2015年冬期アニメ総括

アイカツ新章のOP・ED曲が最高という話をするつもりだったのが、何の因果かいつものあれをやることになりました。黒沢凛も天羽まどかも良いキャラだったんだけど、涼川さんがバンドで食っていく道を諦めて教職の道を歩んだことに一抹の寂しさを感じてしまった。どこの世界でも音楽一本で食っていくことは難しいらしい。つらい。

あと社会人2年目になったのと同時に部下ができた。少しずつではあるが確実におれの地位が向上していくのを感じる。巨匠が去年のキングオブコントでやっていた「パチンコ玉を競馬新聞にくるんでパチンコ中毒の人間を生み出すおっさんとそれを見た子供」というネタがあるんだけど、その中でおっさんが子供に「ねえ、おじさんはなんでこんな意味のない(社会の役に立たない人間を大量に生み出す)ことをしているの?」と訊かれ、「おれは向上心がすごいから社会的地位を上げたいんだ。30人中30位は最下位だ。でも1000人中30位はすげえだろ。おじさんはそういうことをやっているんだ」と答えるワンシーンがあって、おれはこれが物凄く好きだし心の支えにしている。自分の努力には限界がある。ではそこからどうやって先へ進めばいいかという、その明確な答えについに出会ってしまったのだ。部下が増えることによりおれの地位は自然と向上するのだ。部下最高!!!!!


いつものやつ


評価方法

・評価ポイントは「ストーリー」「キャラクター」「演出」「作画」「音楽(OP・ED含む)」の5つ。各10点満点
・総合評価(ランク)は「SSS」「SS」「S」「A」「B」「C」「D」「E」「F」「Z」とする(各説明は以下参照)

「SSS」~生涯愛せる、墓場まで持って行きたい作品
「SS」~アニメの金字塔レベルの作品
「S」~何度観ても面白いと思える名作
「A」~傑作
「B」~秀作
「C」~良作
「D」~凡作
「E」~駄作
「F」~超駄作
「Z」~黒歴史



探偵歌劇 ミルキィホームズTD

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ストーリー 7
キャラクター 9
演出 9
作画 7
音楽 8
総合得点 40点
総合評価 A

初めてミステリに触れた切っ掛けは一応『名探偵コナン』ということになるのだと思う。もろに直撃世代だし。そこからアガサ・クリスティを知って片っ端から著作を読み漁り、次にコナン・ドイル、エラリィ・クイーン、ジョン・ディクスン・カーといった有名な海外作家の小説をどんどん読んでいった。その後は江戸川乱歩横溝正史小栗虫太郎といった日本の作家のミステリに進んでいき、綾辻行人あたりの新本格へと突入していく。そんなありがちな読書人生を送ってきたわけだが、やはり最初に触れた探偵小説『そして誰もいなくなった』には特別な思い入れがあるし、アガサ・クリスティという作家はおれの中で揺るぎない存在だ。2ヶ月ほど前に書いたクリスティのエントリで少しでもそうした思いが伝わってくれればいいなーと思います。


さて、探偵小説をテーマにした美少女(?)ギャグアニメというジャンルで他の追随を許さないミルキィホームズシリーズ。とはいえ本当に出来が良かったのは1期だけで、2期はやや中空飛行気味、3期は主役がフェザーズという時点でシリーズの中に含めていいのか分からないが、まあミルキィホームズの名を借りているので仕方ない。これはよくこんなものを作れるなというくらいの駄作なのだが、結果的にこれがあったおかげでこの4期が上手く回っていたので、この世に溢れる駄作の山も無駄にはならないということだろう。いや、そもそもおれにとっての駄作は他の誰かにとっての傑作かもしれない。人間の価値観はそれぞれ違うのだから。


ミルキィホームズシリーズの4期にあたるこの『探偵歌劇 ミルキィホームズTD』は1話から最終話までずっと高いクオリティを維持しており、2期3期の頃には影を潜めていた理不尽さ極めるギャグや節操のないパロディがようやく全面的に押し出され、外連味溢れる皮肉も交えつつこちらに考える間を与えないほどのスピードで繰り出されるそれらは5年前の熱量を呼び戻すには充分過ぎた。新キャラの天城茉莉音が常識人だということも相俟って、より一層ミルキィホームズたちの異常さが際立つ。毎回ぶっ飛んだ展開なのに毎回面白いというのは奇跡の類だ。これを狙ってやっているとしたら凄すぎる。


1期・2期の頃と違い、明らかに低予算の環境のもとで制作されているのにこのクオリティ。いや、そんな環境だったからこそ本気を出せたのかもしれない。3期によって今まで積み上げてきたあらゆるものが失われ、もう何も失うものはなく怖いものなしの状態でリングに上がったからこそ勝利できた。こうなるといよいよブシロード新日本プロレスを買収したことすら伏線のように思えてしまう。『探偵歌劇 ミルキィホームズTD』を視聴していて抱いていた感覚が何なのか、最後の最後でようやくわかった。プロレスだ。プロレスを観戦している感覚と同じなのだ。派手な展開で客を惹きつける物語も、常軌を逸しているように見えて実は常識がある謎の魅力を持った登場人物たちも、そしてもはや原点であるはずの探偵小説のオマージュをほぼ放棄しているその潔さも全てがプロレスに通じている。すごいぞ木谷、やったぞ木谷。おれたちはあんたの掌の上で転がされていたのだということがよく分かった。分かったから次はG4の面子全員出したうえで続編を作ってくれ。



アブソリュート・デュオ

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ストーリー 4
キャラクター 6
演出 7
作画 5
音楽 6
総合得点 28点
総合評価 D

よくネットに「二人組になりなさい」という体育の授業があって…みたいな話が転がっているけど、おれが義務教育を受けていた頃には二人組になる授業はほとんど無かったような気がする。小中学校ともに1クラスあたりの人数が多かったせいだろうか(高校の頃にはあった気がするので)、ともかく体育の授業はほとんど集団でやっていた。あとフォークダンスとかもやったことがない。あれが運動会で男女が手を繋ぐ唯一の機会だったみたいな話をよく聞くのだけど、今って組体操とか騎馬戦とかやらないのかな。組体操といえば小学校の頃にどちらがどちらの上に乗るかで揉めに揉めて喧嘩別れした同級生がいたんだけど、彼は元気にやっているのだろうか…


「絶対的な二人組」というのはこの世において双子ぐらいしか存在しない気がするし、ましてや男女ペアともなるとアブソリュートなんて言ってられないくらい不安定だし、まあやっぱり人間同士が完全に分かり合うというのは不可能なのだ。血が繋がっていようがいまいが、100%相手を理解することはできないし、できないからこうして泥水啜って生きてるんだろうなと勝手に納得している。問題なのは理解できないことそれ自体ではなくて、理解をしようとするかどうかということだ。『アブソリュート・デュオ』の主人公である九重透流(余談だが名前が非常にクソダサい、キラキラネームの息吹を感じる)はそういった意味での「理解」を頗る重んじる男だった。


とにかく相手がどんなやつで、どんな仕打ちを受けようともその相手を理解しようとする。ラスボスだったKも例外ではない。武器が剣や銃などではなく盾だというのも象徴的だ。基本的には滅ぼすために戦うのではなく守るために戦う男なのだが戦闘には積極的に参加するし、ともすれば進んで最前線に立つ。最終回で透流は「なぜ己の力が『盾』だったのか」という答えに辿り着くのだが、おれたち視聴者が辿り着きたかったのはそこじゃない。ユリエの生い立ちだってどうだっていい。アブソリュート・デュオはそういう作品じゃないはずだ。いや、デュオという性質をより強固にするためだという理由はもっともだ。でもそれは最終回でやることじゃない。みやび、巴、リーリス、伊万里という主人公のアブソリュート・デュオになれなかったヒロインたちは確かに量産型ヒロインの末裔といっていい程度のポテンシャルの保有者だ。1話目の時点で「このアニメはユリエ以外のヒロインを容赦なく切り捨てていくぞ」という姿勢を示していた。それは最近のラブコメを標榜するライトノベルにありがちな弱ハーレム志向に対するアンチテーゼとして有効だ。


それでも主人公である九重透流に好意を抱かせてしまった以上、彼女たちの感情を処理せずに幕を降ろすのは不誠実だろう。この作品はそのテーマ上、ハーレムだったり多人数からの好意を主人公に集中させたまま終わらせるということはできない。必ず選択を迫られる。「アブソリュート・デュオ」とは夫婦や親子よりも強い絶対的な関係であるという。それなら本来は透流とユリエの間に付け入る隙などあってはいけないはずだった。みやびの告白を放置するのではなくしっかり断った8話は前述の「選択」から逃げなかった結果であり、今後の展開への希望でもあった。しかし選ばれなかったみやびに焦点を当てたことで他のヒロインへ手が行き届かなくなってしまった。巴は主人公への想いなど忘れたかのようにみやびの絶対的な相方になろうとするし、リーリスは透流のことを未来の配偶者だとしきりに公言してはいるもののそこからの具体的な進展はない。


この『アブソリュート・デュオ』の何が問題だったか、と問われると一言で答えるのは難しい。面白いか面白くないかと問われると面白くない。ここ数年のMF文庫原作アニメの系譜からはみ出さない、枠の中にしっかりと収まっているアニメだ。目新しさは何もない。しかし目新しさが無くとも面白い、人を惹きつける魅力のある作品は沢山ある。そういった作品は往々にして歴史を顧みて、何が良くて何が悪いのかを吟味して作品に反映しようと試みている。これは過去の焼き増しとはわけが違う。両者の間には圧倒的な隔たりがある。11年の『インフィニット・ストラトス』における歴史の総括は今後新しいものが次々と生まれてくる予兆を感じさせたが、残念ながら次のステップはまだ遠いようだ。



ユリ熊嵐

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ストーリー 9
キャラクター 10
演出 10
作画 9
音楽 8
総合得点 46点
総合評価 S

学校でのいじめや職場でのパワハラすら無くならないこの世の中なのだから戦争が無くなるわけがない。『寄生獣』の浦上も言っていたが、人類は元来傷付け合う生き物だ。原始時代から続いていた闘争の歴史がある時を境にぱったりと途絶え、全ての人間は傷付け合わず共生するべきだという思想が台頭し、歴史は変わっていく。それでも日々、世界のどこかで人間が人間に殺されている。学校に馴染めない者、労働に向いていない者、他人との意思疎通が苦手な者、世の中には様々な人間がいるし、それは決しておかしなことではない。むしろ「誰とでも仲良くなれて労働大好きで毎日が楽しくて悩みなんてない!!!」なんて人間のほうが異常だ。悩みの無い人間なんていないし、往々にしてその悩みの原因は人間関係だ。おれが愛する『古畑任三郎』シリーズ1第9話「殺人公開放送」においても、ある教授が「どんな悩みも突き詰めれば人間関係だ」と言っている。人間同士がこの地上で共存している以上、人間が抱える問題というのは常に人間同士のものであるのだ。


ユリ熊嵐』も結局のところ突き詰めれば人間関係の問題に集約される。「ユリ」とは謳いつつも、その好きは性欲に根差したものではなく女性同士の固い友情から生まれた感情だった。熊と人という関係性はてっきり人種差別の側面を描くためのファクタかと思われたがそんなことはなかった。熊だろうが何だろうが、互いが強く思っていれば繋がり合える。ともすればメッセージ性が強くなりそうなこのテーマを極めてポップに描けたのは監督が幾原邦彦だったからだ。イクニの描く浮き世離れした強烈な世界が、性的な描写も強いメッセージもシリアスな描写も全てをポップに、カラフルに包み込んでいく。結果的に物語もアニメーションも一級品に仕上がった。


複雑に絡まった糸をどうやって解いて、どうやって最終回で纏めてくるのか、11話が終わった時点で非常にワクワクしていたのだが、結果的に12話(最終回)はそんな期待に応えてくれる素晴らしい力作に仕上がっていた。最後の最後まで予想を裏切る展開、完全なハッピーエンドではないにも関わらず、画面から溢れんばかりの圧倒的な多幸感。絵本というファクタが最後まで上手く用いられていたのも印象的だった。ファンタジーの世界に連れて行ってくれるようなラストの美しさ。この最高のアニメを評するのに的確な言葉が見つからないのも当然のことだった。誰も見たことがない世界を構築しているのだから陳腐な言葉で表現できるわけがない。


そんな世界だからこそ、「イクニの作るアニメはいつも分かりづらい」という意見もよく目にする。しかし『少女革命ウテナ』『輪るピングドラム』に比べてこの『ユリ熊嵐』はわかりやすい。もちろん最初は分かりづらい。しかし上記2作が最後まである程度の謎を有したままだったのに対し、『ユリ熊嵐』は1話ごとに丁寧にばら撒いていた謎を紐解いていく(だからこそミステリ小説を読んでいるような快感も得られる)。変わっていく椿輝紅羽の「スキ」と変わらない百合城銀子の「スキ」、その関係性が最後まで丁寧に描写されていたのでストーリーが迷走することもなかった。「師弟愛、兄妹愛を描いたイクニが次は同性愛を描くのかー」と適当に考えていたあの頃の自分を恥じるばかりである。目に見えない空気による同調圧力を「透明な嵐」という設定だけで描き切ってみせた点も素晴らしい。松任谷由実が「恋人はサンタクロース」において「結婚」という言葉を一切用いずに主人公が結婚したことを示してみせたように、本物の作家・クリエイターは直接的な表現/言葉を用いなくても表現したい事柄を的確に提示できるのだ。


この『ユリ熊嵐』を傑作と言わずして何を傑作と言うのだ、とおれは資本主義社会を否定してでも主張し続ける。イクニの思い描く浮世離れした、悪く言ってしまえば取っ付きづらい世界観が「百合」の先にある女の子同士の友情というテーマを得たことで果てしないポップネス、大衆性を獲得した。「考えるな、感じろ」ではなく、考えればしっかりと理解できる物語がついにイクニの手によって生み出されたことにただただ感動している。歳月を重ねることで偏屈・意固地になり己の世界観を貫き通すクリエイターが多い中、イクニは寛容さ・表現の豊かさを得ていたのだ。寡作な人ではあるのだが、寡作であるがゆえに常に高いクオリティの作品を生み出せるのだろうし、これからも3〜4年に1作でもいいから新作を作り続けてほしい。



神様はじめました

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ストーリー 8
キャラクター 8
演出 9
作画 8
音楽 6
総合得点 38点
総合評価 B

4〜5年前から明らかに少女漫画原作アニメのレベルが上がってきている。基本的に放送されればヒットを打てるし、高い確率でホームランも出せる。「少女漫画=女目線の甘ったるいキラキラストーリー」という偏見はもう完全に取り払われたのでは。もっとも、『ベルサイユのばら』に少女漫画処女を捧げたおれのような人間は、少女漫画が抱える闇の大きさについて痛いほど熟知しているのではないか。ただの恋愛ものでも、そこに主人公や主人公が恋する相手の男の抱える大きな問題が横たわってくる。最近映画化もされた『アオハライド』なんかもその例に漏れず。恋愛というテーマが根幹にありながら、ただ恋の駆け引きを描くのではなく、家庭環境や学校・職場環境などの問題を鮮明に描くことで物語に厚みと奥深さを出す。純粋に真っ直ぐ「恋愛」と向かい合っている少女漫画といえば最近だと『君に届け』だろうか。


少女漫画は基本的に現代を舞台にした作品と、異世界を舞台にした作品の2つに分かれる(これは少年漫画も同じなのだけど、少女漫画は基本的にテーマは一貫して「恋愛」なのに対し、少年漫画はとにかく扱うテーマが幅広い。それゆえジャンルが細分化している)。この点を念頭に置いて『神様はじめました』という作品を見てみると、現実世界が舞台でありながら神様が出てきたり様々な異世界に飛んだり、とにかくやりたい放題である。それなのに物語が迷走することはないし、世界観も強固に構築されている。ちょうど現代と異世界の間を縫うような作品で、ありそうで無かったような感覚を味わえる。


しかし1期最終回で、主人公の奈々美が巴に対する己の恋心を自覚してしまったため、2期1話開始時点では普通の少女漫画のフォーマットに落ちてしまうのかと不安しきりだったが、回を重ねるごとにかつての勘を取り戻していった。加えて1期よりも矢面に立つ登場人物が少なくなったぶん1期よりも物語の密度が濃くなった。全く先の展開が読めない、というのも1期と違う点。特に11話〜最終話は思わず目と耳を疑ってしまうほど重たい話で、この作品が抱える闇の深さと大きさを思い知った。親子ものということで察しの通り、最終回で見事に泣かされてしまった。母親の死をダイジェスト形式で流していたにも関わらず、そのシーンを目にしただけで泣けてしまうのは、主人公の奈々美の人柄に寄るところが大きい。少女漫画における奈々美のような健気なキャラとか『となりの怪物くん』の夏目あさ子のような馬鹿可愛いを体現しているようなキャラとかは親父視点で見てしまうので困る。


1期のお祭り感も好きだったけれど、個人的にはこの2期のほうがストーリーを重視していて見応えがあった。過去に張った伏線もひとつひとつちゃんと回収していくし、奈々美が神様として成長している姿も鮮明に映し出され、続編としては申し分ない仕上がりだった。巴にも人間らしさが芽生えているし、脇を支えるキャラクタのブレなさも素晴らしい。新キャラでさえ「おまえ前から出てなかったっけ…?」と感じられるほどすぐに馴染んでいた。続編とはこうあるべきだ。
あと最終回のエンドカートが最高だった。こういう絵を見せられると原作読みたくなってくる。



美男高校地球防衛部LOVE!

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ストーリー 4
キャラクター 7
演出 7
作画 6
音楽 5
総合得点 29点
総合評価 D

数年前まで普通の人間に比べてわりとお笑いに詳しい方だと自負していたが、THE MANZAIが開催されてからは顔も名前も知らない芸人がどんどん表に出てきて、加えてキングオブコントも無名だが実力のある芸人がどんどん決勝の舞台に上がってきて、いつのまにか完全に時代に取り残されてしまった。しかし最近では実力のある芸人でも中々テレビに進出できず、漫才師もコント師も舞台をメインに活動している現状はバブル景気が崩壊したあとの日本経済の惨状を見ているかのようだ。しかし「お笑い」そのものがもうほとんど未開拓地の無くなったジャンルというか、先人たちが大方のスタイルをやり尽くしてしまった感があって、やっぱり今の若手芸人たちはやり辛いんじゃないかなと思ったりもする。


そういう意味で去年のキングオブコントは象徴的だった。分かりやすく共感できる笑いや爆笑を掻っ攫う破壊力よりも、先鋭化したシュールさや徹底的な世界観の構築を目指した、今までの笑いのセオリーからは少し外れたある意味分かり辛いネタをやってみせたシソンヌが優勝するという、お笑い界の勢力図が変わってしまうような結果。そもそも2014年は非常にエキセントリックなネタを作っていて「大衆ウケなんてしないだろう」と思われていた日本エレキテル連合が爆発的に売れる、という異常事態で幕を開けた時点で「何か起こるぞ」という予感があった。SNSの発達により今まで以上に共感に重きが置かれるようになったこの時代の潮流に反発するかのように、お笑いの世界は良い意味でマニアックに、悪い意味で内向きになってきている。もっとも、昨年のTHE MANZAIでは博多華丸大吉トレンディエンジェル、アキナという非常に分かりやすい笑いをやっていた三組が決勝進出したので、これはもう審査員の問題のような気がするが。キングオブコントがもしお笑い界の重鎮による審査で開催されていたら、もしかしたらバナナマンやチョコレートプラネットやラバーガールが優勝していたのかもしれない。


さて、高松信司は『銀魂』を手掛けて以降、『男子高校生の日常』『イクシオンサーガ DT』などのギャグ作品に傾倒するようになったが、あれらは非常に分かりやすい「笑い」の形だった。それに対してこの『美男高校地球防衛部 LOVE!』という作品はとにかく徹底してシュール。男子高校生〜のような日常系に根ざした緩い笑いも、イクシオンサーガのような過剰な下ネタもない。分かりやすい笑いもあるにはあるが、それも全て後に控える大ボケのためのフリに利用される。おれがこのアニメに抱いた違和感はまさに前述で少し触れた「いつもより笑いの要素が内向きになっている」という点だった。別にシュールなものが嫌いなわけではない。冬アニメ初回雑感で述べたように、おれはシティボーイズで初めてコントの世界に触れた人間だ。なのでこういう毛色の作品は受け入れられるはずだった。問題は高松信司がこうした作品に向いていなかった、この一点に尽きるのだ。


ます、男子高校生やイクシオンサーガと比較してもとにかく脚本が雑。物語はやりたいネタのために拵えたのだと言わんばかりの不安定ぶり。この見せたい場面ありきでアニメを作っていくという構図はギャルゲ原作アニメにありがちだ。加えて余分な要素の多さ。そのためどうにもこの作品の本質が最後まで分からなかった。最終回ではこのアニメ自体をメタ的に皮肉る…というか、このアニメを視聴しているおれたち視聴者は、実は作中のある人物が撮っている映像を見ている人間だった、つまりおれたち自身もアニメの中に組み込まれていたという事実が明かされるのだけど、正直ちょっと弱い。あとわざわざ風呂屋の兄さんをラスボスにしなくてもよかったのでは、という疑問もあり。あと、今期は「笑える作品」という観点においても最強クラスの『クロスアンジュ』が放送されていたのも不幸だった。あれを見せられるとそうそう他のアニメじゃ笑えなくなっちまう。いよいよアニメ界における「笑い」もターニングポイントにを迎えたのではないだろうか。



みりたり!

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ストーリー 5
キャラクター 5
演出 5
作画 5
音楽 7
総合得点 27点
総合評価 D

Life is so beautiful...



艦隊これくしょん -艦これ-

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ストーリー 5
キャラクター 9
演出 6
作画 7
音楽 10
総合得点 37点
総合評価 B

2011年3月11日、あの震災が起きたその日を境に、世の中に「不謹慎」という言葉が一気に広がった。ちょっとした芸能人の言動やドラマのワンシーンが不謹慎だ不謹慎だと騒がれ、しなくてもいい謝罪が行われる。そもそも「不謹慎」とはなんなんだ。お前が糾弾する「不謹慎」はお前だけが思う不謹慎なのではないか…という事実に、不謹慎だと叫ぶ人間ほど思い至らないのはアイロニーの極みだろう。最近では『ジョジョの奇妙な冒険』のアニメにおいてジョジョがタバコを吸うシーンが規制されたことがおれは悔しくてたまらなかった。「あっ、ジョジョが未成年なのにタバコを吸っている!おれも吸おう!!!」と思うやつがこの世にいると本気で思っている連中が少なからず存在しておれと同じ世界でおれと同じ空気を吸っておれよりも幸せな生活を送っているであろうという事実に反吐が出た。最近はあまり話題になっていない青少年健全育成〜も同じだ。青少年への悪影響とは一体なんなんだ。綺麗なものだけ見て育った人間がこの世でひとりで生きていけると本気で思っているのか。綺麗なものも汚いものも見て知ることで、何が良くて何が悪いのかを自分の力で判断できるような人間を育てるべきなのではないか。


軍艦を擬人化、それも美少女化したゲーム、『艦隊これくしょん』が世に出たときの評判は真っ二つに割れていた。実際にゲームをプレイした人間にとってこのゲームは戦争を揶揄しているわけではないとすぐにわかる。むしろ艦娘たちに興味を持つことで戦争にも興味が持てる、有意義な面が多いゲームなのだが、ゲームをプレイせず上っ面の情報だけ掬い取った一部の人間は「これは冒瀆だ」「戦争を軽視している」「不謹慎だ」と騒ぎ立てる。おれはリリースされて4ヶ月後にゲーム開始したような怠惰な人間だが、プレイを4ヶ月間躊躇っていたのは単純にゲームをやることにそこまで意欲が湧かなかったからだ。ところが実際にやってみると、おれのような怠惰な人間でも続けられるようによく考えられており、加えて課金の大小で勝負が決まるといったシステムがない。というかこれ課金しなくても頂点に上り詰めることができる。まあおれは艦隊保有数を増やすのとケッコンカッコカリによるレベルキャップ解除のために数千円課金したが、これが普通のソーシャルゲームなら数万円単位で課金しなければならなかったはずなので、そう考えるとかなり得している。はず。


なんだかんだでもうすぐ提督歴2年(レベル106)になるし、艦隊の練度もそれなりに高いし、イベントはいつも最深部までちゃんとクリアしているのでハマったと言っていいだろう。余談だがおれは定期的に行われるイベントを全クリすることによって歴史を己の手で改変しているような感覚を味わい勝手に楽しむなどしている。それは戦争の勝利どうこうではなく、沈むはずだった軍艦を沈めさせないという思いに関わる行為であった。「物に対して愛着が湧く」という形にし難い感情を端的に示すのに「擬人化」というのはやはり最適な手段のように思う。あと自分が全く興味のなかった分野に入っていく切っ掛けにもなる。2年前までは知りもしなかった軍艦の知識が今や頭の中に膨大に詰め込まれている。基本的に興味を持った時点でしつこいくらい調べ上げるのが性分なので、2年前から図書館の軍事コーナーへの出入りが頻繁になった。こうして艦これのおかげでおれの知識は大いに潤うこととなっていった。


そんな艦これがアニメになると知ったときは多くの提督同様「早すぎだろ!!!!!」と思ったし、実際にアニメを最終回まで見終わった今でもこの感想は変わらなかった。まだ時期尚早だった。どうやら角川にはコンテンツを時間をかけて育てていく、という理念が存在しないらしい。『劇場版そらのおとしもの』を観て味わったあの絶望感、あの時を境におれは角川を心底憎むようになった。おれが好きな作品はことごとく破壊し尽くされた。艦これもその犠牲になってしまった。せめてvita版の発売時期、今年の夏頃まで待っていたら、脚本はもう少しましなものになったのではないか。そんな思いに駆られて仕方ないのだ。


花田十輝吉野弘幸あおしまたかしこの三人の脚本が見事に噛み合っていなかったのは誰の目から見ても明らかだろう。シリーズ構成を務めた花田十輝はわりと各脚本家に自由に書かせていたようだが、それにしたって統制がまるで取れていない。3話を見て吉野弘幸をバッシングしていた人も多かったが、あれは吉野だけの問題ではない。そもそもいち脚本家にそこまでの権力はない。アニメ制作における最高権力は基本的に監督だ。つまり本来なら草川啓造が責任を負っているはずなのだが、彼のこれまでの監督作を振り返ってみても、明らかにこの『艦隊これくしょん』は雑すぎる。草川啓造はどんな作品でも面白いか面白くないかは別として「丁寧さ」と「正確さ」を重視している感があって、おれはそうした誠実な態度を好ましく思っていたのだが、『艦これ』には丁寧さも正確さもない。一時、「艦これの脚本はリレー形式で書かれている」という突拍子も無いデマが結構流れていたが、問題なのはデマが流れたことよりも、艦これはそうしたデマを人々に信じさせてしまうほどのクオリティのアニメだった、という事実だ。反証がすぐに現れなかったらおれも信じていたかもしれない。


はっきり言ってしまえばこのアニメは駄作だ。「続編制作決定!」という告知も、嬉しさより「もうこれ以上手をつけないで放っておいてくれ…」という感情の方が強い。まあしかし悪いところだけだった、というわけでもなく、OP・ED曲は格好良かったし、動く第六駆逐艦の面々を見られたのは僥倖だった。しかし各キャラの掘り下げは浅いし、ただ単にゲーム内でのセリフを喋らせておけばファンは満足するんだろうという魂胆も透けて見えてしまったし、全体的に艦これというコンテンツにとってこのアニメがプラスに働いたとは言い難い。いっそのこと続編は完全な日常ものにしてしまう、というのもひとつの手だろう。あと何回も言うようだけどなんとかして五月雨にセリフを与えてほしい…おれの初期艦は最後まで動きも喋りもしなかった…つらい……



新妹魔王の契約者

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ストーリー 5
キャラクター 8
演出 9
作画 5
音楽 7
総合得点 34点
総合評価 C

妹がいる男ならほとんど共感してもらえると思うのだが、血の繋がった妹を女性として見る、ましてや恋愛感情を抱くということは死んでもあり得ないことなのだ。妹がいない人は妹を母親に置き換えてみるといい。いかに無理か、という我々の思いが少しは理解できるだろう。世の中には妹をテーマにしたアニメや漫画やライトノベルが溢れていて、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の完結により一旦妹ブームが落ち着いてはきたのだが、今でも水面下では数多くの妹メインのアニメや漫画やライトノベルが生み出されようとしている。おれはもう致命的に妹モノというジャンルが無理で、別に妹が嫌いとかそういうわけではなく、むしろ世間一般の兄妹の中ではうちはかなり仲の良いほうだと自負している。昔はよく喧嘩してたけど、互いに大人になった今では実家に帰ると妹が晩飯作ってくれるし。そんなハートフル兄妹の兄貴ことおれでも妹に対して家族以外の何の感情も湧かない。


しかし妹に理想を抱く人の気持ちはよくわかる。おれも未だに姉がほしくてたまらないのだ。長男ゆえ人に甘えるという経験が皆無なのでとにかく姉に限界まで甘やかされたいという理想を抱いている。でも実際に姉をもつ男たちにこんな話をすると皆一様に「それはおまえ、姉という存在に夢を抱きすぎだ」と諭してくる。おれはそんなのはどうだっていいんだ。君達の姉がどういう生態系なのかということに興味はない。おれの脳内における最も理想的な姉は必ずこの世界のどこかにいるはずなのだ。もうおれの口癖レパートリーが「つらい・死にたい・姉ほしい」に絞られてきたことはさておき、おれは本気で姉がほしいのだ。甘やかしてくれる姉がほしい。姉がいる人生を送れているやつが羨ましくて仕方ない。生まれた時点でこんな格差が生まれてしまい他人を羨み妬まずにはいられないのだから、そりゃ戦争もなくならないよなと思った次第である。


昨今目立つ「血の繋がらない妹」という設定は様々な妹モノを我慢して見てきたおれからすると安易な逃げに思えてならない。『ヨスガノソラ』を見てみろ。そういえばヨスガノソラで町興ししようとしたあの町は今どうなっているのだろう…などと考え出すと止まらないので『新妹魔王の契約者』の話をしよう。新妹魔王〜は作者が『はぐれ勇者の鬼畜美学』でお馴染み(?)の上栖綴人だということで放送前から嫌な予感はしていた。しかし蓋を開けてみると思っていたよりあっけらかんとした馬鹿っぽさが漂っていて、はぐれ勇者のような息苦しさ・気持ち悪さはなかった。もちろんエロス主体なのにそれを規制する手法が完全にギャグなので結果的にテレビ放送時はギャグアニメ、円盤ではエロアニメというジャンル区分が成立してしまっている。一粒で二度おいしい的な。これをしっかり狙ってやっている、というのが地味に凄いところだ。妹の設定を筆頭に雑すぎる世界観を除けばわりと安定していたように思う。


身も蓋もない話だが、物語そのものには何の目新しさも面白さもない。ただ登場するほぼ全てのキャラクタの言動が致命的にアホなので、そういう意味では抜群に面白いしアニメは成功しているのかもしれない(おそらく原作からかなりの量のセリフがカットされていると思われる)。これが偶然にも『寄生獣』と同時期に放送されていたというのも興味深い。寄生獣は最終回で人間の本性を抉ってみせたが、新妹魔王は最初から誰もが本能と欲求の赴くままに行動していた。こういう潔さは評価できる。昨年のダイミダラーとかもそうで、おれは変に格好付けた雰囲気だけのアニメよりもこういう己の欲望をありのままに解放しているやりたい放題のアニメの方が圧倒的に好きだ。良いアニメだったなーと思って最終回を見ていたらラストで「2期決定!10月放送!」のテロップが流れ、奇しくも同時期に放送終了した『艦隊これくしょん』とは正反対の感情が沸き起こった。頑張ってくれ。



東京喰種 √A

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ストーリー 2
キャラクター 6
演出 5
作画 7
音楽 9
総合得点 29点
総合評価 D

今更言うことでもないがおれは頭が悪い。縁あって文筆業を生業とすることが出来たが、おれは自分に文才があるとはとてもじゃないが思えない。いつもここに雑感を書き散らしてはいるものの、書き上げてみて満足したことはあまりなくて、実際におれが伝えたいことの半分くらいしか伝えられてないなと反省することしきりである。まあ最近では仕事のほうが真面目に書く場所として、こちらは書きたいことを自由かつ適当に書く場所として棲み分けしているのだけど、あまりに適当に書きすぎてて(基本的に酒の力を借りることが多い)、後で見返してみると何言ってんのかわかんねえ状態になっていることもここ最近多いので、色々試行錯誤してやっていかなあかんな、と思う次第である。あと頭が悪いくせに考えなくていいような様々なことを考えてしまうのも良くない。普通は気にならないどうでもいいようなことも気になって仕方ないし、そうやって気を取られることが多いので時間の管理、スケジュール管理が悲しいくらいに苦手だ。部屋を掃除しているときに出てきた雑誌や漫画を夢中になって読んでしまい肝心の掃除が御座なりになるあれ、あの現象が今尚続いている人生なのでつらい。


何かを口で伝えることが出来ない不器用な人は多い。だから文や絵や音楽は存在するわけだが、この『東京喰種 √A』という作品はいったい何を伝えたかったのか、中盤を見ていると何となく分かるのだけど、序盤や最終回を見ると全く分からなくなる。これは1期にも同じことが言える。とにかくこのアニメ東京喰種シリーズは最初と最後が致命的に良くない。中盤はめちゃくちゃ良いのにとにかく起承転結の起と結が全くなっていない。20年以上色んなアニメを見続けてきたが、こんなタイプのアニメはほとんどなかったと思う。大抵「最初は良いもののどんどん悪くなり最後には墜落する」「最初は悪かったが右肩上がりに良くなっていき最後には爆発する」「最初から最後まで良い」「最初から最後まで悪い」の4パターンがほとんどだ。


アニメを見てから原作の該当部分を読む、という変則的な視聴スタイルだったので序盤はかなり不満が溜まっていたのだけど、中盤からは持ち直してきて、あっこれはいけるな…と思っていたら11〜12(最終話)で突然の急降下。もう落下に近かった。1期の時もそうだった。また同じことを繰り返している。なぜこうなってしまうのか分からない。「ラストは視聴者の想像にお任せ」の限度を明らかに超えている。今まで積み上げてきた人間関係も対立構造も全て投げうってまで一体何を表現しようとしていたのだろう。


そもそも「食人」をテーマにした漫画というだけでおれはどうしても名作『クロザクロ』を比較対象にしてしまう。『クロザクロ』は食人という禁忌について最後まで「個」の問題として捉え苦悩する主人公の姿が描かれていたが、この『東京喰種』は食人を「集団」の問題として捉え、肝心の個人(ここでは主人公の金木に相当する)の描写が置き去りになってしまっていた。禁忌に対してどのように向かい合い、どんな結論を出し、そしてどのように生きていくのか。そうした過程も、目指した場所がどこだったのかも、何も描けていないのだ。これを認めろというほうが無理だろう。


とまあ散々な幕開けに始まり散々な幕引きで終わったわけだが、相変わらず主題歌だけは抜群に良くて、OPに元the cabsの高橋ソロプロジェクトであるösterreich(ゲストミュージシャンにハイスイノナサのボーカルを招いたあたり素晴らしいセンス)、EDにamazarashiを起用するあたり本当に最高で、たぶんTKの時と同様に作者の意向が大きく反映されているんだろうけど、こういう形で起こった化学反応は両者にとってかなりプラスに働くので、主題歌担当アーティストを原作者が決めるというムーブメントが巻き起こってほしい。ホロとかLACCO TOWERとかが何かの主題歌に起用されたらめっちゃ売れると思うんですよ…業界関係者の皆さんぜひ検討して下さい…



冴えない彼女の育てかた

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ストーリー 8
キャラクター 10
演出 7
作画 9
音楽 9
総合得点 43点
総合評価 A

アニメ『鉄腕アトム』が初めて放送されてからもう50年以上が経った。少年たちの夢や希望が詰め込まれたアニメも、時代によって移り変わってゆき、今では様々なニーズに対応したアニメが山ほど放送されている。ハーレムものもBLものも百合ものも、熱血スポーツものも壮大なSFものもほんわか日常系も、下らないコメディも荒唐無稽なファンタジーも、欲しいものは何でも手に入る。もう全ての視聴者の需要が満たされたのでは…と思うほど充実したラインナップで、生きてる間に全てのアニメを見ることは間違いなく不可能なほどアニメは増えに増えまくった。それは良いことなのか悪いことなのか、未だに結論は出ていない。今なお地獄のようなアニメーターの労働環境だったり、制作進行をはじめとするスタッフのタイトなスケジュールだったり、アニメ制作そのものに関してはあまり良い話が中々入ってこないのだけど、アニメそのものに関しては間違いなくおれの生きる糧のひとつになっている。


そんな中で2000年代以降、爆発的に増えた美少女アニメというジャンルの作品。数々の傑作が生まれた一方で数々の駄作も生み出されてきた。年々アクの強いヒロインが生み出され、あの手この手で主人公と画面の向こう側の男性視聴者を籠絡しようとしてくる。ツンデレヤンデレ、ドジっ子、ボクっ娘眼鏡っ娘、無口キャラ…世の中にはありとあらゆる属性を備えたキャラが溢れかえっている。三次元で好みの人間を探すより二次元で好みのキャラクタを探すほうが圧倒的に早い時代になったのだ。特に釘宮理恵の全盛期時代に築き上げられたツンデレという属性はもうブランド化したといってもいいだろう。今や美少女アニメに出てくるヒロインは何らかの強い個性を持っていなければならなくなった。


そうしてアニメ、特に深夜アニメは段々オタクと呼ばれる趣味嗜好の持ち主に特化したものに変わってゆき、ジブリを筆頭とした一部のアニメだけが一般向けとして広まっていった。しかしインターネットが発達し動画サイトが誕生してからは、それまで「一般」の枠内にいた人々がアニメに触れることとなり、今やアニメはクールジャパンの触れ込みで海外に売り込まれる文化になった。クールジャパンという触れ込みがクソだということはさておき、グローバルに支持を得たことや今までオタク側から見た「一般人」がアニメの世界に入ってきたことはやはり少なからず良い影響を及ぼしている。


話が逸れそうなので冴えカノの話題に変えよう。個性の強いヒロインが溢れる今の時代において、この『冴えない彼女の育てかた』に登場する加藤恵というヒロインはあまりに異質だ。メインヒロインでありながら何の個性もない、その事実が逆説的に揺るぎない個性となっている状況には感動させられる。口数は少ない、明確な感情をほとんど表に出さない、属性という属性がない。だが人付き合いが良く主人公の趣味にも理解を示そうとする。そのうえ主人公の家で当たり前のように料理を作ったり、徹夜で主人公と2人でギャルゲーをプレイしたりする、ある意味最も非現実的な人物といえる。しかし主人公に対して恋愛感情を抱いているわけでもない。主人公は加藤恵をしきりに「無個性だ」と評価するが、実際のところは個性があまりにも多すぎてそれぞれの個性が打ち消し合い、表面上は無個性に見えるという状態なのではないか。しかしあまりに付き合いが良すぎるあまり加藤恵には女友達がいないのだろうか、という疑問が。原作には女友達と交流している描写が存在するのだろうか。


ともかく、この加藤恵という全く新しいタイプのヒロインにどうしようもなく惹かれてしまう視聴者が多いのはよくわかる。おれもそうだ。何の個性もないのに人を惹きつけてやまない圧倒的な魅力がある。こんなヒロインは見たことがない。安野希世乃の少々気怠げな演技も良かった。脇を固める澤村・スペンサー・英梨々と霞ヶ丘詩羽が非常に個性の強いヒロインで、主人公への好意を剥き出しにしていることにより、一層加藤恵の「普通さ」が際立つ。もちろん英梨々と詩羽の二人も魅力のあるヒロインだし、普通の作品ならこの2人で人気が二分され、『なのは』における「なのは派」と「フェイト派」のように、「英梨々派」と「詩羽派」による大戦争が巻き起こってもおかしくはなかった。そんな戦争を未然に防ぐことができるほどのパワーが加藤恵にはあったのだ。


ノイタミナのカラーには合ってないのでは、という感想は最後まで変わらなかったが、面白いか面白くないかと問われれば本当に面白かったと迷わずに答えられる。最初はただのオタク礼賛アニメなのかなーと思っていたらそこはさすが丸戸史明、ひとつふたつ捻って奥行きを出しつつも非常に取っ付きやすい物語で、加藤恵という圧倒的ヒロインに定期的に魂を浄化してもらいつつ、ドタバタした主人公たちのゲーム制作の過程を気楽に見ていられる良質な作品に仕上がっている。去年の『天体のメソッド』の久弥直樹といい冴えカノの丸戸といい、かつて第一線で活躍していたクリエイターが再び一線に舞い戻ってきてさらりと傑作を披露してみせる、という最高の流れが来ていておれとしては嬉しい限りだ。そして今はとにかく冴えカノの2期が見たいという気持ちで溢れている。早く続編を視聴して加藤恵成分を摂取しないと死んでしまう。何度でも言うが加藤恵は最高のヒロインだった。次に加藤恵に会えるのはいつなんだ…教えてくれ丸戸史明……



幸腹グラフィティ

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ストーリー 7
キャラクター 8
演出 8
作画 8
音楽 8
総合得点 39点
総合評価 B

食べることは生きることだ。人間生きてりゃ腹は減る。おれは引くくらい少食なので省エネで経済的に生きられているのだけど、テレビで大食いの人達とかを見るにつけ「食費はどうなってるんだ…」とか「満腹感を味わえないというのは地獄なのでは…」とか「そもそもこいつら味わって食べているのか…」という感想しか湧かないし、少ない量で美味しさを噛み締められる人間に生まれてきたことは幸せなのかもしれない。そもそも幸せとは何なのか、ポルノグラフィティの曲を聴いても答えは見つからなかったし、歳を重ねるごとに何もせずただぼーっとしている時間が一番幸せなのだという奈良シカマルのような結論に達した。


『幸腹グラフィティ』はもう読んで字の如く、食を通じて幸せを見つけ出す物語なのだけれど、ただ「食べる」だけでは『孤独のグルメ』でいいじゃん、という話になってしまう。この作品で最も重要なのは「誰と食べるか」という点だ。町子りょうは祖母を亡くして以来、自分で料理を作って食べる、一人暮らしの生活を送るようになったが、その料理はお世辞にも美味しいとは言えないものだった。それが森野きりんと出会い、彼女に食べてもらうために作るようになると、自然と美味しい料理を作れるようになった。中学生にしてたをやめぶりを体現しているかのような町子りょうは、自分のことより他人のことを優先するタイプの人間であったために「誰かのために作る」ことで初めてその力を発揮できた。


いわゆる日常系の作品でありながら、学校生活やイベントなんかよりもとにかく「食」を意識した話が満載で、それこそ見てるこちら側が腹一杯になるくらい、りょうもきりんも椎名もよく食べる。そしてよく取り沙汰される「食べ方」だが、これは原作をよく再現できていた。下品にならないギリギリのラインを攻められたのはもしかしたら梅津泰臣が関わっていたからかもしれない。あと岡田麿里の影響とか。食べることは生きることだから変に気取って描く必要もなかったわけだ。そのまんまを描けばいいし、そのまんまをちょっと誇張して『焼きたて!ジャパン』みたいなリアクション芸を確立することだって許される。


個人的には原作1巻発売時からずっと読んでてそれなりに思い入れがあったので、少々ハードルが上がってしまった感もあるが(事実、1話視聴時には「これでは駄目だ…」と落ち込んでいた)、回を重ねるにつれ上手くアニメが身体に馴染んできて、最後らへんになるともうだいぶ肩の力を抜いて視聴できた。原作読んでた時から思っていた「こいつら絶対中学生に見えねえ」という問題とかもどうでもよくなったし、最終回を見終わった後には見た目の派手さはないけどしっかりとした味付けをされた高級な和食を堪能した気分に浸れた。社会の歯車になるために人間性を放棄した身にはこういうアニメが身体の芯まで染みてくる。あと何回も言うようだけど平野文演じたおばあちゃんが本当に筆舌に尽くしがたい素晴らしさなので、おばあちゃんが話し出すたびに泣きそうになったりなどした。おれも今後は日々の食事のバランスを見直していこうと思う。



銃皇無尽のファフニール

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ストーリー 4
キャラクター 6
演出 6
作画 5
音楽 10
総合得点 31点
総合評価 C

どんな絵画や映画を見たり、どんな音楽を聴いたり、どんな本を読んでも人間なら何かしらの感情が沸き起こるだろう。長さ短さ、深さ浅さはあるとしても、「良かった」「悪かった」くらいの最低限の感想は出てくるだろうし、そういう感想が積み重なって自分の価値観が形成されていくのだから、この世に不必要な作品は無いのだとも言える。超雑クソ映画であろうが最悪のアルバムであろうが、見たり聴いたりすることにはしっかりとした意味がある。だからネットで酷評されている映画でも見たいと思えば金を払って観に行くし、pitchforkでボロクソに酷評されようが聴きたいと思ったり試聴してピンとくればCD買ったり音源ダウンロード購入して聴く。今の時代、映画や音楽や小説なんかのいわゆる娯楽の規模はどんどん縮小しているが、それは「娯楽に金を使っている場合ではなくなった」という切迫した理由もあるだろうが、それ以上に「インターネットなんかの発達により価値観が多様になり『ひとつの作品・アーティスト・作家に人気が集中する』という事態が起こりにくくなった」という理由のほうが大きいのではないかと思う。


インターネットのおかげで皆自分が本当に好きなものを自分の意思で選び取れるようになった。もちろんその代償は大きいし、インターネットがもたらす負の側面も巨大だということは承知している。それでもテレビや雑誌などのメディアが力を失った、というのはこの時代においてとても重要な事実だ。それでもまだこうしたメディアに夢を見て復権を目論む人間もいるが、時代は目まぐるしく流れていく。テレビや雑誌はいずれ滅びゆく運命だったのだ。だからといってインターネットが永遠かと問われれば恐らくそんなことはないだろう。50年後にはインターネットが廃れ、新たな技術によりもっと密接に世界が結びついているのかもしれない。どこでもドアやタケコプターが開発されないとも限らない。技術の進歩は常に犠牲を伴うのだから、そうした流れでインターネットが死んでも何らおかしくはないだろう。


しかし必ずしもあらゆる事物において「インターネットにより価値観が多様になった」とは言い難い。特にアニメやゲームなんかはまとめサイトが台頭してから「不特定多数の人間の価値観」が絶対的正義として幅を利かせるようになってしまった。おれはまとめサイト大嫌いなので全く閲覧しないのだけど、某アニメ系まとめサイトが「売り上げが悪い、クソアニメだ」と言ってしまえばそのサイトの読者層は自らの本当の価値観に関わらずクソアニメ認定してしまうだろう。そういう他人に流されやすい人間が増えたという側面も少なからずある。もしかしたらおれがこのブログで書いている文章に影響を受けている人間も世界のどこかにはいるのかもしれない。だからおれが今から『銃皇無尽のファフニール』を恐れながらも評価することにちょっと慎重になってしまうのだけど、まあ言いたいこと言うためにここで書いてるので好き勝手書いてやります。


最初に言っておくとこの『銃皇無尽のファフニール』は駄作だ。物語も面白くないし作画も演出も昨今のアニメの平均以下。キャラクタの掘り下げも全然出来ていない。それでもおれがこのアニメを毎週見ていたのは、ひとえに「音楽が素晴らしかった」からだ。神田沙也加率いるTRUSTRICKのOP曲も素晴らしかったが、それ以上にED曲の「Ray of bullet」が近年稀に見るクオリティのキャラクターソングで、初めて聴いたその瞬間から見事に嵌ってしまった。おれはアイドルソングやキャラクターソングにありがちなユニゾンが苦手なのだけど、この「Ray of bullet」というキャラソンは兎にも角にもクール。コーラスも効いている。最終回で全員歌っているバージョンが流れたけど、それでも尚一切崩れない楽曲の強度の高さに脱帽した。個人的には沼倉愛美が歌っている1サビの「ただひとつの 愛を抱いて」という一節が好き過ぎてリピートしている。この曲のこの部分を聴くためだけに毎回観ていたといっても過言ではない。最近出来の悪いアニメなのに音楽はめちゃくちゃ良い、という事例が増えてきていて(去年の『M3』とか)何とも言えない気持ちになる。おれは音楽も物語も作画・演出も最高なアニメが見たいんだ…頑張ってくれ…



デス・パレード

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ストーリー 6
キャラクター 8
演出 8
作画 8
音楽 7
総合得点 37点
総合評価 B

初めてディズニーランドに行ったのは小学2年生の頃のことだった。現実離れした世界は子供の目にも眩しく、かつ異様に映ったし、本当に夢の中にいるような感覚に陥った。動くネズミたちのパレードなんかは今でも鮮明に思い出せるくらい印象的な光景だった。そもそも「パレード」という言葉の響きからしてもう楽しそうな雰囲気が伝わってくる。「パレード」というタイトルの作品は良いものが多い。吉田修一の小説『パレード』、Plastic Treeのアルバム『parade』、ジョルジュ・スーラの油彩画『パレード』…など、様々な分野の作品で「パレード」というものがモチーフにされ、その都度名作が生み出されてきた。


基本的にパレードというものがモチーフにされた場合、言葉の意味通り祝祭感溢れる作品に仕上がることが多いわけだが、アニメ『デス・パレード』はタイトル通り「パレード」の本来の意味とはだいぶかけ離れた作風で貫かれている。タイトルを見たときに感じたそこはかとない「遊戯王カードっぽさ」はともかく、この『デス・パレード』というアニメは『デス・ビリヤード』というOVAが母体となっていて、そのOVAを視聴していた人間としては大いに期待していた。立川譲という新進気鋭の若手監督がテレビシリーズというフォーマットでどんなアニメを作り上げるかという点も興味深かった。


結果的に一回視聴するだけで物凄く気力体力を消費するタイプのハードなアニメに仕上がっていたが、不思議と嫌な感覚はなく、1時間のジョキングを終えて帰ってくる時の達成感を味わえた。久々にがっつりとしたダークファンタジーを見られた、という満足感もあり。おそらく評価は割れるだろうし無理な人は本当に無理なんだろうなという作風なのだけど、ハードボイルドっぽさもミステリ要素もあり、その中に最終回で見せたような希望の光もある。正直序盤から中盤までのメインだったゲームに関しては詰めの甘さを感じたが、そうした全ての要素を最終回に集約させて纏め上げる展開は非常に良くできていたように思う。


全く現実的ではない物語なのに常に現実的な人間臭さを漂わせていたのは、機械のようなデキムという男の側に常に知幸がいたからだ。序盤から中盤では機械のような無機質な世界を徐々に理解していく知幸をメインに、終盤では人間らしく生きている知幸の姿を見て人の心というものを知っていくデキムをメインに描いていて(この展開は知幸の名前を考えれば予想できたのだろう)、こうした「心をもたないものが心をもつものに触れて変わっていく」タイプの作品が好きな自分にとっては完全にストライクだった。良い意味で今風のアニメっぽくない感じも良かったな。続編を見たい。



デュラララ!!×2 承

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ストーリー 9
キャラクター 8
演出 7
作画 7
音楽 7
総合得点 38点
総合評価 B

最近久々にYesの『Close to the Edge』を聴いた。いつ聴いても頭おかしい展開なのに凄まじくポップで、おれが短い人生の中で聴いてきたアルバムの中でも中毒性という点においてはこれを超えるものはなかった。これに限らずYesの作品は基本的にアルバム1枚が丸々1つの楽曲になっているような構成のものが多いのだけど、近年リリースされているプログレ作品は1曲の中で目まぐるしく展開していくものが多い。なので単曲で取り出しても楽しめるのだけど、アルバム単位となるととにかく尺が長くなる。おれはアルバムは35〜45分に収まるのがベストという思想の持ち主なので、今のプログレよりもYesの過去のディスコグラフィに惹かれてしまう。ピンク・フロイドキング・クリムゾンジェネシスあたりのプログレもかなり好きなんだけど、やっぱり一番は今のところYesで揺るぎない。


プログレは「最初は訳わからないことをやっているように聴こえるけど、後々になってそうした部分の意味がわかる」というミステリの伏線回収みたいな展開の妙が好きで、だからおれはフロイドなら『Dark Side of the Moon(狂気)』よりも『Atom Heart Mother(原子心母)』のほうをよく聴いている。最近はあまりプログレというジャンル自体の勢いがなくて寂しいのだけど、プログレの精神を受け継いだメタル・ハードコア系統のバンドが静かに台頭してきているので、そのあたりに期待しつつYesのようなカリスマ・バンドが現れるのをただ座して待つしかない。


『デュラララ!』はプログレっぽい、というのはいつだったか誰かに言ったことがあるような気がするのだけど、この2期においてはますますプログレ色が強くなった。各話ごとにじっかりとした見せ場がありつつも、全12話でひとつの大きな物語が形成されている。群像劇の色合いはやや薄れたが、新たに登場したキャラクタは曲者揃いで常に飽きさせない。目まぐるしい展開なのに決して視聴者を突き放すこともない。素晴らしいバランス感覚で成り立っている作品だ。原作は読んでいないんだけどいい加減読むべきだろうか。『バッカーノ!』はアニメも見て原作も読んでいるし。


1期と2期のどちらが好きかと言われれば現段階では1期の方に軍配が上がる。しかしこの2期は分割2クールなので、ちゃんとした評価は2クール目が終わってから下すことになる(でも調べたら「分割3クール」って書いてあるし、もしかしたら「承・転・結」全部3クール使ってやるつもりなのかもしれない)。今のところは六条千景とヴァローナの存在感の強さゆえに1期メインキャラの出番が少なかったのが目立った不満点。あともっと派手さがあってもよかった。平和島静雄の暴走をただ座して待とう。



アルドノア・ゼロ

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ストーリー 5
キャラクター 7
演出 8
作画 9
音楽 4
総合得点 33点
総合評価 C

いくら脳味噌をフル回転させても、いくら無い知恵を絞っても、何ひとつ言葉が出てこない時がある。卒論を書いていた時はよくこの状況に陥ってしまっていた。何も出てこない。そして何も出てこないことに対する恐怖、危機感。そんなものが堂々巡りで吐きそうになるし、スキマスイッチのボーカルのような「何も出てこないこと」を逆手にとって歌詞を書くみたいな高等技術を有していないので、言葉が出てこないという状況はそれ即ち地獄に直結している。


気晴らしに外を走ってみても、取っておいた缶ビールを飲んでみても、搾りカスさえ出てこない。喘息なのでタバコは吸えない。なぜおれはこんなことをしているのかと考えれば考えるほど惨めになったし、人生とは所詮惨めなものなんだと諦めることでしか自我を保てなかった。自我を保てなかったといえば、この文を書いているときにちょうどプリンセスプリキュア9話「幕よあがれ!憧れのノーブルパーティ!」が放送されていて、その内容のあまりの素晴らしさに自我を保てず「いい…いいぞ……」としか言えなかった。今シリーズのプリキュア本当に最高なので皆さん是非とも見てください。至福の時間を保証します。


じゃあなんでプリンセスプリキュア視聴時に「何を書いていいかわからない」状況に陥っていたのかというと、察しの通り『アルドノア・ゼロ』最終回を見終わってそのことについてひたすら考えを巡らせていたからだ。何だろう、良くもなく悪くもない、ごく平凡で普通の場所に着地してしまったなというガッカリ感、何とか着地はできたなという安心感。そういう感情たちが綯い交ぜになって互いに打ち消しあう。風呂敷を広げまくっておきながら畳みきれなかった作品は多く存在するが、このアニメは広げた風呂敷を徐々に小さくしていくという、何というかセコい技を使って最終的に上手く纏めていて、このやり方は夢がないよなーと思うのだけど、ちょっとでもしくじるとネットで叩かれまくる時代になってしまったので、制作側が慎重になってしまうのも致し方ない。


虚淵が参加していた最初の3話の頃のワクワク感が嘘のように、中盤からはワクワクもドキドキもしない手堅い展開が続き、終盤で物語が意図的に矮小化されていった。設定の矛盾点は改善されるでも放置されるでもなく、設定ごと揉み消してしまうようなシナリオでごり押ししていて、そういう部分における「攻撃は最大の防御」みたいな姿勢は良かった。良かったんけど、全体的にはどうも物足りなさが残る結果に落ち着いてしまった。誤魔化し以外の点で攻めの姿勢を見せてほしかった。メインキャラクタの伊奈帆、スレイン、アセイラム姫の関係性にフォーカスされず、かといって地球vs火星の構図も上手く描けていなかったし、まあやっぱりあと1話欲しかったよね、という感想です。しかしまだ火星人が地球の一部を占領しているらしいので、ここを取っ掛かりに続編作るみたいな構想があったりするのだろうか。



DOG DAYS"

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ストーリー 6
キャラクター 9
演出 9
作画 7
音楽 7
総合得点 38点
総合評価 B

小学生の頃、毎年夏休みと冬休みに祖母の家に行くのが楽しみだった。集まってきた従兄弟たちと夏は森や海へ行ったり、冬は近くの体育館や図書館や博物館を巡ったり、毎年基本的に似たようなことをやっているのに、いつも冒険者気分で全く飽きることなく一日中遊び回っていた。あの頃の謎のバイタリティの高さが今となっては羨ましい。大人になるということは自由な時間が少なくなるということだ。従兄弟たちとももう何年も会っていない。大人になったら自分のことで手一杯になる。今のところ「金を自由に使える」以外に何ひとつ得をしていないので、やはり子供の頃に戻りたいとしか思えない。しかし、もちろん過去に戻るなんてことは出来ないので、あの頃に戻ったような感覚に浸れる創作作品に身を投じるのである。


この『DOG DAYS』というアニメのコンセプトはたぶん「夏休みに祖父母の家に行った」みたいな世界観の構築にあるのだろう。優しくて暖かくてどこか懐かしいような世界。フロニャルドはいつだって誰に対してもオープンだった。来る者拒まず去る者追わず。1期からずっと変わらないそのスタンス、世界観は他の追随を許さない圧倒的な安心感を与える。確かに派手さはない。精神的ダメージを与えてくるシリアスな展開もほとんどない。かといって日常系のような甘ったるさもない。ファンタジーという世界のワクワク感だけを切り取ったかのような作風は、かつてアニメを生み出した人間たちの初心、原点を想起させる。


手も品も替えずひたすら同じことをストーリーだけ変えてやっているだけなのにマンネリにはならない、というのは賞賛に値する。もっとも、この3期目は1期2期に比べ明らかにパワーダウンしていた感は否めないが。あと1期の頃からずっと続いていることなんだけど、なぜか最終回が近付くと急にシナリオが雑になってしまう。今まで積み上げてきたものが台無しになるほどではないのだけど、どうせなら最後まで丁寧にやってほしかったなという。まあしかし、それを差し引いても『DOG DAYS』シリーズがもたらした安息感は日々の疲れを忘れさせてくれるには充分だった。このまま4期5期と続けていってほしい。継続は力なり。



ローリング☆ガールズ

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ストーリー 2
キャラクター 7
演出 5
作画 9
音楽 3
総合得点 26点
総合評価 D

ブルーハーツといえば青春の象徴。おれは直撃世代ではないのだけど、ブルーハーツの音楽は凄く取っ付きやすくて分かりやすい熱量がある。未だにカラオケの定番アーティストになっているという事実にも頷ける。「リンダリンダ」なんかは歌ってる自分もそれを聴いてる周りもみんな纏めて盛り上がれる定番中の定番曲だ。だけどやっぱり「リンダリンダ」も「情熱の薔薇」も「TRAIN-TRAIN」も「人にやさしく」も、当然ながら甲本ヒロトが歌うべきなのだ。一度甲本ヒロトのライブを見てしまうと逆にカラオケでブルーハーツを歌えなくなるし聴けなくなる。甲本ヒロトにはそれくらいのカリスマ性があるし、それを支えるマーシーこと真島昌利が隣でギターを弾いていなければ駄目なのだ。


「カラオケ」という日本発祥の娯楽文化の発展は目覚ましい。今や「カラオケで歌いやすい・盛り上がれる曲が流行る」という傾向さえもある。もちろん、一概に全ての楽曲やアーティストに対して言える話ではないが、カラオケという文化が根付いていることで、日本人は「自分でも歌えるか」という部分にも注目する特殊な聴き方をしている。もちろん、それが悪いというわけではないのだが、日本人があまり海外の楽曲を聴かない理由のひとつにカラオケ文化がある、というのは間違いないだろう。まあ最近はONE OK ROCKがメインストリームで堂々としたアメリカン・ロックを演ってるし、Galileo Galileiは今の海外のインディ・ロックの影響を大いに受けている。ceroやミツメやシャムキャッツといった東京のインディーズバンドも海外のインディ・ロックと日本の70〜80年代のロック、更にはゴスペルやらブラック・ミュージックやらの要素も取り込んで唯一無二の音を鳴らしている。恥じることなくあからさまに海外の音を取り入れたアーティストが活躍することで、確実に若い人々が海外の音楽を聴く取っ掛かりが増えていく。今の段階だとインディ・ロックよりもメタル・ハードコア寄りのオルタナティヴロックのほうが流行りそうだが(slipknotの最新作が日本のチャートで首位に立ったのは衝撃だった)。


これ以上進むと「Real Estate最高!!!」という話になりそうなのでブルーハーツに戻ろう。とにかくブルーハーツというアーティストは唯一無二、似たようなアーティストが現れてはすぐに消えていく中、ブルーハーツは解散こそしたものの今なお不動の人気を誇っている。なのでブルーハーツの楽曲をカバーする、というのは相当勇気の要ることだ。カラオケで気ままに歌っているぶんには構わないが、これが商業ベースに乗るとなると話は変わってくる。ブルーハーツの楽曲の良さを殺すことなく、かつカバーするアーティストの魅力を提示しなければならない。そういう事実を鑑みると、この『ローリングガールズ』というアニメの登場人物がカバーしている(という体の)ブルーハーツの楽曲はことごとく全て駄目だ。「人にやさしく」「月の爆撃機」を筆頭に全12曲ものカバーを披露しているが、残念ながらどれも「ただ声優に歌わせた」だけだった。


しかし本編はこのカバーの寒さを遥かに上回る寒さ。おっさんウケを狙ったのだろうが、全てが空回りしている。作画や演出に頼り過ぎていて肝心の物語やキャラクタの掘り下げが不充分。だがそれでも世界も少女たちも勝手に転がっていく。起承転結も整合性も知るかとばかりのやりたい放題ぶり。こんな気ままにアニメを制作しても許される環境があったというのは業界にとっては幸福なことなのだろう。それを見せられる視聴者は堪ったものではないが。とにかく小澤亜李という才能の塊がこういうアニメで消費されるのはただただ悲しかった。



夜ノヤッターマン

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ストーリー 8
キャラクター 9
演出 9
作画 8
音楽 7
総合得点 41点
総合評価 A

笑わない人間がいないように泣かない人間もこの世にはいない。はず。笑うツボも人それぞれだし泣くツボも人それぞれ。おれはもう昔から家族ものに本当に弱くて、恋愛とか友情とかそういうのでは全然泣かないというかそもそもあまり感動させられないのだけど、家族ものだけはもうどんなに構えていてもガードを崩されてしまうし、最終的にはノックアウトさせられる。あとスポ根ものも地味にダメージがでかい。ラブコメ系の作品が「真っ当な青春を謳歌できなかった人間のために用意された」ものだとしたら、家族ものというのは現実世界で家族の愛を充分に得られなかった人間のために用意されたものなのだろうか。


『夜ノヤッターマン』は今期最大のダークホースだ。本当に素晴らしいとしか言いようがない。本家ヤッターマンの設定を逆手に取ったシナリオ、そして本家ヤッターマンを最大限にリスペクトしたアニメーション。吉原達矢が監督で良かった。そして原型であるヤッターマンと決定的に違うのは、これが「家族の物語」であるということだ。ドロンボー一味は最初から家族のような関係だったし、ガリナとアルエットの2人も幼馴染という関係を超え家族のように生活していた。この2組が出会って5人(+豚1匹)で旅をすることになるわけだが、様々な困難を乗り越えた5人は家族同然の絆で結びついていく。ガリナとアルエットが仲間になってからヤッターキングダムに辿り着くまでの過程を丁寧に描いていたからこそ、最終回の展開は圧倒的に熱いし感動的に映る。


とにかく監督の吉原達矢の手腕が本当に若手かよと思うほど素晴らしく、ギャグ回は徹底的に本家ヤッターマンを意識したギャグをやってみせて、シリアスな回はまさしく「夜ノヤッターマン」に相応しくとことんダークに描いてみせる。そうした明暗のコントラストがはっきりしていたこと、そしてどんな状況にあっても決して諦めないドロンジョたちの姿が本家ヤッターマンにも劣らない主人公のそれであったことが最大の成功の要因だろう。「吉原達矢といえば『波打ち際のむろみさん』」というイメージが強かったが、この作品のおかげでこれからは「吉原達矢といえば『夜ノヤッターマン』」というイメージが主流になるだろう。


あと1話使って「最終回のその後」を描いてほしいという思いもあるんだけど、最終回のその後をあえて描かないことで『夜ノヤッターマン』の美学を貫いたのでは、という気もしていて、つまり夜ノヤッターマンはあくまで本家ヤッターマンのスピンオフ作品、オマージュの域を出ないのだという制作側のメッセージなのかもしれない。まあ確かにスピンオフ作品ではあるのだけど、個人的には本家ヤッターマンよりこっちのほうが良い(まあおれが直撃世代ではないというのが理由かもしれない)。基本的にはギャグアニメなんだけどやる時はしっかりやる、おれが尊敬してやまない高田純次氏のようなスタンスが好きで堪らなかった。今後こういう過去のアニメを掘り返してスピンオフ作品を作る、という流れがきたら面白くなりそうだ。



純潔のマリア

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ストーリー 8
キャラクター 8
演出 8
作画 9
音楽 8
総合得点 41点
総合評価 A

おれは3年間仏教高校に通っていたのだけど、そのおかげで信仰心が高まったとかそういうことは一切無かった。逆に神も仏も信じられない身体になってしまった。朝礼の時には「合掌」「礼拝」という儀式があって、要するに毎朝手を合わせて礼をするみたいなアレだ。この話を大学とか職場ですると「???」という反応をされるのだが、まあおれもそんなことカミングアウトされたら「???」ってなるだろうし仕方ないなあと諦めている。あまりにも自分が通ってきた文化と違い過ぎる文化の人間と出会ったときにどうすればいいか、おれもよく分からんし地球人のほとんどがそこのところはよく分かってないのだと思う。


仏教高校とはいってもその朝礼とか月一くらいのペースでやってた体育館に集まって南無阿弥陀うんぬん唱えるみたいな儀式以外、普通の高校と変わらない生活を送っていたし、別に仏教高校だから坊主にしろみたいな校則とかもなかった。髪染めてきて生活指導の教師に連れて行かれるやつとかもいた。ちなみに「普通科(今は名前が変わっている)」「選抜進学科」「特別進学科」という3つの学科があって、おれは一応「特別進学科」という学科に属していた。色んな人が「すげえすげえ」と言うのだけどはっきり言って全然凄くなかった。おれのようなろくに受験勉強していない人間でも入れたし。ただ1日9時間授業+夜の自習時間 という地獄のようなスケジュールで、朝7時半に家を出て帰ってくるのが夜の8時半過ぎという生活がザラだったので、そのへんは特別と言える。しかしそれでもおれの勉強嫌いはまるで改善されなかった。おれはきゅうりと労働と勉強が本当に生理的に無理な最低の人間だ。なぜ今まで生きてこれたのかが不思議でならない。


で、宗教の話に戻るのだけど、今の時代「宗教」って言われるとあまり良いイメージがない、という人が結構多いのではないだろうか。オウム真理教とかの事件もあったし。しかし昔から宗教というのは人間の心の拠り所として尊重されていたし、宗教の教えが生活の根幹を成している国もある。宗教は人生を救ってくれることもあるが、入れ込みすぎると思考停止に陥って詐欺とかに付け込まれたり、心ごと支配されてしまう場合もある。仏教とかキリスト教とかならまだしも、新興宗教というものは本当に近寄ってはいけない領域だと常々思っているのだけど、騙される人は本当に騙されるし、そういう例を目の当たりにするたびに「心を強く持とう!!!」と決意しているのだけど、最近会社帰りに見つけたケーキ屋に陳列されているレアチーズケーキがめちゃくちゃ美味しそうで、通るたびに心揺らいでいるのでまだまだ精神の鍛錬が足りない。


そして宗教といえば『純潔のマリア』。ここまで何らかの思想に偏ることなく、公正な視点で宗教を扱ったアニメというのは珍しい。監督の谷口悟朗が「性欲を想起させないためにキャラデザを女性に任せた」と言っていたが、それが功を奏した形となった。原作とは結構違うキャラデザなのだけど、アニメの世界にはすんなりと馴染んでいる。あとこのキャラデザのおかげで作中で「処女」とかそのへんの話題が出ても全然下ネタらしさはない。ただのギャグとして処理されていく。こういう品のあるキャラデザって本当に久々に見た気がする。それなのに敷居は低くて誰もが楽しめる内容。シンプルなストーリーがキャラクタの魅力により何倍も面白味を増すという理想的な作品だった。


あとアニメを全部見終わったあとに買ってから今まで積んでいた原作を読み始めたのだけど、ガルファがアニメオリジナルキャラクタだったという事実に気付き衝撃を受けた。間違いなく物語の根幹に関わる人物なのに原作には出ていない、ということはつまりアニメは原作とストーリーがだいぶ変わっているはずだ(まだ1巻しか読んでない、全3巻なので読むのが勿体無い)。しかしアニメのほうは非常に筋の通った物語で幕の下ろし方も綺麗だったので、谷口悟朗倉田英之がだいぶ頑張ったのだろう。決して派手さはない作品なのだけど、マリアやジョセフを中心としたキャラの揺れ動く姿、人間の信仰や神の存在意義といったテーマがしっかりと物語の起承転結を生み出していて、シンプルなストーリーの中に奥深さがあり何回見ても楽しめるスルメ的な面白さがあった。



聖剣使いの禁呪詠唱

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ストーリー 7
キャラクター 10
演出 10
作画 5
音楽 8
総合得点 40点
総合評価 A

世の中には「真面目か!」というツッコミがある。真面目であること、真面目に受け答えすることが時に笑いに繋がるというのは事実なのだが、果たして人が真面目にやっていることを笑っていいのか、おれが笑われる立場になったとしたらキレてそいつの個人情報をネットの海に放流して社会的に抹殺するだろうな…と考えてしまったし、やっぱり笑いというのは非常にデリケートなジャンルなのだと思う。笑いというのは使い方を間違えると他人を容赦なく傷つけてしまう。まあド突き漫才とか昔からあるし、笑いというものは下手に素人が扱うとろくなことにならない(クソみたいな大学生の飲み会での芸人みたいなノリとかあるでしょう)。そういう点で、THE MANZAI2014で披露された博多華丸大吉のネタは誰も傷つかない(本人たちも「漫才は人柄だ」と言っていた)素晴らしいものだった。この世には誰も傷つけない笑いだってあるのだし、それは誰かを傷付ける笑いよりもずっと高等な技術を必要とするぶん途方もなく面白い。そういう笑いで世の中が満たされれば社会がもっと良い方向に転がっていくと思いませんか。


そして『聖剣使いの禁呪詠唱』はまさに上述したような「誰も傷付けない笑い」を体現してみせた、とてつもなくハイレベルなギャグアニメだ。いや、本当は本格ファンタジー・学園ラブコメのジャンルに属するのだろうが、少なくともアニメは完全なるギャグ一辺倒だった。熱が出て倒れた時もこのアニメを見たら自然に笑えて元気を取り戻せた。稲垣隆行監督の下でスタッフが全精力を注ぎ、原作をリスペクトしつつやりたい放題やった究極のギャグアニメ。もはや存在自体がギャグになりつつあるが、作画が間に合わなかった部分を全て波が動いているだけの映像にしたり、キャラクタのモーションをいちいちコミカルにしたり、とにかく「笑い」という部分においては一切の妥協も手抜きもない。紛れもなく職人の作品だ。


主人公の灰村諸葉には無意識にハーレムを形成させてしまう圧倒的なパワーがある。なのに他人からの好意に対して鈍感な部分はない。というよりも、このアニメに出てくる女性キャラはほぼ全員灰村への好意をまるで隠そうとしない。隙あらば唇や貞操を奪おうとする輩ばかりだ。メインヒロインである嵐城サツキは筋金入りの馬鹿だ。あまりに馬鹿すぎて「こいつは今までどうやって生きてこれたんだ…」と疑問に思わずにはいられないようなキャラクタなのだが、ヒロインとしてではなくギャグ担当キャラとしての魅力は申し分ない。リアクション芸に優れ、出てくるだけで笑えるあたりは出川哲朗上島竜兵に通ずるところがある。


それにひきかえ、もう一人のメインヒロインである漆原静乃は(サツキと比べて)一応まともではある。まともではあるのだが、とにかく灰村へのアプローチ回数がダントツで多いせいでこちらもギャグ担当キャラになりつつあった。その結果、ヒロインという役割を担ってはいなさそうだった四門摩耶が最終的に正ヒロインであるかのように見えてしまった。最も、このアニメにとってはそうしたラブコメの数々も1つのギャグ要素でしかない。普通こういう作品はラブコメメインになっていくものなのだけど、このアニメはギャグパートが凄すぎてバトルもラブコメも霞むという信じられない現象が起こっている。


はっきり言ってストーリーや設定を一切理解していなくても、ただ見るだけで笑えるし楽しめる。そしてそんなアニメを作ることは常人には不可能だ。まず間違いなく低予算なのだろうが、その限られた予算の中で(その予算の少なさを逆手にとって)絵的な面白さを限界まで追求したようなものが出来上がったのはアニメ業界にとっては本当に素晴らしいこと、まさに希望そのものだ。原作を読んでいないのでこれが原作通りなのかは定かではないが、『ISUCA』でさえ見られた原作読者からの批判、そうしたものがこの『聖剣使いの禁呪詠唱』にはまるで見られない。単純にもう無理だと原作読者さえも匙を投げたのか、あるいはアニメはアニメで面白いと評価してくれているのか。いずれにせよ、普通に作っていたら間違いなく駄作になり半年で忘れ去られてしまいそうな原作を、ここまでインパクトの強いアニメに仕上げた稲垣隆行監督の手腕には最大級の賛辞を贈りたい。最後には笑いを通り越してちょっと感動さえしてしまった。どんな原作でも調理次第で如何様にも面白くできる。適当な原作が適当にアニメ化されるこの時代、『聖剣使いの禁呪詠唱』はおれたちに希望の光を与えてくれた。もう感謝しかない。



ISUCA

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ストーリー 3
キャラクター 4
演出 5
作画 4
音楽 7
総合得点 23点
総合評価 E

何をやっても上手くいかない日がある。同様に、何をやっても上手くいかない週があり、月があり、年がある。やることなすことが全て裏目裏目に出てしまう不運な時間。あとは「雨男」に代表されるような、生まれながらにして不運を背負ってしまったような人間もいる。そういう人達から比べれば自分はまだマシなほうだろうが、それでもどうしようもなく不幸な時間というのは存在していて、個人的に去年の8月頃は本当に思い出したくもないほどの地獄だった。自分に非があるわけではないぶん余計にたちが悪い。反省のしようがないからだ。あれが悪かった、これが悪かった、よしじゃあここを直して次頑張ろう…という試行錯誤も出来やしない。


木戸衣吹という声優は『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよね(通称おにあい)』鳴り物入りでデビューしたはいいものの、本人の実力は上がっていくのにとにかく作品に恵まれない。『ゴールデンタイム』『pupa』『精霊使いの剣舞』『東京ESP』など、メインキャストでの出演が増えているのにも関わらず、これといって記憶に残る代表作が未だにない。ここまで運に恵まれないと悲しみを通り越して感動してしまう。そして2015年の幕開けから少し遅れて放送開始したこの『ISUCA』というアニメ、放送前の段階で既にクソアニメ臭を漂わせており、ネタ的に突き抜ければ『帰宅部活動記録』のように地味ながらコアなファンに愛されるアニメになれるかもしれない、という一筋の希望を抱いていたが、それは同時期に放送された『禁呪詠唱』により儚くも砕け散ったのだった。


この『ISUCA』というアニメ、どうやら原作を大きく改変しているらしく原作ファンからは結構な顰蹙を買っているが、アニメのみ視聴していてもその改変の恩恵があるとはとてもじゃないが思えなかった。普通改変というのはアニメにとってプラスに働く見込みがあって行われるはずなのだが、これは「ただ全10話というアニメの尺に詰め込むために話を変えまくった」ようにしか見えない。何とか面白いところを見つけようとしたが無理だった。酒を飲みながら見ても楽しめなかった。あらゆる要素が複合的に絡み合い絶妙なつまらなさを醸し出している。これぞまさにクソアニメ中のクソアニメと呼ぶに相応しい作品だ。


本当に褒めるべき部分がひとつも見つからないアニメというものには久々に出会ったので軽くテンションが上がっている。おそらく半年後のおれはこのアニメのことを綺麗さっぱり忘れているだろうし、10年20年後となると存在すら忘れているはずだ。恐らく地球上のほんの僅かな人間だけがいつまでもISUCAのことを愛し続けているのだろう。おれは正直に言ってそういう特定の事物に一途な愛を注ぎ込める人間が羨ましかったりする。おれはそこまでの情熱を持っていない。だから「ISUCAはクソアニメ!!」と叫び続ける人間よりも「みんながISUCAのことを嫌いになっても自分だけはISUCAのことを愛し続ける!!」と言える人間になりたかった。でもやっぱりアニメ『ISUCA』は駄作だと思うんです。すいませんでした。



Gのレコンギスタ

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ストーリー 1
キャラクター 1
演出 5
作画 8
音楽 3
総合得点 18点
総合評価 Z

ごめんなさい。無理でした。



ログ・ホライズン 2期

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ストーリー 7
キャラクター 7
演出 8
作画 5
音楽 6
総合得点 33点
総合評価 C

以前にも書いたことがある気がするのだけど、おれはゲームというものにあまり興味がなくて、一応人並みにファイナルファンタジーポケモンスマッシュブラザーズバイオハザードあたりはプレイしているのだけど、それ以外のゲームはほとんどやっていないし、マイナーなゲームなんて名前すら知らないものが多い。間違いなく育った環境によるところが大きいのだろうが、大人になって一人暮らしを始め、ある程度纏まった金を自由に使える今でさえゲーム機買うかーという気にはならず、本とかCDを買い漁って満足している。


CDといえばこれも以前書いたんだけど、「ブックオフの250円(今は280円だけど)棚を漁って気になったやつを直感で買う」という趣味が予想以上に楽しくて新譜をあまり聴けていない。こと音楽に関しては昔のもののほうがシンプルで良いものが多いんで節操なく買い込んでしまう。おれは特に90年代後半〜00年代前半のビーイング系の音楽が直撃した世代なので、今はこのあたりの作品を買い揃えている。ZARDの『Today is another day』とかめちゃくちゃ良くて、死ぬほど面倒臭かった確定申告もこのアルバムを聴いて乗り切った。今は2015年なのに確定申告は何であんな面倒臭いんだ。世の中間違っている。


さて『ログ・ホライズン』だ(余談だがおれは未だに「ログ・ホライズン」だったか「ログ・ホライゾン」だったか迷ってしまう)。1期に比べて明らかにキャラデザが変わっている。1期の頃のデザインが好きだったおれは結構なダメージを食らったのだけど、まあ回を重ねればあまり気にならなくなる。2期からゲームの中だけではなく現実世界のことを見据えた物語が展開されており、棲み分けが出来ていたはずのソードアート・オンラインとやや重なってしまったことも痛手だった。1期の頃に比べだいぶ熱量も下がって落ち着いてはきたのだけど、だからといってつまらなくなったわけではなく、物語の横軸をじっくり広げていく、いずれ来るであろう3期のための仕込みという感じだった。


NHK放送らしく正統的なアニメなんだけど、聊か正統的すぎてのめり込めなかった、というのが1期同様残念なところ。なんでも卒なくこなす優等生より捻くれた不良のほうが可愛いみたいなあれです。なんだろうな、悪くはないんだけど全てが予定調和的というか、常にどこか達観しているような。しかし9話はレイドボス3体同時出現という無理ゲーぶりがよく現れていて良かった。こういう「絶対倒せねえだろ」という敵に立ち向かっていく姿をそのまんま描いていたのは好感触。2期も1期同様「これからだ!」という部分で幕を閉じたので3期こそが本番なのだろう。だと信じたい。



まじっく快斗1412

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ストーリー 7
キャラクター 10
演出 7
作画 7
音楽 9
総合得点 40点
総合評価 A

物心付いてから初めて見たアニメが『名探偵コナン』のちょうど第1話だった(ように記憶している)。なので思い入れも相当に深い。そこから今まで毎回欠かさず見てきたし、漫画は6巻発売時から(サンデーも購読していたのもかかわらず)購入し続けている。よく「引き延ばしがひどい」みたいな意見を目にするのだけど、むしろおれのような『名探偵コナン』が人生の中核を担っている人間にとっては引き延ばし上等という感じではないだろうか。おれが死ぬまで続いてほしいという気持ちと、死ぬまでには最終回を見たいという相反する気持ち。いっそ原作は終わらせてアニメを延々と続けるみたいなスタイルでも良いと思う(夏休みコナン劇場とかあるし)。


「コナンで一番好きな話は何なの?」と聞かれることがあるのだけど、これは未だに決められなくて(10巻に1話のペースで傑作が生み出されているので)、現段階で候補が10話ほどある。でも実はアニメオリジナルストーリーのほうが好きな話が多くて、「友情と殺意の関門海峡」「南紀白浜ミステリーツアー」「謎の狙撃者殺人事件」とか今でもたまに見返しても面白いと思える。1時間スペシャルだと「呪いの仮面は冷たく笑う」「迷宮への入り口 巨大神像の怒り」とか良かった(好きな話がほとんど1998〜2002年に集中していることにちょっとした悲しみがある…)。


で、「『名探偵コナン』といえば怪盗キッドだ!!!」と思っている人も結構多いことだろう。初登場時から今に至るまで定期的に登場していて、キッドを主役にしたスピンオフ作品まで出ていることからもその人気ぶりが窺える。そのスピンオフ作品が何を隠そうこの『まじっく快斗』だ…と思っていたのだけど、よく調べたら実際はコナンよりもまじっく快斗のほうが先に連載されていたらしい。20年越しに衝撃の真実を知ってしまい、ただただ呆然としている。まあそれなら青山剛昌怪盗キッドへの思い入れの深さ、いちおう犯罪者のはずなのに異常に良い扱いを受けていることにも納得できる。


しかしなんで今更アニメ化したんだろうな、と考えていたら今年公開されるコナンの映画『業火の向日葵』にキッドがメインでがっつり出てくるという情報が告示されて「なるほど…」という気持ちで胸が満たされました。まあこのアニメ自体が映画のための壮大な宣伝であることは間違いないんだけど、本家であるコナンのほうとの兼ね合いも図りながら1個の独立したアニメとしてしっかり作られていた。コナンに比べ明らかにファンタジーじみているのだけど、そういう差別化があったからこそコナンとは違う気持ちで楽しめた。あと1クール目2クール目ともに主題歌がめちゃくちゃ良くて、特に2クール目ED曲(ガリレオガリレイのやつです)はあまりに良過ぎてひたすらリピートして聴いている。最近「主題歌がめっちゃ良いアニメに限って内容はクソ」という悪しき潮流があったのだけど、それを断ち切ってくれたことには本当に感謝している。だからアニメ版コナンのほうにも昔みたいに良い主題歌宛てがってくれ…Being……



七つの大罪

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ストーリー 8
キャラクター 8
演出 9
作画 9
音楽 6
総合得点 40点
総合評価 A

初めて読んだ鈴木央の漫画は『ブリザード・アクセル』だった。その頃のおれは純粋なる週刊少年サンデー読者だったので連載されているものには全て目を通していたのだが、『ブリザード・アクセル』は他の連載作に比べてとにかく描き込みが多いのが目立っていた。そしてその頃注目を浴び始めていたフィギュアスケートという競技を題材にしたシンプルで骨太なストーリーと北里吹雪というスポ根が具現化したような主人公。当時連載されていた『史上最強の弟子 ケンイチ』の熱さとも、『結界師』のクールさとも交わらない、不思議なポジションにいながら常に面白さを維持し続けていた。『ブリザード・アクセル』が終わってから始まった新連載『金剛番長』はブリザードアクセルの熱さを更に突き詰めたような作品で、登場人物もみな魅力があり、率直に言って『ブリザード・アクセル』よりハマってしまった。


思えば『ブリザード・アクセル』が連載されていた頃のサンデーは良かった。連載作品の全てが面白くて、毎週サンデー本誌を買っていたにも関わらず各漫画の単行本も買うという暴挙に出ていた。しかし『うえきの法則』『メルヘブン』『金色のガッシュ』などの名作が終わってからのサンデーは地に落ちてしまった。おれは3年前から見切りをつけ今は全く読んでいないので(コナンだけは未だに単行本買って読んでいるが)、今のサンデーがどうなっているのかはよく分からん。しかし『だがしかし』という駄菓子をテーマにした漫画や、『結界師』を描いていた田辺イエロウの最新作『BIRDMEN』が面白い、との評判をよく耳にするので、もしかしたらあの頃の輝きを取り戻しつつあるのかもしれない。


七つの大罪』はサンデーではなく週刊少年マガジンに連載されている漫画だ。かつてサンデーで連載していた作家がサンデーを離れて別の雑誌で連載を始める、という状況には少しばかり思うところがあるが、とはいえこれで鈴木央は『ジャンプ』『サンデー』『マガジン』『チャンピオン』の4つの週刊少年漫画誌を制覇することとなった。しかしその作品の面白さ・完成度の高さとは裏腹に、なぜか人気が全然追いついてこなくて、なぜこんな作家が埋もれているんだ…と一人嘆いていた矢先、『七つの大罪』が大ヒットし、そのうえアニメ化まで決まるという報せも届いた。ついに時代が鈴木央に追い付いたという喜びもあり、皆が認知してしまうという一抹の寂しさもあり、よく分からない感情のままアニメの放送を迎えることとなった。


結果的にアニメ『七つの大罪』は無事に成功を収めることができた。作画が終始安定していたし、とにかく派手さを意識した演出も良かった。1クール目のEDがクソダサかったことを除けば音楽も良かった。あと何といってもホーク役の久野美咲が非常に良かった。今の若手・中堅の中で豚を演じさせれば彼女の右に出る者はいないだろう。原作を読んで想像していた声では無かったのにも関わらず一瞬でハマり役だと否応無しに認識させてしまう圧倒的パワー。「役に近付くのではなく役を近付けさせる」タイプの役者は9割が大根なのだけど、久野美咲という役者は間違いなく残り1割の天才枠なので、今後もこうした動物の役に挑戦して、いずれは大谷育江のような声優になってもらいたい。



弱虫ペダル GRANDE ROAD

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ストーリー 9
キャラクター 7
演出 9
作画 7
音楽 3
総合得点 35点
総合評価 B

おれは自転車よりも徒歩で移動するほうが好きなのだけど、自転車の便利さにはやはり抗えない魅力がある。まあ通勤に最も便利なのは言うまでもなく車なのだけど、今現在のおれには車を買えるほどの財力がない。あとおれはさほど車が好きじゃない。自動車教習所初日の技術教習の際に教官に言われた「君はいったい何なら出来るんだ⁉︎」という一言が未だに薔薇の棘のように刺さったままだ。それから3ヶ月かけていちおう一通りのことは出来るようになり、3年前の春には無事にペーパーテストも路上試験もクリアして免許を手に入れたのだった。それでもやっぱり車を運転するのは好きじゃない。なんでこんなに車が苦手なのかというと、間違いなく高校3年生の夏に轢き逃げに遭ったからだ。あの時のおれは被害者で、しかも轢かれたにも関わらず腕や腰を打撲する程度で済んだ。が、おれが運転する側になった今は加害者側になる可能性もあるわけで、そういうことを考えるだけでハンドルを握る手が震えてしまう。おれには自動車ではなく自転車のほうが合っている。


しかし『弱虫ペダル』はロードレースが題材なだけあって、下手すりゃ自動車より危ない描写も多々ある。自動車のエアバックのような安全装置もないので場合によっては自動車事故より悲惨な事故が起こり得るかもしれない。そんな過酷な状況でもなお、誰よりも早くあろうとし、たった一度のゴールを目指してペダルを漕ぎ続ける男たちがいる。『弱虫ペダル』はそんな男たちの姿を凝縮してみせたスポ根ものの王道ど真ん中を行く作品だ。アニメは常に火傷しそうな熱さを保ったままで、演出の素晴らしさを直に感じられる。


実は本編はとにかくテンポが死ぬほど悪いんだけど、レース中はそんなことを感じさせない勢いがある。しかし主人公である小野田坂道が出たりいきなりレース参加者以外のキャラクタの話が挟まれると途端に勢いが無くなって面白味が失われる。特に主人公が出てくると急に勢いが無くなるというのは致命的だった(さすがに最終回だかは例外でめちゃくちゃ良かったが)。何故こうなってしまうのかは正直よく分からない。マネージャーや杉本も上手く生かされていないキャラという感じで勿体無かった。特にマネージャーなんてもう要らねえんじゃないのというレベルで出番がない。あと本当に音楽の悪さが勿体無くて、ほぼ全てのBGMがスーパーで流れてる曲のように聴こえてしまう安っぽい音だったことが残念でならなかった。『寄生獣』とは別のベクトルのガッカリ感。主題歌は悪くなかったのにな…


まあその辺の事情を差し引いてもこれが素晴らしい作品であることには変わりない。音楽と本編のテンポの悪さを除けば全く文句無し。1期の積み重ねも余すことなく生かされていたし、最終回で今までのCパートの要素を取り入れた遊びをやってみせるサービス精神も良かった。個人的には最終回まで見ても一番好きなキャラが御堂筋のままでした。



暁のヨナ

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ストーリー 9
キャラクター 9
演出 9
作画 8
音楽 6
総合得点 41点
総合評価 A

おれが小中学生のころ、最初は1人か2人で旅に出て、様々な街や森や川や洞窟に訪れ、次々に仲間を増やしていく…という物語は数多く存在していた。そしておれはそういう話が好きだった。仲間との出会いと別れをしっかり描ける作品というのは世代を超えて愛される普遍性を有している。おれが人生で読んだ漫画の中で5本の指に入ると公言している『惑星のさみだれ』もこの例に漏れず。今や日本の漫画の頂点に立った『ONE PIECE』だってそうだ。極めてオーソドックスなルールに則っていればどんな作品でもそれなりの面白さが保証される。問題なのは「仲間が増えていく」、つまり自動的に戦力が増えていく中で主人公本人の成長をどれだけ説得力を持って描けるかという点だ。


暁のヨナ』はそうした王道を少女漫画のフォーマットに違和感なく組み込んでみせた傑作だ。と最初に言い切っておく。もう少女漫画とか少年漫画とかそういうジャンル分けしていること自体が不毛に感じられる、両者の垣根を容易く取っ払えるほどのパワーを秘めている。半年前に確か「主人公のヨナはとても動かし辛いキャラクタっぽい(CV.タニベユミ)」と言っていたはずなんだけど、この「動かし辛さ」がまさか主人公の未成熟さに直結していたとは思わなかった。こういう漫画なので余程気にしないと分からないのだが、とにかく伏線の張り方が尋常じゃなく上手い。ミステリのようにパズルのピースがひとつずつ嵌っていくようなそれではなく、ひとつの伏線が張られ、それを回収→新たな伏線が張られ、回収…というプロセスが繰り返される。なので話の筋自体はとても分かりやすい。とても分かりやすいのに裏では実に入り組んだことをしている。


ただ、ヨナが「人を傷付けてはいけない」と父から教えられていたのは最後まで伏線として機能していた。その父を殺したスウォンに対する複雑な感情を丁寧に描きながら、徐々にヨナが成長していく様子は本当に美しく、加えて周りの人間、特にハクとの関係性も密に描かれるので「キャラクタの描写不足」という点に悩まされることはない。こうした中で、ヨナが「人を傷付けてはいけない」という父の教えに反してまで憎むべき敵ヤン・クムジの命を絶った第22話はまさに鬼気せまる迫力があった。成長というものは必然的に覚悟を伴う。そして多くの場合、覚悟というものは他人の命を奪うか自分の命を顧みない覚悟だ。後者の覚悟はヨナが城を出た時に決まっていたので、旅の途中で成長するにはどうしても誰かの命を自らの手で奪うという行為が不可欠だった。しかもそれはヨナが手を下さなければならないほどの敵でなければならない。ヤン・クムジという敵はスウォンとは違う一片の曇りもない悪党だったのはそのためだ。


そして23話「誓いの朝」において、別れの際にヨナがギガンと抱擁するシーンは、これまでのヨナの成長した姿を汚すことなく「ヨナがまだ歳相応の脆さ幼さを残している」という事実を一切の言葉なく視聴者に切実に伝えてくる素晴らしいものだった。斎藤千和の泣き演技は相変わらず心臓を鷲掴みにするエモーショナルさが迸っており、アニメとかフィクションとかの枠を取り去って人間そのものを浮き彫りにする最高のアクトだった。物語はまだ途中だというのに、これまでの旅を総括するかのような構成とアニメの派手さを抑えつつ見せ場を盛り上げる演出にただただ圧倒させられた。1クール目の中にもこのレベルの回があったなら有無を言わせず今期ナンバーワンと宣言していただろう。


もう原作の時点でだいぶ完成されているし(最新巻まで全部買って読みました)、アニメも作画演出ともに高水準だったのだが、唯一残念だったのは1クール目EDと2クール目OPの曲がこの作品と全く合っていなかった、という点だ。曲自体はとてもいい。vistlipの『夜』もCyntiaの『暁の華』も良い曲だ。だがしかし『暁のヨナ』という作品の主題歌には相応しくない。ここらへんがタイアップという大人の事情が如実に絡んでおり考えるだけでつらいのだけど、まあビジネスとして成立してしまっているわけだし、それを嘆いても仕方ないのかもしれない。しかしやりようはいくらでもあったはずなのだ。2クール目ED、志方あきこの『暁』はまさしく『暁のヨナ』の主題歌に相応しい、素晴らしい楽曲だっただけに悔やまれる。



ガンダムビルドファイターズトライ

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ストーリー 9
キャラクター 10
演出 10
作画 10
音楽 8
総合得点 47点
総合評価 S

kl.hateblo.jp



寄生獣

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ストーリー 10
キャラクター 9
演出 8
作画 8
音楽 5
総合得点 40点
総合評価 A

地球が誕生してからもう40億年以上経過しているらしく、それはおれが1万回生まれ変わっても辿り着けない時間の蓄積で、翻って長くてもたった80〜90年程度しか生きられないおれたち人間の人生とはいったい何なのだろうと考えるとつらくなる。中学高校で生物の授業を受けたところで人間が何なのかなんてのは分からなかったし、それは間違いなく死ぬまで分からないのだと思う。世の中は分からないことだらけだ。もしかしたら地球以外の小さい惑星にも人間とはまた別の生命体が存在しているのかもしれない。今から1000年〜2000年後、地球がいよいよ滅びそうになって、残された少数の人類が他の惑星への移住を決意した…みたいな、SFで描かれてきた絵空事が現実のものになっているのかもしれない。そもそも人類という種族はさも地球の覇者であるか如き振る舞いを見せているが、おれたち人間は熊よりもライオンよりもキリンよりもカバよりも弱い。おれたちが純粋に闘って勝てるのは昆虫くらいだ。


だから人間は自然界で生き抜くために知能を発達させたわけだが、知能を発達させすぎたせいで今のおれは社会に追い詰められて毎日つらいつらい言っているだけの生産性のない生命体に成り下がっているし、遺伝子や生まれた時の家庭環境の違い、つまり生まれたその瞬間からもうはっきりとした優劣が決定されてしまう。おれは生まれてから今までずっと「石油王の子供として生まれたかった」と言っているしそれは今でも変わらない。人により差はあるだろうが、人間は基本的に楽をしたい生き物だ。だから便利さを求めて文明を発展させてきた。その結果、今では環境破壊やら大気汚染やらといった問題が持ち上がっているが、一度発達した文明を元に戻すことなどできるはずもなく、つまりおれたちがやっていかなければいけないのは、ここからさらに文明を発展させて「地球に害を及ぼさない」技術を生み出すこと、人間以外の生命体と上手く共存していくことだろう。


寄生獣という(アニメの中では寄生生物と呼ばれていた)生命体たちは、おれたち人間の視点から見ると化け物のように思えるが、彼ら寄生獣の側からすればおれたち人間のほうがよほど化け物に見えるという、今の地球の生命体をそのまま映し出したような構図こそがこのアニメの物語を強固なものにする最大の要因だ。フィクションでありながら「いつか現実になり得るかもしれない」というリアルな切迫感が伝わってくる。原作を読んでいない人間からしたら音楽以外に文句の付けようがない傑作だと思うのだけど、やはり原作読者にとっては耐え難い改変とかがあったのだろうか。


不必要に感動を煽ることも、グロテスクな描写をすることもなく、それでいて常に淡々と現実を見せつける。人はいつか死ぬし、願いは常に叶うとは限らない。理不尽な現実、境遇、そこから目を背けずに主人公・新一と寄生獣たちとの闘いを描く。非常に誠実な物語だ。最終回で寄生獣と人間の闘いを描くのではなく、人間と人間との闘いを描いたのは象徴的だ。この作品は「寄生獣」というオリジナルの化け物を生み出して闘いを描くことではなく、寄生獣という生命体から見れば人間のほうが地球に寄生する化け物で、普通だと思っている人間も実は異常なのかもしれない、そもそも人類にとっての「正常/異常」とは何なのかという疑問を呈することに心血を注いでいた。最後の最後で殺人鬼が「人間てのは元々互いを殺したがっている生き物だ」「ただ本能に従っているおれこそが正常な人間だ」と叫んでいるが、これを単純に「異常者」で片付けるか、身近な問題提起として捉えるか、それは人それぞれだろうが、このアニメを半年間見続けた人間なら避けて通ることはできないだろう。常につらい死にたいと言っているおれもまた、生命のルールに歯向かう異常者なのかもしれない。



SHIROBAKO

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ストーリー 10
キャラクター 10
演出 9
作画 10
音楽 9
総合得点 48点
総合評価 SS

kl.hateblo.jp



四月は君の嘘

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ストーリー 9
キャラクター 9
演出 10
作画 9
音楽 10
総合得点 47点
総合評価 SS

kl.hateblo.jp



レディ ジュエルペット

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ストーリー 5
キャラクター 6
演出 7
作画 7
音楽 5
総合得点 30点
総合評価 C

女児アニメに本格的にハマるきっかけになったのは遅ればせながら3年前の『スマイルプリキュア』からだった。それまでは一応妹がいるのでナージャとかマイメロとか色々見ていたのだけど、楽しみにしながら見るとかそういうスタンスじゃなくて、単純に家族がテレビで流しているから見る、といった程度のものだった。そんな自分のスタンスを一変させるほどの力がスマイルプリキュアにはあったのだ。友情・努力・勝利の全てが揃った王道中の王道。今のおれを構成している重要な作品で、歴代のプリキュアシリーズはもちろん、未だにこれを越すプリキュアシリーズは現れていない。ちなみに今放送されている『プリンセスプリキュア』はかなり良いところまで来ていて、ここからあと3段ぐらいギアを上げてくれればスマイルプリキュアと肩を並べることができると思う。


そして決定的だったのは『アイカツ』だ。もう好きとか通り越しておれの生きがいになっているアイカツアイカツがあるからクソみたいな案件にぶち当たっても平常心で対処できるし、どんな地獄のような事態に突き落とされても「アイカツがある…アイカツがある…」と思えばギリギリで乗り切れる。アイカツは生きる源だ。食事と睡眠とアイカツがおれの生の根幹だ。生まれ変わったらアイカツになりたい。あるいは星宮いちごのマネージャーになりたい。最悪えびポンでもいい。アイカツの世界の断片を担う存在になりたいだけの人生だった。


歴史あるプリキュアシリーズ、僅か1年で一気に一大勢力となったアイカツシリーズに比べ、プリティリズムシリーズとジュエルペットシリーズはいまいち勢いがない。しかしプリティリズムシリーズはここに来て『プリパラ』によって大躍進を果たした。おれも例に漏れず『プリパラ』にハマってしまい、上司からの依頼に対して思わず「かしこま!」と言いそうになったこともある。「かしこま!」は魔法の言葉だ。どんな最悪な環境でも、どんな無茶な注文でも、「かしこま!」と口にすれば何とかなりそうな気になってしまう。おれは真中らぁらに救われていたのだ。真中らぁらが「かしこま!」という言葉を生み出さなかったらおれは上司にかしこまらない人生を送っていたかもしれない。真中らぁらが「かしこま!」と言っているからおれも上司にかしこまれる。かしこま!


さて、同胞であったプリティリズムシリーズに先を越され、未だに突き抜けられず足踏みしているジュエルペットシリーズだが、今作『レディジュエルペット』は眩しいほどの純愛ものだ。ここまで真っ当に清く正しい恋愛を扱った女児向けアニメは久々に見た。どことなく『ジュエルペット てぃんくる』に近い感触もあったり。なのだが、序盤は良かったものの中盤から一気に雑になってしまった。話も同じことを繰り返してみたり、かと思えば今までの流れを完全に無視して突然ギャグ回に走ったりするし、まるで一貫性がない。終盤の展開が非常に良かっただけにこの中弛みが悔やまれる。黒幕が明かされるあたりはミステリ小説を読んでいるような驚きがあったし、基本的な話の骨格自体は良かったのだろうが、いかんせん肉付けに失敗しており無駄な話が多かった。新シリーズはなんとジュエルペットが女の子に変身するという異色作らしいので大いに期待してます。



ハピネスチャージプリキュア!

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ストーリー 3
キャラクター 5
演出 8
作画 8
音楽 5
総合得点 29点
総合評価 D

kl.hateblo.jp



クロスアンジュ 天使と竜の輪舞

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ストーリー 10
キャラクター 10
演出 10
作画 9
音楽 10
総合得点 49点
総合評価 SS

kl.hateblo.jp





◆各項目ベスト3◆

ストーリー
1位 クロスアンジュ 天使と竜の輪舞
2位 SHIROBAKO
3位 ガンダムビルドファイターズトライ


キャラクタ
1位 クロスアンジュ 天使と竜の輪舞
2位 ガンダムビルドファイターズトライ
3位 沍えない彼女の育てかた


演出
1位 クロスアンジュ 天使と竜の輪舞
2位 聖剣使いの禁呪詠唱
3位 四月は君の嘘


作画
1位 SHIROBAKO
2位 ガンダムビルドファイターズトライ
3位 四月は君の嘘


音楽
1位 四月は君の嘘
2位 クロスアンジュ 天使と竜の輪舞
3位 銃皇無尽のファフニール




◆ベストキャラクタ◆

女性
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1位 アンジュ(クロスアンジュ 天使と竜の輪舞)
2位 カミキ・ミライ(ガンダムビルドファイターズトライ)
3位 加藤恵(冴えない彼女の育てかた)

1位は主人公とヒロインの座を両立させてしまうほどの圧倒的ポテンシャルをもったアンジュ以外考えられない。


男性
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1位 タスク(クロスアンジュ 天使と竜の輪舞)
2位 灰村諸葉(聖剣使いの禁呪詠唱)
3位 黒羽快斗(まじっく快斗1412)

なんで生き残れたのか全くわからないタスクがとにかく怖すぎたので1位にしておきます。


人間以外(特別枠)

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1位 ミギー(寄生獣 セイの格率)

平野綾、かなりのはまり役だったように思うんだけど原作読者からはわりと不評らしい。




◆今期ベスト主題歌◆

OP
艦隊これくしょん -艦これ- OP『海色 / AKINO from bless4』

AKINO from bless4「海色(みいろ) 」Music Video - YouTube



ED
銃皇無尽のファフニール ED『Ray of bullet / イリス・フレイア&物部深月(CV.日高里菜&沼倉愛美)』

銃皇無尽のファフニール Ray of bullet Ending Full - YouTube




◆今期ベストエピソード◆

SHIROBAKO 第23話「続・ちゃぶだい返し」
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脚本:吉田玲子 絵コンテ:許琮、菅沼芙実彦 演出:倉川英揚、太田知章 作画監督:大東百合恵、秋山有希、川面恒介、武田牧子、容洪、朱絃沰、西畑あゆみ

本当はクロスアンジュの中から1話選ぶ予定だったのだが「全話良いがゆえに逆にどの話を選べばいいか分からなくなる」という事態に陥ったので、クロスアンジュ以外で考えた結果、3秒でこの回が頭に浮かんだ。



◆今期作品ベスト5◆

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1位 クロスアンジュ 天使と竜の輪舞
2位 SHIROBAKO
3位 ガンダムビルドファイターズトライ
4位 四月は君の嘘
5位 ユリ熊嵐



※ここまで見たらわかるかと思いますが『蒼穹のファフナー Exodus』『アイドルマスター シンデレラガールズ』は現段階では評価不能なので今回は除外してあります)



結果的に2011年春を上回る豊作ぶりだった。見るアニメ見るアニメほぼ全て面白かったし、2クールアニメはどれも名作揃いだった。『ユリ熊嵐』も『冴えない彼女の育てかた』も『夜ノヤッターマン』も、普通のクールならトップ3に入っているはずの作品だった。しかし今期は去年秋から続く2クール作品が強すぎた。特に『クロスアンジュ』『SHIROBAKO』は本当に良かった。生きているとこういう作品に出会えるのでまだ捨てたもんじゃないなという気持ちになれるのだ。


ちなみに来期、春アニメで一番期待しているのは言うまでもなく『ハロー‼︎きんいろモザイク』である。この日が来るのをどれだけ待ち望んだことか。日常系作品の最高傑作でおれの生き甲斐、就職活動で死んでいった精神が2013年に放送された『きんいろモザイク』によって救われたことは記憶に新しい。1話につき20回以上見たアニメは人生の中でこれが3作目だ。おれは厳格なるアリス・カータレット信者なのだけど、出てくるキャラ全員にそれぞれ違った魅力もあり、日常系でありながらストーリーの骨格がしっかりしているし、何より過ぎていく時間の早さがおれの中学・高校生活において感じていたスピード感に酷似していて(中高生の頃が人生で一番楽しかった)、最近では登場人物たちの何気ない会話にも泣かされつつある。原作が最高オブ最高だったしアニメもハイパー最高オブ最高だったのでこの2期『ハロー‼︎きんいろモザイク』も大丈夫だろう。しかしアリス・カータレット役の田中真奈美さんの仕事量が才能に見合っていない…ロシア語が堪能な声優より英語が堪能な声優の方が使い所が多いだろいい加減にしろバオバブ……(田中真奈美さんには是非とも大沢、駄目ならスペクラや81、シグマセブンあたりに移籍しその才能を遺憾無く発揮してほしい)。