最も強いのかもしれない。


空気の流れに身を任せるのはとても楽なことだ。現実やネットでおすすめされているものに食い付き、批判されているものを同じように批判すればいい。自分の意見、評価軸を持たないということはつまりどんな型にもはまるということだ。しかし同時にそれは「お前は本当に生きているのか?」という問いに答えられない姿勢でもある。人間に生まれたくせにまともに脳味噌を働かせない人間は人間として生まれてくるべきではなかった。おれのように。それはともかく、インターネットの発達により様々な利便性が高まったぶん、「空気に流されること」も容易になってしまった。


ガッチャマンクラウズ インサイト』は前作『ガッチャマンクラウズ』より更に一歩踏み込んで人間の本性を炙り出してくる。政治的な臭さも増してしまったが、それは人間そのものを描き出すために不可欠な代償だった。長らく政権を維持してきた菅山総理を倒しゲルサドラという宇宙人が新たな首相になる、という構図は狙いすぎててアレだったが、最後には概ね満足できるところに着地したので安堵した。『GATE』同様に政治臭漂わせているのに、それがそこまで不快ではないのは、こちらはテーマが一応真実を突いているからだろうか。『GATE』は政治的な描写が本当に雑というか、作者が2chか何かで見て形成した思想をそのまんま提供しているという感じでつらかった。あと一ノ瀬はじめという清涼剤が存在していたのも大きいか。



六花の勇者

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ストーリー 8
キャラクター 7
演出 9
作画 6
音楽 7
総合得点 39点
総合評価 B

クローズド・サークルは好きですか。おれは好きです。間違いなくこれは綾辻行人、あるいは『金田一少年の事件簿』シリーズのせいだと思うのだけど、もしかしたらアガサ・クリスティの作品の中で最初に読んだ『そして誰もいなくなった』の影響もあるのかもしれない。あとは倉知淳の『星降り山荘の殺人』あたりもめちゃくちゃ良かった。評判はそんなに良くないが、辻村深月の『冷たい校舎の時は止まる』も好きだ(新川直司が作画担当したコミカライズ版も素晴らしいので合わせてどうぞ)。クローズド・サークルというのはその状況だけで非日常的な雰囲気を作り出せるし、読者側も推理するぞというモードに入りやすくなる。


六花の勇者』はライトノベルであり土台はファンタジーだが、こと原作1巻に関してはミステリ、それもクローズド・サークルに接近していた。そしてアニメではその1巻の内容だけを扱うことで、よくあるB級ファンタジーとは一線を画す異形の作品が完成した。前期の『山田くんと7人の魔女』が原作11巻分の内容を限界まで詰め込んだのとは対照的だ。もっとも原作がライトノベルと漫画という違いはあるが、それにしたって通常のライトノベル原作アニメは最低でも1クールのアニメで3巻以上の内容は消化する。だが、だからといってアニメ『六花の勇者』が内容スッカスカの省エネ作品なのかと言われれば違う。原作1巻の内容をどこまでも詳しく補足し、かつ戦闘はより丁寧に描いていく。つまり内容の密度を濃くしていったのである。


はっきり言ってこれは賭けだ。アニメ化される部分に絶対の自信が無ければ確実にコケるし原作販促としてのアニメの効力も失われてしまう。それでも『六花の勇者』シリーズで一番面白いのは原作1巻だ、と信じたアニメ制作スタッフの賭けは結果的に見事成功した。おれのように原作1巻を買ってアニメと比較している人間もいることだろう(1巻が非常に良かったがゆえに2巻以降に手を出すのが躊躇われている)。閉ざされた空間で、限られた7人のキャラクタの内面をゆっくりと10話近くかけて描いていく。普通なら途中で中弛みするかやることがなくなってしまう。土台となっているファンタジーの要素が謎解きの要素と交互に訪れる構成がそれを可能にした。


主人公のアドレットがいつどんな時でも「地上最強」と言い張る様子に最初は辟易するが、アドレットが罠に嵌められて「7人目の勇者」だと疑われ他の勇者に命を狙われるようになり、身の潔白を証明するためにひたすら推理を巡らせるあたりから、アドレットの印象が変わってくる。地上最強を自称するのは無謀でも世間知らずでもなく、そう信じ込むことこそが強さに繋がるのだという理念が中盤以降のアドレットを見ていると嫌というほど伝わってくるし、頭脳戦という方面に限っては登場する勇者の中では最強クラスだろう。全キャラクタの個性をはっきりと表現できていたあたりは今期の『城下町のダンデライオン』にも引けを取らない。序盤エンジンかかるのが遅かったことと、最終回の俺たちの戦いは〜エンドを除けばほとんど文句の無い仕上がりだった。



赤髪の白雪姫

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ストーリー 6
キャラクター 7
演出 8
作画 9
音楽 8
総合得点 38点
総合評価 B

思い込み・固定観念というものはなかなか自分の中から取り払えない。カレーは茶色いものだし、たい焼きと言えばきつね色のものだ。しかし近年、いちごベースのピンク色のカレーや、タピオカ粉を用いた白いたい焼きなどが生まれている。それらが商業的な成功を収めたかどうかはともかく、おれたちが生きているこの現実は意外にも易々と固定観念を壊そうとしてくる。食べ物だけでなく、小説や音楽や映画などの文化にもそうした固定観念の破壊、すなわち革命を起こそうとした例が数多く存在する。アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』『オリエント急行の殺人』もミステリというものの固定観念を破壊したし、音楽だと最近はAlcestやDeafheavenなんかが「ブラックメタル=暗い」という固定観念を壊して新たなジャンルを打ち立てようとしている。


固定観念を壊すということはこれまで自分が積み上げてきたものを捨て去る、ということだ。改革・変革は犠牲を伴う。それは今までの歴史が証明している。ルターやカルヴァン宗教改革フランス革命といった世界的な出来事から、小泉内閣による郵政民営化などの日本における改革まで様々だ。それが犠牲を上回るほどの利益や幸福を生み出したのかと問われれば一概には言えないが、そういう事実が厳然と横たわっているということは確かだ。まあ必ずしも「改革=善」というわけではないので、その改革が果たして望まれたものなのか熟考しなければならない。


話を『赤髪の白雪姫』に戻そう。大多数が思う「白雪姫」像は、青と黄色のドレスを身に纏ったディズニーの生み出したものなのではないだろうか。原作ともいえるグリム童話のほうの白雪姫はいまいち思い浮かばない。しかしそれ以上に「白雪姫」と言われて赤い髪の女性を思い浮かべる人間など皆無だろう。「赤髪」と「白雪姫」はとにかくイメージできない。白雪姫といえば黒髪。アニメ『赤髪の白雪姫』はそうした固定観念をことごとく破壊するようなパワーに満ち溢れた作品なのでは、とおれは放送前に期待していたが実際のところはそういうパワーで圧倒するタイプの作品ではなかった。少女漫画原作で舞台は中世ヨーロッパっぽさがある異世界。もう王道中の王道といっていい。そのうえ主人公は平民で相手の男は王子様ときている。身分違いの恋愛。これで役満だ。


ただ主人公が薬剤師の道へ進んでいくあたりは既存の作品と違い、一筋縄ではいかないプロットの片鱗を見て取れるが、そこから先がやっぱり普通の少女漫画原作アニメの範疇を超えられず、結果的に良くも悪くも手堅い作品になっている。アニメ的には第1話の作画がとてつもなく良くて(とりわけラジ王子がゼンや白雪たちに圧倒されて椅子から転げ落ちるシーンの作画の素晴らしさは筆舌に尽くし難い)、この作画がずっと続けばそれだけで全話視聴しても元は取れそうだな…と思っていたが人生そう上手くはいかないらしい。最終回付近になって1話の頃の輝きを多少は取り戻していたが、それでも1話で受けた衝撃を超えられなかった。2期が近いうちに放送されるとのことなので作画がシナリオのどちらかでもう一度衝撃を与えてほしい。



To LOVEる-とらぶる-ダークネス 2nd

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ストーリー 8
キャラクター 10
演出 9
作画 9
音楽 7
総合得点 43点
総合評価 A

世の中にはオリジナリティを出そうと苦心しているものが山程溢れ返る一方で、何をやっても独自性が生まれその結果として唯一無二の存在になってしまうものが存在する。音楽だとRadioheadColdplay、最近ならAnimal CollectiveやAriel Pinkあたりが該当する。日本ではAikoとかBUMP OF CHICKENとか。小説家だとやはり村上春樹か。まあ何にせよ、そういった唯一無二の存在は往々にしてあるジャンルの先駆者の座につくわけだが、ジャンルそのものの寿命を決定付けるのは彼ら自身ではなく彼らのフォロワーの存在だ。シューゲイザーやヴェイパーウェイヴがあっという間に廃れていったのは、フォロワーたちがマイブラやSaint Pepsiの足元にも及ばず短命に終わったからだ。

ラッキースケベ」の語源は別として、この言葉が世に広まったのは間違いなく『To Loveる』シリーズの影響が大きいだろう。『To Loveる』は瞬く間に「ラッキースケベ」の先駆者であり伝道者として敬われる存在にまで上り詰めた。その座を脅かす作品も現れるには現れたが、『To Loveる』ほど長く生き長らえることはできなかった。2006年に産声を上げた『To Loveる』シリーズは間も無く10周年を迎えようとしている。これはこの手の作品では奇跡的といっていい。バトル・アクションものならば敵のインフレなどを無視してしまえばいくらでも薄く長く引き延ばすことはできる。しかしラブコメだとそうもいかない。今だとニセコイが次々と登場人物を増やして無理やり延命させているが、あれも時間の問題だろう。


To Loveる』シリーズ、とりわけ「ダークネス」シリーズが素晴らしいのはバトル・アクションといった要素とエロ・ラブコメの要素をある地点では混ぜ合わせ、ある地点では完全に分離させるといったやり方でマンネリを回避している点だ。『そらのおとしもの』のように完全に両者を分離することで傑作になった作品も存在するが、これもまた非常に稀なケースだ。大抵は両者の乖離が酷過ぎてつまらないものが出来上がってしまう。最近だと『ハイスクールD×D』あたりが両者の完全なる融合を目指そうとしていた節があるが、完全な成功とは言えなかった。こうした作品群を見てみると、いかに『To Loveる ダークネス』が上手く両要素を取り扱っていたかがわかる。


そして三歩進むたびにラッキースケベを発動させてしまうような結城リトという主人公が、およそほとんどの視聴者から嫌われることのないようなキャラクタになっているのは他のヒロインたちの圧倒的存在感とリト演じる渡辺明乃の手腕が大きい。そもそも「ハーレム計画」というコンセプトの時点で相当イカれてるのに、それを読者・視聴者に「まあ、そうなるな」と納得させてしまうのは、偏に「このヒロインたちの中から一人を選ぶのは不可能」と思わせてしまう状況が出来上がっているからだ。これだけたくさんのヒロインがひしめき合っている作品なのに、明確な「負けヒロイン」が存在しない。強いて言えば当初はほとんど主役に近かったララがダークネスシリーズではやや空気化しているのだが、この『To Loveる ダークネス2nd』の最終回ではきっちりとヒロインの面目躍如たる活躍を果たしている。


近年、たくさんのヒロインを作中に登場させては雑に消費していく、ファストフード的なラブコメを展開する作品が多い中、『To Loveる』は全てのヒロインを大切に扱う良心的な作品として一層の輝きを放っている。何もかも信じられなくなった夜には『To Loveる』を視聴しよう。救いの手は平等に差し伸べられている。



ミリオンドール

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ストーリー 5
キャラクター 4
演出 4
作画 3
音楽 7
総合得点 23点
総合評価 E

地方・地下アイドルの実態をオブラートに包むことなく映し出したのは評価すべき試みだったのだけど、5分という尺のせいで肝心の話自体を面白く感じる前に終わってしまった。



実は私は

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ストーリー 7
キャラクター 8
演出 6
作画 7
音楽 3
総合得点 31点
総合評価 C

人間生きてりゃ大なり小なり1つや2つの隠し事は出てくる。それは普通のことだ。仕方がない。仕方がないと開き直るか、罪悪感を抱えて生きていくかはそれぞれだ。アガサ・クリスティカリブ海の秘密(原題"A Caribbean Mystery")』においてミス・マープルは「隠し事のある人にとっては、会話はいつだって危険なもの」と話している。いつだって秘密が漏れるのは他人との会話だ。ところが創作においては会話よりも「他者の特定の行動を目撃することで秘密が明るみになる」というパターンが非常に多い。『実は私は』もこの例に漏れず、ヒロインの白神葉子が誰もいない教室の中で翼を生やす瞬間を、主人公の黒峰朝陽が目撃してしまったことから物語が始まる。


作品全体を通して感じたのはとにかく古典的なシナリオの妙。キャラクタの設定はわりと新しいというか今風なのに、肝心の物語が(これ90年代後半のラブコメかよ…)というくらい古風。しかし別に古臭いというわけでもなく、それが何故か上手いこと噛み合っているのがこの作品の最も評価されるべき部分だろう。テンションが基本的に高めで、『To LOVEる』あたりだとエロの切り込み隊長のポジションに収まっていそうな「痴女」こと紫々戸獅穂に至ってはギャグ漫画のお色気要員に留まっている。


こういうあたりに妙な潔癖さというか、生真面目さみたいなものを感じてしまい、もっと人間の欲望や感情を剥き出しにした作品が見たいおれとしては一歩引いてしまうのだけど、それでも白神葉子や藍澤渚あたりのヒロインは視聴者を惹きつけるには充分な力を持っていた。ただ、ヒロインたちが回を重ねるごとに魅力を増していくのに対し、主人公の黒峰朝陽が(表向きには成長を描いてはいるが)同じ地点に留まっているのは勿体無かった。まあこれはこの手のラブコメ作品の宿命なので多少目は瞑るとしても、やはりおれは黒峰朝陽のことを最後までどうにも好きになれなかった。


私的高ポイントキャラであるところの眼鏡女子こと朱美みかんの魅力もいまひとつ伝わってこなかったのも残念だった。たぶんこれ原作読んだらだいぶイメージが変わるキャラクタだと思うので近いうちに買ってきます。このように何だかんだで原作販促にはなっているアニメだし概ね楽しく見れたのだけど、あとひとつ何か足りないような、そんなモヤモヤが残ってしまうアニメでもあった。難しい。



のんのんびより りぴーと

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ストーリー 9
キャラクター 9
演出 10
作画 9
音楽 9
総合得点 46点
総合評価 S

「にゃんぱすー」は古来より伝わる咒の言葉だ。そこには霊魂が宿り、用いた者の穢れを取り除く。しかし悪意をもって用いた者は己の穢れに蝕まれ、二度と這い上がれない底無しの沼に沈んでゆく。我々が「にゃんぱすー」を用いる時、「にゃんぱすー」もまた我々を用いているのだ。かつて「にゃんぱすー」の力をもって国を治めようとした者、富や名誉を得ようとした者、己の欲望を満たそうとした者、様々な人間がいたが、皆「にゃんぱすー」の有する膨大なエネルギーを制御しきれずに命を落とした。全世界でごく限られた者だけが、穢れに蝕まれることも、命を落とすこともなく「にゃんぱすー」の使い手として、現代に至るまで脈々と「にゃんぱすー」を受け継いできた。こうしている今も尚、私利私欲のために「にゃんぱすー」を用いた者が、現実世界に帰れずに何処かで彷徨い息絶えるのである。


「にゃんぱすー」の使い手こと宮内れんげは感情をあまり表には出さない。それが喜怒哀楽を表面化してしまうと忽ち「にゃんぱすー」に飲み込まれてしまうからなのかはともかく、小学一年生とは思えないくらい落ち着き払っているし、時に誰もが思いつかないような大胆な発想や感性で越谷姉妹や一条蛍を翻弄する。かと思えば年齢に見合った行動や言動で煙に巻くこともある。全くもって掴み所のない人物なのにも関わらず、他の登場人物も視聴者その底知れない人間性に引かれていく。舞台がド田舎で登場人物はおろか学校の生徒も数人に限られているという状況も影響してはいるが、やはりそれ以上の抗えない生まれながらの魅力というものが宮内れんげには備わっている。それは第8話「給食当番をした」における幼児時代の宮内れんげを見れば明らかだ。


ところでこのアニメ、『のんのんびより』第2期でありながら「りぴーと」という不思議な体裁をとっている。すなわち、時間の進行がほとんど窺えないということだ。それどころか上述の8話のように、1期の時点よりも過去のエピソードを扱っていることが多々ある。これは珍しいパターンだ。通常「続編」あるいは「2期」というものは、1期の「その後」を描くからだ。「1期」が人気を集め、その続きが見たいと願う人々の思いが結実して叶うのが続編制作だ。日常系という括りのアニメ作品においてもこれは例外ではない。「回想」という形式をとることはあっても、基本的には時を止めたり巻き戻したりはしない。それは前クールの『ハロー!!きんいろモザイク』を見ていれば分かるだろう。しかし時間の不可逆性を嘲笑うかのように、『のんのんびより りぴーと』は過去へと戻ってゆく。この事実は「日常系は時間の経過とともに終わってしまう」という固定観念が刷り込まれた我々に希望を与えた。


つまり、日常系という括りの作品であろうが、必ずしも「時間を進める」必要はないということだ。そして我々は既にこうした形式をとっているアニメ、それも日本人なら誰もが知っているような国民的アニメを見てきたはずだ。


そう、それが『サザエさん』である。この『のんのんびより りぴーと』は深夜アニメにおける『サザエさん』を目指そうとしているのではないか、というのがこの『のんのんびより りぴーと』を見ておれが得た結論だ。過去に戻ることも、現在に留まることも、時に未来へと進むことも自由自在に行える、そんな奔放な作品なのに誰からも愛される。『のんのんびより』はまさしく『サザエさん』の系譜を受け継ごうとしている。それほどの器が果たして『のんのんびより』にあるかどうか、そしてそんな称号を背負えるかどうかは今の段階ではまだ何とも言えない。もしかしたら原作14〜15巻であっさりと完結してしまい、それに伴ってアニメも続編が制作されないかもしれない。もしくは『サザエさん』のように、作者が亡くなったあともアニメだけが延々と続いているのかもしれない。そのとき、日本人の通常の挨拶として「にゃんぱすー」が用いられているのかもしれない。



オーバーロード

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ストーリー 9
キャラクター 9
演出 9
作画 9
音楽 7
総合得点 43点
総合評価 A

ソードアート・オンライン』と『魔法科高校の劣等生』によっておれたちはライトノベル原作の俺TUEEEEアニメを充分過ぎるほど摂取した。「俺TUEEEE」はその名の通り主人公が強くて特に努力しなくても大概の敵は倒せてしまう、そういう認識でも問題はない。実際のところ『ソードアート・オンライン』はアニメ1期終盤あたりから「俺TUEEEE」の看板を降ろした一方で、『魔法科高校の劣等生』は未だにひたすらお兄さまが強い。あまりのお兄さまの強さにさすがのおれも匙を投げて原作を途中で放り投げてしまった。「俺」は強すぎても面白くないのだ。あるいは強すぎるがゆえの問題点を炙り出してくれれば既存の作品とは違った面白さが浮かび上がってくるのかもしれない。


オーバーロード』はまさしく前述した「俺TUEEEE」に属する作品であり、かつ「強すぎるがゆえの問題点」を浮き彫りにした、既存の「俺TUEEEE」とは一線を画す作品だ。主人公のアインズ・ウール・ゴウンは強さの程度で言えば魔法科高校のお兄さまを上回るだろう。そもそも不死という時点で「どうすりゃ負けるんだよ」感が漂っているが、そこはフィクション、しっかりアニメ終盤でアインズが敗北しそうになる場面が訪れるので安心(?)してほしい。それでも「どうせ勝つんだろうな」と思ってしまうし緊張感とかそんなにないので、「俺TUEEEE」の範疇からは抜け出せていない。が、しかしこの作品の本質はそこにはない。この作品の主人公であるアインズは孤高の戦士ではなく、アルベドやシャルティアといった数多くの強力なNPCを従えている、王に近い存在だということが重要なのだ。


アインズが命令すればアルベドたちはそれがどんな内容であれ従う。オンラインゲームの世界に閉じ込められ、かつそのオンラインゲームとは別の世界に飛ばされたアインズ本人が所謂「強くてニューゲーム」状態なのに加えて最高クラスの戦力を揃えている。この時点で異世界に転移したことによる不安など生まれるはずもなく、むしろ転移した先の異世界すらも征服しようとするかのようなアインズの気概が窺える。「異世界に転移したから弱体化」なのではなく「異世界に転移したからより最強の座を確固たるものにした」というあたりはまあ「俺TUEEEE」の宿命なのだろう。仕方ないと割り切るしかない。それでもこの設定は今までになかったものでも新鮮だ。『ログ・ホライズン』とも違う。


もう既に辞めてしまったオンラインゲーマーたちが残していったNPCが何らかの敵襲を受けてアインズに牙を剥く、という展開がラストに待ち受けていたことを考えると、今後もアインズの配下のNPCが反旗を翻す可能性はあるのだろう。しかし残念ながらおれが見たかったのはそういうベクトルの話ではない。それは『ソードアート・オンライン』でも『魔法科高校の劣等生』でも散々やってきたことだ。そんな既存のレールをなぞってほしくはなかった。主人公のアインズが力でねじ伏せられる危機に直面するのではなく、どうしようもない異世界のルールに立ち向かうといったシナリオを見たかった。それ以外は概ね満足しています。



それが声優!

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ストーリー 5
キャラクター 6
演出 8
作画 8
音楽 7
総合得点 34点
総合評価 C

芸能。それは元々演劇や音楽など人間自らが表現するものを指していた言葉だったが、技術の進歩に伴って指し示す意味が拡大していった。「芸能人」という言葉はもはや「テレビタレント」と同じ意味合いで捉えられているのではないだろうか。まあ時代の移り変わりと共に用いられる言葉の形式や意味が変化していくのは自然なことだ。いくら年寄りが若者の使う言葉をだらしないと嘆こうとも、現実には若者言葉は時代に即したものとして適切に処理されていく。広辞苑には次々と新たな言葉が刻まれてゆく。そうやって時代は進んでいくのだ。言語の停滞は社会を緩やかな死へと導く。例えば今この日本において古語だけで会話している人間なんて存在しないでしょう。そういうことです。


さて、役者が芸能人に含まれるなら当然声優だって芸能人に含まれる。つまり芸能界というこの世でも最上級の闇の中に身を置いている、ということだ。芸能界が闇に包まれているからといって必ずしも声優の世界がそうだとは限らないだろ、と思う人もいるかもしれない。しかしアニメ『それが声優!』ではそんな考えをあっさりと打ち砕いてしまう。畑健二郎のキャラデザやどこかふわふわとした雰囲気、そしてOP・EDの陽気さに隠れてはいるが、この作品の本質は紛れもなく声優界の闇だ。この闇をいかにしてオブラートに包んで表現するか、ということを原作者であり声優(すなわち当事者でもある)の浅野真澄が考え抜いている様子が嫌というほど伝わってくる。時には露悪的に、恐らく自身が体験したであろうことを赤裸々に主人公たちに仮託して暗に批判している。


放送前はこのアニメを傑作『SHIROBAKO』の系譜を継ぐ作品だと思っていた。いや、確かに「特定の職業の厳しさとやりがいを描く」という点においては共通している。しかし『SHIROBAKO』はところどころに救済の手、希望の光を用意していたのに対し、『それが声優!』はとにかく闇が深い。主人公である一ノ瀬双葉、萌咲いちご、小花鈴が事態を深刻に捉えている様子があまり描かれないことや、コミカルな表現などで覆い隠されていはいるものの、よくよく考えてみると基本的人権さえ尊重されていないのでは、と思わせられる部分が数多く出てくる。『SHIROBAKO』のやりがいはアニメ制作というものを通じて様々な人と繋がること、そうして出来上がったアニメを視聴することの喜びなどだったが、『それが声優!』のやりがいはいまいち伝わってこない。「声優になることが夢だった」という常套句でぼやかされている。「なぜ声優になりたいのか」「つらい思いをしてまで声優を続ける意味はあるのか」。そこらへんの掘り下げがほしかった。というかこうした掘り下げがないと単純に「声優業界やばいですよ‼︎!」と宣伝しただけになってしまう。


そんな『To LOVEる ダークネス』よりよっぽどダークネスだったこのアニメにおける収穫は様々な声優が「本人役」で劇中に出演したことだろう。特に第8話において、普段はナレーターとして活動している真地勇志氏が出てきたのにはさすがに驚いた。そしてそれに触発されるかのように、ナレーションにおいて一ノ瀬双葉の本来の力が発揮される。アニメを見ていると錯覚してしまうのだが、これは双葉の中の人である高橋李依の実力の賜物だ。しかしこれほど幅広い演技が出来るとは思っていなかった。もう少し地声に特徴が出て役に恵まれれば沢城みゆきコースに乗れるのではないだろうか。少なくとも近年の若手声優の中では飛び抜けて上手いということがこの8話のナレーションパートだけで分かる。


とにかく負の側面が強過ぎてあまり冷静に見られないタイプのアニメだったが、おれが拾えていないだけで良い部分はそれなりにあるのだろう。ただ、このアニメに関してはあまり続編を見たくない、というより一ノ瀬双葉たちの「その後」を知りたくないのである。願わくば1〜2%程度のチャンスを掴みとって人気声優の座に上り詰めてほしい。



モンスター娘のいる日常

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ストーリー 8
キャラクター 10
演出 10
作画 10
音楽 8
総合得点 46点
総合評価 S

モンスター。それはRPGにおいては倒すべき敵であり、こちらに心を開くどころかそもそも心を持っているのか怪しい連中ばかりだった。『ポケットモンスター』においては、そんなモンスターをゲットして味方に加え、育成して強くするというシステムが人気を博し、日本が世界に誇るゲームタイトルの一つとなった。しかしモンスターはモンスター。ペット的な愛着を沸かせるポケモンではあったが、人間と対等な場所に上り詰めるのは(ミュウツーとかルージュラとか人型のポケモンはいるが)難しかった。ところがゼロ年代以降、「擬人化」が流行し始めてから、モンスター的な造形のキャラクタが人間と対等な場所に上り詰め、所謂「萌え」という感情を超えた恋愛感情を見出す者まで現れた(一応それ以前にもそういう人間は存在していたわけだが、少数のため確認できなかった)。


そうした流れを確実に汲みつつ、昭和のコメディのようなノリやテンション、お色気要素などをふんだんに取り入れ、さらには現代的なパロディも随時仕込んでいく。アニメ『モンスター娘のいる日常』は若手監督筆頭株の吉原達也の手腕が遺憾なく発揮されている傑作だ(と予め言っておく)。いつもは中野英明と組んで暴れ回っているのだが、今回中野は『青春×機関銃』の監督業で忙しいらしくコンテや演出に参加してはいない。しかしその代わり、ふでやすかずゆきという魔物と組んだことで純粋な狂気が生まれた。それでいて中野より昭和臭が薄いので現在進行形のアニメとしてのポピュラーさを持ち合わせている。ふでやすかずゆきは某女児向けアニメの脚本などを経験したためか、原作自体が全く小難しいものではないからか、とにかく分かりやすいくらいにブッ飛んでいる。


シナリオは「他種族間交流法が制定された日本で、主人公の来留主公人が様々な他種族の女の子となんやかんやする」という最低限の骨組みだけがあって、あとはもうひたすらやりたい放題やっているという感じなので、こちらも他種族同士の共生は可能なのかとか、種族の違い=人種の違いで現実の黒人差別とかの問題を示唆しているのかとか、そういう考えを一切持つことなく気楽に見られる。政治的背景とか主張とか全くない、モンスター関連の設定を除けば本当に純粋なラブコメを地で行く作品なので、その点は安心できる。いわゆるモンスター娘がホームステイしてくる過程やドタバタ劇はある程度パターン化されるものの、各々のキャラクタの個性をはっきり提示することでマンネリを回避している。


そして特筆すべきは作画方面の素晴らしさだ。とりわけ最終回は最初から最後まで作見のオンパレードである。パピが部屋の中を飛び回り、窓を突き破ってからは感嘆の声を上げることすら出来なかった。動きが激しい部分だけでなく、後半の買い物のシークエンスもコメディ成分多めながらとにかく作画の良さが目立つ(セントレアのリアクション芸のパートめちゃくちゃ良かった)。吉原達也のコンテ演出が爆発した文句無しの最終回だった。


あとキャスティングが見事に上手くハマっていたのも良かった。ここらへんは原作読んでるから+αされる評価なのかもしれないが、雨宮天や小澤亜李は新境地を開拓し、進撃の巨人ガルパンで爪痕を残していたものの中々メインキャラに抜擢されなかった相川奈都姫や中村桜はこのアニメで才能を開花させ、主役級をいくつかこなしてもその器用さゆえにいまいち印象に残らなかった山崎はるかはここでようやく記憶に残る役を演じてみせた。新人の野村真悠華も大健闘している。そして数々の主役をこなしハーレムアニメにも滅法強い間島淳司が中心に座している。脇を固めるMONの面々や、EDでその狂気を余すことなく披露している小林ゆうも心強い。キャスティングで死んでいったアニメも数多く見てきたので、こういう成功例を見るとおれが見てきた作品たちが供養されていくようで嬉しく思う。この世にはモン娘がいるから大丈夫だ。どうか安らかに成仏してほしい。



ビキニ・ウォリアーズ

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ストーリー 8
キャラクター 9
演出 9
作画 8
音楽 6
総合得点 40点
総合評価 A

今期のてーきゅう5期をも凌駕する恐ろしいクオリティのショートアニメだった。ゲームのネタをベースにしながら様々なネタと謎のエロスを繰り広げる。よくもまあ5分も満たないアニメにこれほど詰め込んだものだと感心してしまった。まじで2期やってくれ。



洲崎西 THE ANIMATION

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ストーリー 4
キャラクター 7
演出 5
作画 5
音楽 7
総合得点 28点
総合評価 D

元ネタのラジオが強すぎたのがいけない。



空戦魔導士候補生の教官

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ストーリー 5
キャラクター 5
演出 4
作画 3
音楽 9
総合得点 26点
総合評価 D

教官。その響きには忌むべき思い出しか存在しない。自動車学校とかいう地獄の檻の中でおれは教官と呼ばれる魔物に精神的苦痛を与えられ、その結果自動車学校の教官は全員クズという偏見を植え付けられた。そもそもおれは「自動車に轢き逃げされた過去があるのでハンドル握るのですら緊張するしとにかく慎重に運転します」と予め言っているのに「君はなんなんだ!!!」と叫ぶやつが多くて、技能教習が終わるたびに教官ブロック制度(受付に教官の名前を言って「こいつに教わりたくねえ」と言えば二度と顔を見ずに済む制度)を利用していたので、教習の半分が終わる頃にはおれの担当教官は2人に絞られていたのだが(そのうちの1人が、おれが試験合格して卒業する時に教習所の玄関で「おめでとう、頑張ったな」と言って握手してくれたので前述の教官への偏見は薄らぎました)。


教官に限らず教師とかモノを教える立場で変に暑苦しかったりテンション高い人間がおれは苦手で仕方ないので、世に溢れる教師者のドラマや映画が苦手なのだけど、『GTO』とか『女王の教室』とか『鈴木先生』とかは好きだったりする。『ごくせん』はほぼ惰性で見続けていた。おれは学生時代全くと言っていいほど教師運に恵まれなかったので、凄く良い教師が主役のフィクションを見ていると少しばかり虚しさを感じてしまう。いや、もしかしたらおれが教師にまるで好かれないタイプの駄目な人間だったのかもしれない。そもそもおれがこれまでの人生で出会った中で本当に尊敬できる人間が三人しかいないという時点で推して知るべしというところである。


『空戦魔導士候補生の教官』の主人公であるカナタ・エイジもまた、およそ生徒たちからの尊敬を集めるような教官ではない。それどころかある事情から「裏切り者」と陰で呼ばれ煙たがられる始末である。そんなカナタが新たに任されたのが、ミソラ・ホイットテール、レクティ・アイゼナッハ、リコ・フラメルの所属するE601小隊だ。正直アニメを観た限りではなぜカナタが裏切り者と呼ばれているかよく分からなかったし、上述の隊員三人にも然程魅力を感じなかった。おまけに作画が終始不安定ときている。明らかに稲垣隆行監督が意図したギャグ的なものではないその作画の雑さ、構成の杜撰さがとにかく目立って仕方なかった。今年放送された『聖剣使いの禁呪詠唱』の成功により「稲垣隆行はもしかしたらダメライトノベル再生請負人になれるかもしれない」と期待していたが、やはり根本的にダメなライトノベル原作はどう頑張っても再生不能らしい。


まあ結果的に11話の狙っているとしか思えないしょぼさに腹捩れるくらい笑わせてもらったのでプラマイゼロという感じだったりする。結果的にこのアニメで一番好きになったのは種田梨沙演じるユーリ・フロストルという主人公のライバル/ヒロインに見せかけた完全なるギャグ要員のキャラクタだったし、やはりおれはこのアニメにとことんまで笑いを追求してほしかったのだ。稲垣監督作『聖剣使いの禁呪詠唱』がそうであったように。la la larksのED曲が相変わらず素晴らしかったのも収穫のひとつだった。野水伊織のOP曲は笑えるやつだったのが良かった。そんなところです。



干物妹!うまるちゃん

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ストーリー 9
キャラクター 10
演出 10
作画 8
音楽 8
総合得点 45点
総合評価 A

裏表のない人間なんて果たしてこの世に存在するのだろうか。「絢辻さんは裏表のない素敵な人です!!」という言葉が逆説的に絢辻さんには裏表があると示していたことは記憶に新しいが(記憶に新しいとか言っておいてよく考えたらアニメが放送されていたのはなんと五年も前のことだった。死にたい)、どんな人間であっても場所や人間によってペルソナを使い分けるのではないだろうか。裏表のように二つと言わず五〜六枚持ち運んでいる人もいるだろう。そもそも日本には敬語というものがあるので、社会に出れば否が応でも使い分けせざるを得ない。好きでもねえ上司に頭を下げ、仕事のためと割り切って心を殺さなければ生きていけない。そういう社会になってしまった。


「うまるちゃん」こと土間埋(名前が凄すぎる、両親は一体何を思って最愛の娘にこんな名前をつけたのだろう)もまた、余所行きの顔ととても親しい者にしか見せない顔、二つのペルソナを使い分けている。後者は兄である土間大平やクラスメートの本場切絵、その兄の猛くらいにしか見せない顔だ。それは干物妹と呼ばれる二頭身の姿で、およそ人間のようには見えないし声も変わってしまうのだが、他の登場人物もおれたち視聴者も当たり前のように「これは土間埋だ」と認識している。よくよく考えれば恐ろしいことなのだが、全てはフィクションという渦の中に飲み込まれていく。


しかしそんなことはどうでもよいのだ。土間家の環境とか人間関係の謎さとか切絵は社会でやっていけるのかとか、そういうことはどうだっていい。おれたちはただ「U.M.R! U.M.R! UMAぢゃないよ! う・ま・る!」と言ってのける土間うまるをマスコットキャラクタのように受け入れればいいし、海老名ちゃんから溢れ出る母性に身を任せてもいい。おれのような社畜なら土間大平の置かれている環境に深く感情移入もできる(その社畜度合いが色濃く表現されないように「ぼんば」こと本場猛がいるわけだが)。非常に多角的に楽しめるアニメであることは間違いない。


主要女性キャラ四人(土間埋、海老名菜々、本場切絵、橘・シルフィンフォード)が全員とても個性的で、彼女たちのやり取りを見ているだけでも面白い。本当によく考えられたキャラ造形だ。土間大平がうまるに対して異常に過保護なのも、最終回においてぼんばが実の妹である切絵の変装(?)を全く見破れなかったのも、「そういう人間たちなんだから仕方ない」と視聴者に思わせてくれるし、そう思わせてくれた時点でフィクションとしては大勝利だ。フィクションはおれたちに合法的に夢を見させてくれるからこそ今日まで迫害されることなく脈々と生き続けてきた。だから、おれが時偶うまるよりも海老名ちゃんに惹かれてしまったこともまた夢を見せてもらった結果であり仕方ないとしか言いようがないのだ。赦してくれ。



がっこうぐらし!

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ストーリー 7
キャラクター 8
演出 9
作画 7
音楽 8
総合得点 39点
総合評価 B

オランダのユトレヒトという都市でベーシック・インカムが2016年1月から導入されると発表されたことは記憶に新しい。ベーシック・インカムとは全ての人間に生活に必要な最低限の所得を給付する政策だ。「自分の時間を売って生活するための金を手に入れる」というスタンスで労働に従事している人間にとっては本当に最高としか言えない政策なのだけど、これを施行するとみんな働かないんじゃないのという懸念もあって賛否分かれている。しかし労働そのものに喜びを見出している人間もいるわけで、ここ日本のような低賃金で働かされる労働者という名の奴隷たちが快適に暮らせる社会の基盤を固めている国でなければわりと上手くいくのではないかと思う。


「働かなくていい」のではなく「自分の時間を売ってまでやりたくもないことをやらされる必要が無くなる」と考えれば幸福度が増す。おれだって労働を憎んでいるわけではない。おれのやりたいことが恐らく現状ほとんど金にならないから自分の時間を切り売りして特別やりたくもないことをやっている、というだけの話だ。金銭面の保障があるならおれはいつだって今の仕事を辞めてやりたいことをやる。労働全てが悪なのではない。「好き嫌いに関わらず労働しなければ生きていけない(労働しても生きていけない場合もあるが)」という社会構造が悪なのだ。心の拠り所だったギリシャ財政破綻して「労働意欲が少ないからだ!!!」と叩かれていることがとにかく悲しくてならない今だからこそ、ベーシックインカムが成功を収めて世界中で施行されることを願う。


前置きが長くなったが本題は『がっこうぐらし!』である。このアニメから伝わってくるのは、スタッフが「どんな状況においても日常系という形式は成立するのか試している」ということだ。宛らベーシックインカムユトレヒトでテスト導入するかのごとく、スタッフは『がっこうぐらし!』という作品で日常系の限界を探ろうとしていたのではないか。ほぼ全ての人間が死んでゾンビになっても、そのゾンビが街を彷徨いていて学校から一歩も出られなくても、そして常に死の危険と隣り合わせであろうとも、「日常系」という3.11の震災でさえ揺るがなかった強固な夢の世界は成立し得るのか。答えはイエスでもありノーでもあった。ケースバイケース。物語の根幹であるパンデミックを忘却させるわけにもいかず、だからといって常に緊張感を漂わせれば日常系は崩壊する。なので中途半端にパンデミックに関する諸々の記憶を封印した丈槍由紀が主人公になる。日常系を成立させるには「パンデミックを経験し、尚且つそうした出来事が何もかも無かったかのように振る舞う」人間が必要だったのだ。


もちろん、由紀を見守る恵飛須沢胡桃、若狭悠里、そして後に合流する直樹美紀の3人はパンデミックに関する記憶を失ってはおらず、現状自分たちがおかれている状況を認識していながら、由紀を守るための策として、あるいは自分たちも正気を保っているためのある種の防衛本能として、由紀の話や行動に合わせて「学園生活部」の一員として学校の中で生活している。常に学校の周りに沢山のゾンビがいるうえに学校の中にも(少数のようだが)ゾンビがいて、何かの拍子にゾンビたちが由紀たちの生活区域内に侵入してくるかもしれないという危険と隣り合わせの中、学園生活部はまるでパンデミック以前の平穏な学校生活を取り戻すかのように、あるいは死と隣り合わせの緊張感から解放されるために、様々な学校行事を行っていく。もちろん、由紀だけは平穏な学校生活を今尚送れていると信じたままだ。


だから、この作品における「日常系」が崩壊するのは、由紀が自らのおかれている状況に気付いた時だ。もちろん外的要因として図書館でゾンビに襲われかけた時や美紀を助けた際の「遠足」などもあるが、基本的に学園生活部の行動範囲内にゾンビはほとんど現れない。初めから現れない場所を決めてバリケードを作ったのか、胡桃がスコップでゾンビたちを薙ぎ倒して生活区域を確保したのかは定かではないが。由紀は何気ない会話やふとした行動から封じ込めていたパンデミックに関する記憶を断片的に呼び起こしてしまうことがある。そうなった時に他の3人が由紀を守ることで日常の崩壊を食い止める。なので行動範囲は最小限に限られる。今までの「日常系」という作品の中でも5本の指に入るくらい行動範囲が狭いのではないか。だからこそ生まれるリアリティや日常というものの尊さがあるのだが、いかんせん「遠足」が突拍子もないうえに派手すぎた。あとはまるで「入れろ」と上から圧力がかけられているかのような唐突な水着回。いちおう「日常」を守ってはいるものの、いつゾンビが襲ってきてもおかしくない状況で学園生活部全員が服を脱いで無防備な状態になるというのは、これまで積み上げてきたパンデミックに関する諸々の緊張感を雲散霧消させてしまう悪手だった。これらが無ければわりと手放しでこのアニメのことを高評価していたのかもしれない。「めぐねぇ」こと佐倉慈の真実が明らかになる6話がとても良かっただけに勿体ない。



だんちがい

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ストーリー 5
キャラクター 7
演出 6
作画 6
音楽 5
総合得点 29点
総合評価 D

団地妻は出てこなかった。



監獄学園

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ストーリー 10
キャラクター 10
演出 10
作画 9
音楽 8
総合得点 47点
総合評価 SS

「低俗」。下品で俗っぽいこと。それらはこの平成の世の中において教育・倫理的な問題を指摘され徐々に排除されていった。しかしいつだって大衆は下品で俗っぽいことを求めている。ワイドショーなどの芸能ニュースがその最たる例だろう。あれほど下品で俗っぽいものはないのだが、それはテーマの一つとして番組プログラムの中に組み込まれ、それを誰も低俗だと指摘しない。誰某と誰某が付き合っているだの別れただの、おれたちの生活に1mmたりとも関係のない情報が湯水の如く流され、その濁流に飲み込まれていく。インターネットが発達した今もそれは変わらない。愚劣なサイトが劣悪な情報を垂れ流すという構図に変わっただけだ。そしてそれを劣悪だと認識できない人間が増えてしまった。


『監獄学園』の原作を読んだことのある人間なら、この作品に対して1mmたりとも「上品」という感想を抱くことはないだろう。「低俗」の定義が冒頭で述べたものであるとするなら、この作品ほど低俗な作品はない。しかし必ずしも「低俗=悪」の図式は成り立たない。『監獄学園』に限って言えば低俗という言葉は褒め言葉にもなり得る。やっていることが常に下らないからこそ常に面白い。よくもまあ毎回毎回こんなしょうもないことを思い付くなと感心を通り越して感動してしまう。キャラクタ同士の一見すると物凄く馬鹿に見えるが実はめちゃくちゃ高度に頭脳を働かせている会話、エロスを醸し出すサービスシーンに見えて実はただのギャグに昇華されている副会長の存在。


『監獄学園』がもっとも優れている点は各キャラクタの圧倒的な個性の強さだろう。「こいつは〇〇(他作品名)の〇〇(人物名)に似ている」という登場人物が誰一人として存在しない。みなここで初めて出会う存在だ。アニメでもその点がしっかり抑えられており、やはり水島努は中堅どころの監督の中では頭5つくらい抜き出ているのだと改めて認識させられる。アニメ『監獄学園』は間違いなく水島努でなければ成功させられなかった。『イカ娘』『アザゼルさん』で培われたギャグセンスがこれでもかと発揮されている。


加えて、声優陣の迫真の演技とそれを盛り立てる演出も素晴らしかった。もちろん水島努本人が演出を担当した回は言うまでもないが、倉川英揚や桜美かつしなどのベテランが演出した回も素晴らしかった。このアニメはコンテや作画の妙よりも演出の素晴らしさを堪能できる。それらは見る人が見れば極めて低俗だと切り捨ててしまうようなものかもしれない。だがこの低俗さは今の社会にとって必要な低俗さなのではないかと思ってしまうのだ。教育上・倫理上良くない、という曖昧な理由で様々なドラマやバラエティ番組が死んでいった今だからこそ、おれたちは『監獄学園』を見るべきだ。この作品に宿る「面白ければ何でもアリ」の精神は今の時代だと袋叩きに遭ってしまうのかもしれない。だが、今は何が良くて何が悪いのかを自分で判断しなければならない時代だ。本当の「面白さ」とは何なのか、是非とも『監獄学園』を視聴することで確かめてもらいたい。いやー乱世乱世。



Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ ツヴァイ! ヘルツ!

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ストーリー 5
キャラクター 7
演出 8
作画 9
音楽 9
総合得点 38点
総合評価 B

このブログで9ヶ月近く近況報告を書いてないことに気付いてしまった。どうか許してほしい。この9ヶ月の間であった良い方面の出来事といえば、小学生の頃の友人の結婚式に招待されたことだろうか。学生時代の友人たちは次々と結婚していく。おれが知らないうちに大人の階段を登っていく。おれは社会の端っこにしがみ付くだけで精一杯だというのに。そんなモヤモヤを抱えながらもまあ結婚する当人たちにとって目出度いことであるのは間違いないので、そうした私情は一旦脇に置いておき、「おめでとう、幸せに」と言える人間としての体裁を整えた。


昔からの友人である新郎はもちろん、おれが初めて顔を見る新婦もずっと笑っていて、ドラマとかでよくある感動して号泣みたいなシーンもなく、ひたすらに楽しい式であった。おれ個人が結婚式に招待されるというのは初めてのことなので最初はガッチガチに緊張していて、久し振りに会った別の小学校時代の友人からは「顔が白い、今まで見た人間の中で5本の指に入るくらい白い」と指摘されても何ひとつ面白い返答ができなかった(これがこの結婚式の日に一番後悔した出来事だった)が、いざ式が始まると思った以上に堅苦しくなくて、同じテーブルに座っている昔の友人たちと思い出話に花を咲かせたり、料亭っぽい店で開かれた二次会も楽しかった。おれにしては珍しく酒が大いに進んだ。


そして飲み過ぎにより頭が割れるように痛くなり、ふらつく足で自宅に帰還した。本当はもっと友人たちと遊びたかったのだが、仕事とかいうこの世で最も嫌悪すべき鎖に繋がれた今のおれはあまりにも無力だった。しかし結局、翌朝起きても頭の痛みは治まらなかったので午後からの出勤となった。その朝、ズキズキと痛む頭を揺らしながら、溜まった録画を何気なくチェックしていたら目にとまったのが『魔法少女プリズマ☆イリヤ ツヴァイ!ヘルツ!』だった。そして何気なく再生ボタンを押す。


眼前に広がったのは、まだ年端もいかない少女たちがBLに関して大激論を繰り広げている様子だった。腐ってる、手遅れにならないうちに戻ってこい。怒号と悲鳴が飛び交う。それなのに画面からはカラフルな陽気が漂ってくる。何だ、何なんだこれは。おれが見ているのは一体なんなんだ。アニメなのか。哲学なのか。人生なのか。疑問符が痛む頭の中を駆け巡る。「みんな乱れすぎだよ!!!」と美々は言う。しかし最終的に最も乱れたのは美々自身だった(ギャグパートと戦闘パートの乖離が酷すぎて別アニメに見えてしまう乱れっぷりも健在だった)。いずれ産まれてくるであろう友人夫婦の子供が女の子で、美々のように非ぬ方向に目覚めてしまわないことを願うばかりである。


追記
松来未祐さん、本当に素晴らしい役者でした。御冥福を心よりお祈り致します。



食戟のソーマ

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ストーリー 8
キャラクター 9
演出 8
作画 9
音楽 7
総合得点 41点
総合評価 A

料理が好きだ。一人暮らしを始めてからはほぼ毎日自炊をしている。健康面を気にしてとか、金を節約するためとか、そんな理由ではなく、単純に料理を作るという行為がおれにとっての最大級のストレス解消法であり、料理を作っている時が「おれは何とか生きている」と実感できる数少ない瞬間であるからだ。料理を作り、それを食べるということは言うまでもなく生きることそのものに最短距離で直結している。しかしただ作るだけではつまらない。訓練すれば猿だってできることだろう。だからおれたち人間は見栄えを意識する。過度な装飾を施さず、適度に綺麗で適度に食べやすい、そんな盛り付けを目指すのだ。料理は舌で楽しめるだけでなく、目や鼻でも楽しめる。ならばどうせなら味覚、視覚、嗅覚の三つを同時に刺激して満足させたいというのは極めて自然な欲求だろう。


話は変わって、かつて『焼きたて!!ジャぱん』という漫画が週刊少年サンデーで連載されていた。今から約10年前には毎週火曜日19:00〜19:30というこれ以上ない恵まれた時間帯でアニメ(全69話)も放送された。しかし残念ながらアニメはそのゴールデンタイムに放送されたことが仇となり、原作の表現の際どい部分や最高に下衆で面白い部分が次々とカットされてしまった。それは主に、パンを食べてその美味しさのあまりオーバーリアクションをしてしまうシーンなのだけど、これが原作では途中から良い意味で度を超えたものになってきて、なぜか全裸になったり宇宙へ飛ばされたり、下手すればリアクションだけで連載2〜3話ぶん使ってしまうくらい異常に長いものだったりする。これが教育上良くないという判断だったのかは今となっては分からないがほぼカットされてしまった。


そんな『焼きたて!!ジャぱん』の無念を晴らすかのごとく、今春から放送が始まった『食戟のソーマ』では原作の際どい部分もどうしようもなく低俗な部分も包み隠さず全てやってくれた。もちろん放送時間が深夜帯だったから出来たわけだが。最初にアニメを見て何より驚いたのは原作のtosh絵がほぼ完璧に再現されていたことだ。下谷智之はもっと評価されるべきだ。前にも書いたが、こういう類の漫画をアニメ化する際にはキャラクターデザイン担当に下谷智之の名前が真っ先に上がるような世界になってほしい。


食戟のソーマ』の内容自体はいたってシンプル。シンプルでありながら熱さや勢いは持ってるし、toshの得意分野であるギリギリのエロスを醸し出したり、ネジが外れたようなコメディ・パートで緊張と緩和の笑いを生み出したりもする。さすが競争の激しいジャンプで長く連載を勝ち取っているだけのことはあり、原作の時点で相当完成されているのだが、アニメになっても上述の点を守りつつ、各キャラクタの個性をよりはっきりと浮かび上がらせることに注力している様子が窺える。特に田所恵と秘書子。このアニメによって一番自分の中で株が上がったのはこの二人だった。あと創真が四ノ宮に食戟を挑む原作屈指の名シーンを完璧な演出で再現してくれたのも良かった。これは2期やるでしょう。



電波教師

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ストーリー 6
キャラクター 7
演出 9
作画 3
音楽 7
総合得点 32点
総合評価 C

「やりたいことだけをやる」というのはこの社会では事実上不可能だ。やりたくないことを無理矢理やるのが大人になるということだし、社会はいつだってそれを望んでいる。しかし近年はそこから派生して「必要なことだけをやる」「必要なものだけを揃える」みたいな思想が静かに台頭してきており、おれは途方もなく不安に駆られてしまうのだ。だってそうでしょう、地球上の動物の中で唯一人間だけが「意味のないこと」をやったり「意味のないもの」を生み出せるのだから。意味ないことやものを意味がないと切り捨てたら、その時点でおれたち人間を人間たらしめる豊かさが消滅してしまう。極論を言えば娯楽なんて直接的に生命活動に影響しないものだから全部消えてしまったって困らない。いわゆるミニマリスト的な考えに則って言えばそうなる。でもそれが間違っていることくらい誰だって分かっているわけですよ。


音楽も映画も小説も絵画も彫刻もドラマもアニメも漫画も全部、おれたちの生命活動を間接的に支えている。精神的支柱を形成するための重要な糧になっている。それは自分自身が一番よく分かっている。誰だってそうだろう。自分に影響を与えた「作品」は必ず存在するはずだ。体力や知力は運動や勉強で育めても、人間だけが持つ「感情」を育むことはどうやっても上記のようなものでしか成し得ないわけで、そこでどんな作品に触れたかによってその人の個性が決まってくる。娯楽を生み出せるのは人間だけだし、娯楽を要らないと切り捨てるやつは人間未満の動物に成り下がればいい。単純な話だ。


『電波教師』の主人公、鑑純一郎は「やりたいことしかしできない病(本人は"YD"と呼称している)」だそうで、最初にこの作品に触れた時は (こいつは何を言っているんだ…程度の認識でしかなかったのだけど、これがアニメ最終回付近になると非常に長い前フリだったことに気付く。おれは確かこのアニメを最初に見た時「吐きそう」という感想をそれこそ死にそうになりながら吐き出していて、というのもこの鑑純一郎が序盤で披露するアニメに関しての知識がことごとくクソかつ、その裏に作者の過剰な自意識すらも感じさせる非常に気持ち悪いものだったからだ。正直1クール目までだったらおれは容赦なくこのアニメをクソだと切り捨てただろう。が、2クール目を見て評価が変わってきた。


アニメをテーマに扱うことがほとんどなくなり、生徒たちとの対話という教師の本分をようやく果たし始めた頃。鑑純一郎はいわゆる『GTO』的な教師に近づいていった。熱血さとは無縁で、だからといって生徒を甘やかすわけでもない、あくまで自己中を貫きながら教師の役割も全うする、面白いキャラクタに変貌を遂げていった。登場するキャラクタも徐々に個性的な面子が増え始め、時間はかかったが「教師もの/学校もの」の面白みを感じさせてくれるところにまで到達した。常に最悪だった作画に関しては「原作を忠実に再現しようとした結果」の範疇を超えていたが、さすがに半年も視聴すると目が慣れてくる。だからといって良いというわけでは勿論ないのだけど、全体として2クール目であれだけ捲ってくれたらもう何か許してしまうよね、という感じです。



境界のRINNE

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ストーリー 8
キャラクター 9
演出 9
作画 9
音楽 9
総合得点 44点
総合評価 A

NHKで放送されているアニメはなぜか深夜アニメを主食にしてる層にはスルーされがちだけど実はわりと良作が多かったりする。おれの人生におけるベストアニメ10作を決めるとしたら確実に選ぶであろう『電脳コイル』もNHKで放送されたアニメだ。「面白いアニメある?」と聞かれた時におれが用意している答えもまた『電脳コイル』であったりする。そんな感じで今までTwitterなんかで間違いなく10人以上に勧めているのだけど、見事に全員面白かったと言ってくるし、うち一人は作オタの沼に嵌ることとなった。すまない。


最近だと『ファイ・ブレイン』や『ログ・ホライズン』なんかがNHKで放送されていて記憶に残っている人も多いだろう。その流れを汲んで今年4月から放送開始したのが高橋留美子の『境界のRINNE』だ。高橋留美子といえば『うる星やつら』『めぞん一刻』『らんま1/2』『犬夜叉』。高橋留美子の作品を全くもって読んだことはないという人間はまあいるとしても、全ての作品名を目に/耳にしたことがないという人間はいないのではないだろうか。ワンピースや進撃の巨人のような突出した派手さはないのに、常に安定して面白い。画力が圧倒的に高いわけでもないのにぐいぐいと引き込まれるような絵。もう国民的漫画家といってもいいレベルの作家なのにその創作意欲は未だに衰えていない。最新作『境界のRINNE』がそれを証明している。


設定だけ見れば『犬夜叉』の系譜に連なる作品かと思いがちだが、蓋を開けてみると『うる星やつら』『らんま1/2』の系譜に近かった。妖怪退治というイベントはあくまで物語に減り張りをつけるためのスパイスでしかない。本質はコメディだ。『うる星やつら』『らんま1/2』よりもコメディ色が強い。そしてラブコメになることを中々許さないのはヒロインである真宮桜が感情をあまり表に出さないキャラクタである、というのが影響している。一方で六道りんねに恋している鳳は桜とは対照的で、すぐに感情を表に出してりんねとの縮まらない関係性に思い悩む。それは真宮桜に恋している十文字翼も同様だ。りんねと桜がローテンション(りんねは桜と金銭が絡むと例外的に熱くなるが)、翼と鳳がハイテンションとキャラクタの個性がはっきり分かれている。うち3人は特定の人物に恋愛感情を抱いているにも関わらず、そちらの方面での話がほとんど進まないのは昨今の引き延ばしラブコメとは事情が違う。それは結局のところこの作品の土台がファンタジーであることの証左だろう。


妖怪が蔓延るファンタジーの世界をベースとした物語に、良い意味で癖の無いキャラクタを乗せることで万人に受け入れられるポテンシャルを有した作品に仕上がっている。NHKで放送されるのも然もありなんというところだ。目立った不満は素晴らしかった1クール目のOPとEDを2クール目で変えてしまった点くらいだった。パスピエのOP曲もくるりのED曲も悪くは無いのだけど、KEYTALKのOP曲・パスピエのED曲と比べてしまうと、どうにもアニメの主題歌として馴染めていない(両方ともアニメから切り離して単体で聴くと良い曲ではある)。このアニメが『めぞん一刻』に近ければ玉置浩二村下孝蔵の楽曲を主題歌に採用して欲しかったところだが、まあ現実はそう上手くいかないものである。来年放送される2期も楽しめそうだ。



アルスラーン戦記

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ストーリー 9
キャラクター 8
演出 9
作画 9
音楽 9
総合得点 44点
総合評価 A

歴史を学ばない者ほど愚かな人間はいない。学生の頃に日本史や世界史を軽んじる人間が天国に行けるはずはないのだ。そもそも歴史に興味がないとか勉強する気が起きないとか、そういう人間がどういう思考回路でそんな結論に至ったのかおれは全く理解できない。学生のうちに学べるあらゆる学問の中で歴史ほど面白いものはないとおれは今でも確信している。極論を言えば織田信長が本能寺で死ななかったら、おれはこの世に生を受けてすらいなかったかもしれない。自分という人間は歴史の積み重ねにより存在しているのだし、自分が生きている世界も歴史の積み重ねによって構築されたものだ。歴史とは膨大な物語だ。その物語を「読む」ことをせず「覚える」ことに全精力を傾けたところでそりゃろくに覚えられないだろという話だ。おれが塾講師をやってた頃にも「歴史を学べないやつは失敗から学べないやつだ」という話をしていた。気がする。


歴史を読むにあたって一番興奮するのはもう間違いなく戦争の類だ。取り敢えず教科書や資料集に載るレベルの戦争は全部把握しようとしたのはおれだけではないはずだ。どことどこがどういう経緯でどんな風に争ってその結果どこが勝ってどのような利益を得たのか。これさえ頭に入れば芋蔓式にその戦争や前後の出来事も簡単に理解できる。まあ学習法などおれにとってはどうでもよくて、単純に昔の人間はどんな争いをしていたのかということが気になったしそれを紐解いていくのが面白かった。人間、それも権力者の醜い部分がそのまんま表出するのが戦争だ。世の中には美化された戦争(特に大昔のもの)も数多くあるが、戦争というのは基本的に何らかの利益を得ようとする人間の欲望が溢れ出た結果なので、ああやっぱり人間どうしようもないなーという態度で臨むのが正しい。


アルスラーン戦記』は読んで字の如く「アルスラーンがどんな戦闘を行ったか」に重点が置かれてはいるが、物語を見てみると「戦記」というよりは「軍記」に近いものがある。主人公のアルスラーンがどのような進路を辿り、どのように軍を動かし、どのように部下の心を掴んでいったのかが詳細に描かれている。もちろん戦略、実際の戦闘の内容まで描かれているため完全なる軍記ものというわけでもなくて、両者の中間を縫うように進んでいく作品という印象がある。そんな大層な物語を胃もたれしないように軽妙に転がしていく。以前述べたが、荒川弘の絵はどんな物語にも上手くハマるというのがこの『アルスラーン戦記』においても重要な点だ。これがもし『キングダム』みたいな絵だったらきっと途中で腹一杯になっていただろう(『キングダム』も好きな絵ですよ、好きな絵だけど適材適所があるよねという話です)。


そういう絵的な部分も踏まえた上でアニメのほうを見てみると、これがもうほとんど隙の無い、悔しいくらい良く出来たアニメだということが嫌でも分かってしまう。正直始まる前はわりとナメていたのだけど、いざ全部見終わってしまうと「全25話でさえ少なすぎる、どう考えても50話以上は必要だし、例え50話以上放送したとしても1話たりともダレることはないだろう」と思っちまうので完全に術中にはまってしまったと言える。名作の類だ。田中芳樹の原作が素晴らしいのは言うまでもないが、やはりその硬くなりがちな世界観を上手くポップに落とし込んだ荒川弘の手腕、それを上手くアニメのキャラデザに落とし込んだ小木曽伸吾らの努力も大いに評価されるべきだろう。



俺物語!!

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ストーリー 8
キャラクター 10
演出 9
作画 9
音楽 7
総合得点 43点
総合評価 A

最近の少女漫画事情にはそこまで詳しいというわけでもないのだけど、アニメ化されたものに限ってみても本当に多種多様で、「恋愛」という核だけを残してあとはやりたいようにやっている自由な作品が増えているように思う。『ちはやふる』なんて『BE.LOVE』という女性向け漫画雑誌に連載されているから「少女漫画」とカテゴライズされているに過ぎない。あれは立派な少年漫画の熱量を持っている。去年だと『それでも世界は美しい』が非常に良くて今でも強く記憶に残っている。ここ数年の女性漫画原作アニメはとにかく大外れというものがなくて、さすがのおれもチェックせざるを得ないなということで4年ほど前から少女漫画界隈を観測しているが、アニメ化されていない少女漫画には所謂外れも多くて、アニメの企画はしっかり見極められているのだ、という知見が得られた。少年漫画はとにかくアニメ化できるほどの弾が溜まれば即アニメ化、みたいな感じなので当たり外れが大きいという勝手な印象なんだけど、これ漫画よりもライトノベル界隈の方が顕著な現象な気もする。


そんな最近の少女漫画界隈に革命を起こすような作品が2012年1月に産声を上げた。それが『俺物語!!』である。最近の少女漫画におけるヒロイン(主人公)は少し鬱屈していたりチャラかったり癖があったり、ある意味最近の女性が感情移入できるようなツボを押さえたキャラ造形だったのに対し、この『俺物語!!』のヒロインである大和凛子は間違いなく女性が感情移入しにくいキャラクタだ。むしろ敵対心さえ抱くのではないだろうか。凛子はどちらかというと少年漫画、それも所謂美少女系の漫画に出ていそうな個性の持ち主だ。外見以外は全て男性に喜ばれ受け入れられそうな人間をヒロインに据える時点で充分に革命的だが、それ以上の衝撃だったのは相手役、男のほうだ。剛田猛男である。


剛田猛男。身長推定2m、体重推定120kg。鉄塔を手で支える、車より速く走れる、どんな高い場所から落ちても死なない。間違いなく化け物である。こんなやつが主人公でしかもバトルでもファンタジーでもなくただの恋愛ものときている。こんなの面白くないわけがないのだ。設定の勝利である。が、設定の勝利ゆえに普通なら出オチになってしまうはずだ。この作品が真に恐ろしいのは「出オチ」を半永久的に引き摺ることのできる馬力の強さだ。原作を読んでもう猛男の武勇伝の数々に耐性がついたはずのおれのような人間でさえアニメには笑わされてしまったことだろう。原作の時点でもうかなり面白い剛田猛男という男に声と動きがついた結果、より化け物の佇まいを確立したうえにコミカルさも増して、もう何を目指しているのか分からないキャラクタになったのである。


正直、原案の河原和音には『青空エール』のイメージしかなかったので、こんな異形の物語を世に産み落としたことが衝撃で仕方なかったのだけど、いざ読んでみるとむしろ近年珍しいくらいに真っ当な正統派ラブコメだったので納得がいった。性根が腐った人間はひとりもいない。猛男の親友である砂川誠に顕著だが、猛男の周りに集まってくる人間は皆異常に良い奴ばかりで、嫌というほど猛男の人望が伝わってくる。最近だと『好きっていいなよ。』『アオハライド』のようなダウナーな雰囲気も一切ない。そもそも他の少女漫画(おれの中の比較対象がそんなに多くないのでこう言ってしまうことに罪悪感があるが)と比べて猛男と凛子がくっ付くのが早すぎる。下手すればゲームクリアの後日談を延々と見せられてるような状況になってもおかしくないのに、物語は常に面白い。完璧なキャラ造形と重くならないのに適度に減り張りのあるシナリオの相乗効果。アニメも原作の良いところをしっかり拾い上げていたし、何より猛男の表情の変化やオーバーな動きを完全に表現できていて、ああ猛男はスタッフからも愛されている人間なのだなと、これもまた嫌というほど伝わってくる。実に理想的なアニメ化だった。



アイドルマスター シンデレラガールズ

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ストーリー 9
キャラクター 10
演出 8
作画 10
音楽 10
総合得点 47点
総合評価 SS

アイドルマスターという単語はわりと昔から知っていたのだけど、本格的にその内容に触れることになったのは間違いなく2011年に満を侍して放送されたアニメ『アイドルマスター』だ。まあ『ゼノグラシア』も当時リアルタイムで視聴していたわけだが、あれはアイドルマスターの設定だけ借りた別物だし(ちなみにゼノグラシア自体は好きです)、『アイドルマスター』の世界自体は11年のアニメを見るまでほとんど何も知らなかった。知っているのはキャラクタくらいのものだった。ところでこのアニメ『アイドルマスター』は紛れもなく歴史にその名を刻む傑作で、このアニメのおかげで後の『アイカツ』『プリパラ』『ラブライブ』『AKB0048』『Wake Up Girls!』あたりのアイドルアニメがしっかり成功を収められたといっていいだろう。


そして『アイドルマスター』の新シリーズ(並行世界なのかスピンオフなのか大筋の設定だけ借りたゼノグラシア的別物なのかは未だによくわかっていないのだが)として始動したのが『アイドルマスター シンデレラガールズ』だ。当初はソーシャルゲームだったシンデレラガールズが今や登りに登り詰めてテレビアニメとして放送された、この事実もかなりアイドル的な物語を感じずにはいられないのだが、元々「アイドルマスター」という看板を背負っていたので「まあいずれアニメ化されるんだろうな」という思いもあった。おれは確か2012年の頭からゲームを始めたので今年で3年目、もうすぐ4年目に突入する。金で殴る的なゲームなのだけど無課金でも工夫すれば上位クラスのアイドルは入手できたのでおれは今に至るまで無課金を貫いている。しかし他の数多くのプレイヤーたちの課金という熱意がアニメ化に大きく貢献していることは間違いない。なのでおれはこのアニメで動くアイドルたちを見る度に「おれは一銭たりとも投資していないんだ…すまない…」という気持ちに襲われてつらくなっていた(デレステに課金してからは後悔の念に襲われることは無くなりました)。


さて『アイドルマスター シンデレラガールズ』である。シンデレラといえば「カボチャの馬車」「ガラスの靴」「12時になると魔法が解けてしまう」。ゲームリリース当初はそれこそ「アイドルの卵」的な意味合いでふわふわとしていた「シンデレラ」という要素がこのアニメによって強固な意味を獲得した。様々な見方ができるアニメなのだが、まず間違いないのは「このアニメの主人公は島村卯月である」という点だ。それは24話を見れば明らかである。タイトルが「Barefoot Girl」で、開始早々美城常務が卯月に「君は灰かぶりのままだ、輝けない者は城の階段を上がれはしない」と言い放っているこのベタすぎる種明かし。もちろん、これまで監督の高雄統子が仕込んできた「これでもか!!!!!」というくらいのベタベタな演出も機能してはいるが、被写界深度や階段の高低差による現在の位置関係の示唆などは些かベタすぎた。人生において大量のアニメを摂取している人間ほどこの演出の数々には胃もたれしたのではないだろうか。とにかく殊更に「島村卯月の立ち位置」を明確にしようとする。


2クール目に突入してからの脚本もそう。シンデレラプロジェクトに選ばれたメンバーたちがそれぞれ自分のパートナーや目標とする存在を見つけて切磋琢磨していく中で、島村卯月だけが孤立していた。「普通」であると自認していた卯月は目標とすべき人も組むことで自らの魅力が増幅するようなパートナーも見つからなかった。もはやそれ自体が立派な個性なのだが、卯月はそれに気付かずに自分で自分を追い詰めていく。どうすればいいのか分からずひたすら基礎レッスンを繰り返しても出口は見えず、どうしようもない葛藤と溜め込んでいた不安が爆発したのが23話だった。そしてニュージェネレーションという居場所と、渋谷凛・本田未央という仲間の力を借りて再びステージに立って渾身のパフォーマンスを披露したのが24話。本家『アイドルマスター』における如月千早の物語を髣髴とさせる物語の展開には素直に感心させられた。髣髴と、というか明らかに狙っている。4年前に千早の涙に泣かされた人間ほど今回の島村卯月の涙にもまた泣かされたのではないだろうか。


この24話は作画から演出、卯月役の大橋彩香の演技まで何もかもが神懸かった次元に到達しており、正直これが最終回でも全く問題ないと思えるレベルの完成度だった。ボーナスステージ的な最終回の内容を見た後だと余計にそう思える。個人的にはキャラクタそれぞれの魅力をじっくり描いていた1クール目のほうが「アイドルマスター」シリーズとしては好きなのだけど、「シンデレラ」を題材としたアイドルの物語としては2クール目のほうが好きで、こういう捻れが生まれてしまうくらい1クール目と2クール目ではだいぶ内容に違いがあった。正直、20話目くらいまでは2クール目の内容は好きではなかった。それは「これが島村卯月を主人公とした『普通の女の子がアイドルになるまでの物語』なのだ」という根本に気付かず、単に物語に起伏を生むためだけに美城常務が投入されてせっかく1クール目で丁寧に均した下地がめちゃくちゃにされた、という思いが強かったせいだろう。


ところが島村卯月だけが長らく停滞している事実にフォーカスされてから、12時を過ぎても魔法が解けない、一過性でも急拵えでもない本物のアイドルとして卯月がステージに立つまでの物語があまりに濃すぎて、のめり込むように何度も視聴を繰り返した。加えて2クール目以降の話を再び視聴すると、これらが今までと違って見えてきた。美城常務のクサすぎるポエムや、島村卯月を挫けさせる方向に導かれているシナリオなどに決して文句がないわけではないが、細かい粗や不満は24話における島村卯月のパフォーマンスを見てしまうと一瞬にして吹き飛んでしまう。それほどあのステージでのパフォーマンスは衝撃的であり、感動的でもあった。泣き笑いの作画も最高だった。近年は派手なバトル・アクションの作画に目が行きがちだが、こうしたキャラクタの内面を余すことなく伝えきる表情の作画も最も注目・評価されるべきだ(最近だと『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』2期において「本物」を求める八幡の表情の作画も素晴らしかった)。


総じて「アイドルマスター」シリーズを汚すことなく、「シンデレラガールズ」としての矜持を全うした、実に素晴らしいアニメだった。さすがに本家『アイドルマスター』のアニメには及ばなかったが、それでもゲーム内で寵愛していたキャラクタがアニメ内で生き生きと笑い、踊り、歌う様子を見れただけでも僥倖だった。まあしかし、おれが一番見たかった三船美優と八神マキノの喋って踊って歌う姿が見られなかったのは残念だった。両者とも最終回で(止め絵で)登場しただけでも良しとしたいところなのだが、他の様々なキャラクタがアニメで生命を吹き込まれたのを見るにつけてやはり一抹の寂しさに襲われるのだ。あと『アイドルマスター ミリオンライブ』もアニメ化されるとのことで、こちらについてはまるっきり知識ゼロなので真っ新な状態で楽しもうと思います。





◆各項目ベスト3◆

ストーリー
1位 監獄学園
2位 アイドルマスター シンデレラガールズ
3位 アルスラーン戦記


キャラクタ
1位 アイドルマスター シンデレラガールズ
2位 監獄学園
3位 モンスター娘のいる日常


演出
1位 のんのんびより りぴーと
2位 監獄学園
3位 アイドルマスター シンデレラガールズ


作画
1位 モンスター娘のいる日常
2位 アルスラーン戦記
3位 監獄学園


音楽
1位 アイドルマスター シンデレラガールズ
2位 のんのんびより りぴーと
3位 WORKING!!!




◆ベストキャラクタ◆

女性

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1位 渋谷凛(アイドルマスター シンデレラガールズ)
2位 ミーア(モンスター娘のいる日常)
3位 うまる(干物妹!うまるちゃん)



男性

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1位 ガクト(監獄学園)
2位 プロデューサー(アイドルマスター シンデレラガールズ)
3位 剛田猛男(俺物語!!)



人間以外(特別枠)

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1位 モモン(オーバーロード)





◆今期ベスト主題歌◆

OP
Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ ツヴァイ! ヘルツ! OP『ワンダーステラ / fhana』

fhána「ワンダーステラ」MUSIC VIDEO - YouTube




ED
のんのんびより りぴーと ED『おかえり / 宮内れんげ(CV.小岩井ことり)、一条蛍(CV.村川梨衣)、越谷夏海(CV.佐倉綾音)、越谷小鞠(CV.阿澄佳奈)』

【TV ver.】のんのんびよりりぴーと二期2ndED「おかえり」 - YouTube


WORKING!!! ED『まつ毛にLOCK / 小鳥遊宗太(CV.福山潤)、佐藤潤(CV.小野大輔)、相馬博臣(CV.神谷浩史)』

WORKING!!! ED 「まつ毛にLOCK」 歌詞あり - YouTube


空戦魔導士候補生の教官 ED『ハレルヤ / la la larks』


EDに関しては3つの中から1つに絞れませんでした。許してくれ。




◆今期ベストエピソード◆

アイドルマスター シンデレラガールズ 第24話「Barefoot Girl.」
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脚本:綾奈ゆにこ 絵コンテ:高雄統子 演出:原田孝宏、高雄統子 作画監督:赤井俊文 総作画監督松尾祐輔

神を信じるな。大橋彩香を信じろ。



◆今期作品ベスト5◆

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1位 アイドルマスター シンデレラガールズ
1位 監獄学園

3位 のんのんびより りぴーと
4位 モンスター娘のいる日常
5位 干物妹!うまるちゃん



悩んだ。とにかく悩んだ。デレマスと監獄学園を同率1位とするのは断腸の思いであった。全くベクトルの違うこの2つを並べていいのか悩んだが、面白いものは面白いのだから仕方ない。どちらも素晴らしかった。デレマスの清々しさにも、監獄学園の下らなさにもおれは救われてしまったのだ。それは揺るぎない事実であるし、その後ろにつけたのんのんびよりやモン娘、うまるといった作品たちはキャラクタの素晴らしさが突出していた。今期は間違いなく豊作なのだが、凄いのは全くベクトルの違うアニメたちがみんな揃いも揃って面白かったという点だ。バトルものが飛び抜けて面白かったクールとか、日常系の勢いが凄まじかったクールとかはあるのだけど、今期に関してはどのジャンルのアニメを選んでもハズレはほぼ無いという充実ぶりだ。2015年は何かがおかしい。秋作品の出来栄えによっては圧倒的豊作の2011年を超えてしまう可能性すら出てきた。


しかし今おれは凄まじい勢いで洋画鑑賞にのめり込んでおり、アニメを見る時間が急激に減ってきている。そういえば今NHKでクリスティの「トミーとタペンス」シリーズが放送されていて、これが原作を上手く改変していてめちゃくちゃ面白いので是非見てください。あと、タペンス役のジェシカ・レインがおれの想像していたタペンスより遥かに美人で腰を抜かした。原作は『秘密機関』と『NかMか』(なんで『親指のうずき』『運命の裏木戸』『おしどり探偵』を映像化しないんだ…と思ったけど親指と裏木戸は年齢的にきついのか。しかしおしどり探偵は短編なんだから良さそうな話を掻い摘んで映像化できたのでは)。この調子でパーカー・パインとかクィン氏シリーズあたりも映像化してほしいところだ。