〈物語〉シリーズ セカンドシーズン 第閑話 「まよいキョンシー其ノ肆」

  • 大人八九寺良かった。声もしっかり大人然としているし立ち振る舞いも八九寺(幽霊)のそれを髣髴とさせるもので感動すらあった。何だろうな、原作読んでると活字から得られる情報のみで頭の中にキャラクタを作り上げることになるわけで、その姿は挿絵がなければ読者の数、つまりほぼ無数に存在するといっていい。アニメってのはそうした無数の姿を薙ぎ払いある一つの(キャラデザ担当の人間が作り上げた)姿に固定化するコンテンツともいえる。
  • この物語シリーズという作品群はアニメのそうした利点と欠点を考慮した上で原作のほうにイメージを寄せていこうという意図が見える。キャラクタの動きより会話を見せるように切られたコンテや文字をサブリミナルのように挟んでくる演出もそれを補強している。
  • 傾(かぶ)くという言葉が歌舞伎の語源であることは常識だけど、実際のところ「かぶく」というのは「常識外れのことをする」という意味の前に元々「傾(かたむ)く」という意味があって、そこから傾国の美女=八九寺 という等式を壊すための本来存在し得なかった物語、という意味での『傾物語』を導き出した西尾維新はやっぱ天才だけど気持ち悪いほうの天才だ。
  • 唯一気になったのはキスショットは「半身焼け爛れている」という描写であったはずで、実際アニメでもそのような説明文が挟まれているのに姿は全く焼け爛れていなくて、規制問題なのか絵的に映えないからなのか、そこらへんの事実関係はわからずじまいだった。
  • 猫物語より短い話数の中で上手く纏められてて内容も充実してる。登場人物がある程度絞られているということがプラスに働くというのは物語シリーズの長所で、今回は事実上3人しか出てきてないのでそこがさらに研ぎ澄まされており充分良作の域に達している。