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俺の妹がこんなに可愛いわけがない。

あやせという第一波がTVアニメ本編で過ぎ去ったかと思えば特別編14話(事実上TVアニメの続編〜最終回)で黒猫という第二波がすぐさまやってきて鼓膜と網膜が正常に機能しなくなった。やはり京介をコンクリートで固めて海に沈めなければ我々に心の平穏は訪れないのかと苦悶することになった。まあ俺妹シリーズはこれで完結したし彼らのこの先を知る機会はもう訪れないだろうから大らかな心でもって許容しよう。

黒猫がノート破るシーンで回想挟むのは極めてアニメ的だよなと思ったけど、それよりも黒猫と京介のダイアログの間に珠希が「なんでお兄ちゃん来ないのー?」と言って日向を困らせるシーンが挟まれたことにより精神に深手の傷を負った。家族ぐるみでの付き合いが形成された後に別れるの、GEとかでもあったけど一人の人間の生き方を捻じ曲げてる感じで話としては面白いけど実際に見るのは気が進まない。

もちろん最終回は原作通りの内容で、そしてやっぱり何百何千何万回見ても京介が桐乃を選ぶ意味も理由も感情もわからないし、それはきっとおれに実の妹がいるからだろうと憶断する。まあ好みの問題の方が強いんだろうけど、物語として桐乃に入れ込む余地があまり無かったというか、京介の行為行動は各ヒロインから最終的に桐乃に収束するものではなくて各ヒロインに分散されて留まるものだったので、じゃあ桐乃を選ぶ必然性は無いよな、という感覚だった。高坂兄妹が積み重ねた歴史はもちろん恋人ではなく兄妹としてのそれだし、ある時期を境にして兄妹としての繋がりすら断ち切ってしまったのだから、例えその後に本来あるべきだった兄妹の時間と距離を取り戻してもそれは「兄妹の仲が戻った」という認識が先立つ。

原作未読でアニメのみを見てる人からの「2期になって京介が気持ち悪くなった」という指摘は正しくて、実際のところ原作でも京介は原作の半分過ぎた頃から気持ち悪くなってて、それは今まで自らの利益を度外視して他人の為にのみ行動していた京介が、黒猫に告白されたあたりから自らのことも勘定に入れて行動してるからだという解釈が適当だと思われる。自らの幸せを追求しようとすればいくらでも出来たし、簡単に掴むことも可能だった京介が最高難易度の桐乃を選んだのはやっぱり性分なのかなーと考えている。桐乃が京介に抱いている感情は憧れの延長で、京介が桐乃に抱いている感情は庇護欲が変容して独占欲に変わったものだという印象は未だに揺らいでいない。

京介が桐乃以外のヒロインに別れを告げるシークエンス、特に麻奈実と加奈子のそれが山場なんだけど、加奈子との別れはやけにあっさりしてたのが残念だった。もっとこう大勢の人がいるステージの真ん中あたりにいる京介にスポットが当たる、みたいな仰々しさがあってもよかった。逆に麻奈実と桐乃の最終決戦(特に腹パン)が非常に素晴らしかった。これ初めて原作読んだ時は蛸壺屋に影響されたんじゃないのと思ったんだけどアニメ見ると余計その印象が強くなった。しかし最終回(足掛け32話)でようやく田村麻奈実という人間が見えたのは良かった。抑揚も感情も捨てたような声で高坂兄妹に迫るシーンは佐藤聡美のベストアクトだろう。

俺妹という作品は結局作者の匙加減で物語が進んでいるという感覚だった。キャラクタが物語を動かすのではなく、作者がキャラクタを動かしてそれに引き摺られるように物語が進むという感じ。だから完全に入り込むことは出来なかったのだと思う。キャラクタは生き生きとしていながらも結局は作者の敷いたレールの上を歩いていて、そのせいで当事者としてではなく第三者目線でしか捉えられなかったことが未だに心残りではある。タイトル通り俺妹はあくまで高坂兄妹の話であって、「俺」にも「妹」にも共感できなかった人間は物語の外に置かれるしかない。京介が各ヒロインをばっさり切り捨てていくところに顕著だがこの作品は残酷なほど読者・視聴者を突き放すし、それについてどこまで容認できるかというところでもまた受け手を試している。ただ受動的でいるだけの態度を拒むという点では野心的だったが、革新的というほどには完成されていない。しかしそうした粗の違和感・不自然さが麻奈実の言うところの「気持ち悪い」に収束されていると考えれば、それはそれでとても真っ当な作品だと言えるのかもしれない。