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僕らはみんな河合荘

最初に言っておくが原作は本当に良いので是非とも読んでみてもらいたい。アニメは残念ながらキャラデザと色彩設定を見た時点で抱いていた漠然とした不安が具現化してしまった。シナリオに関してはオリジナル要素のない完全な原作準拠なので文句は無いが、肝心のアニメーションの部分が悲しいくらい原作と掛け離れていたのは原作ファンとしてただただつらかった。最近の宮・古怒田コンビは原作との差異を見せ付けようとするあまり出来上がったアニメが原型を留めていないことが多い。原作は原作、アニメはアニメで差別化を図るのは全く悪いことでもないし、むしろアニメは様々なコンテンツ展開のひとつとして大なり小なりオリジナル要素を含んでいるほうが健全といえる。

しかし原作と完全に違うものを提示されれば「原作の意味がないだろ」と批判されるのもまた当然の話だし、原作におけるギャグパートをひたすら強調するのは得策とは言えない。ギャグパートはこの作品においてそこまで重要な意味を持たないからだ(実際この作品のギャグパートは面白くない)。また行間で伝えることに力を注いでいる作品なので、効果音や一部の言葉をそのまま画面に映し出すのもよろしくない。それと宇佐が妙に女々しい人間に見えるのは狙ってやってるのか。

何らかの原作を基盤にアニメ作るならせめて骨組みくらいは残しておくのは最低限のマナーだと思うんだけど、このアニメが問題なのは外装をそのままにして骨組みを変えているところにある。「河合荘は下ネタ多めのギャグアニメ」だという印象を植え付ける形になってしまっているのだ。そうじゃなくて、河合荘の本質というのは性別・年齢・趣味・嗜好のバラバラな人間たちが生活している「河合荘」という空間そのものと、そこを起点に起こる宇佐と律のすれ違いながら近付いて行く緩やかな友人以上恋人未満の関係性の変化であって、ギャグパートは上述の河合荘というごった煮の空間から生じた産物であるため、メインに置くことはできないはずだ。

結果的に宇佐と律が紡ぐ物語はどぎつい色の画面と矢継ぎ早に繰り出されるギャグのうねりに飲み込まれてしまった。淡い線画を基調とした原作は遠い世界に放り投げられ、残ったのはめぞん一刻の劣化番のようなアニメ。まあシロの変態性や麻弓のガサツさ、彩花の腹黒さは良く表現できていたと思う。あれはギャグパートを強調することで浮き出てくる部分なので、それは手放しに良かったと言えるのだが、これが出来て宇佐と律メインの話が雑になっているのは完全にバランス配分を間違えているとしか言いようがない。

宇佐と律のコミュニケーションに焦点を当てれば自ずとこの作品を映像化する筋道が立てられたはずだし、そもそもこの作品の主題は不器用な2人がゆっくりと距離を縮めていく過程に凝縮されているので、このシークエンスを茶化したりギャグシーンとして塗り替える意味はない。それは作品そのものを否定することに繋がるからだ。だが現実にそういった事態が起こってしまった。宮・古怒田の2人のこのような態度は決して認められるべきではないし、世間一般に通じる手段として瀰漫されるべきでもない。『ブラッドラット』から続いてきた負の連鎖はここで食い止めなければいけない。

ここまで散々言ってきたが、原作が非常に優れた作品であるので冒頭で記したようにシナリオそのものにはほとんど目立った粗がなかった。キャラクタの掛け合い自体はやや寒いものが多いが、それを許容させる大らかな空気が河合荘と住子さんを中心に醸成されていたし、OP・EDを筆頭とした音楽も完成度が高い。fhanaは去年の夏から今日に至るまでアニメタイアップ楽曲全て当たりという奇跡を見せ付けているので早くアルバム出してほしい。EDは歌詞がいまいちだったが90年代後半を想起させる微妙な懐かしさを含んだ主旋律が最高だった。

原作の刊行ペースが遅いことや、作者が最近恋愛ラボの方に力を入れてるっぽいことなど、原作に関しての不安もあるにはあるが、やはり河合荘は原作が本当に素晴らしいので作品そのものの判断は原作を読んでから下してもらいたいところだ。アニメはアニメで独立したものとして評価した方がいい。それほど原作とアニメは乖離している。前期のいなりが最高のクオリティでアニメ化されただけに今期の河合荘で受けたダメージは大きかった。