幽霊とエゴイズム

なぜかいきなり祖母の実家に招集された。理由は「墓参りする」とのこと。
おれ前から思ってるんだけど、墓参りって何の意味があるんだろう。


例えば、身近にいる人に、「宇宙人っていると思う?」って聞いてみたとする。返答は恐らく八割がた「ノー」だろう。この科学が異常なまでに発達した現代において人間は、そもそも非科学的なものを信じていない。例外は「幽霊っていると思う?」という問いだろうか。しかし霊というのは大気中に発生したエネルギー粒子が云々(詳しくは知らん)が正体なのではないかという見解があるようで。


ともあれ、人間は非科学的なものを信じていないくせに、慣習として非科学的な行為が刷り込まれている。これってハッキリ言って「無意味」の極みだと思う訳で。
葬式は何のためにするか知っているだろうか。あれは死者を弔うためではない。現世に生き残った人間の為にするものだ。参列者が悲しみを共有し、あわよくば癒されようとする。語弊があるかもしれないが、要するに傷の舐め合いなわけで。


それはもはやエゴなのではないか。どこまでも現世を生きる人間のエゴイズム。そして墓参りもそんなエゴイズムの延長にあるとおれは思う。


そもそも墓参りをする事によって何が起こる?何を得られる?ーー何も起こらなければ、何も得るものなどない。
死者の霊魂が云々だって?それこそエゴだろ。大体、幽霊理論でいけば、霊魂が彷徨っているってことは成仏してないってことじゃないのか。魂救われてないじゃん。
お墓に水を掛け、花と供物を備えることは生きている人間の贖罪でありエゴに過ぎない。そう思うからこそおれはこの手の行事は嫌いなのだ。


おれはセコい人間なので、自分に何らかの利益が発生しない行動は基本的に取らない。損得感情抜きで動くのは自分の大切な友人が絡んだ時だけだ。知人レベルだと若干迷う。
これもまたエゴだという事は重々承知している。しかし墓参りなどに対するエゴとはベクトルが全く違う。


あっちのエゴは余計なボランティア精神に似ている。震災が起きてボランティアに行ったものの食事など自己管理が出来ず、結局復興の邪魔になるという、あの自己満足の為だけの行為によく似ている。


おれが1番腹立った、ニコニコ動画の歌い手()が震災チャリティーと称し望まれてもいないのに好き勝手歌った挙句、ゴミは持ち帰らず食事や電気を消費していったあれ。元々おれはニコニコに巣食う連中が嫌いだったんだけど(創業当初はマシだったんだが、2008年頃からマナーも弁えない中高生の溜まり場になっていった)、この一件で完全に見限ることが出来た。ヒナニー事件で運営も糞だとわかったことだしね。


話は逸れたが、結局墓参りという行為は、対象が「死者」であるため行為自体は本来誰からも望まれていないものなのだ。現世に生き残る人間達のエゴが渦巻く場所が「墓場」なのではないかとおれは思っている。そういった人間の思念が霊的なものを生み出すエネルギーになっていると考えた方が、まだ心霊現象に納得できそうじゃないだろうか。


兎も角、おれは祖母の実家にも墓参りにも行きたくない。おれはおれのエゴを貫くよ。