惡の華 第二回

おおむね原作通りの内容なのに原作とはまるで違って見えるのがこのアニメの最も素晴らしい部分だろう。仲村さんの狂気や春日のある種普遍的ともいえる変態性、その中にあってなお純粋さを(今のところは)保ち続けるファム・ファタル的存在と春日をもってして形容させる佐伯さんの佇まい。その全ての要素を詰め込みながらアニメーションとしての異形の形を保っていて、その姿からは強い信念が伝わってくる。

内容としては春日が佐伯さんの体操服を盗むところを仲村さんに目撃され、バラされる前に自首するかどうかで悩んでいるところを仲村さんに呼び出され、佐伯さんに対してセクハラまがいの行為をさせられるという、文字にして纏めるとこれだけで収まるようなものなんだけど、これを原作では春日の苦悩する部分に焦点を当ててじっくりとリアルな質感を生み出している。アニメでもそこに近付こうとしているが、漫画と違ってアニメは強制的に場面転換がなされることを利用して絵的に単調にならないように苦心している様子が見て取れる。

そう、惡の華という作品はその動きの少なさやリアルな質感を保有するが故にアニメ向きではないのだ。アニメーションは本来現実では有り得ないものを描写し映像にするために生み出されたのであり、惡の華の内容は現実で充分起こり得るものだしドラマでも再現可能だ。しかしこの作品をアニメーションという媒体に落とし込むに当たってロトスコープを用いることによりリアルな質感を得て、さらに動きの少なさを衝撃的なキャラクタデザインと背景美術によりカバーしている。

こうして生み出された奇妙な現実感が惡の華というアニメの根底に流れていて、1話目ではそれを提示してみせることに終始していたが、今回はそれに加え本筋のストーリーを進めることで物語としての魅力も示してみせた。1話目を受けての2話目としてはこれ以上ない構成。原作通りだけれど原作よりも粘着質のある気持ち悪さが画面にずっと付き纏っている。この気持ち悪さが人間誰しも抱えているものだと分かってくるのはまだ先の話なので今はただ漠然と「なんか気持ち悪いなー」程度に思っておけばいいだろう。