ハロー!!きんいろモザイク 第03話「あなたがとってもまぶしくて」

仕事の関係で月曜日から熊本に出張していてきんいろモザイク視聴が遅れてしまった。あと1日きんいろモザイクを視聴できなかったら死んでいるところだった。1日に2回以上視聴しないと精神を正常に保てないので、社会はおれに労働の間1度だけきんいろモザイクを視聴できる時間を与えてほしい。


以下雑感。


■双子の兄妹
今回は見て分かるように、綾や空太・美月を通して猪熊陽子の掘り下げを行う回だった。とはいえ陽子の人柄や性格は1期の時点でおおよそ描かれており、ここで提示されるのは「誰かの視点から見た客観的な陽子」と本来の陽子の姿とのズレだ。陽子を表すキーワードとして「単純」だったり「鈍感」といった言葉が用いられることが多い。そしてそれは主に綾から見た陽子の姿だ。こうしたある種一方的な陽子の内面描写が、1期に少しだけ登場していた陽子の弟と妹によって補強される。猪熊空太と猪熊美月は双子の兄妹で性格も似ている。しかし陽子の性格とは対照的だ。直接的に気持ちを伝えられないが故に、嘘をついて陽子たちの気を引こうとする。自らの気持ちを偽ってしまう、あるいは気持ちを押し殺してしまうという点でこの兄妹は綾に似ていた。


■言語化不能な心情について
今回で早くも前話における法被に書かれた「太陽」の伏線が回収された。「陽子の笑顔が太陽みたい」と伝えたかった綾は、陽子が「単純で鈍感」だったということを念頭に置いたうえで素直に「陽子は太陽みたい」と伝えるのだが、陽子は「太陽=熱い」と考え、「自分は暑苦しい」のだと捉えてしまう。「素直に伝える」と「言いたいことを単純化して伝える」というのは意味が違うのだ、ということに留意しなければならない。例えば「好き」という気持ちは抽象的な心情を極限まで単純化し、なおかつ他人に伝える言葉として最適化されたものだが、綾が陽子に対して抱いている気持ちは「好き」という単純な言葉に変換できない。友人としての「好き」とも、男女間における「好き」とも違う、難しい想いを様々な言葉で陽子に伝えようとする様子が1期から度々描かれていたのだが、その気持ちは本人以外には理解しづらい、非常に難しいものであったために、殊更鈍感な陽子には伝わることはなかった。「陽子は太陽みたい」というのは、綾自身にとっての陽子の存在を意味しているが、陽子はそんな綾の複雑な心境を読み取ることは出来なかった(一方でアリスは忍に対して「太陽のようだよ」と直接的に伝え、その意味を忍はしっかり理解できていた)。


■「ペットがいなくても大丈夫、陽子がいるから」
字面通り捉えれば陽子のように「自分はペット(と同列)なのか」と思ってしまう。前の「陽子は単純だから素直に、直球で言わないと伝わらない」というのがフリになっている。ここでは「伝えたいことを単純化しすぎた結果、本意とは逆の意味合いで相手に伝わってしまう」という事態に陥ってしまった。一方で忍はアリスに「今日から私がアリスの犬になります!」と言うのだが、さすがのアリスもこれを自身への愛情表現とは受け入れられなかった。絶対に嫌われたくないはずの忍に対して「変態」と言い放ち逃げてしまう。


■ポピー
さて皆々様、1期第11話「どんなにきみがすきだか あててごらん」の内容を覚えているだろうか。このBパートにおいてアリスは突然英語しか喋らなくなるのだ。その理由は「日本に染まりすぎたアリスが金髪美少女好きの忍に嫌われてしまうのではないか」というアリスの不安によるものだったが、問題はそこではない。アリスがこの時喋っていた英文、ここにアリスの愛犬ポピーが登場するのである(「フジの花が咲く頃、私はポピーと共にあの丘(アリスの地元コッツウォルズの丘を指し示すものと思われる)を駆けるだろう」「ポピーの毛は毛布よりも温かく私を包んでくれる」「お風呂上がりのポピーの耳はモフモフになって可愛らしい」など)。なぜアリスの英会話と犬(ポピー)は密接に関係しているのか、これはアリスにとって故郷イギリスの思い出の半分以上がポピーと過ごした時間で占められているからだろう。日本に来てほぼ日本語だけで会話するアリスが授業以外で英語を喋る時、必ずアリスはその言語を日常で用いていた頃、すなわちイギリスで暮らしていた頃を思い出すのだ。なのでアリスが喋る内容にポピーが毎回登場するのは必然だった。


■結論
アリス・カータレットはヒュペリオン