ぼくは麻理のなか(1)

ぼくは麻理のなか(1) (アクションコミックス)

ぼくは麻理のなか(1) (アクションコミックス)


押見修造といえばおれの中では『惡の華』だったわけだがこれはまさにその延長というか、女性の膿のような部分を核にしてる話なんだけど、他の作品との圧倒的な違いは男が乗り移った女の目線から見る世界ということで、しかもそれが多重人格でも人格入れ替えでもない「無くなった少女の人格を探す」というスタート地点がありそうでなかったパターン。

押見修造はイケメンというか世間一般で言うところの「リア充」の男をほとんど描かないという印象があって、この漫画の主人公も田舎から上京して大学に通うも友人ができずやがて大学に通わなくなる、という典型的自宅警備員予備軍のような人生を歩んでいるのだけど、自宅警備員と違うのは「コンビニで見かけた女子高生を一年以上尾行している」という気持ち悪いくらいのバイタリティを発揮している点だろう。まあ『惡の華』でも主人公が同級生の衣類を盗むことがきっかけになって話が始まるので、個人的にはそろそろアプローチの方法を変えてほしいなーとは思います。

ただしかし押見作品の女性は可愛さではなくリアルさを追求して描かれていて、そういう部分では非常に先鋭的で時代にあえて逆行している感じがする。ヒロインであり主人公小森の人格が乗り移った存在である吉崎麻里も「今時の女子高生」という身なりであり、彼女を取り巻くクラスメートもまたそれに準じている。ただその中でも依という人物だけは他のクラスメートとは違っていて、麻里の中に小森の人格が乗り移っていることを誰よりも早く看破する。

この漫画は一巻完結ではなくこれからもまだ続いていくんだけども、一巻単体で見ても起承転結整っていて完成度が高い。何より依が麻里の正体に気付いても「その体が本物の吉崎麻里のものかわからない」と言っていて、そのあと誰の人格が宿っているのかわからない「小森功」のある行動を「小森功の人格が宿った吉崎麻里」が見ようとしたところを依に止められる場面、「吉崎さんの眼球で見るな」という台詞があって、ここで依は小森の人格が宿った麻里の体は本物の麻里の肉体である、と認識したということが暗に示されている。全体的に台詞から受け取れる情報量が非常に多い。

とにかく『惡の華』が面白いと思えた人ならまず間違いなく楽しめるはずなので買ってみるといいですよ。あとアニメ版『惡の華』は早くキャスト発表してくれ。