2015年秋期アニメ総括

学習能力ゼロなのでまた今年も12月31日にこんなことをやる羽目になってしまった。正直今年の12月はやること多すぎて真剣にアニメを視聴できなかった気がするのだけど、1クール終わる度にこれを書くのが恒例行事になってしまっているので、何とか捻り出して纏めてみた。これを書き上げる頃にはBUMP OF CHICKENが紅白で歌っていることだろう。



いつもの


評価方法

・評価ポイントは「ストーリー」「キャラクター」「演出」「作画」「音楽(OP・ED含む)」の5つ。各10点満点
・総合評価(ランク)は「SSS」「SS」「S」「A」「B」「C」「D」「E」「F」「Z」とする(各説明は以下参照)

「SSS」~生涯愛せる、墓場まで持って行きたい作品
「SS」~アニメの金字塔レベルの作品
「S」~何度観ても面白いと思える名作
「A」~傑作
「B」~秀作
「C」~良作
「D」~凡作
「E」~駄作
「F」~超駄作
「Z」~黒歴史



ランス・アンド・マスクス

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ストーリー 4
キャラクター 6
演出 5
作画 4
音楽 9
総合得点 28点
総合評価 D

騎士といえば中世ヨーロッパ、中世ヨーロッパといえば騎士。RPG全盛の時代に生まれたおれたちはその存在に幾分かの格好良さを感じていたことは言うまでもあるまい。「騎士道精神」なんて言葉は今でも細々と生き残っている。騎士に抱くイメージはその言葉通りだ。騎士というものからは負のイメージが浮かびにくい。そういえばおれが人生で最もやり込んだゲーム、FF10のルールーの七曜の武器「ナイトオブタマネギ」は剣士のくせして何を堂々と「Knight」を名乗ってるんだ「Sword」だろうが、と思っていたんだけどまあそれはどうでもいいですね。


『ランス・アンド・マスクス』、当初おれはオリジナルアニメだと思っていたのだが、調べてみると脚本家の子安秀明が執筆したライトノベルを原作としたアニメ、ということで中々面倒臭い経由をしている。最近の京都アニメーションKAエスマ文庫から出したラノベをアニメ化する、みたいな胡散臭さを感じてしまうのだけど、それはこの際置いておこう。重要なのはそれがおれにとって面白いものなのか面白くないものなのかということだ。非情なようだが、おれは面白けりゃ何でも正義だと思っているし、そのくらい割り切った方が意外と楽に生きられる。


で、この『ランス・アンド・マスクス』、序盤は結構面白くてそれなりに楽しく視聴していたのだけど、中盤に差し掛かってから雲行きが変わってきて、終盤になると完全に死んだ魚の眼で視聴していた。やっぱり初めから存在している原作に手を加えてアニメ用の脚本を仕上げるのと、そもそもの原作を書くのとでは全く勝手が違うということだろう。子安秀明の持ち味が3割くらいしか出ていなかった。GJ部ラブライブ、さばげぶ、うまるなどで発揮できていた良さが『ランス・アンド・マスクス』には存在しないのだ。


そもそもキャラデザの時点で(これ戦闘ものにもっていくのはキツいのでは…?)という感じだったので、主人公の葉太郎が真緒を救う物語から葉太郎自身の物語にスライドしていったあたりから不安はあった。バトルを主軸にするのではなくヒューマンドラマっぽく仕立てた方が案外成功していたような。あとオチ要員としてもバトル要員としても依子さんに頼りすぎ。そのせいで全体的にワンパターンに見えてしまった。色々勿体無い。



ヤング ブラック・ジャック

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ストーリー 6
キャラクター 6
演出 4
作画 7
音楽 7
総合得点 30点
総合評価 C

手塚治虫がいなかったら日本においてアニメというものを見る機会はなかったかもしれない。それはおれにとって『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』といった漫画の神様が生み出した作品群よりもずっと重要な事実なのだ(アニメーターの過酷な労働環境云々といった問題は未だ解決されていないが)。しかしおれは手塚治虫の作品でまともに読んだことがあるのは上記2作と『火の鳥』、そして『ブラックジャック』だけなのであまり語るところがない。


その『ブラックジャック』も小学生の時に読んだので今となってはだいぶ記憶が薄れてきている。10年ほど前に放送されていたアニメが無かったら主人公のブラックジャックとピノ子のことしか覚えていなかったに違いない。そういや10年前ってギリ中学生だった頃じゃないか。この10年間何をやっていたんだ。おれはあの頃と変わらずJanne Da Arcの「月光花」を聴いているよ。何なんだこの人生は。


原作『ブラックジャック』がどうだったかはほとんど覚えていないので比較のしようがないのだけど、今年10月から放送されたこの『ヤング ブラックジャック』というアニメは不条理の塊みたいな物語なのでとにかく視聴にかなりの体力を要する。国民的な作品がベースになっているとは思えないほど視聴者を選ぶ、というか篩にかけてくるアニメだ。もちろんブラックジャックこと間黒男の生い立ちからして不条理極まっているのだが、ピノ子がいるのといないのとでは作品の雰囲気がだいぶ変わってくるのだということはわかった。昔は気付かなかったピノ子の有り難み。アッチョンブリケ言ってるだけのマスコットキャラじゃあなかったのである。



ハッカドール THE・あにめ~しょん

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ストーリー 5
キャラクター 9
演出 9
作画 8
音楽 8
総合得点 39点
総合評価 B

今期のショートアニメの中で一番ハマったのはソメラちゃんでもてーきゅうでもなくこれだった。約7分の中に膨大な情報量がつめ込まれているのだが、それを視聴者にまるで感じさせないほどタッチが軽い。これは極めて高等な技術なのだけど、そういうテクを駆使していることさえも気付かせず、どこまでも泥臭く笑いを追求しているあたりが好印象だった。1人選ぶとしたら3号です。



ミス・モノクローム -The Animation- 3

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ストーリー 4
キャラクター 6
演出 4
作画 6
音楽 4
総合得点 24点
総合評価 E

弾切れ感が否めなかった。



影鰐-KAGEWANI-

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ストーリー 3
キャラクター 5
演出 6
作画 5(?)
音楽 4
総合得点 23点
総合評価 E

闇芝居...闇芝居が見たいんだおれは...



蒼穹のファフナー EXODUS

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ストーリー 8
キャラクター 8
演出 9
作画 7
音楽 8
総合得点 40点
総合評価 A

いつだったか、「『ファフナー』はそれ自体が想定している視聴者の知的水準と人生経験が高めに設定されている」という記事が話題になって、まあ確かにそうなんだけどちょっとその認識は正確ではないよな、でもおれは他人のそういう言論というか批評にあんまり首突っ込みたくないんだよな、と思ってその話題を脳内のゴミ箱に捨ててしまったのだった。「感想」ならおれは千差万別、人の数だけ答えが存在するものなのでおれは肯定も否定もせず「なるほどね」という態度を取るだけでよかったのだが、ことこの手の断定的な批評となると話は変わってくる。だってそれは明らかに断定していいものではない、明らかに綻びがある言説なのだから。


このかつて話題になった記事の何が問題なのか。それは「知的水準の高い人間こそが『ファフナー』を楽しめる、裏を返せば『ファフナー』を楽しめるのは頭の良い人間だけだ」と決め付け、執筆者自身をその頭の良い方のカテゴリに分類している点だ。同時に「受け手にストレスになる要素を排除して簡単なレベルの話しかしない」作品を中高生や疲れた熟年層向けのものと決め付け、下に見ている点もいただけない。おれの友人で東大の法学部に在籍している男は『けいおん!』を心底愛している。奴は「『けいおん!』には行間に無数の物語が詰まっている」と言っていた。それが真実なのかどうか馬鹿なおれには分からない。だが、頭の良い人間だって(見た目には)ストレスが排除された作品を楽しむし、その逆も然りだ。


確かに、高ストレス高リターンの物語で面白いものはある。だが全てそうではない。そもそもその「面白い」は誰の感情なのか。視聴者全員からアンケートを集めたわけでもあるまい。つまり執筆者は自らの「面白さ」という価値観に従って記事を書いたにすぎないのだ。だから「面白い作品というのは基本的に高ストレス高リターンだ」という言い切りがおれは許せなかった(「基本的に」という言い回しで言い逃れの道を用意しているのも腹立つ)。だってそうじゃないのだから。ストレスが排除された無菌室のような作品にも面白いものはある。むしろ最近はその傾向が強い。作り手側が「無菌室で面白くする方法」をようやく会得してきたからだろう。


いよいよ話が本題から逸れそうなのでファフナーに戻そう。ここまで見た人には「こいつファフナー嫌いなのかよ」と思われそうだがそれは違う。おれはファフナーが好きだ。おれが上記の内容で否定したかったのは「ファフナーは知的水準も人生経験も関係なく誰もが楽しめる作品」だということだ。無意味にファフナー視聴者を減らすような真似は止めてほしかっただけだ。1期と劇場作を見れば誰もがしっかりと内容を理解できる。未視聴の方もどうか怯まずに歩を進めてほしい。




ノラガミ ARAGOTO

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ストーリー 8
キャラクター 9
演出 8
作画 7
音楽 9
総合得点 41点
総合評価 A

『アライブ-最終進化的少年-』という傑作漫画が存在していることを知らない人間は意外と多いらしい。かく言うおれも、10巻発売時に友人に教えてもらってハマり込んだクチである。非常に細やかでありながらいざ戦闘になると迫力やスピード感が物凄く伝わってくる絵と、重苦しいテーマを一見するとそうとは気付かせないように細部まで練り込まれた知的なシナリオ。おいおい天は二物を与えずじゃあなかったのかよ、と思ったら原作担当と作画担当の分業体制だったことを知ったとき「ああそうか」と腑に落ちたことを今でも覚えている。しかし、たくさんのキャラクタが出てくるのに、全員を最大限に活かす河島正の手腕に匹敵する漫画家は今尚ほとんど現れていない。若くして癌で亡くなったことが本当に悔やまれる。


そして『アライブ』の作画担当だったあだちとか(安達と渡嘉敷の2人組)が新たに連載を始めたのが『ノラガミ』である。アライブ同様カタカナ4文字であるあたりに河島正へのリスペクトが感じられる。正直、連載当初はシナリオに粗が目立ち、そこまで面白くもなかった(アライブは最初から面白かったので、おれはこの時点で少しずつ読む気を失ってゆく)。いくら作画が素晴らしくても、おれは結局のところシナリオが良くなければ読めないのだな、と認識し始めた頃、転機が訪れる。


それがこの『ノラガミ ARAGOTO』の半分を占める毘沙門天のシナリオだ。これがもう、ついに河島正が宿ったのではというほど圧倒的に面白い。たくさんいるキャラクタ全員を最大限に活かすストーリーテリングはまさに河島正の得意とするところだ。神器たちを守るために戦う神、神を貶めようと裏で暗躍するもの、神と野良を救おうと立ち回るもの、奪われた大切なものを取り戻すために戦うもの、様々なキャラクタの様々な思惑が交錯していながらも、決して複雑には感じさせず、それでいて手際よくひとつひとつの問題を解決していく。原作を読んでいたときも(これ完全に河島正じゃん!!!!!)と興奮していた。そして大人の事情によりアニメ化の道が閉ざされてしまった『アライブ』の無念を晴らすかのように、『ノラガミ ARAGOTO』におけるこの毘沙門天のエピソードは非常に丁寧に描かれていた。作画、演出、音楽、声優陣の演技。全てが渾然一体となった瞬間、不覚にも泣きそうになってしまった。もしも『アライブ』が放送されていたら、そんな夢を叶えてもらったかのような心地だった。


正直なところ、毘沙門天のエピソード以降のノラガミはまた面白さが薄まってしまう。しかし毘沙門天のエピソードだけでも充分にアニメを観る価値はあったと言える。確かにおれは『アライブ』を好んでやまない。しかし『ノラガミ』だって再び毘沙門天の頃の輝きを取り戻せると信じているし、ひいてはアライブにおける河島正の実力をあだちとかが身に付けて、いつかおれに「『ノラガミ』は『アライブ』を超えた」と言わせてくれる日が来ると願っている。河島正のDNAを受け継げるのはこの世であだちとかしか存在しないのだ。だからどうか頑張ってくれ。



学戦都市アスタリスク

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ストーリー 5
キャラクター 7
演出 7
作画 7
音楽 8
総合得点 34点
総合評価 C

2015年にもなると、既に手垢に塗れた表現や物語でさえ「一周回って新しい」と評価されるようになる。時間の経過というのは必ずしも全てをオールドタイプに押しやってしまうわけではない。過去の遺物であったはずのものを真新しいものとして引き揚げ、再生させられる可能性を広げることだってある。あるいは古典と呼ばれるものは時間の経過とともに不可侵の場所まで押し上げられ神格化されていく。表現や物語の古さはここでは問われない。時としてそれをリアルタイムで体験した世代と後追いで体験した世代との断絶を生んでしまうそうした古典は、しかしながら全てを頭に叩き込む必要はない。ほぼ確実にそのフォロワーが山ほど生まれてくるからだ。


予め言っておくと『学戦都市アスタリスク』には何の新しさもない。過去の遺物を構成する要素を取り出して再構成した作品だ。そのうえ不幸なことに、今期は似たベクトルの『落第騎士の英雄譚』も放送されており、その第1話の内容が酷似していたと話題になる有様だ。しかしだからといって、このアニメがつまらないかと言われるとそうではない。冒険をしていないだけあって全てが無難に纏まっている。登場人物たちの容姿や個性、物語の筋運び、世界観や細かい設定、そのどれもが既存のバトル・ファンタジーものの枠をはみ出ることなく収まっている。ただ「一定時間のみめっちゃ強くなれる」というのは極度な修行や挫折を描く必要がなくて便利な設定なんだろうな、とは思うんだけど、時間制限があるのはウルトラマンだけで充分なんですよ。そこから未だにほとんど何も変わっちゃいない。


ヒロインたちはテンプレートに沿ったような言動や行動を繰り返しているものの、加隈亜衣・井澤詩織・小澤亜李という絶妙な布陣により上手くアピールポイントを引き出せていた。三者とも非常に声質が良いのでキャスティングはそこらへんをしっかり意識したのだろう。一歩引いた場所にいたクローディア・エンフィールドを演じていたのが技巧派の東山奈央だったという点も重要だ。物語の平凡さをヒロインのパワーで適宜カバーしていくストロングスタイルぶりはこのアニメの中で一番「今風」といえる要素だった。


正直なところ分割2クールでやるほどの内容ではない気がするのだが、突然変異の如く爆発的に面白くなる例も存在するし(だが今のところ「分割2クール」という放送形態で2クール目から面白くなったアニメをおれは知らない)、今更『落第騎士の英雄譚』のほうを2クールやってほしいと言っても仕方ないので静観しているとする。



落第騎士の英雄譚

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ストーリー 10
キャラクター 10
演出 10
作画 9
音楽 8
総合得点 47点
総合評価 S

ここが全てにおいて満たされた理想的な世界だとすれば創作というものは生まれはしないだろう。絵画も彫刻も映画も小説も音楽も。しかし一口に「理想」とはいっても、その価値観は人それぞれであり、誰もが満たされた理想的な世界というのは実質的に存在し得ない。例えばおれにとっての理想は「毎年1億円の不労所得を手に入れられる」というものだが、これは誰かにとっては全くもって理想とは程遠いかもしれない。人の数だけ理想があり、理想の数だけ答えがある。正義や悪に絶対がないように、価値観にも絶対はない。おれにとっての好きは誰かにとっての嫌いかもしれないし、その逆もまた然り。だから世界に平和は訪れない。常にどこかで誰かが不満を抱えている。そうした不満や満たされない欲望、何かを成し遂げようとする心が人を創作の道へと駆り立てる。


主観を排することのできない創作だからこそ、凄まじく好きになることも嫌いになることもある。たったひとつの要素が入り込んだり抜け落ちたりすることでそのバランスは容易に変化する。だから面白い(こうやって長々と書き連ねた文でさえも主観からは逃れられないことも含めてだ)。創作とは往々にして作者の主観がこれでもかと前面に押し出されているもののほうが面白い。ピカソシューベルトがそうであったように。


さて『落第騎士の英雄譚』だ。主観的に言わせてもらえばこれ以上ないくらい面白かった。もう文句無しに面白かった。久しぶりにライトノベル原作で真正面から面白いアニメに出会った。それも斜陽になっていたはずのファンタジー・バトルものだ。色々な要素を詰め込みながらも根幹はあくまで戦闘だというのも今時珍しい。珍しいがゆえにとにかく熱い。物語の熱量に引っ張られるかのように作画もどんどん力強さを増してゆく。最終回の戦闘シーンは作画そのものというより原画1枚1枚に宿る熱量をこれでもかと見せつける圧倒的なものだった。


作者の熱量もまた物語の節々から伝わってくる。とにかく純粋に「戦い」というものの正しさ、熱さ、美しさを信じている。登場人物たちもその信念を内に宿し、それぞれの思いを戦いの場にぶつけてくる。特に主人公の黒鉄一輝は、その大人しさからは想像も付かないほどの信念を秘めていて、背負わされた宿業を振り払うかのように戦闘を重ねて己の強さを確実なものにしていく。黒鉄一輝が最初から強いという点をおれは初回で批判していたが、あれは間違っていた。物理的な強さは確かに備わっていたが、精神的な強さには伸び代があったのだ。黒鉄一輝が戦闘、そしてステラとの恋愛を通じて成長していくことがこの物語の根幹を成している。


また、安易に一輝が多数のヒロインからの好意を放置せず、即座に本命をステラに絞って話を進めたのも良かった。おかげでラブコメパートはもちろん、最終回で完璧なオチをつけることができた。個人的には主人公が鈍感でヒロインたちの好意に気付かずにダラダラとラブコメが繰り広げられる光景にはうんざりしていたので、最初に相手を決めて距離を近づけていくこのアニメのスタイルは非常に好ましかった。ステラも一輝が選ぶのを視聴者に納得させるほどの魅力をもったヒロインだったし、一輝の妹の珠雫やそのルームメイトの有栖院凪も非常に良いキャラだった。特に有栖院凪は所謂オネエ系のキャラなのだけど、これほどまでに上手く(ギャグ以外の要員で)オネエ系のキャラを立ち回らせている物語をおれは知らない(タイバニのネイサン(ファイヤーエンブレム)とか思い付いたけど彼はギャグ要員もこなしているので除外した)。


簡潔且つ細部まで練られた物語と、必要最小限に絞られた個性の強い登場人物たちが相乗効果を生み、面白さを何倍にも引き上げている、おれにとっては紛うこと事なき理想的な作品だった。はっきり言って死ぬほど2期を見たいのだけど、同時にここで終わったらすげえ綺麗だよなという気持ちもある。難しい。



終物語

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ストーリー 7
キャラクター 9
演出 7
作画 8
音楽 6
総合得点 37点
総合評価 B


化物語』を初めて観てからもう6年も経っていることが俄には信じ難い。もう何回も何回も何回も言っていることなのだけど、ここ5~6年の時間間隔が完全に壊れてしまっている。どうやら高校を卒業してから狂ったようだ。何だかんだあっても学生時代って基本的に時間の流れってゆっくりしていたように思うわけです。それが大学、社会人とランクチェンジするにつれて明らかに時計の針が倍速で進むようになった。この利点としては「嫌なことがあっても昔よりは体感時間が短く済む」ということなんだけど、それ以上に「時間に置いて行かれている」という負の感覚が強くて非常にしんどい。昔バカみたいに遊びまくっていた友人が今や立派に社会人やっていたり、結婚して夫や妻になっているのを見るのも中々にショックがでかい。この前招待された結婚式も、出席している間はもうそれは楽しかったのだけど、式から帰宅して即座に就寝し、翌日起きた時に「あの楽しかった時間は夢だったのではないか」という不安に襲われた。


物事には必ず終わりがある。それは人間とて例外ではない。おれが人生の中で出会った全ての人間はみな等しく死んでしまう運命にあるし、これを書いているおれも明日には死んでしまうかもしれない。物語の終わりは語り手が決められるが、人間の終わりは(自死という行動を除けば)その人間自身が決めることはできない。「悔いのない人生を」みたいなフレーズをよく目に/耳にするが、そんなことは無理に決まっているのだ。間違いなく死ぬときには何かしらの後悔が残っている。そもそもおれは石油王の子供に生まれて一生遊んで暮らしたかったので現在進行形で自分の運命を悔やみ続けている。今からでも何とかして石油王の養子になれないか考えているが、さすがのおれも石油王に繋がる人脈を有していない。市長や歌手やアイドルとの人脈はあるのになぜ石油王との人脈がないんだおれには。つらい。


終へ向かう物語。『終物語』。そのはずなのに「来年には『傷物語』の映画が公開される」という時系列の歪みが生じている。『傷物語』って本来『化物語』の次にやらなきゃいけないはずの話なのに、散々「もうすぐ公開!!!」と言ってここまで引きずってきたせいで肝心の物語シリーズ自体が死に瀕しているという状況をシャフトはもう少し重く受け止めるべきだ。物語シリーズは話が進むにつれて明らかにアニメ向きの内容ではなくなってきた。つまり根本の「会話劇」の部分が剥き出しになってきて、その結果アニメーションである必要がなくなってしまったのだ。これならドラマCDで充分。そう思っていたところにこの『終物語』のアニメが投下される運びとなった。


結論から言うと、『終物語』は物語が終わりに近付くに連れてダメになってきた。最初の1時間スペシャル「おうぎフォーミュラ」や老倉育のエピソード「そだちリドル」「そだちロスト」なんかはめちゃくちゃ良かったのに、阿良々木暦と忍野忍、そして過去の眷属の話「しのぶメイル」になってから途端にパワーダウンしてしまった。この物語シリーズのアニメは「いかに会話劇を退屈せずに見せるか」というのが至上課題のはずなのに、それがこの「しのぶメイル」においてはまるで出来ていない。このように前半6話と後半5話でまったく出来が違うため非常に評価に困った。しかし結局おれはいずれ公開されるであろう『傷物語』3部作を観に行くのだろうし、そう思っている時点で物語シリーズとしては勝利なのだろう。



進撃!巨人中学校

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ストーリー 1
キャラクター 5
演出 4
作画 5
音楽 4
総合得点 19点
総合評価 Z

(これアニメでやる必要あったか…⁇)



温泉幼精ハコネちゃん

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ストーリー 5
キャラクター 6
演出 5
作画 4
音楽 5
総合得点 25点
総合評価 D

右から左へと流れていくタイプのアニメだった。温泉だけに!!!!!



小森さんは断れない!

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ストーリー 6
キャラクター 6
演出 5
作画 5
音楽 8
総合得点 30点
総合評価 C

小森さんが断るところを見たいだけの人生だった。



コメット・ルシファー

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ストーリー 2
キャラクター 4
演出 6
作画 5
音楽 9
総合得点 26点
総合評価 D

料理が出来ない人間はだいたい「分量や調理時間などを細かく考えすぎて身動きが取れなくなる」「絶望的に手際・手先が悪い」「味覚が死んでいる」といったタイプに分類できる。中でも最も厄介なのが3番目に該当する人間だ。上2つはまだ改善の余地があるのだが、こと味覚というものに関しては普通の人間と同じようにチューニングし直すというのが極めて難しい。一度決まってしまった味覚というものは、歳をとって自然に変わっていく(おっさんになってくると苦味や酸味、薄味のものが好きになってくるあれです)以外にもうどうしようもない。


どんなに高級な食材を揃えたところで、シェフが無能ならそれらの食材は生ゴミに成り下がる。逆に言えば超一級のシェフにかかれば生ゴミ一歩手前の材料でも高級料理に仕上げることが可能だということだ。ちなみにおれの母方の祖母なんかは今でこそ社長業に勤しんでいるが、夫(母方の祖父、おれが5歳の時に他界した)が社長だった頃は料理に全精力を傾けていたらしく、遊びに行くたびに顎が外れるくらい美味い飯を食わせてもらっていた。おれにとって最も身近で最も尊敬すべきシェフは祖母だったわけだ。今でも月一で野菜や海産物を送ってくれるうえにその食材の最適な調理方法を紙に書いてくれているので全く頭が上がらない。


このままだとおれと祖母のほのぼのエピソードで終わってしまいそうなので『コメット・ルシファー』の話をしよう。これほどまでに事前情報でワクワクしたアニメは最近あまりなかった。なかっただけに、いざ蓋を開けてみて出てきたのが王道ファンタジーでもボーイミーツガールでもなかったことに絶望した。正確には「なれなかった」のだ。素材だけ見れば間違いなく一級品のものが揃っている。世界観、キャラ・メカニックデザイン、音楽、背景美術。そのどれもが「傑作」が生み出される予感を抱かせるには充分なものだった。そう、食材は一級品だった。しかしその調理方法を間違えてしまったのである。


これほど普遍的に愛される素材を揃えたのだから設定はまったく複雑にする必要はなかった。主人公とヒロインたちの一派とヒロインを狙う悪の一派がいて、悪の一派に攫われたヒロインを主人公たちが助けに行く。それでよかったはずだった。監督の菊池康仁がこの物語を「フェリアの成長」を軸にしたのがいけなかった(ナタリーのインタビュー参照)。どう考えてもこの物語の主人公はアマギソウゴであるはずだ。視点もソウゴのものが圧倒的に多い。フェリアを「謎の少女」と思っているのは主人公も視聴者も同じことで、フェリアの成長が軸になるならその時点でフェリアの内面を描く必要が生じ、そうすると謎は謎ではなくなる。また、仮にフェリアの成長を描きたいのならば、ソウゴが成長する様子を早い段階で示し終わるか、「ソウゴとフェリアは共に成長していきますよ」と示唆する必要があった。この物語におけるソウゴの成長過程はあからさまなものだったが、フェリアの成長は本当によくわからない。物理的には突然身体が大きくなったこと、精神的には恋心を覚えたことくらいだ。フェリアが元々どんな思考の持ち主で、どのように性格や行動が変化していったかが伝わってこない。また、ソウゴとフェリアに力を注ぎ過ぎた・設定を面倒臭くした結果、他のキャラクタの描写がとにかく雑になっているという悲しい皺寄せが生まれている。敵にも味方にも魅力がない。これじゃあラピュタにはなれないよ。



ワンパンマン

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ストーリー 6
キャラクター 6
演出 10
作画 10
音楽 6
総合得点 38点
総合評価 B

作画!!!!!作画!!!!!!!!!!!



ゆるゆり さん☆ハイ!

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ストーリー 8
キャラクター 9
演出 9
作画 9
音楽 7
総合得点 42点
総合評価 A

生半可に百合好きを標榜する人間は何らかの形で不幸になってほしいのだけど、最近は何が百合で何が百合でないのか、境界線が曖昧になってきているので難しい。「○○って百合なんだよなあ…」と言われれば「確かに百合だな…」と返すコンセンサスが得られつつあるし、見ようによってはもう何でも百合になってしまう時代がいよいよ到来したなという感じだ。まあしかし、おれの原点は『雨の塔』あたりに置いてあるので、あっけらかんとした陽気な百合作品にはどうも抵抗がある。


「百合」というのは本来許されざる、どこかシリアスな雰囲気が漂っているものだというようなイメージがおれの中に根付いていて、まあ同性婚が世界の色々な国で認められている現状ではそうした印象はナンセンスなのだろうが、それでも退廃的な空気を漂わせたものでなければどうも百合作品として受容することが出来ないのだ。上述した宮木あや子の『雨の塔』や『あまいゆびさき』なんかはまさにそうした雰囲気が常に漂っており非常に好きなのだけど、Twitterでさえもこの2作を読んでいるという人間に中々出会えないので、関係者各位は是非とも死ぬまでに一読しておいていただきたい。


ゆるゆり』のアニメが最初に放送されたのは2011年。ここらへんから「百合」というジャンルがライト層にも広まっていた。元をたどれば『マリア様がみてる』なんだろうが、『ゆるゆり』はそれよりもさらにスーパーライト、とにかく作中から汚らわしい要素の一切を排除し、ひたすらにクリーンな世界を構築しようと務めている。汚らわしいのは千歳が鼻血を吹いたり、ちなつが暴走したりするくらいだろう。その徹底した品質管理が功を奏し、2期、3期、OVAと息の長いコンテンツに成長した。正直、4年前には『ゆるゆり』がここまで生き残るとは思ってもいなかったし、そもそも4年前からずっと『ゆるゆり』は百合ではなく日常系の延長上にある作品だと認識している。


だからといっておれが『ゆるゆり』を評価していないのかと言われればそれも違う。おれは『ゆるゆり』を日常系というカテゴリーの中では特に上位クラスに属する作品だと思っているし、その評価はこのアニメ3期『ゆるゆり さん☆ハイ!』を視聴しても変わらなかった。基本的にやっていることは派手さもない淡々とした日常の風景を切り取るという行為なのだけど、それが徐々に染みてくる。囚人が隠し持っていたスプーンで独房内の壁をひたすら削り続け、5~6年掛けて抜け穴を作った、みたいな光景を想像してもらえば分かり易いだろうか。心の壁をゆっくりと削られ、気付いた時にはぽっかり穴が開いているような感覚。だからこそこのアニメが終わってしまう時にはいつも、その空いてしまった心の穴と向き合わされ寂寥感に襲われるのだ。4期放送までにこの穴が埋まっていることを願う。



緋弾のアリアAA

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ストーリー 9
キャラクター 9
演出 8
作画 6
音楽 7
総合得点 39点
総合評価 B

2011年。それは日本のアニメーションがかつてないほどに傑作で溢れかえり、事実上新たなる黄金期を迎えた年であった。春夏秋冬問わず、次々と新しい傑作が産声を上げた。冬の『魔法少女まどか☆マギカ』『放浪息子』『IS』に始まり、春の『タイガーアンドバニー』『あの花』『花咲くいろは』『シュタインズゲート』、夏の『うさぎドロップ』『ゆるゆり1期』『異国迷路のクロワーゼ』、冬の『ましろ色シンフォニー』『輪るピングドラム』『アイドルマスター』『イカ娘2期』『WORKING2期』という錚々たる顔ぶれ。見ただけで失禁しそうなラインナップだがやはりその中でも『まどかマギカ』が最強だろう。しかしまあ見るものほぼ全てが面白くて、子供の頃からずっと続いているアニメ視聴体験の中でもやはりこの2011年というのは本当に特別な一年だった。これから先アニメを見ることが無くなったとしても、この年のことだけはずっと覚えていると思う。


思えば「百合」という概念が一般的なアニメ視聴者にも浸透し始めたのもこの年だった。もちろん『ゆるゆり』によるものである。当初、そこは男と女の生々しさを汚らわしく思った人間たちの逃避の地として利用されているようであまり良い気はしなかったが(今もそういう都合の良い百合好きは反吐が出るほど嫌いだが)、その後の百合というものの受容のされ方を見ていると、落とし所としてはゲイのそれと比べればまあマシなほうかな、と納得できるようになった。ゲイの扱われ方ときたらそれはもう酷いものなんだけど、退廃的で暗い雰囲気を纏った百合作品を好むおれのような人間が言及する資格はどうやらなさそうなので止めておこう。

緋弾のアリア』もまたアニメの黄金期こと2011年に放送されたアニメなのだけど、本家(ライトノベル原作のアニメ)は実は百合要素がまるでなかった。キンジとアリアのラブコメという要素がかなり強い。同じMF文庫原作アニメ枠の『IS』が前クールで大ヒットを記録したことにより、後続のこのアニメにも多大な期待が寄せられたが、結果的には中の中くらいに留まっていた。おれはBDやDVDの売り上げを人気の指標にするやり口が嫌いで仕方ないのだけど、『緋弾のアリア』は売り上げも中の中くらいだったように思う。おれが『緋弾のアリア』にそこまでハマれなかったのは釘宮ボイスのツンデレヒロインに食傷気味だったのと、物語自体にそこまで目新しいものが無かったことが主な原因だった。


で、4年の時を経てまさかのスピンオフ作品のアニメ化。それが『緋弾のアリアAA』である。しかも扱われているのは本家『緋弾のアリア』放送時にブレイクスルーした百合要素。今期はこれとヴァルキリードライヴマーメイドという百合二刀流のおかげで寿命が1年延びた人間がいるとかいないとか。『ゆるゆり さん☆ハイ』も仮に百合とするなら百合の三つ巴だ。そういえば見ようによってはゲッツも百合だしアスタリスクも百合なんだよな。まあそれはともかく、AAは第9話くらいまでひたすら主人公の間宮あかりを中心とした百合をこれでもかと繰り広げている。見てるこちら側が身震いしてしまうようなその百合に対する執念は本当に素晴らしかった。1話から9話までの内容だけならおれはかなり高い評価を下していただろう。それだけに10話から12話の内容が蛇足だった。いや、確かに間宮あかりを主人公とした物語であるのだから、間宮あかりの内面における成長を描かなくてどうする、という気持ちもある。しかしその内容が1〜9話までの内容とあまりにかけ離れている。高低差がすごい。猫カフェで寛いでいたら突然床に穴が開いて野犬の群れの中に放り込まれたような気分である。おれはこのアニメが『緋弾のアリア』のスピンオフであるからこそ、本家では出来ないくらい大いにふざけてほしかった。本家と同じ路線をたどれば本家同様中途半端なところに着地してしまう。それに何とか気付いてほしかった。勿体なかったし、悔しい。



俺がお嬢様学校に「庶民サンプル」としてゲッツされた件

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ストーリー 8
キャラクター 9
演出 10
作画 7
音楽 9
総合得点 43点
総合評価 A

先日の近況報告でキングオブコントM-1について触れたのだけど、近年は劇場に足を運ぶレベルのお笑いファンと、たまにテレビでやってる特番のネタ番組を見る程度のお笑い好きとの間には断絶と言っていいほどの溝があった。M-1全盛時代、フットボールアワーアンタッチャブルサンドウィッチマンが王道をほぼすべて開拓した結果、若手芸人たちは演劇的なコントやキャラクタ型漫才、あるいはそれらの型自体を無視したものなど、繊細でありながら最大限の衝撃を与えるようなネタを模索し続けていた。2010年のM-1に出場したジャルジャルなんかはまさに苦心している最中だった。そして2012年、THE MANZAIという場において若手芸人たちが模索していた革命的なネタがついに披露される。それがアルコアンドピースの「忍者」ネタである。コント的でありながらやっていることは漫才、それでいて今まで全く見たことのない新しい笑いの取り方。正直2010年代においてこのアルコアンドピースのネタを超えるものはもう生み出されないとさえ思っている。それほどあのネタは完成されていた。


一方で、いわゆる「一発屋」と呼ばれる芸人たちは『エンタの神様』以降も定期的に現れては消えていっている。『エンタの神様』が終わってからは『レッドカーペット』がその役目を引き継ぎ、『レッドカーペット』が終わってからは年末年始の特番だったり、M-1やR-1といった賞レースから一発屋が生み出されてきた。特にR-1に出場した芸人が一発屋になってしまう確率がここ数年非常に高いのが気になる。優勝した佐久間一行三浦マイルドやまもとまさみといった実力者があまりテレビに出てこない一方で、AMEMIYAやスギちゃん、今年だと厚切りジェイソンやとにかく明るい安村といった芸人たちがバラエティ番組などで活躍した。あとこれは余談だが、以前ガキの使いの山1グランプリで見た永野が今年になってブレイクしたのは本当に意外だった。人間どう人生が転んでいくかわからんものだ。


さて、そんな一発屋たちだが、テレビでの露出が減っても営業などで安定して稼いでいる芸人も存在する。有名どころだとテツandトモがまさにそれだ。まあしかしテツandトモは何だかんだで未だに大規模なネタ番組とかに呼ばれてネタやっているので一発屋とは言えないのかもしれない。そうなると、やはりここで名前を挙げるべきはダンディ坂野なのだろう。ブレイクしてから今に至るまでずっと同じことをひたすらやっているのにも関わらず地方営業は絶えず、度々CMにまで出演している。面白さは皆無だが華と分かりやすさを兼ね備えているので重宝されているのだろう。しかしこの前ネタ番組で久々にダンディ坂野を見たけど本ネタ自体はもうまったく面白くなかった。


面白くなかった...はずなのだが、この2015年において「ゲッツ」が面白いと思える異常事態に遭遇してしまった。言うまでもなく『俺がお嬢様学校に庶民サンプルとしてゲッツされた件』のせいである。まさかアニメの力で「ゲッツ」が面白くなろうとは、12~3年前のおれは考えてもみなかった。もう間違いなく賛否両論真っ二つに割れるアニメだと思うのだけど、元のタイトルである『俺がお嬢様学校に庶民サンプルとして拉致された件』の「拉致」が放送コードに引っかかるということで、泣く泣くアニメのタイトルが『俺がお嬢様学校に庶民サンプルとしてゲッツされた件』になってしまったというマイナスからのスタートだったはずなのに、そのマイナスを「ダンディ坂野を『ゲッツ監修』に起用する」という方法で見事にプラスに転じてみせた、その手腕は評価されるべきだろう。そしてその「ゲッツ」要素はもちろんアニメオリジナルのものなのだが、アニメでは完全に「ゲッツ」が物語の中心になるように魔改造されているので、当然原作とは完全な別物になっている(はず)。その差異が最大限に活かされているのが第10話「 前から気になっていたんだけど、ゲッツってなんなの? 」である。正直今期のアニメの中で一番笑ったのは間違いなくこの話だった。お嬢様学校に「ゲッツ」が挨拶として広まっていくという奇天烈すぎるアニメオリジナルエピソードなのだが、これが原作に準拠しているであろう他のどのエピソードよりもずば抜けて面白かった。


今まで散々「ギャグアニメ」と呼ばれるアニメが生み出されていたが(厳密には視聴者側が勝手に「ギャグアニメ」とラベリングしているだけなのだが)、このアニメはまさしく「ギャグアニメ」と呼ぶに相応しいだろう。本筋の「お嬢様が庶民の文化に惹かれていく」話とかラブコメとかもう全部どうでも良くなるほどに「ゲッツ」が輝いていた。まさかこんなところに一発屋再生の希望の光が差してくるとは。この調子で波田陽区やヒロシや髭男爵、最近だと日本エレキテル連合あたりをアニメとコラボさせて再生してやればWin-Winの関係でみんなが幸せになれると思います。



Dance with Devils

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ストーリー 7
キャラクター 7
演出 9
作画 8
音楽 7
総合得点 38点
総合評価 B

人生においてミュージカルを鑑賞した経験が2回しかない人間なのでミュージカルについて知った顔で詳細に語るといったことができない。でもミュージカルってのはやっぱり凄まじいパワーがあって、まあ歌と踊りと演技が代わる代わる披露されればそりゃ情報量が多いんだから圧倒されるだろ、というのは当たり前なのだけど、そういう言葉にさえ出来ない空気感というか、張り詰めた空気を裂くような演者の歌声が真っ直ぐに飛んでくるようなあの感覚、あれは生で観ないと味わえないものだ。ミュージカルというものは承知の通り値段設定が中々に高いのだけど、いざ観てみると(いや安いやんけこれ…今度もっかい観よ…)となってしまう魔力に誘われる。そう、おれは同じミュージカルを2回観たのである。


その演目が何を隠そう『美女と野獣』なのだけど、ディズニー映画の方を先に観ていてそれなりに思い出補正があったにも関わらず「ミュージカルのほうが最高だった」と思えてしまう、それだけのパワーがあった。おれがミュージシャンのライブとかあまり観に行かない人間だったから感動が倍増しになったという理由も考えられるが、それにしたってベルとビーストの目眩くロマンスを盛り立てる豪華絢爛な歌や踊り、ヒールながら発するオーラが主人公クラスだったガストン、そしておれが作中で最も気に入っているキャラクタであるポット夫人から溢れ出る母性は映画の比ではなかった。何千何万の言葉を尽くしても1ミリ足りとも満足のいく説明が出来ないこのミュージカルに誘ってくれた友人への圧倒的感謝を胸に、いつかもう一度くらいは観に行こうと思っています。来年あたり福岡で上演するみたいだけど遠い…さすがに遠い…


アニメーションでミュージカルの素晴らしさを表現するのははっきり言ってほぼ不可能に近い。突然歌い出したり踊り出したりするのはミュージカル最大の魅力であり面白さなのだが、この面白さがアニメになると笑いの方向性に変化してしまうからだ。それは『うたのプリンスさま』なんかを観れば明らかだろう。華やかで煌びやかなキャラクタが突然歌い出す、これがなぜ現実だとそのまま受け取れるのにアニメだとギャグ的なベクトルに変わってしまうのだろう。演出がウケ狙いになっている場合もままあるが、おそらく最大の理由は「通常の世界」の中に無理矢理歌や踊りといったミュージカルの要素をねじ込んだ結果なのではないか。現実のミュージカルは最初から役者の演技が浮世離れしているというか、明らかに日常での発声とは違う方法で喋ったりしている。乱暴に言えば日常パートと歌・踊りパートの境界線が存在しない。だから主人公たちが会話している最中にいきなり歌と踊りが披露されても不自然さはない。


対してアニメでは日常は日常パートとして、歌や踊りはミュージカルパートとして別々に描く。おれたちが生活している日常と地続きの世界と歌・踊りパートの間にはどうしても境界線ができてしまうのだ。そのため日常会話からいきなり歌や踊りに移行するとどうしても不自然に見えてしまう。その不自然が笑いを生んでいる、ということだ。「物語が歌や踊りを内包している」という考え方で作らないと、いくらミュージカルを意識していてもコメディ・タッチのアニメになってしまう。が、しかし今期放送された『Dance with Devils』は「笑っていいぞ」と囁いてくる。これは『Dance with Devils』の真髄は現実で実際に上演されるミュージカルのほうにある、ということを念頭に置いているからかもしれない。しかし、ミュージカルそのものを馬鹿にしたりすることなく、ギリギリのバランス感覚で笑いを生み出す手腕は見事だった。監督が女性(それも高松信司の影響を大いに受けたであろう吉村愛)だったこともあるだろう。これを男に作らせたら間違いなく駄作になっていた。「ミュージカルの本質を理解し、その歴史や伝統を汚さず、かつその面白さを最大限アニメに取り込む」といった高度な条件をクリアしている。もっと多くの人に視聴されるべき良作。



不思議なソメラちゃん

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ストーリー 7
キャラクター 7
演出 7
作画 6
音楽 5
総合得点 32点
総合評価 C

わけのわからなさだけだったら同作者の『あいまいみー』より上なのだけど、総合的には『あいまいみー』に軍配が上がる。この手の作品だとキャラクタってやっぱ重要だよな。



櫻子さんの足下には死体が埋まっている

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ストーリー 9
キャラクター 9
演出 8
作画 8
音楽 9
総合得点 43点
総合評価 A

おれの青春時代は旭川とともにあったと言っていいだろう。小学6年生〜高校3年生までの、人生における最も充実した期間を過ごしただけあって、おれは未だに旭川に愛着がある。北海道最大の都市である札幌に比べればまあ全然繁栄してはいないのだけれど、それでも欲しいものはほぼ全て揃っていた。家から自転車で15分程度のところに駅があって、その周辺にデパートやら飲食店やら雑貨店やらが密集している。高校生の頃、冬はその駅を経由するバス通学だったので(自宅前のバス停→駅前→学校)、学校帰りにそうした店に寄って本やCDを買っていくのが楽しみだった。なぜか旭川の駅前周辺の本屋は異常に品揃えが良いうえに店の内装が物凄くオシャレなので、休みの日には平気で2〜3時間くらい入り浸っていることもザラだった。


それに対してCDショップ玉光堂の品揃えは残念ながらいまいちで、基本的におれのほしいCDは取り寄せしてもらうことでしか手に入らなかった。その頃(2008年頃)にはAmazonがあったのだけど、おれは玉光堂のポイントを貯めることに並々ならぬ使命感を燃やしており、そうしてせっせと貯めたポイントだけでCDを買うのが至上の喜びだった。ちなみにポイントで購入したのは9mm Parabellum Bullet『Vampire』と
Phoenix『Wolfgang Amadeus Phoenix』だった。その玉光堂は洋楽がとにかく品薄だったのだけど、Phoenixの新譜は発売日からわりと大き目に宣伝されていて、なんだこれはと聴いてみたら完全にノックアウトされ、本来ポイントで手に入れるはずだったピロウズの新譜を購入することすら忘れてしまうというハマり方をしてしまった。


父親の仕事の都合により、旭川内でおれは(大町から末広へと)1度引越しをしているのだけど、どちらの場所においても歩いて5分以内のところに護国神社があった。護国神社から少し歩いたらスタルヒン球場があって、そこから更に進むとベスト電器やらミスタードーナツやらがある。で、その間あたりに曰く付き(本当かどうかは分からんが住んでいた人間が自殺したとかなんとか)の家があって、広大な敷地に豪勢な家が建っている、一目見ただけで別世界の人間が生活している場所なのだと分かるのだが、『櫻子さんの足元には死体が埋まっている』に登場する櫻子さんの自宅がおそらくここら辺にある。なので見た瞬間に(ああ、あそこか…)と気付くし、その時点で成る程この作品がどんな方向性なのかも分かってくる。まあタイトルの時点で察しの通りだが。


『櫻子さん〜』はミステリとしてはそこまでレベルが高くなく、青春ミステリ(おれはこのジャンル分けが好きではないのだが)のジャンルにおいても先駆者『氷菓』ほど完成度は高くない。しかし本作の真の主人公こと櫻子さんのキャラ造形が素晴らしく、一応主人公の役回りを任されているはずの館脇正太郎の存在感が霞んでしまっている。標本士で骨大好き、検死や薬物に関する知識も豊富という完全にやばいタイプの人間なのに、そうしたやばさが全部オセロ式に魅力に裏返ってしまうほど物語の中での立ち回らせ方が上手い。探偵役でもあり、監察医っぽくもあり、正太郎の理想で尊敬する女性像でもある。その場その場で物語から求められる役割に高いレベルで応えていく姿を見ていると、磯崎や内海が一目置いているのもよくわかるし、なによりこれだけ存在感があると(現段階で)鴻上百合子が正太郎に目もくれず櫻子さん一筋になっている状況が正常に感じられるのでよい。ただやっぱりミステリとしては少しだけ物足りないんだよな…



対魔導学園35試験小隊

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ストーリー 5
キャラクター 6
演出 6
作画 7
音楽 6
総合得点 30点
総合評価 C

ヒップホップという類の音楽の聴き方が残念ながら未だに分からない。「フロウが格好良い」「リリックの味わい深さ」とか言われてもピンとこない。唯一トラックの良さだけは分かるので、ラップとか関係なくトラックが良い曲だけを選んで聴いてきた。なので未だに一番好きで一番聴いた曲がNasの「No Introduction」だったりする。リリースされたのは2012年。この曲に関しても、もちろんラップの上手さとか全くもって分からないので、ひたすらトラックのほうに耳を傾けて聴いている。子供の頃に祖母の家のテレビやラジカセから流れていた演歌や80年代の歌謡曲、そしてエレクトーンを習っていた小学生時代に勉強も兼ねて聴いていたクラシックがおれの嗜好の根幹を形成しているので、メロディよりメッセージ重視の音楽というものにあまり惹かれないのは仕方ないのだけど、それにしたって全然といっていいほどヒップホップの良さが分からないのは自分でも謎だし、広く浅く音楽を聴いているおれにとって「聴けない領域の音楽がある」というのはこの上ない苦痛だ。


まず「歌詞が聴き取れない」というのがネックのひとつになっている。おれはTMTとかRAとかsputnikあたりを読んでいる+海外のレーベルから直接CDやレコードやカセットを購入する といったことをしているので読み書きに関してはわりと出来るほうだと勝手に自負しているのだけど、リスニングとヒアリングに関してはまあ酷いもので、遺伝的に耳が良くないこともあって(なので絶対音感身に付ける時の訓練が普通の人の倍つらかったし、結局完全には身につかなかった)、日本語ですら聴き取れない時があるのに外国語となると完全に呪文にしか聴こえなくなる。まして歌っている言葉を聴き取るなんてのは米粒に自分の名前を書くよりつらい。日本語の歌ですら何歌ってるかわからん時が多いのに。


あと、よっぽど声に特徴がないとヒップホップなんかは特に「みんな同じ」に聴こえてしまうのもつらい。アルバムに収録されている曲も同じように聴こえてしまうことはザラだし、ひどいときは違うアーティストの曲を聴いても「これさっき聴いたやつと何が違うかわからん」となってしまう。ラップってどうしても「歌声」というより「喋り声」に近いので声の区別とかが難しいのだ。ただでさえ日常生活においても声だけで人の区別をするのが苦手な人間なので、それがラッパーとなると尚のこときつい。しかしなぜか日本人のJPOP寄りのラッパーはわりと区別がつくので、やっぱ国柄の問題なのかもしれない。ちなみにおれが人生において最初に買ったヒップホップのCDはRIP SLYMEの「熱帯夜」だった。


外国のラッパーの声がどれも同じように聴こえてしまうように、おれは『対魔導学園35試験小隊』から「なんかこれ前にもどこかで見たことあるな…」以上の感想を得られなかった。「小隊」をテーマにしたところまでは悪くないのだが、そこから先が全てどこかで見たような展開、どこかで見たようなキャラクタ、どこかで見たような演出のオンパレード。残念ながら作者が「何を伝えたいのか」が最後まで分からなかった。各キャラごとにしっかり処理していく形で進むシナリオ構成自体は見通しが良かったのだけど、どうにも厚さと熱さが足りない。いっそのこと8話で草薙が杉波斑鳩に食われていれば面白かったかもしれない。



すべてがFになる THE PERFECT INSIDER

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ストーリー 8
キャラクター 8
演出 4
作画 4
音楽 5
総合得点 29点
総合評価 D

中学生の頃の一番の思い出といえば部活でも文化祭でも体育祭でもなく「塾」だ。なんで塾なのかというと、おれは練成会や北大学力増進会(中学時代は北海道在住だったので)といった大手学習塾ではなく「田中塾」という個人経営の塾に通っていて、そこが非常に緩い塾で「講義」というものが一切無くひたすら自主学習をさせるところだったのが大きい。考えてみてほしい。遊び盛りの中学生に自主的に学習をさせるというのは事実上不可能に近いわけだ。夜の6時半から9時までの間、先生が教室にいないときにおれ含めた6〜7人の生徒はひたすら遊んでいたのである。


中1の春におれが入塾したときには生徒数が3人程度だったのだけど、おれが入ったおかげで仲のよかった友人4人が立て続けに入塾し、この塾の話を学校内で度々していたら1年に2〜3人は入塾するようになった。なので先生もおれに対して結構甘いところがあって、当時から卑劣だったおれはそこに付け込んで塾を夜の遊び場に変えてしまったのである。もちろん先生がいる前では全員しっかり自主学習をしている。ここらへんがただの悪ガキとおれが一線を画す所以であり、中学を卒業して塾を出るまで可愛がられていた理由だ。ちなみに夏期講習のときには休み時間にメロンやアイス、冬にはケーキやホットコーヒーを貰っていたのだが、聞いたところによるとおれの代の生徒が塾を出て以降はあまり振る舞われなくなったらしい。


夜9時に塾が終わるのだけど、みんな家がそれなりに塾から近いので歩いて帰っていた。しかし何度も言うが遊び盛りの中学生がそのまま家に帰るはずもなく、近くのコンビニに寄って夏は棒アイス、冬はおでん(セブンイレブンだったのでおでんが美味かった)を買って食いながら帰っていた。そのコンビニの隣にはよく小銭が落ちているガソリンスタンドがあって、中3の夏に500円を拾った時は嬉しさのあまりその場にいた4人がわけのわからんテンションになって、結局セブンイレブンに入ってうまい棒を買えるだけ買うという暴挙に出た。最後はみんなで食い飽きたサラダ味を押し付け合っていた。


これがもしかしたらおれの学生時代において一番楽しかった記憶かもしれない。本当にくだらないことばかりしていたのだけど、社会人になってしまうとくだらないことが出来なくなってしまう。みんなくだらなさから卒業してまともな人間になってしまう。おれだけがあの頃まま止まってしまったのか、みんながおれを残して変わってしまったのか。願わくばみんなもう一度15歳のあの頃に戻ってきてほしい。すべてがFになる



新妹魔王の契約者 BURST

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ストーリー 7
キャラクター 9
演出 9
作画 8
音楽 8
総合得点 41点
総合評価 A

ハーレムという言葉が当たり前のように用いられる時代。始祖であり現在の絶対的王者は『To LOVEる』なのだが、そこに根付く思想は脈々と受け継がれてゆき、様々な作品でハーレムを目にするようになった。しかしそれらは「誰か1人を選ぶのが無理だから全員娶っちまおう」というある種の妥協を窺わせるものばかりだった。だがハーレムというのは本来そんな妥協の上に成立するようなものではなかったはずだ。「選べない」のではなく「選ばない」。選り好みをせず、誰も等しく扱う。ハーレムの中心たる存在がリトのようにどれだけ無自覚であろうとも、ハーレムを完成させるにはそれを意図的に仕組む存在が必要だ。それが『To LOVEる』においてはモモ・ベリア・デビルークであり、『新妹魔王の契約者』においては成瀬万理亜だった。


成瀬万理亜の存在なくしてこのアニメは成立しない。成瀬澪、野中胡桃、ゼストの3人は万理亜の後押し無くしてはハーレムに参加し得なかった(そもそも野中柚希を除くヒロインほぼ全員が気持ちを抑えてしまうタイプだったのはわりと珍しい気がするが)。ただ、『To LOVEる』と違うのは、意識的に「戦闘とハーレムを分けている」という点だ。それはアニメを見ていてもよく分かる。戦闘とエロとでは作画の力の入れようが全く違う。そしてそれはこのアニメにおいては圧倒的に正しい。突然入るギャグとしか思えない規制のやり方もそうだし、欲望に忠実すぎてもはや何を言っているのかわからないキャラクタ同士の掛け合いもそう。


そのくせ恐らくメインヒロインであろう成瀬澪は前戯を終えていざ本番に入ると、主人公の東城刃更のことを突然「お兄ちゃん」と呼び始める。それまで下の名前で呼んでいたのにも関わらず。普通なら「お兄ちゃん」という呼び方よりも下の名前で呼ぶ方が両者の距離としては緊密なはずだ。しかしそうはしなかった。ここにハーレム形成のための重要なポイントがある。『To LOVEる』におけるララが「リトの婚約者」という絶対的ポジションを獲得しているから(実際はそれだけが理由ではないのだが)余裕をもっているように、成瀬澪は「東城刃更の妹」というポジションを刷り込んでいくことで刃更からの寵愛を確固たるものにしているのだ。


みんな結構キャラ設定盛られまくっているのだけど、そのぶんハーレム構成員が少なめなのでバランス取れているな、という感じです。長谷川先生のポジションが未だ不明瞭とか滝川が便利屋になっているとか本当に戦闘がオマケになっているとか、そこらへんの不満はあるにせよ、エロとギャグにおいては1期より遥かに突き抜けており、それが清々しくさえあったので割と高評価だったりする。しかしどう考えてもこれ全10話じゃ尺が足りないんだよな。いい加減角川作品を中途半端な尺でアニメ化するのはやめてくれ。



ご注文はうさぎですか??

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ストーリー 9
キャラクター 10
演出 9
作画 9
音楽 10
総合得点 47点
総合評価 S

「日常系」というジャンル分けが当然のように為されている世界でおれたちは生きているわけだが、おれたちの日常とはそもそも何なのだろう。寝て起きて会社や学校に行って、一通り仕事や学業・部活を終えて帰宅、晩飯を食って風呂に入ったあとにテレビ見たり本を読んだり音楽を聴いたりゲームをしたり友人と長電話したり、何らかの自由時間を過ごして寝る、そして翌朝また起きて会社や学校に行って……という繰り返しのことだろうか。それくらいしか思い付かないが、そもそも「日常」とは読んで字の如く、繰り返しを伴うものだ。休日に思い切り昼まで寝て、夜までゴロゴロしたり、あるいはちょっとした旅行に出掛けたり、映画を見に行ったり好きなミュージシャンのライブに行ったり……といった生活はどちらかというと「非日常」に属する。おれたちは日常の退屈さから抜け出すために、休日にありとあらゆる楽しいことを行うのだ。そうしなければ日常の退屈さに殺されてしまうからだ。


ここで疑問が生じる。アニメにおける「日常系」に属する作品はどう見てもおれたちの過ごす「日常」とはかけ離れている。なにせ毎日が楽しそうなのだ。この時点でもう違う。いや、確かに学生時代、とりわけ中高生の時はおれも毎日が楽しかった。だから今の学生にとっての「日常」はアニメとそこまで差異がないのかもしれない。しかし社会人になると、よっぽどのことがない限り「毎日が楽しい!!!」とはならないのだ。おれは今まで生きてきて「勤労最高!!!一番好きな生き方です!!!」と言うやつを見たことがない。きっとこれからも見ることはないだろう。ここから「日常系」と呼ばれるアニメがなぜ社会人、それも社会の歯車に身を窶した社畜に人気なのかが読み取れる。


そう、実は「日常系」と呼ばれる作品における「日常」はおれたち社会人にとっての「非日常」なのだ。社会人ともなると休みも少なく、非日常を体験できる機会も限られてくる。だからこそ、正味25分程度で最大級の悦楽と幸福を得られる「日常系」のアニメを欲してしまう。「日常系のアニメは合法麻薬」と誰かが言っていたが、あれはあながち間違いではないだろう。無料で、たった25分程度で、身体に害を及ぼすことなく、言葉にならない幸福な気持ちに包まれ、最大一週間近く頑張ろうと奮い立たせてくれる、そんな素晴らしいものが今までこの世に存在していただろうか。存在していたとしても、それは法的にグレーゾーンのものか完全にアウトかのどちらかだ。しかしアニメは違う。何度見ても合法だ。これは大発明だ。おれを地獄の底から救ってくれた『きんいろモザイク』は何度視聴しようが一切罪に問われることのない最高の作品だ。煙草を吸うように、酒を飲み干すように、おれは今も『きんいろモザイク』を視聴し続けている。そうしなければ自我が保たないからだ。


さて、今秋から放送開始した『ご注文はうさぎですか⁇』は第1期の圧倒的人気を受けて制作された続編、つまり第2期だ。この『ごちうさ』という作品ほど「日常系でありながら常に非日常的」を体現しているアニメは他にないのではないか。舞台設定を見てもらえば分かると思うが、明らかに日本ではない。一応通貨単位は円になってはいるものの、明らかに建物とかが西洋風で、地面も石畳になっている。そもそも作者自身が「ストラスブールコルマールの街並みなどをモデルにしている」と明言している時点で間違いなく日本じゃない。登場人物には日本人の名前が与えられてはいるものの、ほとんどあだ名で呼ばれるのでやっぱり日本感はない。それが結果的に、視聴者を非日常の世界に誘う舞台装置として機能している。ヨーロッパのどこかの街を散策しているような、その街で暮らす少女たちの生活を見守っているような、そんな気分に浸らせてくれる。


しかし、2期では職業体験やキャンプのような、日本でもよくある「非日常」が描かれたりしているのだけど、これが『ごちうさ』が今まで作り上げてきた世界観を破壊しないギリギリのラインで成立していて思わず感動してしまった。こんなイベントを盛り込んでもなお一切揺るがない世界なら、それはもう現実に存在しているのと同じなのでは、と思ってしまう。もしかしたら現実にヨーロッパのどこかでココアやチノやリゼが喫茶店「ラビットハウス」で働いているのかもしれない。あるいは千夜が働いている甘兎庵や、シャロがバイトしている店があるのかもしれない。だが、やはりおれはそれらに行ってみようとは思わない。遠くから見ているだけで充分だし、近付いてしまうときっとそれは壊れてしまう。チマメ隊が楽しそうに歌って踊るEDを見てその思いは確固たるものになった。この世界はもう完成しきっている。何のピースも必要としていない。それならこのまま、どこまでもおれたちに夢を見せてくれればそれでいい。それだけでいい。


余談だが、先月発売されたチノのキャラクターソングCDが非常に良い出来だった。ごちうさ未視聴でも一聴の価値はある。



ヴァルキリードライヴ マーメイド

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ストーリー 9
キャラクター 9
演出 8
作画 8
音楽 8
総合得点 42点
総合評価 A

2014年の個人的ブームはレコードだった。「音楽を聴く」という目的を第一に考えていた(CDの置き場所がなくなってきたので余程思い入れのあるアーティスト以外はiTunesやbandcampなんかでダウンロード購入していた)おれが、ついに「物理的所有欲」に目覚めてしまったのである。音楽を聴くだけではなくインテリアとしての役割も果たしてくれるレコード。音質が良いとか悪いとかそういう次元の話とは別世界に存在するレコード。黒い円盤に針を落とす時の独特の高揚感と緊張感。そういうものに支配されてしまった。レコードを聴くために部屋の防音性を高めた結果、呼び鈴が聞こえないなどの問題が生じたが、そんなことがどうでもよくなるほどおれはレコードにのめり込んでいった。今年は去年ほどレコードを購入してはいないが、それでも遊び心溢れるFather John Mistyや無骨なMETZのレコードなど良い買い物をした。音楽を「所有する」という意味においてレコードを上回るものは今後現れないのでは、と思っている。


では2015年の個人的ブームは何かというと、これが自分でも意外なのだが「ハードカバー」だった。確か小学校高学年の頃にも一回ハマった記憶があるのだけど、自由に使える金が圧倒的に増えた今は、その時の比ではないほどハードカバーにハマっている。元々極度の活字中毒者で本を読むことを生業とし、生きている間に読める本より読めない本の方が多いことに憤りを感じてしまうタイプの人間なので、ここに行き着くことは当然の帰結だったのかもしれない。ハードカバーは確かに大きいし嵩張るし値段も高いし読みづらい。しかし家で読むなら大きさは気にならないし、作家のためなら多少の値段の高さも許容できる。経験を重ねれば読みづらいと感じることもなくなっていく。現に、おれは今「文庫本よりハードカバーのほうが読みやすい」という境地に達している。そして何より、おれがハードカバーにハマった一番の理由は装丁だ。


最近はとにかく装丁の凝った本が多い。今年とりわけ気に入った装丁は浦賀和宏『ふたりの果て/ハーフウェイ・ハウスの殺人』と宮城あや子『喉の奥なら傷ついてもばれない』の2作だったのだけど、これ以外にも近藤史恵『岩窟姫』、ジョン・ファンテ『バンディーニ家よ、春を待て』、円城塔『エピローグ』、畑野智美『海の見える街』、荻原浩『金魚姫』、大山誠一郎『赤い博物館』、嵩文彦『ダリの釘』…といった素晴らしい装丁の作品が多かった。加えて内容までも素晴らしかったので一粒で二度美味しい的な、非常に得した気分になった。ちなみに今年読んだ本ベスト20でも書こうかなと思ったが他に書くべきことが多すぎたので断念した。年の瀬に追い詰められるこの感覚、去年も味わった気がするんだけどおれは全く成長していないのか…???


で、音楽のダウンロード配信や電子書籍が普及して「当たり前」になったこの2015年という今において、レコードもハードカバーも全くもって新しいものではない。レトロな趣味といってもいい。しかしその古臭さを感じさせない「古さ」には抗えない魔力があって、それはこの2015年の終わりに放送された『ヴァルキリードライブ マーメイド』にも同じことが言える。金子ひらくの得意とするエロスが全開であり、黒田洋介が追い求め続けている熱量が限界まで詰め込まれている。一見すると使い古された要素を寄せ集めただけのように感じるかもしれないが、集中して見てみると、これが懐古主義により作られたわけではないことがわかる。やっていることは古いはずなのに全く古臭さを感じさせない。金子ひらくが見せつけるありとあらゆる角度からのエロスがそうさせるのかもしれないし、黒田洋介が何の恥じらいも迷いもなく王道のシナリオを書き上げたからかもしれない。しかし金子ひらくの表現するエロスは常に笑いと表裏一体なのが本当に凄い。裏を返せばどんなシリアスなシーンでも笑えてしまうということだ。『魔乳秘剣帖』で惜しくも出来なかったことがここでは全部出来ている。金子ひらく監督作品としては間違いなく最高傑作だ。あまりにあっけらかんとしたエロスのせいで視聴していない人もいるかとは思うが、是非一度この世界を最後まで体験してほしい。抜け出せなくなる。



あにトレ!EX

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ストーリー 5
キャラクター 9
演出 9
作画 8
音楽 8
総合得点 39点
総合評価 B

いつの間にかハマってしまっていた。アーススター漫画原作のショートアニメでようやくてーきゅうと肩を並べるものが現れたことを嬉しく思う。



アクエリオンロゴス

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ストーリー 7
キャラクター 8
演出 9
作画 6
音楽 9
総合得点 37点
総合評価 B

俺的完結する前に死ぬんじゃないか漫画トップ5にランクインしている『名探偵コナン』において5本の指に入るほど好きな「探偵甲子園」というエピソードがある。これは単行本第54巻に収録されているのだが、「確かこれ5〜6年前くらいの話だったよなー」と思って巻末を見てみたら「2006年7月15日初版第1刷発行」と書いてあったので心が死んだ。まじかよ。時間の流れどうなってるんだ。もうすぐ10年経つじゃねえか。まずい、圧倒的にまずい。おれが中3の時には既に発売されている。そのうえ単行本の後ろのほうに載っているサンデーのコミックス宣伝を見てみたら「焼きたて!!ジャぱん23巻」「ブリザードアクセル6巻」「史上最強の弟子ケンイチ21巻」「金色のガッシュ25巻」「メル14巻」「絶対可憐チルドレン5巻」「結界師12巻」などと書いてあり精神が崩壊した。


自分で言うのもあれだが、おれは2002年〜2010年頃までは非常に熱心な週刊少年サンデー読者だった。毎週買って載っている漫画を全部読んでいた。同世代の他の人間がワンピースやナルトやブリーチが一挙に連載されている少年ジャンプで盛り上がっている中、黙々とサンデーを読み続けていた。今でもおれの中ではサンデー>>>>>>>>>>超えられない壁>>>>>>>>>>ジャンプ である。おれの漫画遍歴はサンデーとともにあった。小学5年生から大学1年生まで、おれはサンデーと寝食を共にした。喜びも悲しみもサンデーと分かち合った。時には喧嘩もしたが一週間経つと仲直りできた。『コナン』『ガッシュ』『うえきの法則』『メルヘヴン』が同時に連載されている黄金期にも立ち会っている。サンデー読者としては非常に幸福な部類に入るに違いない。ちなみに、最近漸くかつての頃の勢いを取り戻しつつあるとのことなので、『だがしかし』のアニメが面白かったら再びサンデー購読してもいいかな、くらいの感じにはなっている。


さて、冒頭で触れた「探偵甲子園」が収録されている名探偵コナンの単行本第54巻には、その前日譚となる事件も収録されているのだが、そこである登場人物が「言葉は刃物、使い方を誤ると質の悪い凶器に変化する」と言っている。これはSNS全盛期の今こそ胸に刻むべき言葉だろう。忘れちまうようなやつは腕にタトゥーで彫っておけばいい。画面に表示された「文字」も言葉だ。画面の向こう側にいるのは機械ではなくひとりの人間だ。それを忘れている人間が多すぎる。炎上なんて生易しい言葉で表現すべきではない。これはもっと深刻な問題だ。それさえも皆忘れてしまっている。いや、考えないようにしているだけなのかもしれない。文字の発達は確かに文明を発展させてきた。新たな文化や表現を生み出してきた。しかしその陰で失われたものがあるという事実にも目を向けるべきだ。


アクエリオン ロゴス』とはとどのつまりそういう作品だ。文字がもたらしたマイナスの面に目を向けた陣営と、文字がもたらしたプラスの面を信じている陣営。両者の衝突により世界に危機がもたらされる。しかし、そういった難しいテーマを扱っていながら半分近くは笑いに徹したエピソードだったのが、良い意味で作品を軽くし、風通しがとても良くなった。まあアクエリオンシリーズなのでハナから真面目な話だけやるとは思っていなかったが、ここまでふざけられると何かもういいや、優勝〜!!という感じです。いや実際には優勝じゃないんだけど。



WORKING!!!

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ストーリー 9
キャラクター 9
演出 9
作画 8
音楽 9
総合得点 44点
総合評価 A

またひとつ愛すべき作品が終わってしまった。終わってしまったのに全く悲しさや寂しさを感じさせない。いやーよかったよかった、いいもん見れたなあという充足感に満ち溢れている。視聴すると常にこういう気持ちで満たしてくれるところが『WORKING!』が今日に至るまで愛され続けてきた最大の理由なのだと再確認させられる。小難しくもなく、気取ってもない、余計なものを削ぎ落としたシンプルな面白さ。大仰なシナリオの一切を用意せず、ひたすらに登場人物たちのパワーだけで物語を転がしてゆく。今風なのに今巷に溢れている作品群とは明らかに格が違う。


最終回タイトルだったり、登場人物たちの相関図を見てみるとこの作品の主人公は小鳥遊宗太だということが分かるのだけど、原作が4コマまんがということもあってか、同時に青春群像劇っぽい構成を有しているので視点がコロコロと変わっていく。それでも誰のどんな視点であれ物語の質は変わらない。常に安定した面白さを提供してくれる。登場人物の1/3が奥手という状況でありながらも、最近のラブコメ作品のように鈍感さを伴わせること無く、緩やかに人間関係を変化させていく手際が抜群に上手い。なぜこれがサーヴァントサービスで出来なかったのか。それとも敢えてやらなかったのか、今となっては知る由もない。


途中で原作読むのをやめてしまったので3期くらいからは先の展開を知らずにアニメを見ていたのだけど、最後にこんなにも全てが良い意味で都合よく在るべき場所に収まるとは、原作1巻を読んでいた頃には思ってもみなかった。全ての登場人物の一挙手一投足にしっかり意味があって、アニメのほうは4コマ漫画原作とは思えないほど物語がシームレスに繋がっている。それでいて職場が物語の中心なのに常にアットホームな空気に満ち溢れていて、最後はラブコメの方向へ収束するのに結局ホーム感を残したまま幕を引くあたりは流石分かってるなというところ。


伊波まひるは序盤こそ評価が真っ二つに割れる掟破りのヒロインだったが、小鳥遊宗太に恋心を抱いたことを自覚してからは誰にも文句を言わせないヒロインたる風格を纏っていた。そもそも女装趣味をもつ主人公と近付いてきた男を容赦なく殴り飛ばすヒロインという組み合わせの時点で普通のラブコメの器に収まるはずもない。クール過ぎて素の気持ちを表に出せないコックと常に刀を持ち歩いているウェイトレスという組み合わせも相当ぶっ飛んでいるが、こちらは何かもうこいつらいずれくっ付くんだろうなあと2巻辺りで予想出来てしまったので、落とし所に意外性はなかった。ただ八千代がバイト辞めるといった時点で同棲のフラグ立てたのかなと思ったらそんなことはなかった。『WORKING!』における男女交際のありかたは我々が思っている以上に「清く・正しく・美しく」を貫いているらしい。あと最後の最後でキングオブ普通こと松本さんにスポットが当たったので不満らしい不満はありません。



ジュエルペット マジカルチェンジ

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ストーリー 10
キャラクター 10
演出 10
作画 10
音楽 9
総合得点 49点
総合評価 SS

おれが初めてジュエルペットシリーズと出会ったのは今から5年前、2010年4月から放送開始した『ジュエルペット てぃんくる☆』だった。「不気味な生物たちが喋っている!!!」程度の認識しかなかったジュエルペットの面白さを知ったのもこのアニメが最初だった。土曜日の朝にやっている女児向けアニメにしては内容が重い。重いけど面白い。ちょっと気を抜くと突然泣かせにかかるエピソードとかもあれば、全力で笑いを取りにくるエピソードもあって、非常に振り幅が広かったことをよく覚えている。続く『ジュエルペット サンシャイン』は『てぃんくる』の影を微塵も感じさせないほどぶっ飛んだ内容で、稲垣隆行の手腕が存分に発揮された怪作に仕上がっている。


その次の『ジュエルペット きら☆デコッ!』『ジュエルペット ハッピネス』『レディ ジュエルペット』は面白いことは面白かったが、てぃんくるやサンシャインに並ぶほどの出来栄えではなかった。しかし『ジュエルペット ハッピネス』における運動会のエピソードはゲラゲラ笑い転げるほど面白かったので、このエピソードだけでも見る価値はある。が、ジュエルペットシリーズので面白さが失われていくに伴って、現実世界における関連商品などの売れ行きも芳しくなくなってきた。既存勢力のプリキュアや、新たに台頭してきた『アイカツ!』『プリパラ』に押されてきた。それでも、ジュエルペットは何だかんだで長寿シリーズになるだろう、とどこかで楽観視していた。


しかし、始まりがあれば終わりも必ずある。あの『笑っていいとも』でさえ終わってしまったのだから、ジュエルペットシリーズとて例外ではなかったのだ。いつかは来ると分かっていても、次々と放送されるジュエルペットシリーズを視聴することでその現実からは目を背けられた。だが、ついに、その現実と向き合わなければならない時がきた。


2015年初頭から放送開始したジュエルペットシリーズ『ジュエルペット マジカルチェンジ』。これがジュエルペットシリーズの最終作であることを知らされたのは皮肉にも2015年の終わり頃だった。いきなり衝撃の事実が突き付けられ、それを受け入れられないまま時間だけが過ぎていった。これがもし『レディ  ジュエルペット』の放送中に告知されたならば、おれは(まあ仕方ないな…)と納得しただろう。しかし、まさか『ジュエルペット マジカルチェンジ』の放送中にジュエルペットシリーズが終了することが告知されるとは思ってもみなかった。


なぜなら『ジュエルペット マジカルチェンジ』はほとんど文句のつけようがない名作だったからだ。もしかしたらこの圧倒的なクオリティは「ジュエルペットシリーズがこれで終わり」だとスタッフたちが分かった上で作っていたからかもしれない。結果的にこのアニメはシリーズ最終作に相応しいものとなり、見事に有終の美を飾ってみせた。いつもどんな角度からでも笑わせにかかってきたこのアニメに最終回付近で泣かされるサプライズもあり、それでもやっぱり最後には己の矜持を貫き通して笑いを取りに来る、その信念の強さに圧倒された。みんなで雑に歌うEDからは溢れんばかりの楽しさが伝わってきたと同時に、本当にこれで終わりなのだという寂しさも伝わってきた。それでもラスト、母親になったあいりとルビーが再会するエピローグが救いになった。


ジュエルペットシリーズが終わろうともおれたちは生きていくしかない。そしていずれ、ジュエルペットシリーズに代わる新たな女児向けアニメが放送されることだろう。失ったものはもう取り戻せないが、新しいものに希望を見出すことはできる。後ろを見れば死にたくなるのだから、今は前を向いているしかない。願わくば、新しく始まるアニメには「ジュエルペットシリーズを超えた!!!」と思わせてもらいたい。そうでないとジュエルペットシリーズが終わってしまった意味がないのだから。





◆各項目ベスト3◆

※「今期」という括りなので『ジュエルペット マジカルチェンジ』『WORKING!!!』は除外しています

ストーリー
1位 落第騎士の英雄譚
2位 ご注文はうさぎですか??
3位 ヴァルキリードライヴ マーメイド


キャラクタ
1位 ご注文はうさぎですか??
2位 落第騎士の英雄譚
3位 櫻子さんの足下には死体が埋まっている


演出
1位 落第騎士の英雄譚
2位 ワンパンマン
3位 俺がお嬢様学校に「庶民サンプル」としてゲッツされた件


作画
1位 ワンパンマン
2位 ご注文はうさぎですか??
3位 落第騎士の英雄譚


音楽
1位 ご注文はうさぎですか??
2位 コメット・ルシファー
3位 ノラガミ ARAGOTO




◆ベストキャラクタ◆

女性

1位 チノ(ご注文はうさぎですか??)
2位 ステラ・ヴァーミリオン(落第騎士の英雄譚)
3位 処女まもり(ヴァルキリードライヴ マーメイド)



男性

1位 黒鉄一輝(落第騎士の英雄譚)
2位 チノの父(ご注文はうさぎですか??)
3位 鉤貫レム(Dance with Devils)



人間以外(特別枠)

1位 ティッピー(ご注文はうさぎですか??)





◆今期ベスト主題歌◆

OP
ご注文はうさぎですか?? OP『ノーポイッ! / Petit Rabbit's』






ED
ご注文はうさぎですか?? ED『ときめきポポロン♪ / チマメ隊』



ヴァルキリードライヴ マーメイド ED『ウルトラスーパーハイパーミラクルロマンチック / 敷島魅零(CV.井口裕香)&処女まもり(CV.井澤美香子)』





◆今期ベストエピソード◆

落第騎士の英雄譚 第12話「無冠の剣王 II」
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脚本:ヤスカワショウゴ 絵コンテ:澤井幸次 演出:徳本善信、大沼心 作画監督:よち、野田康行、中西和也、明珍宇作、北原大地、山本亮友 総作画監督:小松原聖、よち、野田康行

ゲッツ10話、ごちうさ11話とこれで悩んだけど今期を象徴するエピソードといえばやはりこれしかないだろう。




◆今期作品ベスト5◆

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1位 ご注文はうさぎですか??
2位 落第騎士の英雄譚
3位 ヴァルキリードライヴ マーメイド
4位 俺がお嬢様学校に「庶民サンプル」としてゲッツされた件
5位 櫻子さんの足下には死体が埋まっている




10月時点でごちうさ2期がトップだろうなあとは予想していたのだけど、まさか『落第騎士の英雄譚』がここまで面白いとは思ってもみなかった。ここ数年のライトノベル原作アニメの中で間違いなく一番面白い。続く『ヴァルキリードライヴマーメイド』『ゲッツ』も大穴だった。金子ひらくがここにきて自らの最高傑作を更新してきたことにひたすら感動しているし、ゲッツに関しては本当の意味での「ギャグアニメ」を観られたという点でかなり評価高い。櫻子さんは「事件の裏には共通した黒幕がいる」という展開でなければもっと評価高かった。残念。ランキングには惜しくも載らなかったが、『Dance with Devils』『緋弾のアリア AA』なんかも良い意味で予想を裏切る良い出来だった。


逆に『コメット・ルシファー』『すべてがFになる』は期待はずれだった。まあ『すべてがFになる』は原作が強すぎるうえに、ドラマ版がけっこう健闘していたのでアニメがそれらに比べて見劣りするのは仕方ないか。『ゆるゆり さん☆ハイ』『ノラガミ ARAGOTO』『新妹魔王の契約者 BURST』は期待通り。ショートアニメ勢は『あにトレ』『ハッカドール』の2強。疲れている時や忙しくて時間のない時の支えになってくれた。


何だかんだで結局今年もそれなりにアニメ観てきたわけだが、来年からは間違いなく視聴本数が減ると思います。あと、今まで各作品の雑感を最低1000字は書くようにしていたのだけど、さすがにもうおれの中から捻り出せる言葉が無くなってしまったのと友人から「読むの面倒くせえ」と言われたので来期からは平均300~500字で収めるようにします。


余談ですが久しぶりに実家に帰省したら父親がHey!Say!JUMPと乃木坂46にやたら詳しくなっていてビビりました。