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ハロー!!きんいろモザイク 第06話「きになるあの子」

絶対笑顔でまだまだ夢見ないといけないので6月末まではなんとしても生き抜けるように生活習慣を改善しています。7月からはマフィアに拳銃で撃たれようがミニワゴンに轢かれようがスカイツリーの頂上から転落しようが本当にどうなっても構わないので、とにかく6月末までは絶対に生き残りたい。おれはこの『ハロー‼︎きんいろモザイク』を全て見終わるまで死ねないのだ。


以下雑感.


・松原穂乃花

今回のメインは言うまでもなく松原穂乃花という人物だ。忍やカレンたちのクラスメートでありながら1期ではほとんど目立つことはなかったが、この2期からはOP映像にも登場するほどの存在感を発揮している。今迄は「カレンに菓子を与える」という役割に終始していた穂乃花が、2期では金髪に妄執する忍に理解を示したり、積極的にカレンと交流を図ったり、実家が喫茶店であることが明かされたりと、次々にプロフィールが開示されていく。


だが勘違いしてはいけない。松原穂乃花は決して「5人だけではネタに限界がある」という理由で投入されたキャラクタではないのだ。金髪への憧れや固執、行き過ぎた妄想、カレンへのアプローチなどを見ればわかる通り、彼女は忍の性癖を理解する唯一の人間としてこの世界に顕現したのである。忍の友人である陽子や綾でさえ、忍の金髪やイギリス人に対する並々ならぬ執着には付いていけなかった。ではなぜ主要5人の中に忍の完全な理解者はいないのか。忍の理解者というのはつまり、忍と同じスペックを有する変人であり、やがて金髪美少女を奪い合う宿命にあるからだ。だからこそこの『ハロー‼︎きんいろモザイク』には金髪美少女が2人も存在する。忍がアリスと相思相愛になったように、やがて穂乃花もカレンと相思相愛になる運命なのだ。



・忍は携帯電話を持っていない

これは現代の女子高生においては非常に珍しい(はず)。「LINEやってない」「スマートフォン持ってない」ならまだしも、そもそも携帯電話自体を持っていないというのはレア中のレアケースだ。逆に言えば、忍とその周りの人間はコミュニケーションの手段を携帯電話に依存していない、ということでもある。間違いなく連絡手段は限られるが、いつどこにいても束縛される携帯電話とは無縁の生活を送っているからこそ、大宮忍はあそこまで天真爛漫かつ自由奔放な人間に育ったのかもしれない。



・1つの視点と3つの物語

アニメやドラマや映画は常にあるひとつの視点から世界が描かれる。主人公の視点、ヒロインの視点、第三者(神)の視点。視点の主は様々だが、視点そのものは常に単一だ。しかし視点が単一だからといって、映し出される物語がひとつとは限らない。単一の視点の中に様々な人物や事物が映し出されているのと同様、そこには様々な物語が内包されている。今回はAパートのある時点において ⅰ)カレンが喫茶店で擬似バイト体験をする ⅱ)アリスと忍のやりとり ⅲ)陽子がパフェ食べ放題に挑む という3つの物語がひとつの視点の中で同時に進んでいくシークエンスがある。


で、これと同じものをおれたちはもう既に一度見ている。それが第4話「雨にもまけず」のBパートにおける、学校の花壇でのシークエンスだ。綾が前髪を切り過ぎてヤケクソになった後、画面には花壇に植えた自分の花を心配するアリスが前方に、前髪を切り過ぎた綾を慰める陽子とカレンが後方に位置して、それぞれが別の会話をしている。これが単一の視点において複数の物語を同時進行させている状態だ。これは普通の作品ではあまり見られない。主要キャラの後ろでモブキャラが騒いでいる、ということはあっても、主要キャラたちが2〜3つのグループに別れてそれぞれ違う会話を同じ画面の中でしている、というのは一見すると非常に複雑な構図であり、特別な意図がない限り普通はやらない。それでも『ハロー‼︎きんいろモザイク』はこれを進んで行っている。なぜか。


物語があくまで「フィクション」を前提として作られたものならば、それは受け手に対する配慮が最大限になされたものであるはずだし、そうであるべきだ。だが『きんいろモザイク』のそれは物語であって物語ではない。大雑把に言えば、これは忍やアリスたちが自分たちの力で生み出している物語なのだ。自分の力で、自分たちのために生み出した物語なのだから、当然そこにおれたちのような画面の向こう側の人間が入り込む余地はない。だから『きんいろモザイク』という作品は作品でありながら「作られた」ような感触がほとんどない。これはまさに日常系の極致だ。どこかで実際に送られていそうな女子高生たちの自然な日常生活。それを細部まで表現するために前述したような複雑な構図が採用されているのだ。5人で遊んでいて、1人が喋ったり動いたりしている時に他の全員が黙って立っている、ということは現実的に考えるとやや不自然だろう。登場人物たちは決して物語のために創られたのではなく、現実の人間同様に脳と心臓をもった個性溢れる人間なのだということを自然に、さり気なく示している素晴らしいシークエンスだ。



・回想

今回は松原穂乃花の他にもう1人、1〜2話でクローズアップされた久世橋先生に再びスポットが当たる。今までは現在の時点における久世橋先生の描写がメインだったが、今回は過去を踏まえた上で今現在の久世橋先生を描いている。そこにこれまで謎が多かった烏丸先生の過去を混ぜ合わせ、「かつて烏丸先生(高3)に救われた久世橋先生(高1)が誰かを救える立場(教師)になった」という結論に達する。しかし実際、教師になったものの生徒たちとの距離感が掴めずに苦悶している状態から完全には抜け出せておらず、九条カレンのサポートによってだいぶ改善が図られた、という現状だ。


ちなみに、きんいろモザイクという作品において「回想」は珍しい。これも前述した「自然な日常生活を描く」というマナーに則っているためだ。回想が描かれる、というのは極めてフィクション的だ。だから出来るだけ「映像作品」であることを意識させる回想は省かれている。この世界にとっては久世橋先生が烏丸先生とどういう高校生活を過ごしてきたのかよりも、烏丸先生が大食いに夢中になっている今現在のほうが重要なのだ。



・結論

松原穂乃花はペルセポネ。