劇場版Another

先日のライブの打ち上げも兼ねてバンドメンバー4人で見に行った。以下感想です。
ネタバレしてます。2012030220125737f.jpg714-1.jpg

まあTwitterでも散々愚痴ったんだけどあれです、『Another』という作品について原作小説・漫画・アニメのいずれかで既に予備知識を得ている人にとってはけっこうひどい出来だったと思う。


はっきり結論から述べてしまうと、他の多くの人が口を揃えて言っているようにこれは「橋本愛の演じる見崎鳴が可愛いだけの映画」である。それはもちろん容姿的なものも内包してるんだけど、この映画では見崎鳴という人物が原作やアニメよりも幾分か感情的に描かれている、というところによるものが一番大きいと思う。アニメでは恒一の妄想のなかでダンスしてた鳴は、映画の中では恒一と一緒になって廊下を走ったり、恒一の弁当をつまみ食いしたり、恒一の言葉に照れて戸惑ったり、ものすごい「人間らしさ」を感じさせる。もちろんアニメや漫画だと「絵」でしかないため「人間らしさ」を感じるのには限界があるのだけど、映画では根本的に見崎鳴という人物の捉え方が変わったんだな、ということがわかる。


で、その「人間らしさ」をもった見崎鳴を演じているのが劇場版血Cで主要人物の柊真奈を演じていた橋本愛なんだけど、思った以上に容姿が「見崎鳴が3次元にいたらこんな感じ」という最大公約数を満たしていたので、見ていて特に違和感を感じることはなかった。口数が少ないうえに無表情なキャラなので演じる上ではわりと楽な部類だと思うんだけど、逆に言ってしまえばそのままの状態で演じると観客の印象にも残り辛いという欠陥を抱えていて、それを乗り越えた上で「見崎鳴」という人物のパーソナルな部分まで演じきれていたので、Anotherに初めて触れた観客も見崎鳴という存在を「不気味な女子」ではなく「中身は普通の女子高生」として捉えられたのでは。ちなみにアニメは見崎鳴というキャラを「可愛い」ものとして描いていて、映画からアニメを観る人はここらへんで違和感を抱きそう。


つまり見崎鳴(橋本愛)に関しては何ら問題ないし一番頑張ってたと思う。問題なのは榊原恒一を演じる山崎賢人が「演じている状態」を観客側に意識させてしまうような演技だったということで。
最初のモノローグもたどたどしい。どこか危うさを感じさせる喋り方で、これは大丈夫かな…と心配してたんだけどそれが現実のものとなり、現象が起こってからもどこか「自分に関わりがない」ように見えた。いちおう口では「この現象をどうにかして解決しよう」と言ってるんだけど、そういう危険と隣り合わせの状態でも危機感が感じられない立ち振舞いをしていて、最後まで「???」だった。


他にも桜木委員長が死ぬ場面。ここは原作だと「怪談で転んで転落→傘の先端が喉に刺さる」だったんだけど映画では「外でゴミを焼却していた際誤ってスプレー缶を投げてしまい爆発→校舎の窓ガラスが割れる→驚いた桜木が雨漏りによって濡れた床に足を取られ転倒→傘の先端が喉に刺さる」になっていたんだが、傘の先端が喉に刺さった状態では普通喋るのは困難であるはずなのに桜木が今わの際に恒一に「あんたのせいよ」と呟くのである。ホラー的演出としてもこれは3流以下の悪手。おかげでこれからはじまる3年3組の現象がチープなものに感じられてしまう。そして「あんたのせいよ」と言われた恒一は狼狽えるんだが凄い焦ってるわけでもなく「なんで…」という反応で鳴と会話している。ここはもっと取り乱して欲しかった。ただでさえ呼吸器系が弱っているのに、それを感じさせない雰囲気だったので。


原作にあったグロ要素はアニメが一手に引き受けたわけだが、映画では水野さんと久保寺先生の死ぬ場面がグロテスクというか自然な気持ち悪さを演出できていた。久保寺先生は自宅で亡くなるんだけどこの死に方がなかなか悲惨。水野さんはアニメでも映画でも無残な死に方で本当に辛いですね。
合宿での惨劇は完全にギャグ。窓から飛び降りた勅使河原が電気コードに絡まって死んだり、鳴を追いかけて森に入った赤沢さんがボートと気を結んでいた細いロープで首を飛ばされたり。ここらへんは見てて笑いそうだった。さすがの水島監督も考えなかったであろう殺し方である。


そしてこの映画最大の特長であり他のどのメディアミックスとも違うのは「怜子さん=三神先生」と最初から観客に明かされるところ。要するに「誰が死者だ?」という問に対しての「まさか怜子さんと三神先生が同一人物だったなんて…」というこの作品のミステリ要素が99%抜け落ちているということだ。原作では「誰が死者か」を考えるに当たり、「三神先生かも…」という結論に至ることはできても「三神先生=怜子さん」というところまで行き着くのが相当難しい。もちろん手がかりはあるが、叙述トリックがほぼ完璧に機能しているため、原作はもちろん映像化されているアニメでさえこのトリックを見破ることは難しかった。


しかし今回は怜子さん(加藤あい)が恒一宅を訪れてからわずか2分後に「まさか恒一くんのクラスの副担任になるなんてね」と言い放っている、つまり映画ではハナからミステリ要素を捨てて観客に考えさせることを放棄しているのだ。まあアニメと違って映画で同一人物ネタをやるのはほぼ不可能だと判断してのことだろう。要するに劇場版アナザーは「ホラー・サスペンス」としてのエンタテインメント性を追求した作品になっている。これはもう原作やアニメを読んだり観たりする層と映画を見に来る層は違うだろうと判断した結果だと思う。「メディアの違いを理解せよ」と某生徒会会長が仰っていたがまさにその通りで、それぞれのメディアの長所短所を見極めた上で作品を仕上げないといけない。


ただ、小説をアニメなり映画化なりする場合って尺が限られているから本筋に関わらない情報を削ぎ落としていかなければならない、というのは勿論当たり前のことなんだけど、アナザー劇場版に関しては必要な情報まで削ぎ落としているせいで原作小説とかアニメとか漫画で事前に情報を得てない人にとっては非常に見辛い映画だったと思う。初見の人がどれほど話を理解できていたかが気になる。「ただ生徒たちがパニックに陥っていく様子を楽しめればいい」というスタンスは大いにアリだしこの映画に関してはむしろそれを推奨したいくらいだが、アナザー愛好家としては出来れば話の全容を理解してほしいみたいなところはある。


まあ全体の構成や一部の役者たちについては不満点が残るものの、橋本愛の見崎鳴が「これはこれで素晴らしい」と納得できたのでいいかなーという感じです。ちょっと甘めに見積もって100点満点中60点くらい。