2014年秋アニメ初回雑感

前期と同じく雑感をひとつのエントリに纏めました。夏からずっと忙しいうえに最近ブックオフの中古コーナー(500円以下)で売られているどう見ても駄目っぽいジャケットのCDを事前情報仕入れずに買って聴いてみるというクソみたいな趣味ができたので、アニメとか本当に雑に見てるしドラマに至っては『相棒』以外見ていないという有り様なのでそのうちテレビ破壊します。

デンキ街の本屋さん

秋アニメ1発目に観たのがこれだという事実が果たして今後おれの人生にどんな影響を及ぼすのか想像もつかないしそもそも影響など無いと思う。タイトルに冠された「本屋」という要素は『ビブリア古書堂の事件手帖』を髣髴とさせるのだが、開始3秒でああこれは絶対そういう類の話じゃねえと分かるので超親切。「デンキ街の」という言葉の方が明らかに強くて本屋という要素が霞んでいる気もするが、まあ確かに本屋は本屋だし「うまのほね」という店名も完全に開き直っていて清々しい。何となくこれは『げんしけん』に近い話っぽいと理解しておけばいいのか。

コメディっぽい話なのかと思っていたら条例とか現実に近接した要素も普通に入ってるけど社会風刺とかする気はなくて、むしろこういうカルチャーを内側から肯定しようみたいな意志が感じられる。それが良いか悪いかはさておき、作中で「エロ本」と言った回数を数えようかと思ったが開始10分を超えたあたりで匙を投げた。1話の中で「エロ本」と言った回数の多さは今のところこのアニメが日本一だと思うのだけど反例があれば教えてください。反例が無ければ伝説になれる。かもしれない。

ほぼ本屋の中だけで進む話かと思っていたらBパートからヒロイン(?)の自宅で同人誌執筆が始まったので、どうやら行動範囲は案外広いらしい。はっきり言ってほぼ出オチに近いアニメにしか思えないので2話以降どうなるのか想像もつかない。エロ本連呼はこの初回でやり尽くしたので次回でも引っ張るとただ寒いだけだろうし、ネタとしては長期間使える同人誌執筆はおろか、コミケという一大イベントすらも今回で終わらせてしまったので(コミケを5〜6分で終わらせたアニメを初めて見た)、この先何をやるんだという不安しかない。ただEDは斬新で面白かった。


テラフォーマーズ

原作があるアニメというのは必ず比較をされる。比較をされるということはすなわち簡単に優劣が付けられてしまう、ということだ。原作に比べてアニメはつまらない、あるいはその逆といった判断が原作を知っている人間なら誰でも下せる。それだけハードルが上がるということでもあるが、今の世の中には映像化を意識して作られた作品が数多く存在しており、原作を読んで抱いたイメージと合致しないだけで駄作と批判される憂き目に遭った作品もこれまで数多く見てきている。そして、テラフォーマーズもまた非常に不幸なアニメといえよう。なぜなら原作の段階で既に映像を喚起する作品として完成されているからだ。

テラフォーマーズという作品が優れているのは戦闘におけるドラマ性の描写と、それにより伝わってくる明確な映像だと考えていて、前者はワンピースに近いメソッドであることが人気獲得の一因だろう。そうした漫画特有の要素がアニメになると完全に消えて、アニメはアニメでハリウッド映画のようなスケール感を別のルートで獲得しようとしているが(ワーナーブラザーズが関わっているからか)、それがやや空回り気味に感じられる。

進撃の巨人は原作の描き込みが粗っぽいからこそアニメーションで成功したというのも理由のひとつだが、テラフォーマーズは原作の描き込みが凄いので、アニメはむしろ描き込みが雑なように見えてしまう。あと熊との戦いでさえ規制が多すぎて何やってるのか分からないので今後のゴキブリたちの戦闘に不安しかない。「何やってるのか分からない」というのはこの手の作品にとっては致命的な欠陥になる。監督が浜崎博嗣なのでわりと期待しているんだがOVAの評判がすこぶる良くないのが気になる。


selector spread WIXOSS

問題作の続編(実質分割2期)という曰く付きの物件だが、個人的にはあきらっきーさえ出せれば上方修正できると信じているのであきらっきー登場を期待しながら初回視聴に臨んだ。タイトル通りセレクターの存在が拡散しようがやること自体はどうせ1期の頃と変わらねえだろという勝手な思い込みがあったんだけど、OP映像見てるともしかしたら普通のカードバトルアニメみたいにたくさん敵が出てくるのでは…という気になるし、現にセレクターだけでなく普通のプレイヤーもウィクロスをやっている。

岡田麿里が絡んでる女性メインのアニメというのは9割型性悪説に基づいた話になるというのは持論だが、このアニメに関してはまともな人間が周りの人間に感化されて徐々にダークサイドに堕ちていくというパターンでちょっとした社会風刺にも見えるし、何より明らかにまどかマギカを意識してる作風が逆説的に性悪説を否定している。2期では完全にるう子たちがカードバトルを否定するところから始まるしこれは確定的だ。岡田麿里にとってカードとはあくまで幸福追求と少女たちの本質を剥き出しにするためのファクタでしかない。

セレクター同士の闘いに3回負けた結果どうなるかという事実を知っていながら闘いを挑んでくるキャラクタがいないと2期で話が進まないので、1期の中で唯一表裏のない存在だったちよりを出すのは予想できたが、イオナをるう子のルリグにすることで内側からるう子を闘いに向かわせる、というのは想定外だった。タマもイオナも戦闘狂だという設定の共通点を上手く利用している。あきらっきー登場は次回からみたいなので今回は足慣らしといった感じか。


Gのレコンギスタ

前にも言った通りおれはガンダムというものに然程興味がないし最低限の知識しか有していない(あとガンダム(あるいは富野)というだけで無条件に礼賛するやつが嫌い)。なので久しぶりの富野総監督のガンダムシリーズだと言われても何の期待も抱かず比較的楽な気持ちで視聴を始めた。ジブリの若手ががっつり絡んでるためか思った以上に雰囲気やキャラデザがジブリ作品を彷彿とさせるもので(2014年にこんな絵柄のアニメを見ることになろうとは思わなかった)、意図的にそうしたイメージを抱かせるように仕組んでいるのかは現段階では判断できないが、キャラクタの台詞回しが富野そのものという感じで良くも悪くも変わらないのだなと納得してしまった。あるいは過去に縛られていると言うべきか。複雑な設定や用語の多さも愛嬌ということで受け入れられるのは富野作品のアドバンテージだろう。しかし説教臭さと主人公のアホみたいな口調に慣れるのは時間がかかりそうだ。

前期の『精霊使いの剣舞』とはまた違ったベクトルで懐かしさを滲ませるアニメで、必ずしも「古臭い=駄作」ではないという事実を証明してくれればそれで良いんだけど、「1話にありとあらゆる情報を詰め込む」という手法がこのアニメに関してはあまり効力を発揮していないように思える。まあファーストの時点ですでに1話目で主要な情報全てを余さず開示する、というスタイルを確立していたわけだが、ファーストよりも登場人物が(スタートの段階で)多いのと入り組んだ設定が理解を阻害する。骨組みは至ってシンプルで、ファーストの頃から富野が目指しているものは変わらないことが窺えるが、このアニメは肉付けが多すぎる。

ガンダムファン以外はお断りみたいな作品でなかったのはいいが、独特の台詞回しに拘りすぎて会話が成り立っていなかったり脈絡のない断片的なシークエンスの集合体に見えるのはどうにかしてほしい。決してシナリオが難しいわけでもないし、用語も無理に覚えなくていいものばかり(見てればだいたいわかる)なので、そこだけ直してくれればかなり良くなりそう。しかしこれどう考えても子供は見ないだろ。見るのは恐らくおっさんだけだ。


旦那が何を言っているかわからない件

見たら死ぬやつだった。


曇天に笑う

これを見るくらいなら劇場版るろうに剣心を見ればいいという結論に達しました。


ログ・ホライズン 第2シリーズ

1期の内容をけっこう忘れてしまっていることにショックを受けた。間違いなく中高大生の頃に比べて記憶力が劇的に低下している。キャラクタ自体は覚えているんだけどそこに付随する物語が朧げなのはどういうメカニズムなのだろう。SAOよりマイルドなネトゲベースのアニメであるがゆえの印象の薄さ、というのが最大の要因か。やっぱり戦闘ではなく経済とか現実に近い部分に軸足が置かれているし、これ見てると『まおゆう』のアニメを思い出してしまうのも偶然ではないだろう。

NHKという局の影響もあってか演出に目立ったエッジがないのはともかく、それを補って余りあるシナリオの緻密さが1期のクオリティを支えていたが、2期は今のところ経済面での駆け引きが前面に押し出されていて多少物足りなさがある(あと構成が微妙に雑)。まあ今回も全24〜6話あるだろうから長い目で見るとする。


失われた未来を求めて

おれは先の見えない未来より楽しかった過去に縋り付きたいタイプの人間なのでタイトルを見ても特別惹かれる部分はなかった。しかし視聴してみるとタイトルに反して学園ラブコメっぽくて (これはいったいどんなジャンルに属するアニメなんだ…?) と思いながら見てたんだが、原作が18禁ゲームだと分かったので色々納得がいった。エロゲ原作アニメってなぜか異常に自由度が高いんだけどそれが出来の良さに結び付いた例は残念ながらあんまり無いんだよな。『ましろ色シンフォニー』みたいな超王道ラブコメにするか、『ヨスガノソラ』みたいなゲームの内容そのまんまアニメ化するか、このどちらかでないとあまり爆発的に伸びないみたいな風潮がある。

そんなことよりこれはCGなのかどうか、ということのほうが気になる。CGっぽい手描きのような感触があるが、動きの妙なぎこちなさやカメラワークがCGのそれに近い。ただシドニアの騎士アルペジオのような露骨なCG感がないので判断に困る。たぶん3Dアニメート→手描き という感じだと思うんだけど、最近はアイカツみたいなCGと手描きの境界線を無くそうとするムーブメントもあるので詳細情報を開示してほしい。

あと1話の時点でヒロイン死亡→時間逆戻り という最大級のイベントが起こってしまったのは意外だった。今回だけでだいたい何が起こっているのか・どういう作風なのかが分かってきたが、手の内はまだ半分くらいしか明かされてないので、数多あるループ系作品とどのように差別化するかで評価が決まってくる。


魔弾の王と戦姫

いかにもなMF文庫原作アニメ臭を漂わせていて笑ってしまった。迫力さを微塵も感じさせない作画演出も最高だ。こういうどうしようもなく2流ファンタジーを拗らせてしまったアニメは意外にも楽に見られるので助かる。設定はわりと細かいのにそんなことがどうでもよくなるくらい話が雑なのがすごい。

ちょっと『聖剣の刀鍛冶』を髣髴とさせる作風のような気がするんだけどあまり賛同を得られない。最近のMF文庫原作アニメの常軌を逸したノスタルジアは何なんだ。『精霊使いの剣舞』で激しい郷愁を覚えたというのに、追い討ちをかけるようなこの懐かしさの嵐に完全にやられてしまった。

はっきりいってストーリー自体はさほど面白くないのに雰囲気だけで物語を成立させているのは素直に凄いと思うが、おれはそんなことはどうでもよく、このアニメを見ているだけで過去の楽しかった思い出に浸れるという事実に感動しているので、この先どんなにつまらなくなろうが最後まで視聴するだろうしめっちゃ面白くなった場合はメディアファクトリー本社に向かって土下座します。


Fate/stay night

内容は恐らく多くの視聴者が把握しているだろうから今更言及する必要はないだろう。おれ自身ディーン版をそれなりに気に入っているということもあり、終始複雑な気分で視聴していた。社員の食い扶持のために手を替え品を替え長期コンテンツとしてFateが使い回されることにも悲しみがあるが、それ以上にこれがFate stay/nightの正統的なアニメ化として歴史に刻まれディーン版が黒歴史扱いされるのでは、という懸念が強い。どちらにもそれぞれ良い部分がある、ということで収まってほしい。

ディーン版との最大の違いは物語の主眼が衛宮士郎遠坂凛か、という点だ。ディーン版は衛宮士郎が主人公の物語だったため、前提となる聖杯戦争などの知識が何もない状態からのスタートだったが、こちらは前提知識がほぼ全て揃っているのでスムーズに事が進行する。だからこそこのアニメはディーン版Fate、あるいはFate/Zeroを視聴していなければ全容を理解するのは困難だろう。

悔しいが作画はディーン版を完全に上回っており、その点では再アニメ化は成功しているといっていいのかもしれない。凛視点の話はかなり新鮮だったが、これからもFateというコンテンツが生き永らえることができるか、というのは微妙なところだ。


ワールドトリガー

暴れん坊力士 松太郎が恋しい……


七つの大罪

鈴木央という漫画家を一番最初に知ったのは遅ばせながら『ブリザードアクセル』だった。見た目は荒っぽい絵なのに背景は妙に細かく描写されているという独特なバランスが気になって、回を重ねるごとにキャラクタの描写も手が込んでいることに気付き始め、こういう感じの絵を描きたいなと思った中3の夏、ひたすら主人公の北里吹雪の絵をノートに描きまくって絵柄を身に付けようとしたが、元来の絵の下手さが遺憾なく才能を発揮して結局絵が上達することはなかった。しかし何だかんだでブリザードアクセルは最初から最後まで楽しめたし、そのあとの『金剛番長』は伏線回収の雑さを除けばかなり好きな漫画だった。というか『ブリザードアクセル』と『金剛番長』であまりに作風が違いすぎて、もしかして鈴木央というのは複数名のペンネームなのでは、と思ったりもした(結局1人で描いてるとのこと)。

金剛番長』が終わったあとに首を長くして次のサンデーでの連載を待っていたら、なぜかサンデーではなくマガジンで連載が始まって???だったが、その時色々調べた結果、鈴木央はサンデー・ジャンプ・マガジン・チャンピオンの四大雑誌で連載した数少ない漫画家の一人だと知って、まあそれならサンデーを離れても仕方ないと納得した。で、当然のように『七つの大罪』も連載当初から追っていたわけだが、原作だと4巻あたりに相当する部分から異常に面白くなってきて、今では鈴木央という漫画家の集大成と言えるほどバラエティに富んだ内容で充実している。惜しむらくはこれがサンデーで連載されていれば『メルヘヴン』の正統的継承者として人気を博しサンデーの凋落に歯止めがかかっていたかもしれない、ということか。

で、肝心の『七つの大罪』のアニメは端的に言ってとても良く出来ている。キャラクタデザインが非常に原作に忠実で、初回ということもあってか作画も安定している。『マギ』のような派手な背景美術ではないが、ファンタジーの匂いを漂わせながらも落ち着いた雰囲気がある。岡村天斎のコンテもいつになく切れまくっているしいきものがかりの主題歌もハマっている。この『七つの大罪』が大ヒットすることで『金剛番長』と『ブリザードアクセル』がアニメ化される最高の未来を待っている。


グリザイアの果実

昔からスイカが食べられなかった。塩を振りかけようがゼリーにされようが食えなかった。なんで食えないんだろうと疑問に思っていた小学校中学年の時に「スイカは果物でもあり野菜でもある」という話を聴いて納得しかけたが、おれはメロンも食べられないので瓜科っぽい食べ物が基本的にダメなのでは、という結論に達した。きゅうりも食えないし。カボチャもあの甘さが好きになれない。そもそもおれは和菓子全般が苦手なのだが、それを話すと「じゃあ甘いもの苦手なんだねー」と片付けられてしまう。が、しかしおれはショートケーキ大好きっ子だしチーズケーキに至っては1カ月食べ続けられる自信がある。自分の好き嫌いについて色々と考察した結果、和食より洋食のほうが好きだという自己プロファイリングが完成した。

果実といえば禁断の果実、すなわちリンゴが真っ先に思い浮かぶが、どうやらこのアニメに関してもそのインプレッションは正解らしい。一方で「グリザイア」は美術用語で「モノクロの絵画(Grisaille)」という意味らしいが、今まで生きてきて一度も「絵、上手いね!!!」と言われたこともなく、中学の美術教師に「君は根本的にやばい」と言われたくらいやばいセンスの持ち主であるこのおれがそんなことを知る由もない。しかし絵を描くこと自体は嫌いではなく、少なくとも中高生の間定期的に絵を描いていたので全盛期の時よりは上手くなっていると思う。中学の時にピカチュウを描いたら「夢に出そうな気持ち悪さだ」と言われたことは一生忘れないぞ。

さて、『グリザイアの果実』についておれが今のところ言えることは残念ながらほとんど皆無に等しいが、主人公の究極ハイスペックぶりが逆にシュールギャグの雰囲気を醸し出しているのは面白かった。キャラデザの関係上、どうにも『化物語』のテイストを感じさせるのだが、ラブコメ・ミステリ・ホラー・SF と雑多なジャンルを混ぜ合わせたような奇妙なバランス感覚はどこもない居心地の悪さを抱かせ、『化物語』よりもどこか冷たい印象を受ける。こういう感覚は嫌いではない。中途半端に好きにも嫌いにもなれないようなものを見せられるよりは遥かに良い。「好き」の反対は「嫌い」だが「愛」の反対は「無関心」なのだ。無関心にさせられる作品をおれは星の数ほど見てきた。このアニメはそうした数多の屍の中に埋もれないよう奮闘してもらいたい。


オオカミ少女と黒王子

すごく久々に伊藤かな恵主役作品を見た気がする。時の流れとは恐ろしいものだ。「はっぴい にゅう にゃあ!!!」とか訳の分からん言葉で笑い合っていたあの頃にはもう戻れないんだ。思えば昔はよく考えると何が楽しいのか分からないようなことでさえ面白かったし、あの頃笑い合っていた友人たちはみんな社会に出たり結婚まで漕ぎ着けたりしている。社会人になって得したのは今のところ金銭面だけなので早く精神面でも得をしたいが、仕事からそうした恩恵を受けられるとは思えないので今日もこんな地雷臭漂うアニメを見て「面白くなれ…面白くなれ…」と念じている。

というかそもそも少女漫画というものはどうしてこうも「本当の自分を出せないわたし」みたいな主人公が多いんだ。女子中高生のグループというか縄張り意識みたいなものの敏感さは理解しているつもりだが、そういう切り口でしか物語を進められないのかという悲しみが積もり積もっている。あと2作この手の作品を見たら全身から樹液を吹き出して死ぬ。演出も少女漫画のエッセンスを忠実に再現してて眩暈がするほど眩しいし、話自体は目を逸らしたくなるほど酷いんだけど、最近の女性はこういうサディストを通り越した男に迫られたいのだろうか。

しかし弱みを握られて毎日使いパシリにされるとか、コナンとか金田一だったら完全に殺人の動機になりそうだな、主人公が反撃するのかな、と思っていたら少女漫画特有の男の優しさパワーが発揮されて有耶無耶になってしまった。これは残念ながら駄目なタイプの少女漫画原作アニメっぽいが、中盤から持ち直す可能性もあるので一応継続して視聴する。


天体のメソッド

最悪話がどんなにつまらなくてもfhanaのED(例によってめっちゃ良い)があるのでそれを聴くためだけに視聴するというスタイルに移行できる親切設計。最近のP.A.WORKSはこういうSFベースの日常+恋愛ものが多くて、そろそろ『Another』のようなキレのある鋭い作品を生み出してほしいのだけど、ttやいろはが当たってしまったのでこうしたスタイルを主流にせざるを得ないのだろうな、という事情が何となく窺えるので深くは言及しないことにする。しかしキャラデザはそろそろ別の人間を招集したほうがいいのでは。

主人公視点で話が進むのかと思ったらオムニバスみたいな形式で話が進んでいって(一応主人公は乃々香らしいが)、そこはいろはよりも『TARI TARI』や最近の『グラスリップ』に近い。主眼を絞らないことは内容の幅を広げられる利点があるが、そのぶん物語が散漫になってしまう危険性も孕んでいて、このアニメがどう転ぶのかはもちろん現段階では判断のしようがない。『凪のあすから』のような神秘性も感じられるし、PA作品ではないが『あの花』のように少年時代と現在の時間軸が密接にリンクしている様子も窺える。様々な可能性を秘めていることは明らかだが、それがどう生かされるか、あるいは殺されるかという問題とはまた別種の話だ。

初回から結構重ための内容で、楽に視聴することを許してくれないような感じではあるが、1話目の時点で既に起承転結整っているのは評価できる。久弥直樹原作で『天体(そら)のメソッド』ときたらこれはもう『sola』の再来だろ、と思っていたが、久弥がPAの作風に寄せてきたのは意外だった。『sola』自体は好きでも嫌いでもなかったんだけど(というか内容をよく覚えていない)、このアニメは上手く軌道に乗れば好きになれるかもしれない。


繰繰れ! コックリさん

完全にノーマークだったが蓋を開けばシュールギャグを突き詰めた怪作で、思ったよりも内容が充実している。そもそもコックリさんというニッチなテーマをメインに据えている時点で不信感漂いまくっているが、主人公が何を考えているか全く分からないうえに表情も声色も変化しない機械のような人間と人間のようなコックリさんというコンビでこの先本当にやっていけるのかという心配があるのだけど、霊を扱っているギャグ漫画の『絶対霊域』もなんだかんだで長いこと続いているし、このアニメの原作も7巻まで出てるので1クールは体力続きそうだ。

とにかく主人公の市松こひなが本当に無機質で、本人が言ってるように人形なのではないかと思うほど感情が全く表出しない。これをAパートではギャグとして、Bパートではシリアスとして使い分けてるのは本当に凄かった。これは構成の勝利だ。1話としてはほとんど申し分ない完成度。人間味溢れる妖怪あるいは神的存在というものはフィクションにおいて珍しくはないが、主人公の親代わりのような存在になる、というのはあまり無いように思う。最近だと『神様はじめました』あたりが近いが、あれは親子関係ではなく男女関係としての人間と神様の交流だったし。

実写次回予告みたいな意表を突く仕掛けも上手く機能していたし、今期の中ではかなりのダークホースと言えるだろう。何より広橋涼主演のアニメを久々に見れたというだけで満足度高い。


神撃のバハムート GENESIS

ソーシャルゲームというよりおれはそもそもゲーム自体ほとんどやらない人間なので原作ソシャゲを知る由もなかった。ゲームが嫌いとかそういうわけではなくむしろ好きなんだけど、家庭の方針とか諸事情あってゲームソフトはもちろんゲーム機もほとんど所持しておらず、友人宅に遊びに行った時にやらせてもらう程度のプレイヤーだった。しかし『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズにはなぜかめっちゃハマって、レベル最大にしたCPU3体 vs 自分1人でも勝てるようになるまでやり込んだし、ゲームキューブ版(デラックス)に至っては中学最強の栄冠を手にした。

スーファミセガサターン・64・ゲームキューブプレイステーションなどの家庭用ゲーム機は一通り遊んでいるし、携帯用ゲーム機ゲームボーイに始まり、カラー・アドバンス・DSなど遊び尽くしたが、肝心のソフトをほとんど持っていなかったので基本的にひとつのゲームを限界までやり込むというスタイルだった。テレビゲームは1日にプレイできる時間が制限されていたのでやり込みは困難だったが、携帯ゲーム機は明確な時間の制限がなかったので、結果的に物凄くポケモンをやり込むことができた。中2になってようやく時間制限が緩くなったのでFF10をひたすらやり込み、1日かけて「すべてを超えし者」を倒した。

あれから何年もの時が過ぎ、受験勉強やら就職活動やらを通り越え今は社会人になったが、ゲームというゲームはほとんどやっていない。せいぜい『艦隊これくしょん』くらいである。だがこれもやり込んでいるというわけではない。一応全艦コンプリートは達成したが周りの提督に比べ明らかに艦隊の練度が低い。大型建造にしろイベント海域攻略にせよ運が良かったというだけの話だ。

こうしたブラウザゲームはプレイ経験はあるが、スマホ主体のソーシャルゲームに関しては全く手を付けたことがない。なので冒頭で述べたように『神撃のバハムート』についても何も知らない。しかしアニメは開始3分の時点でかなりまずい空気を察したのだが時既に遅かった。タイバニとダンディを足して2で割ったようなキャラデザは結構好みなんだけど、肝心の話が見えてこない。しかし作画だけは異常に良い。ソシャゲマネーも馬鹿にはならないということらしいが、それならアイドルマスター シンデレラガールズも作画に期待できるということになる。とりあえずゲームの方に寄せないほうが成功率高そうなのでアニメはアニメとして上手く作ってくれれば最後まで見ます。


愛・天地無用!

後期高齢者向けショートアニメ。


甘城ブリリアントパーク

放送前の時点でかなり期待は大きかったが、その期待を裏切らない出来だった。Freeで男性の肉体美を描くことに喜びを見出した京アニは果たして女性を普通に描けるのかという危惧はあったが現段階では問題なさそう。煩わしいキャラクタ紹介を全部省いたスピーディな展開は賛否分かれる場合が多いが、一切寄り道をせず本題に突入したことで批判を上手くかわしている。

賀東招二といえば誰もがまず『フルメタル・パニック』を思い浮かべるだろうしこのアニメにも僅かながらフルメタのエッセンスが感じられるが、こちらのほうがコメディとしての側面が強い。そもそもなぜヒロインがマスケット銃を所持しているのかという問題も視聴しているうちにどうでもよくなってしまう。主人公たちは何者なのか気になった頃にヒロインがリサーチ結果を開陳するなどの手際の良さも光る。

一応普通の高校生がいきなりテーマパークの支配人に任じられるという唐突さ、従業員のほとんどは魔法の国の住人という謎の設定を全部飲み込んでしまう圧倒的作画の力が遺憾なく発揮されていたのでやはり腐っても京アニだなーと関心しきりだった。演出が好みではなかったけどまあ許容範囲だ。


異能バトルは日常系の中で

中二病」と同じように、作品がメタ的に「日常系」という批評側が勝手に生み出した造語を扱ってしまうと非常にまずいことになるというのは大体の人間が察しているところではあると思うが『中二病でも恋がしたい』のような「形容しがたい症状に取り敢えず言葉を当てがってそこを深く掘り下げていく」というスタンスではなく、異能バトルというファンタジー要素と日常系の要素を混ぜ合わせたいので2つを混ぜ合わせたところ魔物が生まれてしまった、という感じで、作風としては『のうコメ』のほうに近い。

こういう寒いノリが一周して突き抜けると面白くなるというのは『のうコメ』で学んだ教訓だが、問題はこの手の作品は恥じらいを持って真面目な話をやり出すと途端につまらなくなるという点だ。己が痛々しいことをやっていると一切自覚せずに走り続けることで伝説になれる。

この手のアニメが得しているのは、いくら主人公たちが説明的なセリフを喋りまくってもそれを一種のギャグとして認識させられることだ。中二病患者の主人公の見るに耐えない行動・言動にどの段階で慣れることができるかによりモチベーションがだいぶ変わってくる。


オレん家のフロ事情

他人の家のフロ事情とか知りたくもねえ。


弱虫ペダル GRANDE ROAD

「全然話進んでないのにめちゃくちゃ面白い」という最強の能力を手に入れてしまった。


暁のヨナ

先に放送されている某少女漫画原作アニメがけっこう酷いこともあってかこちらはだいぶましに見えた。が、そもそもこれはジャンルが違う。少女漫画は大まかに舞台が現代・異世界という2つに区分される。こちらは『オオカミ少女〜』とは違い完全に異世界の話。異世界を舞台にした少女漫画原作アニメといえば、ついこの間まで放送されていた『それでも世界は美しい』が異世界の要素と少女漫画としての要素を絶妙なバランスで混ぜ合わせた傑作だった。したがってこのアニメの評価は『それでも〜』を超えられるか、という部分に重きが置かれることになるだろう。

ヨナというキャラクタはちょっと動かすのが難しそうな感じだが、周りの男はそれに比べ自由に動かせそうなので、シナリオは受け身の形で進んでいきそうだと推測する(たぶん外れる)。あと異世界を舞台にした少女漫画は舞台設定が尋常じゃなく細かいものが多く、これは作者が女性であることが影響しているものと思っているが、このアニメは舞台設定にあまり拘っている様子がない。異世界という舞台を利用して王政下の婚約問題とかで話を回す気らしい。

話自体は本当にシンプルだし真面目一辺倒でもなくたまにラブコメっぽい演出も挟んでくる。器用さは伝わってくるが展開が読みやすいのが欠点。スウォンの謀叛も予測できたので衝撃が無かった。まあ久しぶりに現れたダークなタイプの少女漫画原作アニメなので一応最後まで見て判断します。


トリニティセブン

今期は中二病を拗らせ過ぎて見てるだけで小っ恥ずかしくなる作品が多く、こういう視聴だけで体力使うアニメを沢山見るほどおれの人生は恵まれてはいないし、歳を重ねるにしたがって何かを考えるということそれ自体が億劫になってきているので、いよいよ現代っ子の老いは凄まじい速さで進行していると言わざるを得ないだろう。

公式サイトやキャラデザ、原作の情報を見た限りでは『悪魔のリドル』っぽいなーと思っていたが、いざ視聴してみるとちょっとカオスヘッドに似た作風だった。しかし雰囲気作りが上手くいっていないせいで話に集中しづらい。ファンタジーから学園ラブコメへの移行が雑すぎる。酢豚の中のパイナップルくらい違和感がある。

はっきり言って本筋は全く面白くないが『悪魔のリドル』のように本筋がつまらないが本筋を支える設定が壊滅的に酷いあまり面白くなるという珍例も存在するので温かい目で見守りましょう。


ガンダムビルドファイターズトライ

おれのような人間にはGレコよりもこっちのほうが肌に合っている。富野はGレコを「子供にも見てもらいたい」と言っていたらしいが、どう考えてもこっちのほうが子供見るだろうし食い付きも良好だろう。とにかく何でもかんでも情報を詰め込みまくり会話劇を成り立たせるGレコに対し、こちらは必要最低限の情報を凝縮して出来るだけ視覚的な理解を促そうとしている。口数の多い戦闘ほど見てて萎えるものはないのでこれは非常に正しい選択だと言える。

あらゆる装飾を削って主題と本筋を明確にするというスタイルは1期の頃から変わらず。世界観は引き継がれているがキャラクタは一新され、新たな物語を生み出す土壌を整えている。どのキャラクタも1期に劣らないほど個性的で尖っているが、中でもカミキ・ミライは本当に素晴らしく一目見ただけで勝利を確信したし、このアニメの世界観なら死ぬとかそういう不測の事態が起こらないので安心して信仰できる。信仰者は常に精神の安定を維持することが望ましい。

セイとレイジの名前を出して1期と地続きの世界である事実を明かしているが、ラルさんが1期の時から全く容姿が変わっていないので1期から何年後の世界なのかというのがわからない(公式サイトに「7年の月日が流れた」と書いてあった、がしかし7年経ってもあそこまで容姿が変わらないのは不自然すぎるしやはりラルさんはこの世の人間ではない説が真実味を帯びてきた)。あと1期におけるチナとアイラのポジションをいいとこ取りしたようなホシノ・フミナというキャラが良かった。久々に牧野由依主演作品を見られた気がする(『フランチェスカ見てないですごめんなさい)。しかしチナの弟のユウマがガンプラの才能を開花させているということはやはりチナとセイはアレになったのか。

とりあえず予想通り秋開始作品の中で一番良かったので安心して見続けられる。あとはカミキ・ミライの出番を増やしてくれればそれでいい。


大図書館の羊飼い

小学生の頃から図書館という場所が大好きだった。人類が積み上げてきた叡智を無料でいくつでも参照できる。必要最小限の音しか鳴らず、同じ空間に他人がどれだけいようとも全くその存在が気にならず、世間や社会に紐付いた個人のディテールの一切を捨て去り、自分のことを知る者が誰一人として存在しない、全てがフラットな状態で静謐に溶け込む、あの特異な空間が本当に堪らなく好きで、高校受験の時も大学受験の時も世話になった。大学受験の時は確か登校自由期間みたいなのが設けられて、正当的に「学校に来なくてもいい(学校に来てもいいが授業はなく自習のみ)」という権利が得られた。あの頃は家にいるより学校に行ったほうが楽しいみたいな時期だったが、おれの家から高校までめちゃくちゃ遠いのがネックになって行く気が失せた。おれは基本的に遠いところには行かない。

で、家の近くにあるけっこうでかい図書館を頻繁に利用することになったわけだが、この図書館は頼めば自習室(2F)というものを開放してくれて、ここが暖房がちょうどよく効いてるし利用者も少ない最高のスポットだった。朝から晩までここに入り浸って受験勉強し、集中が途切れたら本館に行って本読んでくる、という健康で文化的な生活を送っていた(ちなみに今住んでいるところの周辺には図書館がなく、徒歩10分+バス20分という出不精のおれにとって中々つらい環境だ)。食事は図書館から歩いて3分のところにある定食屋(?)で済ませれば500円もかからなかったし一生この生活が続いても悔いはないという感じだった。あの日々を取り戻したいがそれは職を失うことでしか達成し得ないので泣きながらまた休日に図書館へと足を運ぶ。

おれが今まで行った図書館全てを思い出してみても羊飼いが居た記憶というものは存在しないのだが、そういう額面通りの話ではないらしい。そもそも願いを何でも叶える羊飼いというのは聞いたことがない。Wikipedia大先生によるとルーマニアの羊飼いは魔術師扱いされていたらしいが、それはあくまで知識量の豊富さに基づくもので、「何でも願いを叶える」という非現実的な存在とは重ならない。もちろん「善き羊飼い」と称されるキリストのことでもないだろう。このアニメに現れる羊飼いとは一体何がモチーフになっているのかが掴めない。

ちなみにアニメ自体は当たり障りのない学園ラブコメという感じだった。まあしかし「図書室」ならまだしも「図書館」で出会いの話をやるというのは受け入れ難かったので舞台が図書室で良かった。図書館は他人との出会いの場であってはいけない。図書館は人との出会いが起こらないからこそ価値がある。出会っていいのは本だけだ。図書室なら学校や何らかの施設に紐付いたものであるので一向に構わないが。


棺姫のチャイカ AVENGING BATTLE

今更内容について言及するのもアレだが、相変わらず古き良きファンタジーと今風のファンタジーを混ぜ合わせた榊一郎の手腕が光る作品だ。榊作品の中でも異端の『アウトブレイク・カンパニー』もアニメ化成功したし、空前の榊一郎ブームが来ているはずなんだがポリフォニカの続編は未だに作られない…こんな社会に誰がした……


寄生獣 セイの格率

今期Gレコと並んで最も「ちょっと言及(批判)するだけで袋叩きに遭う」アニメなので何も言わずに賛否両論飛び交う様子を遠くから見守りたいと思う。


なりヒロ

gdgd妖精sの出来損ない。


Hi☆sCoool! セハガール

本物の高齢者向けアニメがついに現れてしまった。単純なギャグアニメとしては圧倒的に今期トップ。


SHIROBAKO

秋アニメ期待度3位だったのに完全に書くの忘れました本当に申し訳ありません。PA制作・水島努監督とくればこれはもう『Another』だろ、と思って臨んだらまさかのアニメ制作を内側からメタ的に扱う血も涙もない限りなくドキュメンタリーに近いアニメだった。これをガルパンで放送落としたことがある水島努が監督やる、というのが何とも笑えない冗談だ。アニメ制作といえば、地獄のような環境の中でアニメーターが馬車馬の如く働かされている閻魔大王も裸足で逃げ出すレベルのインフェルノであることは周知の事実だ。それゆえ放送前は暗黒の塊のようなダークサイド一色のアニメなんだろうな、と勝手に思っていたが、蓋を開けてみると想像以上にポップでフレッシュな内容だったので驚いた。オリジナルアニメ特有の初回の勢いも感じられるし、アニメーターの悲惨な労働実態から視聴者の目を逸らすためにアニメーターではなく制作会社の方をピックアップする展開が作用している。

1話の時点でもう業界あるあるネタを繰り出しているんだけど、気になるのはこのどこまでも内輪に近いネタでどの程度外側の人間である視聴者にアプローチできるか、という点とネタの枯渇だ。そもそも視聴者の半分以上はアニメ制作そのものに興味を持っておらず、それを逆手にとってこうした内部事情を描くアニメが生まれた、というのは面白いし業界にとっても有意義な試みだろうが、今のところ観測範囲内では業界人だけが盛り上がっているという印象なのが何とも言えない。専門用語もできるだけ噛み砕いているけど分からん人は分からんだろうなという感じだ。

そういえばおれが初めて作画に興味を持ったのは『電脳コイル』だったんだけど、あれは電脳コイルのアニメ放送を見て興味を持ったというよりは『電脳コイル ビジュアルコレクション』というもう聖書クラスに尊い原画集が発売されたおかげだった。作画について勉強したい人はあれを買うといい。下手な専門書よりよっぽど役に立つ(アニメーターが何を考えてこういう絵を描いたのか、というロジカルな部分が明確に理解できる)。ついこの間復刊されたので買うなら今だ!!!!!

まあこのアニメ自体は作画というよりアニメの制作過程そのものがメインなので、これを見てアニメーターを目指す人より制作進行になってそこから上に登り詰めたいと思う人の方が多い気がする。個人的にはこのアニメが放送されることで業界人が隠し持っていた内輪ネタを続々暴露してくれるという最高の展開、あるいは水島努がやらかして放送落として本当の意味でこのアニメがメタノンフィクションになるという結末になれば面白いと思います。


俺、ツインテールになります。

お前がツインテールになろうが知ったことではないしおれの人生に何の影響も及ぼさないが、少なくともこのアニメは今期のどの作品にも見られない純正の狂気を迸らせており、理性とは真逆のその熱量に圧倒された。間違いなく歴史に残るようなアニメにはならないだろうし制作陣もそれを理解して作っているので、手に汗握る闘いとか筋を通したラブコメとかたぶんやる気ない。世の中のあらゆるものは不完全であることを逆手に取った「不完全であることを愛でる」というタイプの作品なので欠落を指摘するのは徒労だ。だが問題はこのアニメが真面目なことをやろうとし出した時にこのスタイルが足を引っ張ることになるのでは、という点だが、主人公がツインテールへの愛を忘れなければ何とかなるだろう。

主人公が無意識に幼馴染のツインテールを引っ張っているところ(そのうえそれが当たり前であるかのように処理されている)に狂気が滲み出ている。これもしかしたらダイミダラーのレベルに到達できるのでは、という期待を抱かせる部分も見受けられるし、なによりこの先何をやるのか全く見当もつかないというところに無限の可能性を感じられる。敵の造形もダイミダラーのペンギン帝国のような雑さで良い。「この世界のすべてのツインテールを無くす」という敵の目的のどうでもよさや意外に紳士的な一面を見ると、どんなに真面目な話になっても芯はそのままだろうなと思える。

主人公が変身して女の姿になるというのも最近では珍しくなくなってきたが、本来は「なぜ変身すると女になるのか」というその事実が作品の根幹に関わる重要なもののはずで、このアニメにおける女装はどうやら特に意味が無さそうなのが一周回って最高だった。あらゆるものに意味を見出す理詰めの作品の窮屈さに比べればこちらのほうがエモーショナルで肌に合っている。こういう馬鹿馬鹿しい作品が1クールに1つは必要だ。11〜12月とかの寒い時期にこういう熱苦しいアニメを見れるのは本当にありがたい。最後まで馬鹿を貫き通してくれたら舞い上がって喜びます。


四月は君の嘘

以前述べたようにおれが思うこの作者の最高傑作は『冷たい校舎の時は止まる』のコミカライズ版だ。原作小説は作者自身の名前が付けられた「美月」という人物の鬱陶しさが目立ったのだが、コミカライズ版では一切の臭みと人の体温を取り除いて冷たい無機質な世界観を作り上げることに成功していた。キャラクタの動作はもちろん、「誰もいない校舎」というものの冷たさが完璧に表現されており、非現実的でありながらそれを現実ものとして受け入れられる雰囲気を構築していた。

『四月は君の嘘』は同作者のオリジナル作品だが、最新巻まで読んでいてもなお「物語が弱い」と感じてしまう。映画にもなった『さよならドビュッシー』という作品なんかはミステリが主題でありながらピアニストの本質に近付いていたし、『シューマンの指』もミステリでありながら半分近くシューマンの知識を長々と書いている狂気的な作品だった。ミステリ要素のないピアニストをテーマにした作品となると『マンハッタン物語』あたりが有名だろうか。テイストとしては『四月は〜』に近いのだが、こちらは主人公がピアノを弾くことに興味を持つところから、成長して交響楽団で演奏するまでを物凄く詳細に描いていて、『四月は〜』よりも厚みがある。漫画という媒体は「絵」があるぶん小説よりも感覚的な表現が可能なのだが、『四月は〜』はそれをほぼ完璧にできている稀有な作品であることには違いない。だがその表現力の高さにシナリオが追い付いていない。

アニメとなると「絵」に加えて「音」と「動き」が付いてほとんど現実に近い段階に到達する。すなわち、作者が伝えたかったことがほぼフルに発揮できる土壌だと言えるのだが、このアニメはギャグシーンを過剰にギャグとして演出していて、そこに違和感を覚えた。原作はこうしたギャグを日常の延長線上の出来事として地続きに処理していたため、ギャグシーンだけを取り上げて日常と隔離するような演出はあまり適切とは言い難い。同じノイタミナで音楽をテーマにしたアニメ『坂道のアポロン』はそこらへんを上手く処理し作画の力を見せつけた良作だったのだが、こちらはどうもポップ感を前面に押し出しているのが逆効果になっているような。

今の段階ではアニメで興味持ったらまず先に原作を読んでそれから判断したほうがいい、という状況だが、逆に原作の内容を知らないまま最後まで視聴したほうが幸せになれるタイプの作品かもしれない。まあもしこのアニメが大成功した暁には『冷たい校舎の時は止まる』もぜひアニメ化してもらいたい。


PSYCHO-PASS サイコパス 2

1期で終わっておけば良かったのにと思わせてしまった時点で続編としては厳しいところ。テレビシリーズではなく劇場版の尺だったらまだ許容できたかもしれない。1期の頃で第三者視点を有していた常守朱が2期で主人公になったことで、第三者視点は後輩の霜月美佳に託されることになったが、こいつが今後サイコパスを濁らせる展開が容易に予想できてしまう性格なのも良くない。初回の時点で全体像が見えるのと最後の方の展開が見えるのではわけが違う。狡噛が戻ってくるなどのサプライズを多段的に仕込まないとこの先つらそう。


Bonjour 恋味パティスリー

この内容で5分は尺短すぎるのでは…?


ガールフレンド(仮)

(^q^)「くおえうえーーーるえうおおおwwwwwwwwwwwwwwww」

間違いなくフォトカノ方面のアニメだと思っていたら完全に読みが当たってしまい逆に申し訳なくなってきた。もはや脚本や作画よりもキャストが最高で何人に到達するのかという点に興味がある。見た目似たようなキャラクタも結構いて誰が誰なのかさっぱり分からん時が結構あるんだけど紹介とかほとんどやらないので右から左へ女子高生が流れていくだけのアニメと化しそうだ。しかしあの有名なクロエ・ルメールだけは一瞬で分かったのでコマーシャルというものは未だに絶大な効力を持っていることが窺い知れる。テレビはまだ死んでいなかったのだ。

フォトカノあたりのアニメとこのガールフレンド(仮)が違うのは男性が本編に関わってこないという点なのは自明だろう。とにかく清々しいくらい男の臭いが消されて共学なのに女子高のような雰囲気を纏っている。徹底した脱臭とキャラクタの大量登板により1話はほとんど全キャラの顔見せ程度で終わってしまったのは勿体無い。主人公(?)である心美がクロエ・ルメールを探し回っているうちに様々な人と会う、というそれだけの話なので起伏がないのもつらい。

このアニメの1話を見ると『六畳間の侵略者』はとても上手く構成されていたのだと気付かされる。1話で主要キャラを大量に出す、というのはやはり非常にリスキーなメソッドだ。顔と名前が一致しないまま次から次へと新しいキャラクタが登場していくので、ベルトコンベアから次々流れてくる工業機械に部品を取り付けていく流れ作業をやっている気分になる。次回以降どのように展開させていくかによって評価が全く変わってくる。


結城友奈は勇者である

オリジナル作品におけるシナリオというのは事前の判断材料が監督と脚本家しかないのでかなりギャンブル要素が強く、いくら作画や演出や音楽が良くてもシナリオやキャラクタが崩れると作品全体が瓦解してしまう。監督岸・構成上江洲というコンビはオリジナルでも原作ものでもわりと打率高いけど、それはファンタジーやコメディの方面における話で、デビルサバイバーやハマトラといったダークな要素を内包する作品になるとなぜか脆さが見えてしまうという弱点もある。『人類は衰退しました』はそうした弱点を克服した作品であったが、あれはブラックジョークの色合いが強かったから成立したのだと『ダンガンロンパ』で分かってしまった。タカヒロは最新作『アカメが斬る』を見ても岸上江洲コンビとあまり合わないであろうとわかるんだけど、ポニーキャニオンがそこらへん何にも考えてなかったのだろうなと推察する。

今のところ勇者部云々という初期の設定は要らないように思う。そもそも日常から非日常への移行に関して結城友奈たちがあまりに冷静で世界観との齟齬が生じている。これなら最初から非日常の世界を舞台にしたほうがスムーズだった。世界を滅ぼそうとする敵が存在するという前提がある世界での勇者部、としたほうが勇者部というものの意味が強くなる(2話目を見て現代を舞台にしている意味が何となく伝わってきたのだけど、この様子だとほぼ確実に主要キャラ1人くらい死にそう)。あと変身バンクが過去から現在までの様々なアニメを混ぜ合わせた良さがあったんだけど、変身後の服装のカラーリングが某アニメのキャラクタに酷似してたのが気になった。

はっきり言って今の段階では様々なアニメの要素を詰め込みながらもシナリオにメリハリのない微妙なアニメという判断しかできないのだが、この作風で主要キャラが死ぬと間違いなくパクリだと糾弾されてしまうだろうし、かといって馴れ合い染みた中途半端な闘いを繰り返されても盛り上がらないので、戦闘ではなく冒険の方をメインに舵を切ればサバイブできるのでは、と思ったが背景美術が完全に死んでるのでそれも無理そうだ。このグダグダ感は『幻影ヲ駆ケル太陽』を視聴した時の感覚に似ている。

追記
どうやらゲーム化前提で作られたアニメのようなので監督岸起用に納得した。しかしゲーム化となると逆に主要キャラ誰も死なない説が強くなるのでは…


蟲師 続章

10月中旬まで放送開始を引っ張ったのはどう考えても作画がほぼ瀕死状態だからで、それを考えると異常なハイクオリティぶりも何だか悲しく見えてきて、おれたちが作画すげえ音響すげえと騒ぎ立てるその裏では、アニメーターたちが文字通り命を削って蟲師の世界を作り上げているわけで、それを思うと無闇矢鱈に脚本がクソだ演出がクソだと批判するおれたちのような視聴者のほうが蟲よりも蟲に近い生き物なのでは…という気がしてくるので無間地獄。もう全部蟲のせいにするしかない。

前期同様、言葉より絵で魅せるタイプのアニメらしいアニメなので批評的に何らかの言及を行うことにはあまり意味がない。作画に関する無限の不安を除いては理想的なスタートだった。


クロスアンジュ 天使と竜の輪舞

開始30秒の時点でああこれシンフォギアだなーと分かってしまうくらい歌の入れ方があからさまだったことより、OPが完全にガンダムSEEDのOPトレースしてるんじゃないのというくらい映像が酷似していて、ここまで似ているとオマージュどころかパクリ扱いされそうな気がするんだけど、観測範囲内では怒るどころか笑ってる人間が多くて、時の流れとは恐ろしいものだと思い知らされた。音楽に志方あきこが関わっているので結構期待してたんだけど悲しいくらいのSEED+シンフォギアぶりで膝から崩れ落ちた。創造性とは、独自性とはいったい何なんだ。

この「どこかで見たことのあるような要素の寄せ集め」感は最近だと『バディ・コンプレックス』でも感じられた。あれは先日放送された完結編で無理矢理纏めてて逆に面白かったのだが、こっちは変に真面目であろうとしてるぶんタチが悪い。しかし主人公の王女が世間や真実を知らないが故に行動や言動が残酷なものになる、というのはちょっと珍しかった。これが王子(男)だとよくあるパターンなのだが、王女が冷酷(本人はそのことに全く気付いていない)というのは珍しい。そこで更に捻って王女が差別される側の人間で、いきなり王座から引きずり降ろされるというのは面白かった。結果としてクーデターを上手く演出できていたんだが、肝心の姫の描写が足りなくて王女から囚人への落差の表現がいまいちだった。これ全25話くらいあるんだから初回ほぼ全部使って王女の生活を描いて最後にクーデターのほうがインパクトあったのでは。

ともあれ化ける可能性は充分にあるので見続けるし、ちょっとコードギアス的雰囲気も漂っているのでわりと期待もしている。王女には下手に改心とかせず己のプライドを貫き通してほしい。

追記
2〜3話で大化けした。序盤で主人公のせいで主要キャラが3人一気に死んだにも関わらず主人公が一切改心しないというのが最高すぎる。このまま人命をとことん軽視してほしい。




というわけで現在トップはクロスアンジュという超大番狂わせが起きてしまいました。サンライズキングレコードという「個々の力は抜き出ているがそれゆえ組んだら間違いなく産業廃棄物が生み出される」と思われていたこのアニメが正統的ではなく異端的な方向に突き抜けた結果めちゃくちゃ面白くなるという極めて珍しい事態となった。次点でGBF、七つの大罪ツインテールというところ。セハガール、甘ブリ、異能バトルも2話以降からエンジンかかって面白くなった(秋アニメ話数ベスト、今のところセハガール2話です)。秋もなんだかんだで豊作っぽいので今年は2011年以来の豊作の年になりそうな気がするぞ。