たまゆら〜hitotose〜 最終回

たまゆら=行き先も決まらずふわふわしている私達、という意味だったのを今更になって思い出したりした。
私たち展という今まで積み上げて来たものを目に見える形で示したイベントは大盛況。現実ではこんなに客入りが良くないだろうけど、竹原という狭い街の住人の結びつきを活かしてて、ああそういうものも書きたかったんだなーと納得した。
前半で私たち展が終わり、後半で今まで(たまゆらの時間軸で言えば今年)の総括。アンケートはあれですね、薫の親父さんのが良いですね。

でも後半の展開はこのアニメにしては意外すぎてどう纏めるのか気になったんだけど、山の頂上から見られない美しい景色を見せ、その美しい景色を山自身は知らない=自分たちの輝きに気付いていない4人によく似ている、ともってきて、最後には写真にその美しい景色を残すことで今までを振り返る。

今まで楓は自分の撮った写真の中に収まることはなかった。それは楓の写真を撮る目的が、自分の行先を探す行為であるのと同時に目に見えない「しあわせ」を形にしたいというものだったから。それが最後の集合写真の中でしっかりと真ん中に写っていたことがまさに、自分の行先が決まり(ここで前半の私たち展を行った意義を回収)、集合写真の中にいるみんなと一緒にいることが楓自身の「しあわせ」だったことを表していてすごく綺麗な終わり方。今年は「これしかない」って思える最終回が多くておれたち視聴者側も幸せだ。

個人的にはこういう系統の作品だと、去年の某作品のように感動の押し売りみたいに終わらせる話じゃなくて、気付いたら泣きそうになってた、みたいな話が丁度いいんだよなー。アスタロッテしかりクロワーゼしかり。
感動の最終回というよりはたまゆらの根幹である癒しを重視していた心温まる作りだった。