R-15とか魔乳とかそこら辺について思うことなど

前にR-15とか魔乳とか掘り下げてみるかーとか言ってた気がするので、簡潔に書いておく。


おれはR-15を酷いアニメだと思っているんだけど、どうしても「嫌い」にはなれなかった。
その一方で魔乳も酷いアニメだと思っていて、こちらは正直なところ「かなり好き」な作品である。


一応基本的な話をしとくと、つまらないアニメと出来が酷いアニメとでは意味合いが大きく変わる。つまらないアニメは見る意欲すら削がれる。話の続きも気にならないし、プラス要素がまるでない。
しかし出来が酷いアニメというのは、「これずっと酷いのか?」みたいな好奇心のアンテナが働く。ネタアニメとして扱われる事もあり、「弄ってやる為に次も見ようかな」という思考が働く事もあり、プラス要素を多分に含んでいる。しかしデメリットとして、出来が酷いアニメは嫌悪の対象になる事も多い。


この天秤がどちらに傾くかによって評価も変わる。良いネタアニメだったor見る価値もない最低のアニメのどちらかに量が傾くしかない。中庸を取ることは不可能と言っていいだろう。おれはそんなアニメをお目にかかったことがない。


そして出来が酷いアニメの中で「ネタアニメ」の称号を勝ち取れる作品って実はほんの一握り。大半は「最低のアニメ」のカテゴリ(あるいは「つまらないアニメ」のカテゴリに混同される)に収斂され、大衆から淘汰され、忘れ去られていく。ここまできたらいっそ、「歴史に残る糞アニメ」として大衆から忌み嫌われた方が、まだネタとして成立している分マシなのかもしれない。


実は今期、既に究極のネタアニメの地位を築いている作品がある。それが今期最大の問題作と称される『魔乳秘剣帖』。「検乳」だの「乳隠し」だの思春期真っ只中の中学生が考えたようなアホっぽい単語に、「豊乳は富であり絶対、貧乳は人に非ず」と言い切るド低俗な世界観。これだけ聞いたら誰もが「酷いアニメだなー」と思うことだろう(実際まるで内容を知らない友人にその旨を教えたら「なんじゃそりゃ」と一蹴された)。しかし魔乳は今、その突き抜けた酷さが笑いに昇華され「ネタアニメ」としてある意味究極の地位を築いている。


この低俗さが鼻につかず、むしろここまで貪欲にギャグとしてのエロに走っている事自体が「ネタ」になっている。これは本当に凄いことだと思っていて、例えば同じように光規制かけて笑いを求めたエロ要素を押し出していてもむしろ気持ち悪いだけで逆効果というパターンが多い。
『魔乳』がここでもっとも優れているのは「光規制されすぎててもはや画面が見えない」境地に達している事にある。
これは画期的だった。「光規制=エロ」の図式を「光規制=笑い」に変えてしまったわけで。


そしてその「ギャグとしてのエロ」という構図が成立するのは勿論バランスの問題なんだろうなあと思っている。中学生が下ネタを話の種にして笑っているのは多分そのバランスが取れているからなんだろう。『魔乳』はまさにそういった「中学生が面白がる低俗な話」ってのを体現してる。要するに下ネタが中学生レベルということで(笑)。ただ、監督である金子ひらく氏は恐らくそれを全て計算した上でやってるんだろうな。だからこの監督は底知れないなーと未だに恐怖すら覚える。クェイサーの時からずっと。


大分話が逸れたが、R-15は現段階においてまだ「ネタアニメ」の地位を築いてはいない。既にその枠に魔乳が収まっているのはかなりハンディだろうが、ここからの展開によっては充分その枠に収まることも可能だろう。人々に忌み嫌われる作品になる前に、どうか「笑える低俗なネタアニメ」としての地位を確立してほしい。


そんな願いを抱きつつ、今日もおれはR-15を観るのだった。