ピンポン

スポーツを題材にした漫画やアニメは余程のことがない限り一定の支持を受けることができる。キャラクタの動きという漫画アニメにおいて最も重要な部分がダイレクトに伝えられるうえ、勝敗などに紐付いた人間ドラマも自在に展開できるからだ。メジャーなスポーツだとサッカー、野球、バスケットボールあたりが挙げられるが、最近ではマイナーなスポーツにもスポットが当てられ、今やこの地球上に存在する全てのスポーツを網羅するのではないかという程の勢いで多様な作品が生み出されている。しかし、松本大洋という漫画家は今から18年も前に卓球という、漫画の題材として扱うにはややマイナーなスポーツをテーマにして傑作を完成させた。12年前の実写映画に関しては正直なところあまり良い評価を下していなかったが、このアニメに関してはもう文句無く傑作だと言い切れる。

ひとつの作品に天才を2人登場させる、というのは極めて異例なことだ。ペコもスマイルもベクトルは違えど卓球の神に愛された天才だろう。10話まで最強の敵として描かれていたドラゴンは自ら「飛べない」と悟ったことで天才にはなり得なかったと証明したし、チャイナは天才と戦ったことで自らの才能の限界を知った。かつてはペコがスマイルを卓球に誘い、スマイルはペコに憧れていたが、高校生になるとその図式が変容する。スマイルはコーチの指導のもとでその類稀な才能を発揮し、瞬く間にペコの手の届かない存在になる。ここから紆余曲折あってペコがかつての自分を取り戻してスマイルと同じ舞台に立つわけだが、数あるスポーツ作品の基本パターンを考えるとこの作品の主人公はスマイルではなくペコだということになる。

しかしピンポンという作品が最も優れているのは「ペコが主人公でありながらスマイルをも主人公として映し出す」という部分で、ペコが再び卓球への熱意を取り戻して特訓する前に、スマイルが卓球というスポーツで勝利することに拘るまでの過程を描いたことで、本来感情をほとんど表に出さずロボットとまで言われるスマイルの内面を視聴者(読者)が窺い知れるようになっている。

そして本来凄まじい実力を持っていたがそれをずっと抑えながら戦っていたスマイルに対し、かつての実力を失ってしまったペコを最強になったスマイルと戦わせるには、まず再び卓球への情熱を取り戻す切っ掛けを作り、凡人でありながら天才のレベルに近付いた人間と戦わなければならなかった。それがアクマ・ドラゴンとの勝負だった。アクマもドラゴンも努力の天才だったが、根っこの才能の部分ではペコに及ばなかった。少年漫画の王道といえば努力が才能を凌駕する、というラストだが、この作品は最後の最後に天才と天才の闘いが繰り広げられる。才能と才能のぶつかり合いという、ある種夢の対決が見られるわけで、この展開が最も素晴らしいのは「どちらが勝つのかまったく予想できない」というところに尽きるだろう。

そうした今迄のあらゆる積み重ねを惜しみ無く爆発させたアニメ最終回は10年代の歴史に名を残すものとなった。決勝戦前、ペコがスマイルに対して「相棒」と声を掛けたシーンにもう10話分の重みが感じられる。ペコとスマイルは最初から最後まで「ライバル」ではなく「親友」だった。この関係性を一切崩さなかったからこそオババは最終回で「勝ち負けが意味を持つ試合ではない」と言ったわけだ。勝ち負けはどうでもいい。決勝戦で2人が戦うことそれ自体が重要な意味を持っていた。

とにかくこのアニメは最初から最後まで湯浅政明が全力投球していて、その点についてはあらゆる神仏に祈りを捧げる程には有り難みがあったし、原作を多少アレンジした脚本も素晴らしかった。最終回に関してはもはや凡百のアニメーションとは次元が違った。あれが基準になったら世のアニメはほぼ全て淘汰される。才能の塊たちが主人公のアニメを、湯浅政明という才能の塊のようなアニメーターが作り上げるというのは全く出来過ぎたストーリーだ。

BGMに違和感があったことを除けばもう満点に近いアニメだった。アニメーションの素晴らしさ、シナリオの素晴らしさ、演出の素晴らしさ、その全てを隅から隅まで堪能できる。1話1話の密度が尋常じゃなく高いのに、各話の視聴体感時間は5分にも満たない。実写ではなくアニメでやることにしっかりとした意味を持ち、今最も「アニメ」として完成された作品だ。アニメ史に名を刻むのは間違いないだろう。

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