合意的生存戦略

最近はネット上の身の回りで結婚する人が増えている。m氏とかt氏とかあたり。
んでそれにつけ結婚のメリットとデメリットについて色々考えてたわけだが、未だに「メリット」に対する明確な回答が浮かばないのである。だが何となく形みたいなものは少し見えてきた。

要は「自分に対しての義務・責任」を課すことを「メリット」として捉えられるかどうか、それによって結婚という任意の行為をするかしないかの選択がなされるのだと思っている。憲法によっておれたち日本人は生まれながらにして三つの義務を課せられているわけだが、それとは別に見えない鎖(道徳観念とかね)で縛られてることも事実。つまりはもう充分すぎるほどこの世に束縛する鎖は多いわけで、そこにまた自分の意思によって鎖を増やすことに関して何の抵抗もなければ、おそらく結婚に躊躇することはないだろう。

そこら辺を考えると、やっぱり体育会系というか自分にストイックになれる人ほど他人から好かれやすく最終的に結婚して人生の幸せをつかんでるタイプだよなあと思ってしまう。逆に研究者タイプというか自分に対しての人生の時間配分に余念のない人ってのはまあ孤独の身を貫くタイプだよなあと。おれの場合リアルでは前者、ネット上では後者が多い。まあそれが普通だろう。

結婚ってつまりは誰かに対しての責任が増えるということなんだけど、それは半永久的に続くものなんだが、対する結婚を決意する要素の1つである恋やら愛やらは「感情」であり、これは半永久的はおろか下手すれば三日もたずに消え去ってしまう厄介な代物である。

だから「結婚」それ自体は用意な儀式であるのだが、「結婚生活」を続けるとなると必要になってくるのは自分に課せられた責任・義務を忠実に果たすことである。意識・行動の制限がされた中でどうやって自分の人生そして相手の人生を充実させていく道を模索していくかが結婚生活の命題の一つと言える。

ハッキリ言っておれは今まで書いたこと全てを「面倒臭い」で片付けてしまう人間なので、間違い無く結婚生活は向いていない。だから結婚という名の束縛を自ら進んでする気もない。もっとも、これは結婚をすることが一つのステータスとして考えられている現代に背くような考えであるが、そもそも結婚は儀式ではあるが通過儀礼ではないものなので全く問題ない。

生存戦略をするかしないかといった問題はこの際おいておく。アニメ「廻るピングドラム」においてキャラクタの一人である陽毬が度々口にする「生存戦略」は額面通りに捉えればまさに「戦略」であり、後世に責任を仮託する生物の自己憐憫的行為であるためにおれはどうでもいいと思ってるんだけどどうだろう。

少なくとも両親はあらゆる責任・義務を引き受け生存戦略したから今のおれたちが存在するわけだが、今でもアダムとイブさえ生存戦略しなければ全てが丸く収まったのに…と思わずにはいられない。だが林檎は好んで食べる。そこら辺もまた任意の選択でありおれたちの日常にとっては取るに足らない問題であろう。だからこのエントリ自体無意味。以上。