劇場版 花咲くいろは HOME SWEET HOME

素晴らしかった。何が素晴らしかったってアニメ本編の内容をほとんど忘れていたのにも関わらず映画を観た瞬間に全部が鮮明に思い出されることである。今となっては遠い過去となった思い出が昨日のことのように頭に浮かび上がっていく。映画本編の中でいわば総集編のような「おさらい」があったわけでもないのに、なぜか緒花が喜翆荘に来てから今に至るまでの物語がはっきりと思い出されるのは、やはりこの作品の物語が突拍子も無いフィクションというより現実に根ざしたドラマ寄りのものであるからだろう。どのキャラにも一貫した行動原理があったことや、最初から最後まで主軸が一ミリたりともブレなかったことも大きな要因。あとP.A.WORKSがメインになってアニメーション制作してる映画見るのたぶん初めてなんだけど、とにかく背景や美術が物凄く綺麗。2次元と3次元の境界線の上に乗っているような質感。

映画を見て確信したのだけれど、この作品は「あるキャラの過去を(現在の時間軸において)他のキャラがなぞっていく」という特徴がある。これは追体験とは少し違っていて、途中までの道程は似ていても結末は異なっているという場合が多い。緒花の子供の頃と現在の菜子の妹である麻奈の境遇が似ているものの、麻奈は最後には親代わりである菜子が迎えに来てくれた。しかし、皐月が東京に出る前まで(高校生まで)の漠然とした「輝きたい」という欲求と緒花のアニメ本編におけるそれとは完全に重なっていた。
基本的にこの作品は「家族間における過去と現在」に関して非常に生真面目というか、皐月の辿った道の上を緒花が辿るようにしっかり考えられている。もちろん両者が完璧に重なってはいけないので、緒花は「家事ができない母親に育てられたことにより家事ができるようになった」というアドバンテージがある。スイと皐月の間の出来事は作中では明かされていないのでよくわからない。しかしアニメ本編では語られなかった皐月の物語が、豆爺の業務日誌を通じて過去回想とはまた少し違う形で話の中に挿入されているのは良かった。そういう形式だと番外編というイメージが強くなってしまいがちなのだけど、皐月の話が現在の緒花や喜翠荘の在り方にしっかり結び付いていたので「全てひっくるめて一つの筋の通った物語」のように見ることができた。

緒花の名前の由来(ハワイの言葉で「家族」)というのも明らかになった。ここで「花咲くいろは」という作品のタイトルの意味も何となくわかってくる。なぜ「花咲く緒花」ではないのか。
この作品は決して緒花だけが成長する物語ではない。緒花の成長に伴って周りの人間たちも変わっていく。その全ての成長・変化を総括したのが「いろは」という言葉だったのだと考えられる。「いろは」は平仮名50音の最初の3文字だ。まだまだ人生のスタート地点に立ったばかりの緒花・民子・菜子の物語を指しているようにも見えるし、女将・皐月・緒花の3人を指しているようにも見える。あるいは皐月・夫・緒花の家族でも成立するし、板場では蓮さん・徹・民子、菜子には3人の妹・弟がいる(この作品は3という数字にとにかく縁があるな。喜翠荘も3階建てだし)。だからこの物語の主人公は緒花に限定されないし、タイトルに「緒花」の名前は載らなかった。

アニメ本編で一定の成長を遂げた緒花は今回の話の中で目に見えて変わったりすることはない。むしろ緒花は結菜の成長を手助けする側に回っている。もう緒花は女将の手を離れているのだ。だから結菜の教育係を「お前に任せる」と言った。女将の「任せる」という言葉はまさにその相手に一定以上の信頼があるからこそ発せられるものだ。だからこの映画は緒花が成長する物語として描くことはなかった。もう2年前のアニメ完結時に緒花は一人前になっていたということがこの映画によって改めて明らかになった。

余談だがおれは家族関係の話に滅法弱いので麻奈が行方不明になるくだりはかなりつらかった。一番泣いたのが麻奈が喜翠荘に戻ってきて女将に「菜子をいじめんなー」と叫んだシーンで、ああいうのに弱いおれは隣に友人がいるのも忘れてぼろぼろ泣いていた。そんな麻奈を見るスイの目が緒花を見るときの目(孫を見るような目)だったのもグッとくる。

各キャラの表情が豊かだったり、巴さんや蓮さんが非常にギャグ寄りのキャラになっていたので決して堅苦しくならなかった。特に巴さんはアニメ本放送時の頃よりも魅力的なキャラクタになっていた。崇子さんが結婚できたのに巴さんが結婚できないのはどう考えてもおかしい。ちなみに劇場特典でもらったキャラ色紙は緒花だったんだけど出来れば巴さんの絵がほしかった。

BD買って家で何回も見たいと思えるような映画だった。番外編なのだけど本編に劣らない魅力を備えているし、かと言って本編から完全に切り離されているわけでもない。絶妙なバランスで本編との距離をとっている。まさに理想的なアニメの続編としての映画作品だ。