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ラブライブ! 第2期

1期が名作だったので2期が始まるまでは絶大な不安があったのだが、全くもって杞憂だった。まさか1期に比肩するレベルの名作になろうとは思いもしなかった。1期の反省点を生かし、1期で出来なかったことをやる。まさしく理想的な続編だ。全ての続編はこうあってほしい。各キャラクタの掘り下げはもちろん、1期とは違う視点から物語を進め、1期よりも王道のシナリオで切り込んでいく。そのうえ学園生活にもしっかりスポットを当てて、「卒業」という明確な時間の流れにより起こりうるイベントを発生させる。そもそも2期開始時点で穂乃香が生徒会長になっていたことを考えれば、最終回でμ's解散と卒業式をやることは容易に想像出来たはずだった。

この『ラブライブ!』という作品の上手いところは、登場人物がただの「アイドル」ではなく「スクールアイドル」だというところにある。「アイドルの頂点」を目指す物語だとキャラクタたちは人生をかけてトップアイドルになるべく精進する物語になるのだが、スクールアイドルという「学生の間だけのアイドル」という期限を定めてしまうことで、アイドル活動を部活動のように描くことができる。だから雑に言ってしまえば、ラブライブというアニメは(メディアによって内容が違うのでここではアニメに限定する)、『けいおん!』の放課後ティータイムがバンド活動に本気出してメジャーデビューを狙うような作品なのだ。昔はスポ根、最近は女の子同士の緩い日常ものが流行っていて、ならばその二つを組み合わせたら現代にマッチした最強の作品が出来上がるだろう、と考え付くのは必然だった。そうして出来上がったのがこの『ラブライブ!』というわけだ。日常もの直系の緩さもありつつ、スポ根ものに由来する熱さも兼ね備えたハイブリッド・アニメ。

ラブライブ!』という作品についての全体的な話は1年前にした(これ)のでここでは割愛するとして、2期は1期に比べてとにかく「時間」というものに敏感だったように思う(『けいおん!』の2期がそうだったように)。流れる時間はもちろん、一瞬一瞬の時間も丁寧に切り取られ描写されていた。第11話における証明写真などはまさに「切り取られた時間」の象徴だ。終わりが明確に分かっているからこそ、残りの時間をどう過ごすかという部分が大切になる。もっとも11話に関しては「写真」ではなく「証明写真」なのが重要だったのだが。すなわち卒業前にμ'sが確かに存在した証を残すという意味での証明写真だ。

また、『ラブライブ!』という作品のコンセプトが「みんなで夢を叶える」だったことからか、2期では「みんな」の部分が強く意識されるようになった。各キャラクタの掘り下げを行う時も、1対1ではなく、1対8の状況で全員と密接に関わり合いながらゆっくりと深くキャラクタの内面を提示していく。1期ではμ'sの結成までが描かれ、2期ではそのμ'sが飛躍して頂点に上り詰める様子が描かれる。ご都合展開と言われればそれまでだが、μ'sが積み重ねた時間の重さがはっきりと伝わってくるストーリーなので、μ'sがラブライブで順調に勝ち進んでいく様子に違和感は無かった。むしろそれが当然だと言うべきな雰囲気も形成されていた。

9人のμ'sを描く時に直面するのは「誰を中心にするか」という問題だが、これはもちろん本作の主人公という立ち位置に当たる高坂穂乃香だった。1話でいきなり生徒会長という役職に収まっていた穂乃香は名実ともにこの作品の核となった。ラブライブの世界は穂乃香を中心に動いていたと言ってもいい。それが端的に表れたのがあの大雪の日のライブだ。音乃木坂学園の生徒が総出で穂乃香たちのために雪掻きをしてライブ会場まで誘導してくれるという、そんなことあり得ないだろという突飛な展開も強引にねじ伏せて自分のものにしてしまう穂乃香には紛れもなくカリスマとしての素質が備わっていた。穂乃香がやろうとしたことは形はどうであれ叶ってしまう。

運も実力も兼ね備えた高坂穂乃香に敵はおらず、現段階で最高のスクールアイドルとして名高かったA-RISEにも打ち勝ち、ラブライブでは見事優勝を果たす。もちろん厳しい練習の成果でもあり9人全員の魅力が伝わった結果でもあるのだが、練習自体の描写はあまりされなかったこともあり、どうしても前述したキャラクタの魅力と穂乃香のカリスマ性が目立ってくる。それ自体は別に悪いことでもないし、トップアイドルならカリスマ性があって当然なので、穂乃香がアニメであのような立ち位置になったのも必然だったと考えられる。

そうした穂乃香のカリスマ性を出しつつ、今まで一歩引いた位置から全員のことを見守っていた東條希が主人公の立ち位置に躍り出る第8話は文句無しに素晴らしかった。個人的に2期ではこの8話と11話がツートップ。昔は引っ込み思案で友達が出来なかったという希が、絵里に惹かれて明るい性格になっていく様子は心打たれる。目立ちたがりではなく、μ'sの母親的存在だった希が他のメンバーと対等な位置で繋がり合うことができた傑作回だ。いつも大らかで母性溢れる優しい人間が弱さを見せる瞬間というのは本当に素晴らしいと思うんだけど、これはもしかして少数派の性癖なのだろうか。

11話は前にも説明した通り、全員が3年生の卒業に向き合いμ's解散を決意する回。これはキャラクタの魅力とシナリオの上手さが高次元で融合したハイレベルな回で、キャラクタのありとあらゆる行動・言動に意味があり1分1秒たりとも目を逸らせない濃密で素晴らしい話だった。時間の流れにより訪れる感傷が頂点に達したところで溢れ出す穂乃香たちの涙には多くの視聴者たちが泣かされたことだろう。非常にエモーショナルでありながら冷静にラストライブのことも見据えているクールさもあって、静と動の絶妙なバランスにただひたすら感動させられた。花田十輝の仕事の中でもこれは最高峰のものだろう。

ラブライブという大会に関しては描写不足の点もあったが、これはライブそのものよりもラブライブ優勝という目的のために結束したキャラクタたちを見るためのアニメなので、大会に関して最低限の部分以外を削っていったのは正しい選択だったと言える(「ラブライブ」という名前が作品のタイトルでもあり作中のアイドルの大会の名前でもあるのが記述上非常に面倒くさいという不満は置いておく)。で、このあたりは遂に発表された完全新作の劇場版で解決してくれると思われる。せっかく劇場の大スクリーンでやるのだから、完全手描きの超絶作画による圧倒的ライブを見せてほしいという願望も多々入った希望的観測だが。

アニメ版『ラブライブ!』はこの2期で終焉を迎えるのかと思いきや、アニメ最終回放送直後に劇場版制作決定の発表があって、これがアニメ版と地続きのものであるかどうかはともかく、動いて声のついている穂乃香たちμ'sの面々を見られるのはこれで最後ではない、と分かってしまったので妙な脱力感があった。これが安心感に由来するものであることは間違いないが、明確に終わりを見せなかったという事実に拍子抜けしてしまったというか、ここまで卒業という別れ、μ's解散という終わりに対して真摯に向き合ってきたのに最後の最後でその部分を見せない、というのは些か誠実でない感じがする。まあ作品の評価を下げるほど致命的な問題でもないので別にいいのだが。もし卒業という別れとμ's解散という終幕を見せてくれたらこのアニメは文句なしに満点と評していただろう。ストーリーやキャラクタは言うまでもなく、作画や演出も1期の頃より研ぎ澄まされていたし、曲も多種多様になり次はどんな曲が出てくるのかという楽しみもあった。完璧ではないにしろ、ほぼ完璧に近い作品がこの『ラブライブ!』だ。それは奇跡的にも1期の時から今まで変わっていない。劇場版ではどんなシナリオで我々を楽しませてくれるのか、期待して待ち続けるとする。